第4話 出会い



 彼は目の前で気絶している少年を、どうやって起こそうか迷っていた。さっき、後ろから追いかけた時は気づかなかったが、時々、神社で見かけた事がある少年だった。小学校の帰りだろう。以前、見かけた時は、友達五、六人とよくこの神社に来ていたはずだ。境内けいだいで、友達と仲良くドーッジボールをしていたのを憶えている。最近はいつも一人のようだ。少年は石段をぶつぶつ独り言を呟きながら、登って来ることが多い。そして彼と母親の前に来ると、必ず顔真似をして、「あー」とか「うー」とか言って帰って行く。何がおもしろいのだろうか。いや、少年は学校で面白い事がないのだろう。少年は顔真似をしている自分の方が、こちらから観察されているとは夢にも思わなかっただろう。名札を見ると、六年三組風間雷一かざまらいちと書いてある。口を半開きにしてよだれを流している。なぜか、おでこにボールのあとがくっきりとついている。まだ、幼い顔立ちだ。しかし、口のまわりにはうっすらとひげが生え始めている。体はせて、胸板むないたも薄い。ほっそりと伸びた白い足だ。日頃、運動をしている様には見えない。

「ちょっと、まだ子どもだな。」

 彼は、少年を選んだ事を後悔していた。彼は朝から神社を訪れる人に、片っ端から声をかけてきた。毎朝、犬をつれて散歩に来るおじいちゃんから、杖をついておそなえを持って来てくれる信心深いおばあちゃんまで。しかし、正月まで一週間もないというのに、この神社にお参りに来てくれる人は本当に少ない。人間は神社の建物の立派さで、霊験れいけんあらたかかどうかを判断するらしい。威厳のある神主もいないし、可愛い巫女みこもいない。社務所しゃむしょがないのでお守りも買えない。だから人気がないのか。

 以前、母親が、

「あなたが日々修業するためには、集中できて良い環境じゃないの。」

 と言っていたのを彼は思い出した。

 今日、午前中に神社まで登って来てくれた人は八人だった。そして次が大事なことなのだが、彼の姿が見え、声が聞こえた人間は一人もいなかった。結界の中にある神社で、修行中の彼を人間が認識できるには能力が必要なのだ。母親の話では何万人に一人だという。そういう意味では、早い段階で能力を持った人間に出会えたのは運がいいのかもしれない。

「でも、小学生じゃなあ。」

 その時、少年がうっすらと目を開けた。少年はじっとこちらを見ている。その目にはおびえが見える。そうだろう、犬が話しかけたんだから。それも神社の狛犬が。彼は決断した。この少年を何としても味方につけたいと。そして一刻も早くこの森を出て、母親を探しに行かなければならない。この際、贅沢ぜいたくを言っていられない。彼は少年に向かって微笑ほほえんだ。母親がいつもめてくれた満面の笑顔を作って。

「さっきは驚かせてごめんね。」

 彼は少年に優しく声をかけた。人間界では、こういう言い方を猫なで声というらしい。少年はあわてて起き上がると、後ずさりし始めた。

「ごめんなさい、ごめんなさい。ふざけて顔真似かおまねなんかして。おさいせんを盗ろうとしたんじゃないんです。それに、次に来る時に必ずおさい銭を持って来ますから。どうか、許してください。」

 少年は土下座どげざして、懸命けんめいに謝っている。彼はあわてて少年に言った。

「怒ってないよ。僕は確かに神社の狛犬だけど、君に怒ってるんじゃないんだ。君に頼みがあって声をかけたんだ。」

 少年が顔をあげて、怪訝けげんそうに聞いた。

「僕に頼み?」

「そう、君にしかできない大事な頼みが。」

 彼は少年の目をじっと見つめた。少年は澄んだ目をしている。怯えは消えてないが、瞳の奥に白く光る力がかすかに見える。あの白い光は能力者の証だ。この少年なら、何とかできるかもしれない。彼は自分の直感を信じることにした。

「実は、僕の母親が一週間前からいなくなったんだ。」

 母親という言葉に、少年が反応したように見えた。きっと母親思いの優しい子どもなんだろう。彼は少年の瞳の奥の白い光に、自分の思いが届きますようにと願いながら、静かに話し出した。母親の事、そして自分自身の事を。


 雷一らいちは、目の前の狛犬のあおい目をじっと見つめた。相変わらず吸い込まれそうな感覚になるが、妙に気持ちが落ち着く気もする。狛犬の外観は、ちょっとブルドックに似ている。どんぐりまなこが愛らしい。太く短い眉毛まゆげが、目力めじからをより後押ししている。大きな鼻はちょっと上を向いていて、口は大きく横に広がっている。大きな耳は横前方よこぜんぽうにちょっと垂れている。ブルドッグと違うのは、首の周りから胸にかけて、ライオンのようなりっぱなたてがみが生えている所だ。前足の感じはライオンに似ている。指は短いがたくましい。尻尾しっぽね上がって、背中にくっつくように長い。雷一は狛犬をジロジロと観察した。雷一が落ち着いて話が聞ける状態になったと思ったのか、狛犬が静かに語り始めた。

