訪ねてくる女
橙 suzukake
一人目 有希江(Yu-kie)
コン、ココン コン、ココン…
目覚めても、しばらく天井を眺めていたが、どうやら、ドアをノックしている音だとわかって、俺は布団を出て玄関のドアのところで「はい」と言った。
「わたし。ユキエ」
俺は、ドアのノブの鍵をひねって縦にして押し開けると、本当に有希江が立っていた。
「もう…ほんと、だいじょうぶなの?」
少しいらだった声色でそう言いながら、有希江は両手に持った買い物袋を重たそうにして玄関に入ってきた。
「だいじょうぶ…って、俺は、なんともないけど」俺は後ずさりしながらそう言った。
「なに言ってんの。昨日、電話であんなに辛そうに話してたじゃない?だから、今日は、友達との約束キャンセルして来たのよ」
有希江は、玄関のすぐ横にある小さなキッチンの小さなスペースに大げさな音を立てながら買い物袋を置いた。
「熱は?まだある?」と言いながら有希江は俺のおでこに手をあてた。
「う~ん、下がったみたいね。頭痛は?」
「いや、ない、けど」
「そう?じゃ、まあ、なんか作るから、その間に寝てて」
そう言うと、有希江は、買い物袋から頭を出していたネギやら、卵のパックやらを出し始めた。
「ああ、まあ、そうするけど」
なんとなく、そう答えておいた方がいいと俺は思って、布団が敷いてある隣の部屋に行った。
勉強机の上にある目覚まし時計を見ると、12時5分前だった。カーテンを開けっぱなしにしておいた擦りガラスのサッシには眩しそうな光が当たっていた。
部屋の向こうのキッチンでは、有希江がこの部屋に置きっぱなしにしていたトムとジェリーのエプロンを身に付けて、水道の水で手を洗っていた。
「ごはん、まだ、残ってる?」と言いながら、有希江は小さな冷蔵庫の上に置いてある炊飯器の蓋を開けた。
「これだけあれば、ま、いっか」
有希江は俺の返事を待つことなくそう言ってから、まな板やら包丁やらを洗い物かごから取り出した。
(それにしても、なぜ、今日、有希江は俺のアパートに来たんだろう)
(有希江の話じゃ、俺が昨日、電話で具合が悪い旨を伝えたようだけど…)
(しかし、しかし、まずは、このアパートだ。俺は、なぜ、このアパートに居るんだ?)
この部屋は、俺が、大学生時代に4年間住んでいた二間のアパートの一室だ。しかし、今現在、俺が此処に居ることはあり得ない。俺は、とっくに、田舎に帰って、就職しているのだから。
「ねえ、今日は水曜日だっけ?」と背中を向けてまな板の音をさせている有希江に俺は言った。
「じゃなきゃ、この時間に此処に来れるはずないでしょ!」
「ああ、まあ、そうだよな」
有希江は、俺と同じ高校の出身で、一緒に東京に出てきて、俺は大学生、彼女は大手の百貨店に就職した。百貨店の定休日は、水曜日で、彼女と会うなら水曜日か、彼女の寮に許可をもらって前日の火曜日から泊りでこのアパートに来ることもあった。
「ほんとはさ、友達と渋谷に買い物に行く予定だったんだけど、あなたが電話であまりにも辛そうにしていたから来たのよ」
「ああ、それは、悪かったな。でも、俺は、その…お前を頼ったのか?」
「もう!頼ったのなんのって、あんな死にそうな声で『助けて…部屋に来て…』なんて言われればねぇ。いくら別れたっていっても、ね…」
「え?俺たち、別れたの?」
って聞き返しちゃならない、と俺は直感的に思って飲み込んだ。
「それは、すまんかったな」
「いいから、寝てなさい!まだ、出来上がるまで時間が掛かるから」
有希江は、俺に背中を向けたままそう言った。
俺は、再び、布団を掛けて天井を見上げた。
まず、だいたいにおいて、この状況はおかしい。田舎暮らしをしているはずの俺が東京の大学時代のアパートにこうして住んでいるってことは、もしかして、俺は大学生という設定なのか。そして、別れた有希江が俺の部屋を訪ねてきて、しかも、その有希江は20歳そこそこの容姿だ。
(ん?じゃあ、俺は?)
