刺青の女~寛政捕物夜話16~

藤英二

刺青の女(その1)


「写楽に会わせておくれ」

奴江戸兵衛の役者絵を手にした女が、泪橋たもとの小間物屋の店先に、いきなり飛び込んで来た。

「会ってどうなさる」

間口半間の店の奥で、錺職人の与太の相手をしていた浮多郎が、きりりとした顔をあげた。

「惚れちゃったのさ」

たしかに、東洲斎写楽が耕書堂から版行した、歌舞伎の夏興行の役者絵は大変な評判になっていた。

この女は写楽に惚れ込むあまり、頭がいかれてしまったのか?

ならば、版元の耕書堂へ押しかけて、蔦屋にかけあえばよいではないか。

写楽と浮多郎とのつながりを知るのは、蔦屋の取り巻きと奉行所のごく一部に限られているはずだ。

「だれに言われて、ここへ来なすった?」

「そんなこと、どうでもよいことさ」

とにかく「写楽に会わせろ」一点張りの女は、しまいには裾をまくり上げ、太ももをあらわにした。

秘所のすぐの白い太ももに、「写楽命」の刺青がくっきりと浮かび上がった。

「写楽の居所は知らない。知らないものは教えようがない」

「知ってるんだろ。とにかく会わせておくれ」

声を張り上げる女と声を抑えた浮多郎との押し問答に、奥座敷から女房のお新が心配そうな顔を覗かせた。

お新と目が合った女は、いきなり踵を返すと、店を飛び出した。

浮多郎が目くばせすると、与太は「合点承知」と、女のあとを追った。

時に、錺職人の与太は、お役者目明しと異名をとる浮多郎の下っ引きとなって働くことがあった。

・・・小半時ほどすると、「てえへんだぁー」と叫びながら与太は店にもどって来た。

あえぐ与太に、お新が柄杓の水を与えると、

「あの女・・・大川橋から飛び込んだ!」

与太は、荒い息をつきながら言った。


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