閑話 幼い日の思い出

「はあ、はぁ……殺さず傷だけつけて人間のところまで誘導するのも楽じゃないね」

 僕は手に残った氷の欠片を消しながら戻った泉に体を沈める。

 氷の妖精いたずら、それが僕の名前だ。神様が、地上の調整や視察として創り出した、短い命の生命体。

「もうすぐ会えるんだから、せめてお礼のごちそうくらいしなくちゃね。」

 か細いつぶやきは、かすれて風に溶けていく。

 きちんと泉に体を沈めているはずなのに、なかなか消耗した力が回復しない。

「多分、これが最後のあいさつになるから……。」

 もうすぐ自分がここにいられる最後の春だ。そして、幸運にもあの子が森に来れる春だ。

「あの日の君が、懐かしいよ。……僕のこと、覚えているかな」


 **********


「ねえ、君、なんで泣いてるの?」

 木立の中、泣きじゃくる一人の少女。その顔の辺りで、浮遊する妖精の光。

「みんなとはぐれちゃった……はぐれちゃったの……。」

 どうやら、この少女は森で仲間からはぐれたらしい。

 目元を淡く染めながら涙を流す少女に、光はあっけらかんと明るく答える。


「なんだあ、それならもうすこししたら来るから大丈夫だよ。」

「……ホント?」

「うん、ほんと。ねえ、その涙ってやつ、もらってもいい?神様の大好物なんだよね。」

「え?」

「ちょっとじっとしてて」

 少女があっけにとられているうちに、妖精の指先から放たれた小さな冷気の帯が少女の頬を伝う光る粒を固めていく。

 固まったそのいくつかを、どこからか取り出したビンに詰めると、妖精はそれを満足そうに眺めた。

「よし、これでいい。」

「きれい……。」

 日の光を乱反射させるその欠片は、幼い子供にとってもそれはとても美しい物だと分かる。

「ねえ、いいものあげる。」

「え、……?」

 いたずらに笑う妖精が、つい、と指を振ると美しい淡い青の結晶が現れた。

「僕と君が会えた偶然をね、君たちの言い方で奇跡っていうらしいんだ。これは君に会えてうれしかったから、そのお礼だよ」

 幼子には、その言葉はあまりよく分からなかった。それでも、奇跡、という言葉はよく周りの人が自分にかけてくれる言葉だということは分かった。

「別に、みんなが思ってるだけで私は何も、」

「そういうところが奇跡なんだよ。はい、これあげる。」

 幼子の掌に、コロンとその結晶が転がる。

「そろそろ時間切れだ。じゃあね。」

「あ、待って……。……行っちゃった。」

 掌に、ころんと転がる青い結晶。妖精が消えていった木の間には、なにもない。

「ありがとう、って言いたかったのに……。」


 気が付けば、後ろから自分を探す声が聞こえた。

 結晶をポケットにしまい込んで、声に向かって走り出す。

 幻のようなひと時を現実だと証明する結晶はポケットの中に大事にしまい込まれた。

 それを知っているのは、その時、その場所にいた、たったふたりだけ。

 二人だけの、淡い秘密だった。

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