第3話 宝来神社

 ルートCは帰り道で雷一らいちが使うルートのうち、人に一番出会わないルートだった。学校で嫌な事があった時、先生に叱られた時などによく使うルートだ。ちなみにルートAは運動会で大活躍したり、テストで百点を取った時に使うルートだ。大通りでたくさんの人とすれ違う。町の人々の賞賛の目を浴びながら歩く、ウイニングロードだ。しかし、残念ながら小学校入学以来、六年間一度も使った事がなかった。ルートCは小学校の裏門を出て、市営住宅へ通じる道の最初の角を左に曲がり、水道局のポンプ処理場の横を通って、後は道なりに下り坂を歩いていくだけだ。右側は高い石壁の上に一戸建ての家が並び、左側は田んぼが広がっている。下った先は小さな神社へ登る階段がある行き止まりなので、神社に用のある人しか使わない。その宝来ほうらい神社は人気がなかった。社務所もない、こじんまりした神社だ。車で二十分程走れば、広い駐車場とりっぱな本殿を持つ、新しくできた黄金おうごん神社があり、年末年始は皆そっちの神社に行く。時恵ときえばあちゃんの話では、十五年ぐらい前に新しく造成された団地の一番奥に、神社が新築移転したらしい。宝来神社が駐車場が手狭になり、台風の後の地滑りから石段が崩落する事故もあったので、宝来神社としては渡りに船だったという事だ。その時に新築移転した神社の名称を黄金神社としたところ、お参りした後に年末ジャンボを購入したお婆さんが一等三億円が当たったらしい。その噂話が街中に広まって、黄金神社は金運の神様として、宝くじファンからギャンブルファンまで、当たる為なら神にもすがるにわか信者を集めて大人気になったという事だ。雷一がこれから向かう宝来神社は、出不精でめんどくさがり屋のくせに年末は神頼みはしたい都合の良い参拝客で少々賑わうが、大晦日までまだ五日余りある。そこまで気の早い出不精はいなかった。

 雷一は階段を登り始めた。階段を三百三十三段昇ると、頂上の宝来神社に着く。

 雷一はおでこをさすりながら、ひたすら階段を昇る。一段一段、右足、左足とスニーカーを見ながら登る。上を見ながら登ると、階段の多さに気が滅入るのだ。

「こんにちは、雷一君。」

 声に反応して雷一が見上げると、団子ばあちゃんが笑いかけている。団子ばあちゃんは、ほぼ毎日、宝来神社にお参りする信心深いおばあちゃんだ。決して出不精ではない。おばあちゃんの名前は知らない。雷一が神社の境内で友達と遊んでいた頃、団子ばあちゃんがお供えに持ってきた団子を、雷一達におすそ分けしてくれた事があった。団子ばあちゃんの手作りの団子は、砂糖控えめでおいしかった。いつしか、みんなで団子ばあちゃんと呼ぶようになった。

「団子ばあちゃん、こんにちは。」

 雷一はペコリと頭を下げた。団子ばあちゃんは、しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして、雷一の顔をじっと見つめた。雷一も思わず団子ばあちゃんの顔をじっと見た。

「雷一君。あんた、おでこに模様が入ってるねえ。」

 団子ばあちゃんは、雷一のおでこを指さして笑った。笑うと金歯がキラリと輝いた。雷一は言われるままにおでこに触った。確かにおでこにあとが付いている気がする。

「ちょっと、色々あってねえ。」

「近頃の小学生は大変だねえ。雷一君。悪い事があったら、次は必ずいい事があるからね。あきらめちゃ駄目だめだよ。」

 団子ばあちゃんが、また金歯を光らせてニコッと笑った。雷一は照れ笑いをしながら団子ばあちゃんに頭を下げると、階段を駆け上って行った。きっと、昼休みにドッジボールで付いた跡だ。

「勇太の馬鹿野郎。なんであんな事をするんだよ。」

 思い出すだけでも、雷一は腹が立ってくる。


 勇太は、雷一の亀の子作戦を前にして、最初は大声でどなり続けた。

「ひきょう者。」

「いくじなし。」

「オカマオンナ。」

 ありとあらゆる、勇太が思いつく罵詈雑言ばりぞうごんを並べ立てる。亀のように首をすくめ、丸まってうづくまる雷一の周りを回りながら。その間にも、休み時間終了のベルは刻々と近づいている。一瞬の背中の痛みを我慢すれば、雷一の作戦勝ちだ。運よく背骨に当れば、皮膚の痛みはもっと少なくて済む。急に勇太のどなり声がやんだ。雷一が耳を澄ませると、勇太があきらめたような口調で言った。

