流れていく人の向こう側に。

・今月のテーマ


「催眠スマホ」 「9」 「猫」


✳︎


人は無数のコードを繋いで紛い物の世界と交わる


私は無数のコードを紡いで紛い物の世界其の物となる


 ✳︎


 いつも通る道に隣接した小さな踏切。そこで女子高生が自殺した。

 俺と彼女に交友関係はなく、ただの他人だ。たまたま駅のゴミ箱に捨ててあった新聞の端に小さく書かれていた記事で知っただけ。人の命にしては小さな記事で。

 彼女がどういう気持ちで死を選んだのか。俺には微塵も分からないし、気安く想像する事も叶わない。だがしかし、容易く人生を捨てるのなら俺にくれれば良かったのにと思う。

 もし女子高生として人生をやり直せるとしたら、誰だって欲しがるに違いない。少なくとも俺はそうだ。

 毎日毎日ゴミ箱を漁って食い繋ぎ、掃き溜めの上で眠り、目的もないまま彷徨い続ける。そんな惨めで空虚な人生を送るよりは遥かにマシだからな──



「隣、いいですか?」

 とある公園のベンチ。

 今日も日課である日向ぼっこをしていると、おかっぱ頭の少女に声をかけられた。

「ここは公共の場だ。 好きにしたらいいさ」

「ありがとうございます」

 少女は、お辞儀をして俺の隣へ腰掛けると、憂鬱げな表情で雲一つない空をぼんやりと眺めた。

 俺も彼女に倣ってぼんやりしたいところだが、そうもいかない。

 何故なら、彼女の服装は近隣の高校の制服。公園の入り口に設置されている時計の短針は9を指している。彼女が見た目通りの女子高生ならばこの時間に、ここに居てはいけない。

