第4話 岩手

 灰坊主は、秋田県や岩手県に伝わる正体不明の妖怪。秋田県仙北郡や雄勝郡では囲炉裏の灰の中に住んでいるとされ、灰をいじると現れるという。そのことから、古より囲炉裏の灰をいじっていると『灰坊主が出る』と言って戒められた。名称の『坊主』は僧を意味する坊主ではなく、怪物を意味している。


 また、岩手県九戸郡では、風呂に2回入ったり、仏壇に供えられたご飯を食べたり、裸で便所に入ると灰坊主が現れるとされ、同様に戒められていた。


「ハイボウズだと思ってたけど、アクボウズって読むんだな?」

 高倉健に似たじーさんから聞いた話をメモにまとめておいた。宿は盛岡城址公園の近くにある。春には桜が美しいらしい。盛岡南部藩主の居城跡だ。天守閣は明治維新の際に取り壊されたらしい。

 椎名たちは本当は東京に向かっていたが、豪雪で足止めを喰らったのだ。

「この雪じゃ、犯人も身動き取れないかもね?」

 春奈は鼻の頭が真っ赤だ。

「正月はそっち、大変だったろ?」

 椎名は佐藤鉄矢に尋ねた。丸々と太ってる。高木ブーに似てるので『ブー』って椎名は呼んでいた。椎名の同期で、現在は秋田県警捜査一課の管理官だ。

 正月は八戸地域大規模断水事故。青森県八戸市を中心とする7市町で、導水管破裂により9万3千世帯が断水、三村申吾青森県知事が陸上自衛隊に災害派遣を要請。最長6日まで断水が続く。

 ブーは八戸出身だ。つい最近、生まれたばかりの息子を連れ去られている。

「最悪だよ〜」

「それじゃあお先〜」

 じーさんが談話室から出ていく。

「正月休みだってのに空いていてよかったな?」

 椎名は芋焼酎を飲んでいた。

「私ももらっていいですか?」

 そう言う春奈を椎名は睨みつけた。

「運転出来る奴がいないと困る」

 ブーは運転が下手くそだ。この前も駐車するときに縁石にタイヤを乗り上げた。

 葵がアクビをしながら入って来た。

「おっ?顔真っ赤だぞ?」

 椎名は酔って猿みたいだった。

「いい湯だったか?」

「雪の露天風呂ってのも乙だね?」

 葵のアパートの風呂には窓がなかった。

「寒くないのか?ジャンバー着たら?」

 椎名の目が座る。葵は浴衣姿だった。

「平気、もう酒やめたら?」

「こんなの序の口」

「3日に、この宿の近くで議員が飛び降り自殺してるらしい」

 じーさんから聞いた👂より情報を椎名は葵に教えた。

「ハレンチなオッサンだったんでしょ?」

「何だよ?知ってたの?」

「新聞、風間俊介って議員でしょ?」

 葵は脳内がスパーク○o!○o!するのを覚えた。北海道で1人、青森で2人、秋田で3人……。そのことを皆に伝えると、ブーが「番町皿屋敷みたいだな?」と言った。

「あ〜、あの怪談話?お菊さんでしたっけ?」

 わんこそばを春奈は平らげた。犬のことだと春奈は思っていたが、わんことはお椀のことだった。

「ってことは岩手じゃ4人殺されるのか?」

 椎名はかなり酔ったのか座敷に寝転がった。

「お風呂入ってこよ〜っと」

 

 春奈は部屋に一度戻り、浴衣に着替えると大浴場に向かった。3階建てのこの宿にはエレベーターが存在しない。3階から1階まで階段で降りるのはなかなか大変だ。『伊藤屋』は築100年の木造建築だ。どうせならつなぎ温泉や鶯宿温泉に行きたかったが文句は言えない。

