五人目 玖実子(Ku-miko)
ノック音も、チャイム音もなく、俺は目覚めた。
目覚めて見上げた部屋の天井は、昨日と同じ田舎のアパートの天井だった。
ただ、隣で寝ていたはずの手結子の姿はなく、隣の部屋のテーブルに書置きの紙が1枚置いてあるだけだった。
「ター君、昨日は、どうもありがとう。ちょっとした時間だったけど楽しかったです。ター君は、私がアパートに来た理由を聞かなかったけど、実は、私、結婚を申し込まれている人がいます。でも、でも、もしかして、ター君に私への気持ちがあったのなら・・・と思って来ました。私、結婚を受けようと思っています。じゃあね。元気でね」
置き手紙には、そう書かれていた。
おめでとう、って言ってあげたいけど、手結子の連絡先を俺は知らないから、俺は、ガラスの大きな灰皿の上で手紙に火を点けた。手紙は、最初はオレンジ色が控えめに彩ったけど、あっという間に燃え広がって、黒く丸まった。
よく考えると、俺は、この4日間、大学にも行かず、そして、職場にも行っていなかった。日中、外出したのは、静葉さんと新宿にモーニングを食べたときだけだ。この部屋に居る、ということは、俺は働いていなきゃいけないわけだが、このアパートに住んでいる間に、3社の会社を渡り歩いているから、いったい、どこの会社に出勤すればよいかもわからないし、このまま此処に居ていいんだろうと、なんとなく思った。否、俺には会わなければならない女がいるから、その女を待っていたい、と俺は思った。
ところが、そんな俺の予想と期待とは裏腹に、誰も訪れないまま、どんどん、時間が過ぎて行った。試しに点けてみたテレビでは、お昼過ぎのワイドショーが映し出されて、どうやら金曜日だということがわかっただけだった。
そうこうしているうちに腹が減ってきた俺は、昨日、手結子がピザを買ってきたフジミショッピングセンターに行って何か腹の足しになるものを買ってこようと出掛けることにした。
アパートの階段を降りていくと、懐かしい住宅街の風景がそこにあった。アパートは1Fと2Fの2部屋のみで、1Fは、確か、外国人夫婦と子どもが住んでいたはずだった。平日のこの時間だから1Fの部屋からは物音ひとつせず、誰も居ないようだった。アパートの隣の家は、大家の家だったが、会って家賃なんかを求められたら面倒くさい話になるので、俺はいそいそと道路を反対方向に曲がって歩いた。
歩いてすぐの空き地みたいな駐車場に確かに俺の車が静かに停まっていたが、それは、昨日、手結子が言っていたカリブではなく、次に乗り換えたハイラックスのピックアップだった。「ふん…」と思いながら歩いた先にフジミショッピングセンターがあったが、看板は取り外されていたし、店のガラスは薄汚れていて、もう、何年も前に閉鎖されているような様相だった。ショッピングセンターの駐車場には、何台かの自家用車が停められていて、お父さんとその子どもと思しき二人がサッカーボールを蹴り合っていた。
「すみませんが、このスーパーはいつ頃閉店しましたか?」と、俺はお父さんと思しき人に尋ねてみた。
「ええっと…そうですね~1年か、1年半くらい前でしょうか」とお父さんは答えた。
「そうでしたか。この辺に、スーパーみたいなお店はありますか?」と俺が尋ねると、「そうですね~ ここからだと、2キロくらいありますかね~。コンビニだと、この道を真っすぐ行ったところにありますけど」とお父さんは指を差しながら教えてくれた。
まあ、これまでに俺の身の上に起こったことを考えても不思議じゃない話であり、俺はお父さんに礼を言ってコンビニに向かった。
コンビニで適当な物を買ってアパートに戻ると、玄関先に長身の女が立っていた。
「クミコ?」と俺が声を掛けて、振り向いた女性は、確かに玖実子だった。
俺が階段を上って、玖実子と同じ玄関前のスペースに辿り着くと、「来ちゃった」と一言だけ言った。玖実子は、俺が3社目の会社で知り合った女だった。