「なぁ、嬢ちゃん。 学校に行かなくていいのか?」

 俺のようなやつがそんな事を聞いたのが余程変だったのか。少女は目を丸くした。

「おじさん……なの?」

 その問いに、ついため息がこぼれる。

「おばさんに見えるか?」

「正直、よく分からないです」

「そうかよ。 じゃあ、おばさんかもな」

 本当なら、こんな渋い声のおばさんがいてたまるかっ! と言ってやりたいところだが、そんな事を言ってもしょうがないのは目に見えている。

 だから、それ以上は何も言わず、そっぽを向く。何事もなかったかのように。

「もしかして、気にしてました?」

「別に。 ただ、どいつもこいつも打ち合わせしたみてぇに同じ事を言いやがるからな。 少しうんざりしてるだけだ」

「なるほど。 それは、すみませんでした」

 少女が律儀に頭を下げる。正直、同類とは思えない程良識のある娘だ。

「ふん、ところで──な、何だよ」

 突然、じろじろと俺を凝視してくる少女。さながらその様子は品を見定める商人のようで、真剣そのものだった。

 あまりの真剣さに邪魔をしてはいけないと、うっかり待つ事数分。口を開いた少女は『体、真っ黒ですね』と至極どうでもいい事を言い放った。

「悪かったな。 汚くて」

「いえ、そんな。 寧ろ、艶があっていいと思います」

「やかましいっ!」

 体が黒くて艶がある。そんな事を言われて誰が喜ぶのか。寧ろ、それはゴキブリを連想させるので悪口と言っても過言ではない。

 それをゴキブリとなんら変わらない生活を送っている俺に言うのだからタチが悪い。例え、無意識だろうと。

「なんで怒ってるんですか?」

「うっせぇ。 それより学校はいいのかよ」

「学校は、行かなくていいんです。 行ってもしょうがないですから」

 少女がそっと俯く。

 その様子を見ていると、ため息をつかずにはいられなかった。

「そりゃ勿体ねぇな」

「勿体ない? 何がですか?」

「俺と違って未来ある若者なのによぉ」

「……はぁ」

「ったく、こんなとこで油売ってると俺みたいな負け犬になっちまうぞ」

「おじさんみたいな、負け犬……ふ、ふふ、ははっ──」

 少女の笑い声が辺り一帯に響く。そして、さっきまでとは打って変わり、にっこりと笑みを浮かべる。

 その笑みは、砂場で遊んでいる子ども達の中に紛れても違和感がない程無邪気で眩しいものだった。

「おい、お前な」

「だって、おじさんが負け犬なんて言うから──ふふっ」

「そこは気にしてるんだから言うなっ!」

「え、そうなんですか? 意外と繊細なんですね」

 何故か、得意げな顔をする少女。

 よし、殺す。例え、無邪気な子どもであろうと俺を馬鹿にするやつは殺す。腹を裂き、臓器を抉り出し、それを自分の口で味あわせ、最っ高に不快な思いをしたところで耳を削ぎ落とし、指の先からジワジワと……。

「お腹を空かせた肉食獣みたいな怖い顔しないでください。 おじさんがするとシャレになりませんよ」

「俺はシャレが嫌いなんだ。 それに久しく肉を食ってないからあながち間違いでもないさ」

「人肉は美味しくないそうですよ?」

「なーに、鰻と変わらんさ。 どんなに不味かろと工夫すれば美味しく食えると、ご先祖様が証明してくれている」

「それは困りましたね」

「今さら嘆いても遅いぞっ! なにせ俺の怒りのボルテージはマックスハザ──」

「すみませんでした。 これで許してください」

 俺の言葉を遮り、優しく頭を撫でてくる少女。全く、甘く見られたもんだ。誰がそれくらいで許すものか。

「……ふぅ」

 だがしかし、誰にだって逆らえない性はある。

「どうですか?」

「ふ、ふんっ、この程度で──んぁッ!?」

 頭だけでなく、額、瞼の上、髭周りの順に人差し指でそっと優しく、なぞるように撫でる少女。そして、冷え性なのか。思っていたよりひんやりとした指が俺にとっては心地よく、つい甘い声が漏れてしまった。

「こういう風にされると気持ちいいんですよね? 以前、読んだ本にそう書いてありましたよ」

「ばっ、んなわけあるか! た、たまたま変な声が出たが、そう簡単に──は、にゃんッ!!」

 少女の指が首回りを撫でる。それは背中に微量な電流を流されたかのようなこそばゆさを感じるも、凝った肩を優しく揉み解してくれているかのような快感を得れた。

「あ、思ったより気持ちいいみたいですね。 それじゃあ」

「お、おいっ、そこは──」

 彼女の辞書に自重という文字はないのか。ついに俺のウィークポイントである耳を手ですっぽりと覆い、付け根周辺を指先で優しく揉む。

 その瞬間、今までの快感が話にもならない程の快感に襲われる。脳が蕩ける? いや、そんなチャチなものではない。そもそも脳など存在していなかった。俺の五感を全て支配し、管理していた脳など初めから存在しておらず、快感を膨らませる為の制御装置に過ぎなかった。そう誤認する程の快感。正直、自分でも何を言っているのか分からない。

 とりあえず、ただただ気持ちいい。最早、このまま彼女のテクニックで逝かされるのもまた一興……。

 いや、待て。落ち着け……そんな事があっていいわけ、にゃいっ!

「うぉ、らぁっ!」

 鋼の精神で右手を振り上げ、何とか少女の手を払い除ける。

「あれ、お気に召しませんでしたか?」

「このアホ! 俺はな、こう見えてもお前の何倍も生きてるおっさんだ! 中身がおっさんともしれねぇ着ぐるみに抱きつくよりひでぇんだぞ! それに除菌用のアルコールも持ってないだろ、お前! 高校生ならその辺の危機感もちゃんと持て!」

「でも、そうは見えませんし、ちょっと触るくらい別に」

「でもも、ちょっとも、ヘチマもねぇ!」

 よもや最近の女子高生がここまでなっていないとは思わなかった。これでは、この国の将来が思いやられる。

「すみません。 以後、気を付けます」

 少女が頭を下げる。

 先程は良識のある娘に見えたが、今では謝りさえすればいいと思っている生意気な小娘にしか見えない。

「その顔、テストの結果を見せた時のお母さんにそっくりです」

「ほう、余程教育熱心な母親だったみたいだな」

「えぇ、とても。 誰よりもいいお母さんでした。 なのに──」

 空を見上げる少女。

「泣かせてしまいました」

 その横顔はひどく寂しく見えた。

「何やったんだ?」

「詳しくは言えません。 ただ、お母さんは何度も、何度も。 それこそ声が枯れるくらい私の名前を呼んで、子どものように大泣きしてました」

「じゃあ、とんだ親不孝者だな」

「私もそう思います」

 まるで他人事のような口振り。それは、毛ほども母親の心配をしておらず、自分の非も認めていないように聞こえる。

 しかし、手足を縛られたまま水中に投げ出されたかのような息苦しい雰囲気の少女を前に、そんな風に思えるやつはいないだろう。少なくとも俺には懺悔に聞こえた。

「健気なもんだ」

「へ?」

「俺も似たような事をしたが、嬢ちゃんみたいな気持ちにはならなかった。 微塵もな」

 それどころか、両親や友人の涙が滑稽に見えた。

 何故なら、俺は一度たりともあいつらを大切に思った事はなかった。だから、俺なんかの為に涙を流す必要はこれっぽっちもない。にも関わらず、子どものようにわんわん泣いて、本当に──。

「おじさん?」

「すまん、ちと感傷に浸っちまった。 やれやれ、歳を取るといけねぇな」

「あの、すみません」

「別に謝るような事じゃねぇだろ。 俺は冷てぇ。 嬢ちゃんはそうじゃねぇ。 それだけだ」

「でも──へぶっ!?」

 俺は少女の頬を軽くぶち、ベンチを飛び降りた。

「な、何するんですか。 いきなり」

「迷ってんならやり直せ。 それくらい出来んだろ」

「……どうしてそう思うんですか?」

「ここからあの踏切はよく見えるからな。 誰も死んでない事くらい知ってるさ」

 途端に少女は豹変──先程まで迷える子羊のようにおどおどした様子だったのに、鋭い目でこちらを睨み、ポケットから取り出したスマホをこちらに向けて構える。

「やめとけ、俺には効かねぇよ。 いや、正確には催眠をかけたところで意味がねぇ。 あくまでこの身体は俺のじゃねぇからな」

「…………」

「そう、渋い顔すんな。 俺じゃ何も出来やしないんだからさ」

「そうですね」

 観念したようにスマホを下ろす少女。

 危ねぇ……ハッタリが通じる相手で良かった……。

「それじゃあな、嬢ちゃん」

「待ってください」

「……何だよ?」

「本当に、やり直した方がいい……ですか?」

 ついため息が出る。

「好きにすればいいさ。 お姫様」

 俺は振り返らず、公園を後にした。



 ──シャリン、シャラン。

 今日の鈴の音はいつもよりご機嫌だ。

神座かみくら──まさか本当に現れるとはな」

 全く、惨めでも長生きはしてみるもんだな。


 ✳︎


 -公園-


『ねぇねぇ、おねーちゃん。 ずっとネコさんとなにはなしてたの?』

『ちょっとした人生相談かな』

『じんせーそーだん?』

『ボクには、まだ難しいよね──それより、ちょっとこのスマホ見てくれる?』

『え、どうし……て……』

『よし、良い子だね。 ボクは何も見なかった。 お姉さんも、あの猫さんも。 忘れるの。 その方が──』


 "貴方達にとって幸せだから"



【流れていく人の向こう側に神は来りて始まりの鈴を鳴らす】



fin.

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