 脱衣所で浴衣を脱いだ。胸が小さいのが悩みだ。揉むと大きくなるって噂を信じて西村に揉んでもらった。まさか、死んでしまうとは……。

 体を洗い、檜の湯に入った。まずは内湯で体を温めたい。お湯に念力を送った。つい最近、ふくよかな女性が入ったようだ。盛岡といえば、深沢紅子が有名だ。間違ってベニコって言ったら母親に『常識がない』って叱られた。フカザワコウコが正式な呼び方だ。盛岡出身の画家だ。彼女の描いた野の花の水彩画は見事だ。


 神木たか子は部屋でテレビを見ていた。列車は明後日にならないと動かないようだ。北海道、青森、秋田……3つのエリアで起きた凶悪事件の犠牲者はこれで6人。犯人は南下しているようだ。『北』には逃げるという意味があると中学校のときの国語の先生が言ってたな?たか子の部屋は2階にある。階段を降りてフロントにやって来た。もう22時を過ぎていた。今年の大河ドラマは『天地人』だ。主演は妻夫木聡、上杉景勝に仕えた直江兼続って武将を演じている。新潟に行ってみたいものだ。

 チン!ベルを鳴らすと高倉健に似たおじさんが出て来た。

「何ですか?こんな時間に?」

「感じ悪いわね?こっちは客よ?列車が動かないようなの、明日までだったけど明後日までにして」

「かしこまりました」

「事情が事情なんだから1泊分にしなさい」

「それは出来かねます」

「ふざけないでよ!客からぼったくろうっての?」

「営業妨害はやめてもらえますか?警察に言いますよ?」

「私も昔は警察に勤務していたの」

「おやおや、そうですか?特別扱いは致しませんよ?現職の方ならいざ知らず、OBでしょ?」

 たか子はだんだん悲しくなってきた。

「分かったわよ、ちゃんと払うわ」

 ゴォォォ…ゴォォォ…不気味な風の音がしている。


 1月5日

 たか子は朝食を食べ終えて街に繰り出した。岩手公園は花崗岩を積み上げた風格ある石垣がある。雪はまだ降り続いていた。でんでんむしも冬眠してるようだ。盛岡市内19ヵ所のバス停を回る循環バス『でんでんむし🐌』盛岡に来たときは是非活用するといい。

 夏には盛岡さんさ踊りが開かれる。三ッ石の鬼伝説を起源とする旧南部藩領に伝わる盆踊りだ。

「優奈、一緒にパパを殺そうね?」

 優奈は生まれてくるはずだった娘の名前だ。四日市によって殺された。鈴木渚、大方ちとせは妊婦だったが、無惨にも命を奪われた。殺人鬼を八つ裂きにしてやりたかった。

 たか子は北海道に出かけたときにイガウを目撃した。アイヌに伝わる睡眠中に人を窒息死させる魔女だ。

 

 たか子は、ボロ車で職探しの旅に出ていた。盛岡に来たのは旅行が目的じゃなかった。

  たまたま立ち寄った廃墟で谷村って男から安達って男を殺害するように依頼された。

「安達ってのは何者?漫画家?」

「あだち充かよ?タッチかよ?違うよ、『オクトパス』って派遣会社の元幹部だ」

「あぁ、偽装請負してたんでしょ?」

 谷村は10万をたか子に渡した。

「成功したらさらに10万だ」

「いい仕事してますねぇ」


 安達は啄木新婚の家にいた。盛岡タウン中央通りにある観光名所だ。石川啄木と妻節子が、明治38年(1905)6月に結婚生活をはじめた家だ。暮らしは困窮していて3週間で転居した。随筆『我が四畳半』は中学生のときにかぐや姫の『神田川』を聞きながら読んだ。かぐや姫は、南こうせつ・伊勢正三・山田パンダの3人からなるバンドだ。『四畳半フォーク』とも呼ばれていた。母親がくれたカセットテープを好きで聞いていた。