「よく来たな。なんだか、玖実子が来るような気がしてたんだ」
俺は、玖実子がさぞかし喜びそうなわかった風な言い方をして部屋に招き入れた。
「なんで、私が来そうな気がしたの?」二人掛けのソファに座るなり、玖実子はそう言った。
「だって、順番からすると、さ」とは、言わずに、「歩いてたら、アパートに着く少し前からこの香水の香りが風に乗ってしたからだよ」
「ふふふ…相変わらずの減らず口ね」
玖実子は細くて綺麗な脚を組みながらそう言った。
「なら、玖実子は、今日、なんでうちに来たんだい?」
「会いたかったからよ」そう、玖実子は即答した。
「なんで、会いたかっ…」と言い掛けた俺の口を玖実子の口が塞いだ。
「ね。今日も、私の方が先、だった」
「って、その言葉を言いに来たかったんで…」
その言葉さえも玖実子は塞いで、互いの呼吸の音を聴きながら長い接吻を交わした。
「隣の部屋で布団を…」
「ううん、ここでいい」
そう言うと、玖実子はソファから降りて、俺の前にひざまずいて、俺のジーンズと下着を降ろすと口に含んで愛撫し始めた。
俺がのけぞりながら反応すると、玖実子は口に咥えたまま、両手で俺のシャツのボタンを外していった。
「玖実子…」
俺を裸にした玖実子は、両手の人差し指で俺の乳首を弄びながら、舌先を一番敏感な場所に差し入れた。
「だ…だめだってば…」
ついに、我慢しきれなくなって、俺が腰を引くと、玖実子は自分でタイトなスカートと下着を脱いで、ソファに座っている俺にまたがった。
「私が、あなたを抱くの」
そう言うと、玖実子はゆっくりと腰を下ろしていった。
「なあ、電気点けていい?」
「ううん。ここの電気は嫌い。確か、前に停電になったときに点けた非常用の蝋燭がまだ残っていたはずだわ」
「そんなのあったっけ」
「うん、ちょっと、待ってて」
そう言うと、玖実子は裸のままでキッチンに行って、言った通りに、オレンジ色の非常用の蝋燭を持ってきた。
「ライター借りるわね」
そう言いながら、俺のイムコのライターを着火させようとするのだけど、アクションの仕方がわからずに戸惑っているので、俺がライターを受け取って蝋燭の芯に火を灯した。
「そのライター、まだ使ってたのね」
「ああ、俺、このライター、学生の頃から好きなの」
「そんなにお高くないんだっけ」
「そう。今でも、千円しないの。ジッポと違ってシングルアクションだしね。好き」
「私は、そのライターを使うあなたの指が好きだったわ」
「この指?毛むくじゃらのゴツゴツしたこの指が?」
「そう。見ているのも、その左手で触られるのも好きだった。前なんて、持って帰りたいと思ったもの」
「ふふふ、持って帰っても動かなきゃ、さ」
「ううん、もちろん、動かす身体ごとよ」
「それは、悪かったな」
「私は、持って帰れなかった。あなたは、私を選んではくれなかった」
「どんなに、大変なお家か知らないけど、私じゃ務まらないの?って言われたよなあ」
「務まらない、ってはっきり言われた」
「言い方は、その方がはっきりしていていいけど、本当は、違う。そんな大変の家に君を入れるのは、君が不幸極まりないこと、っていうのが正解」
「あのね。私、今度、結婚しようと思ってるの」
「え?誰と?」
「あなたの知らない人よ」
「そりゃ、まあ、そうだろうけど…」
「友達に言われたの。まずは、試しに結婚してみな、って。どんなに好きな人でも、断る男を無理強いしちゃダメだって」
「まったくもって、御友人の言う通りだ」
「何か、私に言うこと」
「ないか?って言うんだろ? そりゃ、もちろんあるさ。おめでとう。心から祝福するよ」
「それだけ?」
「それだけ、って、それ以外に何があるんだい?」
「ううん、いいの。ね、今度はあなたが私を抱いて」
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