「わかったよ。俺の負け。お前の作戦勝ちだよ。もう、昼休みが終わっちゃうよ。」

 ボールを手放す音がした。

「やったー、亀の子作戦が成功したー。」

 そう思って雷一が顔をあげた瞬間、正面からボールが向かってきた。ものすごいスピードボール。

「バチーン」

 雷一のおでこにヒットしたボールが地面に落ちた瞬間、昼休みの終わりを告げるベルが鳴り始めた。

「ひっかかったな。弱虫亀の追い出し作戦、大成功―。ちょっと早いけど、俺からのお年玉だ。」

 雷一がひりひりするおでこをさすりながら見上げると、勇太が左にちょっと曲がった鼻をひくひくさせながら高笑いしていた。


 雷一は神社の頂上にたどり着いた。誰もいなかった。五年生の時は、夏休みにここでみんなでドッジボールをしたものだ。あの頃は勇太も仲よく遊んでいた。

「なんで僕を目の敵にするのかなあ。」

 雷一はぶつぶつ呟きながら、鳥居の前まで歩いた。十メートル程先に向かい合った狛犬が鎮座ちんざしている。雷一はいつもの儀式に入った。まず右側の狛犬の前に立った。右の前足の下にソフトボールのような球を置いている。PKをこれから狙うサッカー選手のようだ。雷一は狛犬に近づくとその顔をじっと見た。そして両手の指で口を広げ、その狛犬の顔を真似まねうなった。

「あー。」

 次に向かいに座る狛犬に向かう。参拝客に撫でられて両足の表面がつるつるしている。顔をじっと見つめると、今度はその狛犬の顔を真似て口をへの字に結んで唸った。

「うーん。」

 雷一はこの神社に来ると行う一連の儀式を終え、参道を本堂に向かった。今日の一番の目的だ。左のズボンのポケットから、小さくたたんだ紙切れを出した。破ったノートに勇太の悪口をびっしりと書いてある。

「どうか、勇太に天罰が下りますように。朝起きたら、おちんちんの先っちょが痛くなってますように。おさい銭は今度来るときに必ず持ってきます。」

 雷一は紙切れをきれいにたたみ直すとさい銭箱に投げ入れ、大きく柏手かしわでを二度打って深々とおじぎした。勇太が朝、布団の中でおちんちんを押さえながら転げまわっているのを想像したら楽しくなってきた。雷一はふいに誰かに見つめられている気配を感じて振り返った。誰もいない。

「この神社は、本当に人気がないなあ。」

 雷一は呟いた。この神社には人は住んでいない。社務所しゃむしょもないので、お守りやおふだもこの神社では買えなかった。人気がないのはそれもあると雷一は思っていた。月に何度か、近くの黄金神社から神主かんぬしさんが掃除に来るらしいが、それ以外はこの神社を訪れるのは、団子ばあちゃんの様な熱心な参拝客だけだ。以前、ここの賽銭箱さいせんばこのお金を盗ろうとした小学生が、化け物に襲われたという噂が流れた事があった。

「暗くなる前に帰ろう。」

 雷一は本堂の左側に回った。本堂の裏に細いけもの道があった。そこを下ると国道に出る。そのけもの道を使えば、小学校の指定した登下校ルートより、家までだいぶ近道になるのだ。その時、遠くで犬の鳴き声が聞こえた。腹をすかせて食べ物を探しているのか、悲しそうな、か細い泣き声だ。最近、野良犬が増えたので登下校時は気を付けるようにと、校長先生が終業式で言っていたのを雷一は思い出した。雷一は足早に、けもの道を下り始めた。昨日の雨で足元がすべる。その時、後ろにまた気配を感じて振り返った。今度はいた。子犬だ。悲しそうにこっちを見ている。

「ブルドックかな。」

 どっかで会ったことがある顔だ。雷一には思い出せない。自分の体が引き込まれて行きそうな神秘的なあおい瞳が、悲しそうにこちらをじっと見つめている。雷一はおもわず抱き上げたくなった。しかし、いきなりガブリとまれたら困る。

「ごめんよ。僕の家じゃ飼えないんだ。」

 雷一はそう言うと、けもの道を急ぎ足で下った。後ろから子犬がじっと見ているのが背中に感じられる。後ろを振り返りたい衝動しょうどうを抑えながら、雷一はけもの道を急いで下った。見捨ててしまう後ろめたい気持ちが、雷一を早足にする。もうすぐ国道に出る。もう追ってこないだろうと思い、雷一は後ろを振り返った。子犬はいなくなっていた。耳を澄ませても、子犬の鳴き声は聞こえない。ほっとしたような、寂しいような気持ちで胸が苦しい。

「ごめんよ。」

 雷一は呟くと、国道を目指した。すると、急に目の前にさっきの子犬が現れた。

「うわー。」

 雷一はびっくりして尻餅しりもちをついた。いつの間に自分を追い越したのか、気づかなかった。それとも他にけもの道があったのだろうか。雷一はその時、ある事に気づいた。子犬は地面に座っていない。正確に言うと、地面から微妙に宙に浮いているのだ。雷一は思わず子犬の顔を見た。子犬の口がゆっくり開いた。

「やっと、会えたね。」

 しゃべった。そしてニヤリと笑った。確かに笑った。人間のように口を横に広げて。その横に広がった口を見て、雷一は気づいた。

狛犬こまいぬだ。神社の入り口に座ってる。いつもうーんと口を横に広げてる。」

 『そんな、ばかな。』

 雷一は自分の体が、ゆっくりと後ろに倒れていくのを感じた。

「おさい銭をあげなかったから、ばちが当たったのかなあ。」

 気が遠くなっていく。狛犬が碧い瞳で、じっとこちらを見つめている。

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