 安達は逆に2倍の報酬で谷村を殺害して欲しいとたか子に依頼して来た。

  金だけ受け取り逃亡しようとするたか子の前に、高倉健に似たあの男が現れた。

「あんた、何者?」

「伊藤圭、アーユーオーケー?」

 

 盛岡市は岩手山を仰ぎ、北上川、雫石川、中津川が縦横に流れる。椎名と佐藤はJR盛岡駅にやって来た。シティホテルやファッションビルが林立してる。

 佐藤はJRの職員に列車を動かすように言ったが、「映画のようには行きません」と返された。

「『大都会』とか『西部警察』じゃないんだよ?」と椎名は言ってやった。

 

 ✘風間俊介 議員

 安達隆也 オクトパス幹部

 谷村伸也

 神木たか子 警察OB

 伊藤圭 温泉宿オーナー

 佐藤鉄矢 秋田県警捜査一課管理官(警視)

 竹中旬 岩手県警捜査一課管理官(警視)

 

 1月7日

 アフリカ・エチオピアで2008年9月に誘拐され、ソマリアに拉致されていた国際医療支援団体『世界の医療団』所属の長崎大学大学院生が無事解放され、1月13日に帰国。

 葵たちは盛岡郊外にある原敬記念館にやって来た。ハラタカシって葵は呼んでいたが、椎名に「ハラケイだよ、常識なさ過ぎ」と言われて顔が熱くなった。原敬は日本初の政党内閣を大正7年(1918)に組閣し、就任3年で暗殺された。

「この地で原は生まれたんだ」

 椎名は教えてくれた。記念館に入り聞き込んだがこれといった情報はなかった。


 1月8日

 国土交通省が、『アーマリー』・『アイ』・『アクスィラ』・『アンクラシャブル』の4社が、防火窓の性能試験で偽装工作し、不正に国土交通大臣の認定を受けていたと発表。


 アーマリーは兵器庫って意味がある。

 errはアー、英語で罪を犯すって意味だ。アーマリー。アイはAIではなく、ミツユビナマケモノのaiに由来するんじゃ?なんて葵は新聞を閉じて鼻で笑った。アクスィラは脇の下って意味だ。アンクラシャブルは不屈って意味がある。


 警官の椎名は正義感が強く、とても優しい人物だと、葵は思っていた。

 葵と椎名は一関にやって来た。北上平野の最南端に位置し、江戸時代から田村藩三万石の城下町として栄えた。レンタカーを使って街をめぐった。

 磐井川中流の両岸に2キロメートルに渡って渓谷美が続いてる。

「厳美渓って言うんだ」

 椎名は教えてくれた。鬼みたいな奇岩に葵は驚いた。

「岩手は、大昔に鬼が岩に手形を残して『二度と悪さしません!』って約束したから岩手って言うんだ」

 飛沫を上げる滝の音に負けないように椎名は声を張り上げた。

 

 葵と椎名がJR一ノ関駅近くのレストランに立ち寄ると、そこで店主にこき使われながらも懸命に働くウェイトレスのイボンヌと出会う。その後、店で食事を終え、仕事に戻ろうとする彼椎名だったが、財布には金がなかった。


 その夜、スーパーマーケットにやって来た椎名はスクラッチをやった。5万が当たった。

「生きてりゃいいこともあるんだな?」

 椎名と葵は狂喜するのだったが、そこで彼は佐藤との約束を思い出す。昔、1万を借りたことがあったが返してない。半額を佐藤に融通しようと思い立った。

「3年も前でしょ?2万5000は多過ぎよ?」と葵は猛反対するが、「今後の為だ、金ってのは魔力を持つ」

 2万5000を受け取った佐藤は「何か困ったときはいつでも呼んでくれ」と秋田に戻っていった。


 1月10日

 青森県階上町の青森朝日放送八戸中継局で14時頃から悪天候の影響でテレビ電波の発信が停止。八戸市、十和田市など約16万2千世帯で同局のデジタル放送、アナログ放送ともに視聴不可となる。約11時間後に復旧。