俺は、掛布団を跳ねのけて、勉強机の上に置いてある卓上の鏡を見た。
(やっぱり…)
俺の顔は大学生当時の顔をしていた。
(容姿は若い頃で、心は40歳、ということか)
「できたよ~。おじや」
隣の部屋のテーブルの上に土鍋を置いて、有希江がそう言った。
「ありがとう。ああ、とっても美味しそうだ」
「って、食欲ある?」
「あるある!もう、お腹がペコペコだよ」
有希江は、2人用の小さな土鍋から炊いたおじやをレンゲですくってお茶碗に入れてくれた。
ふうふうしながらおじやを食べていると、有希江は湯気が立ったほうじ茶を湯飲み茶わんに注いで置いた。
「ありがとう。とっても美味しいよ」
「こんなことする筋合いなんてないんだけどさ、まあ、今回きりだよ」
そう言いながら有希江は14インチのテレビのリモコンのスイッチを押した。
「まだ、笑っていいともなんてやってるの?」俺が言うと、「なんか言ってるわ」とテレビ画面から目を離さないで有希江はあきれた風に言った。
「ごちそうさま。ほんと、美味しかったよ。どうもありがとう。残ったのは夕飯で食べるね」
手を合わせながら俺がそう言うと「お粗末様」と短く有希江は答えて、茶碗と湯のみ茶碗をキッチン下げに行って洗い物を始めた。
「なあ、有希江」
俺は有希江の背中に身体をくっつけて腕をお腹に回した。
「なに?」
意外と拒まれずに有希江がそう短く答えた。
「すぐ帰らないで、もうちょっと居てくれないか」
すぐに返事はなかったが、洗い物が終わった有希江はそのまま俺の方に向き直って「居てどうすんの?」と聞き返したから俺は短く接吻した。
唇を離して有希江の顔を見直しても目の輝きが失われていないことがわかったから、俺はさらに唇を重ねた。有希江の薄い唇はすぐに少し開いて薄い舌が俺の舌に絡んできた。俺がゆっくり目を開けると、有希江は目を瞑ったままだったから、背中で結んでいたエプロンのひもをほどいて、背中のブラウスの感触と、その下のブラのバックベルトやホックの感触を確かめた。
「具合が悪いの、どこにいっちゃったの?」
俺に首筋をキスされながら有希江が耳元でそう言った。
「ああ、悪いよ。だから、食後のお薬をもらってるんだろう」俺はそう言うと、有希江を抱き上げて隣の部屋に行って優しく布団の上に降ろした。
「カーテン…カーテンを閉めて…」
「わかった。ピッ」俺は、ボタンを押す真似をした。
「もう…」
俺は、有希江のブラウスのボタンを左手で外しながら耳を舌先で愛撫した。有希江は首をすくめるような仕草を一瞬したけれど、鼻から漏れる空気の感じでそれが拒否でないことを俺は確かめた。
ブラウスのボタンを全部外すと、薄いピンクのブラが高い突起を主張しながら現れた。少し色黒で、鮫肌なところはあるものの、相変わらず、見事なプロポーションだった。引き締まったウエスト周りや腿を優しくなぞるように触った俺の左手は、ブラのストラップをたどり、そして、背中にまわって、あっという間にブラのホックを外した。ふわっと浮いたように盛り上がったブラのカップを優しくはぎとると、思っていた通りの形のいい乳輪が目の前に現れた。舌先をとがらせて乳輪の輪郭を辿ってから唇で乳首を含むと有希江は声を漏らした。有希江を見なくても分かる。どんな表情をしているか俺にはわかる。
秋色のロングスカートのホックを外した左手は有希江の細くてきれいな脚を何度も往復させる。そうしているうちに、待ちきれなくなった有希江は俺の脚の間に右手を伸ばしてくる。俺が満を持して下着の中に左手を入れると、もはや、濃度の薄い蜜が溢れ出していていた。
「指がおぼれそうだよ」
俺がそう言っても、有希江は何も答えない。その代わりに、有希江の右手も俺の下着の中に滑り込ませてきた。
「あ…」と思わず声が漏れてしまう。有希江は目を瞑ったまま口を薄く開けて俺の感触を味わっている。
「ほしい…」目を瞑ったまま有希江はそう言ってから俺を受け入れる体勢になろうと身体をくねらせる。
「帽子を付けなきゃ」って俺が顔を上げると、「ううん、いいの、このままでちょうだい」と有希江は言って俺のを握ったまま自分のところに導く。
「でも、そんな… あっ」
有希江の中は、あたたかく、そして、奥深かった。行ったり来たりしながらも、どこまでも、どこまでも奥の方に行ける感じがした。
あっという間に果ててしまった俺は、有希江のふくよかな胸の上で息を弾ませるしかなかった。
「ね、もう1回」
「え?俺を何歳だと思ってんの?」
「20歳だわ。今日で」
「あ…」
「お誕生日おめでとう」
「有希江…」
俺たちは、それから夕に、夜に、夜中に、そして、次の日の朝も重なり合って、貪り合った。
「有希江、今更だけど、寮の方は大丈夫なの?」
昨日とは違う秋物のスカートのホックを止めている有希江に声を掛けた。
「そんなこと、あなたは気にしなくてもいいの」俺に背中を向けたまま有希江はそう言った。
「ほんとに、どうもありがとうね。嬉しかったよ。今度…今度、いつ会える?」
「いい?私たちは別れてるのよ。昨日と今日のは、あなたへのお薬、そして、私からの最後の誕生日プレゼントよ」有希江はスカートをひるがえして裾をチェックした後に座っている俺を見てそう言った。
「それより、他に、私に言うことないの?」と有希江は言った。
「言うこと? う~ん…」
「ううん、いいの。思いつかなかったら。じゃあね」
有希江は、座っている俺に近付いて短くキスをした後に、荷物を持って部屋を出て行った。
「他に、私に言うことないの?」
俺は、彼女の言葉を反芻しながらも、思いつくことなく、乱れた布団やらシーツをを見つめるだけだった。
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