10.女子高生の休日

 そして、買い物の日がやってくる。

 その日私は、静子との約束で待ち合わせ場所とした地元の駅へと向かった。

 改札前に着くと、静子が「今日も暑いねー」と花柄スカートをパタつかせながら出迎えてくれた。それから、静子は自身のカバンを漁ると、私に紙の束を渡す。


「はいこれ」

「ん? なに?」

「名簿、学校の」

「えっ、あー、本当に用意したの?」

「あったりまえじゃん、深のそんなに面白い話、ちゃんとオチまで確認しないと」

「オチってなにさ……」


 私は苦笑いしながらプリントアウトした書類を受け取る。ペラペラとめくると名前がぎっしり書き込まれていた。


「うわー、すごい量……」

「全校生徒数一千六百十八人! 頑張ってね!」

「え、本気で?」

「本当は男子のみだからその半分の八百人分だから、安心して」


 何をどう、安心しろというのだろう?


「……はぁ、ありがとう」


 私はだるそうにお礼を言って、名簿の束をカバンにしまいこむ。それから、電車に乗って移動を開始した。

 目的地は、最近二つ隣の駅に出来た大型ショッピングモールだ。そこは駅に直結する形で作られた大型商業施設で、都内にあるような有名ブランドやセレクトショップがテナントで入っていた。


 昔は、ちょっとした買い物をする際には、けっこうな遠出をしなければならなかったのだけれど、ずいぶんと便利になったと思った。


 私たちは、モールに到着するなり店を見て回る。私には、別に大した買い物はない。けれど、静子のほうはバイトの給料日開けらしく、奮発していろいろ買うのだと言っていた。

 モールは一階から四階まで吹き抜けになっていて、その吹き抜けを中心に、各階ぐるりと周回するように店が並んでいる。休日だから人が多いのだけれど、それ以上にモールが大きいことから、あまり気にならない。


 私たちは、他愛もない話をしながら、クーラーの効いた室内を巡った。すると、しばらくして静子が本屋に捕まる。


「ちょっと待って、あたし本みたい」


 見ればそこには『大人も子供も興味津々? 夏休みの自由研究はこれ!』というコーナーがあって、教養系の書籍がずらりとならんでいる。


 静子が食いついていたのは、主に古生物に関わる書籍だった。眼の前の棚に、女子高生には馴染みのないタイトルが並ぶ。カンブリア紀エディアカラ動物群、最新恐竜図鑑、海の生き物が語る縄文海進、リアル古生物図鑑、大むかしの生物、古生物たちの不思議な時代、ワンダフル・生命。

 彼女は、こう見えて生き物好きだった。


「静子ってさ、こういうの今も好きなんだね」

「だってロマンでしょ、最近知ったんだけど、このへん昔海だったんだよ? 魚とか泳いでたんだよ? すごくない? ねえすごくない?」

「え、うん……すごいね」


 ワンダフル生命。


 私も動物は嫌いではないが、ロマンまでは感じないかなぁ。

 それから特設本棚の前で書籍を手にとった静子は、私の方を一切見ずに、中身を熟読し始めた。

 恐竜図鑑を覗き見る男の子らに混じって、年頃の女子が食い入るように教養本を見るという不思議な光景ではあったけれど、好きなものを見るなとも言えない。

 私は静子に声をかける。


「あたしさ、他のとこ見てるから、ゆっくりしてなよ」

「わかったー」


 生返事を返す静子を置いて、私は他の店に向かう。

 服、靴、カバン、インナーウェア、雑貨に、おしゃれ食器に、化粧品。アウトドアグッズ、医薬品、化粧品、家電製品、スターバッ◯ス。モールのめぼしい店を一巡したあとで書店に戻ると、静子はまだ本を読みふけっていた。


 私は、仕方がなく、ほど近い場所似あったトイレ前の椅子に座って、携帯をいじりだした。

 すると、目の前を見知った男子が通り過ぎる。──三年の望海先輩だった。


「え」


 望海先輩は、大きなカバンをかかえていて、周囲をキョロキョロと確認した後で、男女共用トイレに入った。


「……」


 私は、望海先輩がいることを静子に告げるべきか一瞬考える。


 挨拶でもしようか?

 出てきたら、声でもかける?

 いやいや、そもそも面識ないし。というから、トイレから出てきた男性に声かける女ってどうなの?

 一方、静子に伝えるのはどうだろう?

 静子は、あのジャンルの書籍を読む自分を目撃されるのを嫌がるかな?

 或いは、逆に話のきっかけになるかも?