 同日、岩山展望台にて神木たか子が刺殺されているのが発見される。晴れていれば盛岡市街や岩手山を一望出来る。石川啄木の銅像の前に死体は転がっていた。岩手県警捜査一課管理官の竹中旬は合掌した。

 藤田まことに似ていると周囲からは言われている。


 東京地検特別捜査部、及川良純ら4人を、東南アジアの現地法人などから税関を通さず組織的に裏金を日本国内に持ち込んだ外為法(外国為替及び外国貿易法)違反容疑で逮捕。


 たか子の遺体を見て春奈は驚いた。風呂に入っていたのはこの女だ。四日市のDVの果てに流産した哀れな女性だ。春奈たちは陰でDVDと呼んでいた。DVDEKAの略だ。

 同じ宿にいたんだ助けられるチャンスはあったはずだ。春奈は悔やんだ。


 1月16日

 国立感染症研究所、流行中のAソ連型インフルエンザウイルスに治療薬であるタミフル(オセルタミビル)が効かない薬剤耐性ウイルスが97%を占めることを発表。


 安達は、怪談が好きで遠野にやって来た。『遠野物語』を書いたのは民俗学者の柳田國男だ。JR新花巻駅からは釜石線で50分だ。

 遠野はレンタサイクルを使って遠野を散策した。鍋倉城址にやって来た。

「足が痛い」

 リュックからサロンパスを出してシューッ!した。卯子酉様にやって来た。かつてはここに淵があり、そこの主に願いをかけると男女の縁が結ばれたらしい。安達には既に奥さんがいるからする必要はなかった。

 

 宿の女将は安達に見覚えがあった。去年の12月に起きた銀行強盗の指名手配犯だ。

『オクトパス』の崩壊により安達も生活はカツカツになった。仲間たちと共謀して平泉にある銀行を襲撃して300万を強奪した。犠牲者は出ていない。女将は平泉に行ったことがあるが、様々な世界遺産がある。奥州藤原氏初代・清衡が造営した中尊寺の金色堂は国宝に指定されている。

 女将は警察に通報した。

 竹中は警官たちを引き連れて安達の立て籠もる邸宅を包囲、銃を発砲した。

 竹中たちが踏み込むと首を切り落とされた安達の死体がそこにはあった。

『議員は殺された』とボールペンで書かれたメモがテーブルに残されていた。

 議員ってのは風間のことに違いない、と竹中は思った。

 

 1月18日

 世界最初の温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」など人工衛星計8基搭載したH-IIAロケット15号機、種子島宇宙センターから打ち上げ成功。

 安達を殺したのは『オクトパス』の元社員じゃないか?葵はそんなことを思っていた。

 復讐してやりたい!葵は常に思っていた。葵が刑事になったのは銃が持てるからだ。葵は大切な人を殺されている。


 1月23日

 H-IIAロケット15号機打ち上げ。温室効果ガス観測技術衛星『いぶき』、雷観測衛星まいど1号など6衛星の分離に成功。

 谷村は安達が死んで安心していた。

 死神ってのもいるのかも知れないな?

 谷村は盛岡市街を歩いていた。中津川がゆっくりと蛇行しながら流れ、北上川に合流する。その東側に紺屋町はある。江戸時代には染物屋が多かったそうだ。赤レンガ造りの岩手銀行旧本店本館は見事だ。明治44年(1911)に岩手出身の葛西萬司によって建てられた。葛西は東京駅を作った人物でもある。

 

 私は引金を絞った。谷村の眉間に第3の目がボッ!と開いた。

 私は思った。TOYOTAの豊田社長って春風亭小朝に似てるな?そして、谷村は小朝に似てるな?

 ケータイが鳴った。

「武藤?」

《さくらさん!逃げてください!警察です》

 

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