第6回 エアープランツへの懺悔

 「鉢花 愛の劇場 第二話」

 シクラメンはその、まるで自信なさそうに話すガーベラが、なんとなくかわいく思えた。


「あ、あの。気に障りましたか?」

「何が?」

「い、いえ、ずっと黙っておられるな、と思って」


 ガーベラはおどおどとそう話す。シクラメンは、

「あなたも花をつけるのでしょう? どうしてそんなにおどおどしてらっしゃるの?」


 と、強い口調で訊ねた。ガーベラはちょっと驚いた表情で、

「だ、だって。いまはこの通り葉っぱしかないし、あなたはとてもたくさんお花を咲かせているし」と、怯えたように言う。


「なにを怯えているの? あなたはもっと自分に自信を持つべきだわ」

「でも……」シクラメンが、ガーベラに「自信を持て」というほどに、ガーベラは自信を失っていく。さすがにシクラメンもイラついてきた。


 見ていてイライラする。だけれど放っておけない。

 奇妙な感覚にとらわれて、シクラメンはため息をついた。


「きっとわたしに花がないとき、あなたはたくさん咲くのよ」

 そう言ってやると、ようやくガーベラは笑顔になった。

「わたしだってたくさん咲けるんですよね、いつまでも葉っぱばっかりじゃないですよね」


 シクラメンは笑顔のガーベラを見て嬉しくなる。ふふふ、と笑って、

「困った子ね」と一言いう。ガーベラはもじもじしながら、

「シクラメンさんは、どこからここへ?」と、訊ねてきた。


「ホームセンターの初売りセールよ。あなたは?」

「スーパーマーケットの母の日コーナーからです」ちょっと卑屈にそう言うガーベラに、

「卑屈になる必要なんてなんにもないわ。あなたは愛情のこもった贈り物なんだもの」

 と、シクラメンは言った。ガーベラは、


「いえ。わたしは、母の日のプレゼントを装って、ただ欲しいという理由で買われてきただけです」と答えた。


「ヒトなんてそんなものよ。今晩から一緒だけど、よろしくね」

「はい!」

 ガーベラは明るく、そう答えた。

 台所の夜は、ゆっくりと更けていく。


 ◇◇◇◇


 なんだこれ(二度目の困惑)。

 「鉢花 愛の劇場」はともかく、今回はエアープランツとアボカドの話をしたいと思う。


 まずはエアープランツである。

 あれは「チランジア」という植物で、パイナップルの仲間だ。チランジアには「エアータイプ」と「タンクタイプ」に分かれる。その、「エアータイプ」が、いわゆる「エアープランツ」である。


 エアータイプはさらに「銀葉種」と「緑葉種」に分かれる。なんだか双子葉類とか単子葉類とかそういうのみたいなややこしい話になってきて、頭の中の野村萬斎が「ややこしや~ややこしや~」と踊りだしたがまだまだ続く。


 銀葉種は表面を「トリコーム」と呼ばれる毛におおわれていて、明るいところを好み乾燥に強い。緑葉種はトリコームがなく、緑色に見えるものを指し、強い光は苦手である。


 エアープランツの触れ込みとして「空気から水を吸収する」というものがあるが、それはエアープランツの原産地の話である。恐らくエアープランツは、かなり多湿な環境の植物で、実際のところかなりまめに水をやらねばならない。


 その水やりというのが霧吹きでどうにかなる程度のものでなく、タライに水を溜めて全体をじゃぼんと浸けるような水やりなのである。1~2分水に浸けることを「ディッピング」といい、水不足で個体にしわが寄ったらバケツに水を汲んで三時間程度浸ける。これはソーキングという。12時間以上浸けると窒息して枯れる。


 さて、ここまでがエアープランツ栽培を始めるときに書いたノートの内容である。


 これだけ丁寧にノートを書いたのだからさぞや大きくなっているだろうと思ったそこのあなた。


 エアープランツは、三つ買ってきて全滅した。

 悲しいほどあっさりと枯れてしまった。たぶん日光不足である。まめに水をやっていたし、枯れる理由が日光不足以外思いつかない。それとも寒かったんだろうか。


 なんでこんな手入れの簡単そうなものを枯らしてしまったのか自分の襟首をつかんで聞きたい。花をみるぞと意気込んで買ってきたのに、サラダせんべいなみにさっくり枯らしてしまったのだ。ショックだった。


 多肉植物を植え替えしそこねて枯らすのはまだわかるが、なぜそもそも根っこがなくて植え替えの必要のないエアープランツを枯らしてしまったのだろう。


 というかエアープランツ、ちょっと大きめのやつだと楽勝で8000円とかするのはどういうことなんだろう。モフモフのやつとかクルンクルンのやつとか欲しいんだけど。


 エアープランツはおしゃれなのでつい欲しくなるが、そこにも責任は生じるわけで、枯らしたときはショックだった。「植物をインテリア扱いするなかれ」という教訓が爆誕した瞬間である。


 続いてアボカドの話である。観葉植物の類はあまり興味がないのだが(花が好きなので)、いっぺんアボカドを種から栽培して観葉植物にしたことがある。あれは今からモニョモニョ年前の中学生時代の話だ。


 アボカドの種をなんとなく鉢に植えてみたところ、にょきにょきと棒が伸びてきた。葉っぱじゃないのである、棒なのである。棒があまりに唐突に生えてきたので、すわ宇宙人の侵略か、と思ったら結構伸びたところで葉をつけた。


 葉をつけてどんどん育つそのアボカドを、どこかで自慢したくなって、わたしはそれを学校に持ちこみ教室の隅に飾った。

 そうしたら、一番苦手で大嫌いな、テレビゲーム=ファミコンという理解のおばさん先生が、めっちