あの憎らしいモホ・サピエンス

杞優 橙佳

第1話 あの憎らしいモホ・サピエンス

「これすごくない?」


 須古井すこい 年昭としあきがスケッチブックを見せつけてくる。ザラザラとした面に、黒鉛の粘土が塗りつけられている。異常に発達した頭をもつ、逆立ちした人間だ。

 

「逆立ちが当たり前の世界で人類が進化したらどうなるか?を突き詰めてみた」

「キモいなお前」


 俺の名前は流行はやり あらた。須古井とは小学校のときからの友人だ。出会ったきっかけはよく覚えていない。気がついたら二人で格闘ゲームを遊んで、中学で同じ塾に通っていた。塾の帰りにケンタッキーへ寄って、将来のことを話しながらスケッチブックに絵を描いた。

 そうして別の高校に進学し、高校2年生になった今も悪友の関係を続けている。


「じゃあ、はやりはどんな作品描いてるんだよ」

「俺は硬派だよ」


 俺は自分のスケッチブックを見せた。スケッチブックいっぱいに漫画を書きなぐっている。

 アイドルが異世界に転生し、同じく異世界転生してきた戦国武将のもとでアイドルとしてプロデュースされながら、天下一を目指す物語だ。同じグループで切磋琢磨した仲間同士が助け合ったり、敵対したり、時には恋愛感情から裏切りに走って後悔したり、青春の甘酸っぱさを感じられる作品になっている。


「主人公をあえて徳川Pの下に飛ばして、織田Pと豊臣Pと切磋琢磨するんだよ。織田Pが亡くなったあとに豊臣Pが反旗を翻して、徳川Pが織田Pの意志をついで天下統一するのが、やっぱエモいよな」

「お前のほうがキモくね?」


 須古井は眉間にしわをよせて偏屈な顔をした。


「お前スペースオペラのほうが好きじゃん」

「はあ? うるせーよ」


 男同士の友情とは不思議なもので、俺と須古井の友情はこの一言で終わりを告げた。




 あっという間に4年も経つものだから、時間ってのは不思議なものだ。

 俺、流行はやり あらたは高校2年から一切、須古井と話さないまま、別々の大学に入学した。須古井は近くの芸術大学に、俺は東京の大学の理工学部に入学した。


 俺は人生はとことん普通だった。大学でできた友人とテニスサークルに入って、飲み会に明け暮れた。もちろん俺が陽キャになったわけではない。普通の人達が何を面白いと思うのかが知りたかったからだ。

 もっと濃いサークルに入って突き詰めたほうがいいんじゃないかという話もあるけど、最近ではアニメやゲームも市民権を得てきているので、テニスサークルでも意外とオタク話が盛り上がったりする。そしてこういう人たちは意外と、物語の泣きポイントを言語化できたりする。


 それを漫画に取り込めたらと思ったのだが、思ったよりも俺は陽キャになりきれなかった。

 飲み会でアニメとゲームの話ばかりしていた俺は、いつしかサークルNo1のオタクとして、確固たる地位を確立していた。テニスサークルの中に本物のオタクがいなかったことが幸いしたのだろう。

 陽キャの集まりは入ってみると面白いもので、身内にはとても優しい。アニメサークルの面々と遭遇した時には、「うちにもオタクいるんだけど?」と謎の身内アピールが始まり、俺が戦場に駆り出される。

 対決方法はもっぱらアニメをテーマにしたラップバトルだ。


 例えばアニメサークルの代表が

「ふりむくなおれ、最終決戦

 燃え上がるおれ、宇宙要塞

 近接戦闘 赤い彗星」


 と歌い上げれば、俺が

「so燃え上がれ

 その手上がれ

 頭上の星

 射とうよおい

 当てれる顔そこにある

 帰れる場所そこにあるYeah」

 と歌い返す。


 相手は意外とやるじゃねえかと、大げさに地面へ膝をついて負けを認めることもあれば、俺の勝ちだなとベースボールキャップを深くかぶることもある。

 俺は「ノリのいい奴らだな。アニメサークルに入るのも悪くなかったかもしれない」なんてことを思いながら、大学生活をエンジョイしていた。気がつけば大学3年生。就職が視野に入ってくる年齢となった。


 もちろん俺は、漫画を描くのを諦めちゃいない。昔週間ジャンプで連載していた漫画家漫画の主人公みたいには、真剣ではなかったかもしれない。それでも短編の漫画を3ヶ月に一本Twitterにアップしていた。長編の漫画を年に二本は描いた。


 だがどの漫画雑誌にもひっかからなかった。漫画は趣味で続けていく程度にし、普通に就職しようと考えていたその矢先。東京都上野の美術館で、あの男の作品展が行われることを耳にした。


「うっぜぇな。俺の人生に入ってくるな」


 俺は苛つきを隠せなかった。スタバでコーヒーを飲んでいても自然と貧乏ゆすりが出てくるし、無性に口寂しくなった。

 人生でもう二度と交わらないと想像していた古い友人、須古井年昭。彼の作品展に俺は吸い込まれていった。


「相変わらずキモい作品ばかり作ってる。こんなのが美術館で展示されるなんて、世も末だな」


 俺はそんなことを言いながらも、スマホの電源が切れているのに気づかないほど、須古井の作品に釘付けになった。足の8本ある人間や、両方の間にびっしりと頭のついた人間など見ていて嫌悪感を覚える作品が並んでいた。その中に、あの絵があった。逆立ちの人間。


 リメイクなのだろう。鬼気迫る絵具の使い方や、見る人を貫くような人物の視線は、高校時代の須古井には描けなかったものだ。作品名は『モホ・サピエンスへの進化』。こんな進化があってたまるか。

 俺はそう思いながらも、須古井の進化に感心していた。


 須古井は4年経っても自分の武器を磨き続けている。それに比べて俺はどうだ。

 考えると寒気がした。

 正直なところ、4年前から須古井は抜群に絵が上手かった。人の模写をさせれば若い頃のピカソのように繊細な絵を描いたし、独創的な絵を描いてもパーツごとのバランスは整っていて、現実に存在していそうなリアリティがあった。それが一層気持ち悪さを掻き立てたのだろうが。それでも須古井と対等に付き合っていられたのは、須古井の作品など世間に受け入れられるはずがないと、見下している自分がいたからだ。


 いつ一般受けの作品を描き始めるかとヒヤヒヤしながら、俺は須古井が自分の才能をドブに捨てていくさまを笑ってみていたわけだ。まったく性格悪い。


 しかし須古井は自分を曲げずに描き続け、世間に自分の作品を認めさせたのだろう。なんと強引なやつだと呆れながら、俺は二の腕に生まれた鳥肌を触っていた。


「寒気がする」


 須古井を見下していた俺が、須古井に見下される日が来ると思うと寒気がした。

 俺は絶対に須古井から見下されたくない。ただそれだけの防衛本能が、俺にもう一度漫画家の道を目指す原動力をくれた。


 1年に6本の新作ネームを描き、出版社に投稿する。就活も卒論も忘れて漫画に没頭した俺は、テニスサークルの面々に協力してもらいながら、本当に面白い物語とはなにかを追求した。そこには俺の意志はひとつもなく、ただ読者が面白い、エモいと思ってくれる作品を書くように努めた。なぜなら成功するのに自我など不要なものだからだ。


 ストーリーはありきたりなものでいい。とにかく可愛いキャラクターを追求し、そのキャラクターをストーリーに当てはめる。キャラクターが息をしていないと揶揄されることもあったが、指摘を受け入れて迅速に改善して新作を出版社に持ち込み続けた。


 8月になっても仕事が決まらない俺を心配して、両親が電話してくることもあった。


あらた、就職活動はどう?」

「わり。やめた」


 漫画描きに没頭していた俺は、常にアドレナリンが出ていた。だからぶっきらぼうな言葉も簡単に口にしてしまう。


「ええ? せっかく東京の大学に入ったのにどうして何もしてないの?」

「どうしてもやりたいことができた。漫画家になる。もう届く所まで来てる」


 両親には泣かれた。

 気がつけば22歳。夢と社会生活の折り合いをつける時期だとも言われた。

 だけど俺は思うんだ。折り合いとは、交渉において、互いにある程度譲り合って双方が納得できる妥協点を定めること。だとしたら、


 ……夢を諦めて社会生活を望んでいるのは誰なんだ?


 俺は夢を追いたいと言っている。夢以外に目が向かない。これがまだ終わっていない中二病をこじらせた結果だとか、モラトリアムだとか、自分に酔ってるナルシストだとか、散々言われる。


 ……散々言ってるのは誰なんだ?

 

 客観世界の住人だろう。

 俺は主観世界の住人だ。若者特有の狭い視野だと言われたっていい。将来金に苦労するとか、結婚できないとか、普通じゃないとか、どうでもよかった。俺はただ、須古井に見下されたくない。


 とかいってたら、テニスサークルの面々は俺の決断を肯定してくれた。客観世界の住人ならば、サークルのメンバーは俺が失敗する姿を見て楽しみたいだけだよと言うかもしれない。でも俺は信じたいな。サークルメンバーは俺の未来を一緒に応援してくれている。直接会った俺が感じた主観を、客観世界の住人がわかった気になる権利なんて、ないだろう?


 こうして俺は若者特有の向こう見ずで、無根拠な自信に導かれて、漫画家の道を目指した。意外と助けてくれるやつはいるもので、ニートの俺に家を貸してくれる友達もいた。3年間で芽が出なかったらやめる。制限時間を切って俺は、出版社に投稿し続けた。人生の一番クリエイティブな時間を、漫画制作に当てられたのは幸せなのだろうか。


 1年が経ち、2年が経ち、俺は漫画制作をしながらもクラウドワークで白黒漫画の仕事をして月に5万円稼ぐようになった。居候させてもらっている友人に、生活費としてお金を渡すためだ。クラウドワークの10コマで5000円というのは、正直クリエイターをコケにした価格だと思うが、俺のように生活に困っている人間がいる限り、時給は上がらないのだろう。


 俺は漫画へガムシャラに取り組み、編集者からのダメ出しに心を折られ続けた。この編集者、絶対俺のこと嫌ってるよなと疑心暗鬼になったことは数しれない。なにしろ編集者は、俺が何を持っていっても顔を赤くして違うだろ、ココがダメだ、直せといって聞かない。だから俺は、どこがだめなのか、俺はこういうところにエモさを感じるんだ、どう直せば俺の好みを読者に伝えられる?と噛みついた。


 失敗が重なって、心がマイナス思考の極地にたどり着いたときは、須古井 年昭をネットで検索して憂さを晴らした。須古井はまだ小さな展覧会を続けるばかりで、世間で大きく評価されているわけではなかった。

 しかしWikipediaに須古井のページがあることは、俺にとって嫉妬の的だ。今は3DCGをつくる株式会社DDDに入社して、動きのデザインもこなしているらしい。俺はむしゃくしゃしたとき、DDD潰れねーかなーとつぶやきながら、近所の居酒屋でビールを飲むのが日課となっていた。



 トレース台と向き合い続け、曜日の感覚も失った俺。仏教徒のように無心でペンと向き合った。スマホの画面に電話番号が表示されると胃がキリキリ痛む、強面の編集者から、かすれた声で電話がかかってきたのは、25歳の誕生日だった。タイムリミットまで約半年。


 ……実感はわかなかったが、俺はこの日最高の誕生日プレゼントをもらえた。


「見たか須古井!」


 天にも登る気持ちでガッツポーズをしながら、俺は高笑いをした。



【戦国アイドルデスゲーム】

『主人公は世界一の腕を持ちながら、死の間際の母親に旨い料理を食べさせられなかったシェフ・リンゴ。

 彼はある日アイドルグループの日本ツアーで料理を担当することになった。

 停滞する日本経済……社会が行き詰まりかけた時、突如異変が起こり、戦国武将が転移された。

 武将は日本のあらゆるところでリーダーシップを発揮し、社会を変革していく。

 主人公はシェフとして天下を奔走し、アイドルからも信頼を集める。

 いつしか主人公の料理が天下の大名をつなぐ一因となり……』


 週刊誌に掲載された俺の作品。あらすじを読んでも意味がわからない怪作だ。


 アイドルプロデューサーに転移した織田信長を中心に話は進むものの、システムエンジニアに転移した武田信玄が風林火山でピンチを脱したり、ファッション業界に転移した伊達政宗が類まれなるファッションセンスで信長のアイドルを助けたり、美味い飯が織田と明智の心をつなげたり、底しれぬ熱量で、武将をカッコよく、アイドルを可愛く、飯を美味そうに描いただけ。

 何一つ俺の趣味とカスッておらず、愛着もわかない。大多数に支持されることだけを目指してやってきた結果だ。


 それでも満足していないかといえば嘘になる。


「須古井。俺はお前より先に行く。お前は一生俺の後ろだ」


 底しれぬ熱量は須古井への憎しみに支えられていた。目を瞑れば無表情で追いかけてくる須古井が頭に浮かぶ。正直呪われているとしか思えない。呪いを払うためにも、俺は須古井の一歩先に立ちたかった。この欲求は、連載が決まった時点である程度満たされたのだろう。



「最近モチベーションが感じられない。続けることが一番大事だぞ」

「わかってますよ、そんなことは」


 編集者はペン先を俺に向けた。


「いや、わかってない。完璧な1話を仕上げることは、長い時間をかければ誰でもできるんだ。しかし連載を続けて漫画で食っていくこと、これは限られた人にしかできない。オレは君ならできると思って連載を上に推薦した。この半年見せた情熱をもう一度呼び起こせよ。君はここまでの人間じゃないはずだ」

「やめてくださいよ!」


 編集者の期待は痛いほどわかる。事実、この半年の俺は鬼気迫っていた。だがその気力は漫画家になりたいからという、正しいモチベーションから生まれたのではない。編集者もそこを見誤った。気力溢れる若者を指導し続けてきた長年の経験が災いしたのだ。


 フィギュアスケート選手のアレクセイ・ヤグディンは、大会に望む時、それがたとえオリンピックであっても、どうしても優勝したいという感情は持っていなかった。祖国出身のライバルであるエフゲニー・プルシェンコより上なら何位でも良かったそうだ。


 俺もおそらくそうなのだ。須古井より上に立つことだけが目的で、漫画家として人気になりたいなどとは微塵も思っていなかった。


 そんな人間が漫画家としてやっていくのは、土台無理だったのだろう。

 俺は徐々に読者からの支持を失っていった。

 編集者からのテコ入れも虚しく。この作品はたった30話で打ち切りとなった。


「意外と悲しくないもんだ」


 俺は星空を見上げながらそうつぶやいた。特に愛着のない作品を書き続けてきたからだろう。心にポッカリと穴が空いたようだ。しかしよく考えるとこの穴は、作品を書いているときからあったかもしれない。


 俺はフラフラと近所の居酒屋『はなふだ』に入ってビールを頼んだ。ビールの苦味が虚しさに色を付けてくれると思ったからだ。

 ふと見上げると、小さなテレビでバラエティ番組をやっていた。番組の合間にドキュメンタリーの告知が入っている。


「おい、バカ、やめろよ」


 俺は左手で頭を支えるようにしてうなだれた。軽快なピアノの音がテレビから上品に流れてくる。『新時代の作家性~あの大監督と若き天才が出会う~』というその番組は、なんと須古井 年昭の特集番組らしかった。しかも世界的に有名な映画監督とのコラボレーション企画だ。


「なんでこのタイミングなんだ、くそっ」


 人がどん底に落ちたタイミングで、天上へ上り詰めていく須古井を心底恨んだ。お前は俺を殺すために生まれてきたのか?と言いたかった。


「誰も見るな、こんな番組」


 言いながら俺は、スマホで番組の放送時間をメモした。

 少しでも須古井の粗を見つけて、嘲笑すること。それだけが俺のアイデンティティを保つ方法だったからだ。



 放送当日も俺は『はなふだ』に来ていた。

 ひとりでこの番組を見るのは怖かった。かといって同居人に、俺の汚泥のような素顔を見せるのも嫌だった。


「店長、瓶ビール」


 俺はコップにビールを注ぎ、一口飲んだ。口の中に苦味が広がっていく。

 素面のときの一口目はいつも不快だ。脳みそが麻痺していないとこんなまずいもの飲めないという気分になる。それでも二口、三口と飲むうちに、これほど美味い飲み物がこの世にあったのかと感じるようになる。快楽物質ドーパミンが脳内で分泌されているのだろう。


「いい気持ちになってきた」


 番組が始まったのは酔いも回ってきた頃だ。21時くらいだったろうか。酒の力を借りなければ、こんな番組を見る勇気はなかったろう。

 タイトルコールで須古井の作品がパラパラ漫画のように映された。俺にとって忌々しい逆立ちの人間を描いた作品『モホ・サピエンスへの進化』も一瞬写っていた。俺でなければ見逃してしまうくらい、僅かな時間だが。


 番組のほとんどはテレビ局の一室が舞台だった。広い会議室の真ん中に、大きなテーブルがひとつ置かれ、有名映画監督とスタッフら5名と、須古井の所属する株式会社DDDの社員5名が、向かい合って座っている。両者から見える壁に大きな壁掛けテレビがあり、そこに須古井の作品が映し出されていた。


 相変わらず気持ち悪い作品ばかり作っている。

 人間が鉄棒で逆上がりをしようとして、身体が鉄棒にぐるぐると、どんどん焼きのように巻き付いてしまう映像。仰向けになった人間が両手足を使って体を引きずりながらゴキブリのように這いずり回る映像。逆立ち人間に支配された世界で、上下逆に立たされた人間が失血死する映像。


 いずれも趣味が悪い。

 俺は7年前の高校時代から変わっていない須古井に、懐かしさにも似た感情を覚えた。

 この7年間で俺は随分変わってしまったからだろう。俺は漫画を雑誌に載せるため、多くの人に好かれるキャラクター、モチーフ、ストーリーを研究し実践してきた。

 例え自分の趣味に合わなくても、周囲にウケるならそれを取り入れた。所詮は人気商売と割り切り、一歩引いた目線で作品を見てきた。だから作品に愛着もわかない。今も手元の単行本を見て、別の誰かの作品だと感じることもある。


 一方の須古井は、自分の感情の赴くままに生き、自らの才能を伸ばしてきた。スケッチブックに描かれていただけの気持ち悪いアイデアを、美術館で発表できるクオリティに仕上げ、さらには映像化して世界に発信しようとしている。

 一言で言えば、無邪気さ。

 俺が手に入れることのできなかった才能を須古井は持っている。


 だからこんなにも須古井のことが気になるし、認められていくことが怖くもあるのだろう。

 テレビに視線を戻す。須古井は立ち上がってテレビの隣に立つと、自分の作品がいかなる構想を経て生まれたかを熱く語っていた。語り口は鮮やかで、自信に満ち溢れている。高校を出てから、多くの人に称賛され承認されてきたのだろう。自分のアイデアは独創的で、皆が驚き、何かを言わずにはいられない作品を創っている。という自負心が見て取れた。


『私はいずれこの作品が、ハリウッドを賑わせるのではないかと考えています。例えば核戦争のあとの人間を描くような場面で、私のアイデアが採用されることになるでしょう』


「天狗になってるぞ、須古井」


 俺は須古井の楽しそうな顔をしかめっ面で見ていた。これで有名な映画監督にまで認められて、世界で、例えばハリウッドで映画を作ろうなんて話になったら、俺は耐えられない。

 だが、テレビ番組で特集をするということは、須古井の未来は明るいということだろう。本当にハリウッドまで行ってしまうかもしれない。だとしたら、なんだこの茶番。俺は何を見せられているんだ? 須古井のような気持ち悪い作品を創る人間が承認されて、多くの人を楽しませようと頑張った俺が、ここで安酒をかっ食らってる現実って何なんだ。


「もう負けたよ、どこにでも行ってくれ」


 瓶ビールをコップに注いだ。

 そのとき俺と同じようにしかめっ面で須古井の作品を見ていた映画監督が、重い口を開いた。


『……これを作る人たちは痛みとかそういうものについて何も考えないでやっているでしょう。極めて不愉快ですよね』


 は?