「君は気づいたみたいだけど、僕はこの神社に住む狛犬なんだ。代々何百年もこの神社と森を守ってるんだ。」

 狛犬は話しながら、雷一の目をのぞき込むようにじっと見つめている。雷一は狛犬の時々ときどき横に広がる大きな口元を見つめながら、恐る恐る質問した。

「何で君が神社を守らなきゃいけないの。それに君は今何歳なの?」

 狛犬は左にちょっと首を傾げ、困ったような顔をした。そして雷一の目を見つめて再び話し出した。

「僕もお母さんから聞いた話なんだけど、神社がある場所は、元々悪霊が出没しやすい場所だったらしい。時空間がゆがんでいるというか、磁場じばが乱れているというか。そこで能力を持った人間がそうゆう場所に神社を建てて、狛犬に結界を張らせて警護せているんだ。僕達の仕事は、神社の門番もんばんとして悪霊が地中から出てこれないように見張る事なんだ。」

 雷一は、にわかには信じられなかった。狛犬が悪霊から神社を守っていたなんて。

「誰が神社を建てたの?それに狛犬に結界を張る能力なんかあるの?」

 雷一の心を見透みすかしたのように、狛犬は笑いながら言った。

「これで信じられるかな。」

 狛犬は雷一にあごをしゃくった。すると雷一の体が地面からすうーと浮いた。さっき狛犬が地面から少し浮いていたのは、これだったのかと雷一は思った。たった数十センチだが地面の上に浮いていると思うと不思議な感じだ。

「いいかい?」

 狛犬は雷一を見つめると、空を見上げた。次の瞬間、雷一は狛犬と一緒にガラス張りのエレベーターに乗ってるように五十メートルほど上空に昇った。森のてっぺんに立ったようだ。森林公園の先に小学校のグラウンドが見える。

「わかるかい、薄い膜があるのが。」

 狛犬が前足で上空を触ると、空気が震えた。雷一が目を凝らして見ると、透明なラップのような薄い膜が森全体をおおっているのがわかる。

「これが僕とお母さんが張っている結界さ。これで神社を守っているんだ。」

 狛犬の鼻が、自慢げにさらに広がった。

「神社を建てたのは、はるか昔、悪霊との戦に勝った侍じゃないかな。詳しいことはお母さんに聞かないとわからない。狛犬の像を建てたのは、僕たちの姿が見えない人達に、僕たちが神社を守っている事がわかるようにする為だったらしい。それと僕は今年で百十二歳になるよ。だから雷一君のちょうど百歳年上かな。」

 雷一は狛犬が自分の名札なふだを見ているのを感じた。雷一は狛犬がさっきから、「お母さん」「お母さん」と連呼れんこするのが鼻についた。ちょっと意地悪を言いたくなった。

「百年以上生きてるんなら、自分ですぐに見つけられるだろう。大事な、大事なを。」

 雷一は最後はお母さんにアクセントをつけて言った。狛犬はそれに気づかないのか、眉間みけんにしわを寄せて答えた。

「僕はまだ、自分の力だけじゃ、この結界の外に出ることが出来ないんだ。人間の、それも君のような能力者と一緒じゃないと無理なんだ。」

 狛犬がまた、雷一の目をのぞき込んで訴えてきた。

「いやあー、僕なんか無理だよ。」

 雷一はそう言いながら、能力者と言われて満更まんざら悪い気がしなかった。雷一は小学校入学以来、人にめられたことは一度しかない。

「君は問題の答えがわからなくても、元気に手を挙げるのがいいな。」

 三年生の時の担任の黒木先生の言葉だ。褒められたのがうれしくて、雷一はそれからも元気に手を挙げていたが、ある日クラスの女子にあだ名を付けられた。

「冷凍コロッケ」

 その心はただげるだけ。そのあだ名が定着してクラスのみんなから、からかわれるようになって、雷一は授業中に手を挙げるのを止めた。問題の答えがわかっていても。そして人の褒め言葉を鵜呑うのみにする事もやめた。褒められるとろくな事がない。雷一は質問した。

「君はこの森を出て、どこに行くつもりなの。お母さんを探す当てはあるの?」

 狛犬はまた小首を傾げて考えていたが、雷一の目をじっと見て答えた。

「正直当てはない。ただ、お母さんの近くに行くと、お母さんの気配というか、波動はどうが伝わってくる。だから捜し歩いていれば、いずれお母さんの所へ辿たどり着けると思うんだ。」

 雷一はその答えを聞いて、ちょっとあきれた。当てもないのにやみくもに探し回ろうというのか。いつか見つかるという根拠のない見込みで、延々と探し続けて見つからなかったらどうするんだろう。それまでの努力が無駄に終わるだけじゃないか。何でそんな行き当たりばったりの計画に、自分が付き合わなければならないのか。そんなに母親に会いたいのだろうか。雷一はどうやってこの申し出を断ろうかと考え始めた。集中すると無意識にいつものくせが出た。思案顔しあんがおの雷一を、狛犬がじっと見つめているのに雷一は気づかなかった。

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