 なんて事をだらだらと考えていたのだけれど、なんと、そのけっこうな長い間、望海先輩は共用トイレから出てこなかった。


 具合でもわるいのかな?


 そんなことを考えはじめた頃、突然トイレのドアが開き、中からサングラスをした女性が出てきた。


「え」


 それも、モデルのようなすらりとした綺麗な女性だった。というか、それは女装した望海先輩だった。

 着ている服は、どう見ても低身長日本人体型の私などが着こなせる類のものじゃない。ルックスでいったら、たぶんこのあたりの誰よりも美人なのではないだろうか?


「……えぇ」


 望海先輩は、スタスタとあるいて、静子が図鑑を読み耽る本屋の脇をぬける。

 私は、気付かれないように立ち上がると、女装した望海先輩を見送った後で、静子の傍らに立った。


「ねえ、静子」

「ごめん、ちょっと読みふけっちゃって」


 静子は、申し訳なさそうに詫びた。


「いや、いいんだけどね、そのさ……すごいものをみたんだけど」

「ん、何?」

「めっちゃ美人に女装した……望海先輩」

「はあ?」


 そのリアクションは正しいと思う。私も同じ話を聞かされたらそういうリアクションをするだろう。

 ただ、事実を先に目撃していた私は、まず見てもらうことが先決だと考えて、静子の顔をつかんで、遠くに見える望海先輩の方角に向ける。


「ちょっ、なに!」

「あれっ! あれみて!」

「んん?」


 高級ブランド店で服を見ている女性を指差す。


「あの人が……なんなの?」

「あれが、望海先輩!」

「はあ? ちょっとお、なにいってるの?」

「よく見て!」


 静子は目を凝らす。なにか違和感に気づいたようだ。


「……マジで?」

「マジで」

「ちょっと整理がつかない」

「だよね」


 静子は手に持っていた本を置いた。


「どうするの?」

「あとつける……」


 そう応えた静子の表情は、どこか不安げに見えた。傍らで図鑑をみていた小学生が、騒がしい私と静子をいぶかしげに見ていた。

 私たちは、往路の角を曲がって消えた望海先輩を追った。


「あっ行っちゃう!」


 私たちはダッシュする。ただ、この場合それが裏目に出た。

 角を曲がって消えたと思っていた望海先輩が、踵を返して戻ってきていて、私たちは、その先輩にぶつかる形で鉢合わせした。

 互いの身体があたって、体制を崩した望海先輩のサングラスが落ちた。


「あっ、すいません」

「あっ」


 その一瞬で、望海先輩は、私と静子を認識した。


「あれ……君ら?」


 近くで見た望海先輩は、もともとイケメン度合い加えて、抜群に細身であったからスーパーモデルのように美しかった。

 肌が白くきめ細かく、まつげは長く、眉はくっきり、唇は薄い。すらりとした手足。ムダ毛は処理しているのだろうか、たぶん私や静子よりも生足は艶めかしい。喉仏こそあったけれど、ぱっと見は誰もが女子だと思うのではなかろうか。

 ふと見ると、静子が青ざめている。


「……むり……!」


 静子は、逃げるように走り出した。


「ちょ、ちょっと静子!」


 私も追いかける。


「え、ちょっと! まって」

 望海先輩が後ろから男子の声をあげた。その声で、周囲の人たちがギョッとして私たちを見る。──というか静子、そのミュールでよく走れるなあんた。

 一方振り返れば、なれないヒールを履いた望海先輩が……何故か追ってくる?

 思いの外健脚な静子に対して、曲がりなりにも体育会系だった私がどうにか追いつく。振り返れば、望海先輩はいつのまにか見当たらなくなっていた。


 人混みを抜ける。エスカレーターを駆け下りる。結局私たちは、一階ショッピングモールの外に出て、駐輪場のある裏路地にいた。

 無駄に汗をかいて思うのは、なんで私まで逃げたのだろうという疑問。そして、やや落ち着きを取り戻した静子は、目に見えて凹んでいた。

 なんとなく理解したのは、静子は本気で望海先輩が気になっていたらしい。


「……なんかさ、こういうの斬新すぎない?」

「あー、うん」

「まさかさぁ、あれはハードル高すぎでしょ。しかもさ、あたしたちより女子力ありそうで美人ってどういうこと?」

「それは、あたしもびっくりした」

「あれは努力してる人だよ」

「すっごい綺麗だったね」

「そうだね」


 この事件の落とし所はどこになるのか?

 少なくとも静子の愚痴を聞いたり励ましたりするのは、多分私になるのだろう。

 そんなふうに、クーラーの効かない駐輪場で思っていたら、その望海先輩が私たちの目の前に現れた。

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