 俺は耳を疑った。今なんて言った?

 この番組は須古井礼賛番組じゃないのか?


『そんなに気持ち悪いものをやりたいなら勝手にやってればいいだけで、僕はこれを自分たちの仕事とつなげたいとは全然思いません。極めて何か生命に対する侮辱を感じます』


 いやいやいやいや! 須古井ボロクソ言われとるやん。

 映画監督からの辛辣な意見に、須古井はしどろもどろになり、「あ、いえ、そういうつもりで創ったわけではないので」などと言いながら、視線は左右に行ったり来たりしていた。そうしているうちに画面は暗転し、エンディングテーマと共に、「このあと須古井 年昭はどのような姿を見せてくれるのか、今後も目を離せません」などと取ってつけたかのようなナレーションが流れて番組は終わった。


 ……どんな打ち切り漫画でもこれよりは酷くないぞ。


 俺はテレビ番組に出演するということの怖さを感じていた。若者のテレビ離れが叫ばれているとは言っても、日本国民の何%かは番組を見ているはずだ。1%でも100万人と考えれば、テレビは今も恐ろしくパブリシティな媒体なのだ。そのテレビで、ここまで自分の作家性を粉々に砕かれる人間がかつていただろうか。


 こうして冷静に須古井の境遇を振り返ってみると、急激に笑えてきた。

 俺はスマホを取り出して、スマホを機種変する度に引き継がれながらも、一度も触らなかった連絡先をタッチした。


 トゥルルという、スマホアプリを通した電話ばかりしている人間にとっては懐かしい発信音。

 3度めの発信音でその男は電話に出た。


「はい」

「久しぶり」

「はやりか。なんだよ」

「見たよ。ドキュメンタリー」

「あー、何だよ。すぐかけてくんな」

「いやー、最初はお前の鼻をへし折ってくれてスカッとしたんだけどさ。ふざけんなだよな」


 俺と須古井は死ぬほど笑った。まるで高校生の時みたいに、何の屈託もない笑いだった。


「ほんとだよ。全国放送だぜこれ」

「だよな」

「営業妨害だろまじで」

「わかる」

「テレビ局がさー、若者と高齢者の対決にこだわり過ぎなんだって。あのカット以外では褒められたところもあるのに、全部カットだぜ」

「でもまじで笑ったわ。これ何の番組だよって。須古井の番組じゃねーの?って」

「ほんとだよ。実質映画監督の番組だろこれ」


 俺は息ができないほど笑った。久しぶりに話す須古井は何も変わっていない。まるで俺だけが、須古井の違う幻影を見ていたようだ。


「なあ須古井、ごめんな」

「ん? お前なんかしたっけ」

「なんか勝手にお前のこと恨んでた」

「ほんとだよ。お前ジャンプ載った時、『あの男に勝つことが私の全てです』とか巻末コメント出してたろ。これ俺のことじゃんって当時笑った記憶ある」

「はっず。俺そんな事書いてた? 編集が勝手に載せたかもしれね。顔熱くなるわ」

「まあまあ。意識されてるわ―と思って嬉しくなったりもしたよ。おかげで俺も頑張れてここにいるからさ」


 俺は須古井のその言葉に、目頭が熱くなった。

 少しの間黙っていたのは、声が枯れるのを恐れたからだろう。


「おい、大丈夫か?はやり」

「わり。なあ須古井、映画監督は色々言ってたけどさ、関係ねえよな。好きなこと突き詰めて、それが上の世代に理解されなくたってさ。そっち見て創ってるわけじゃねえだろ」

「ああ、関係ねえ」


 俺と須古井は電話越しにグータッチをした気持ちになった。


 あれから数ヶ月。俺は相変わらず漫画を描いている。しかしそれは誰かの好みに合わせた作品じゃない。俺が昔からやりたかった、情熱注げるスペースオペラだ。須古井はあれから少しマイルドになったかもしれないが、相変わらず気持ち悪い作品を創るというスタンスは変えていない。


 俺も須古井も高校時代から、変わらぬものを持ち続け、少し変わって、ここにいる。


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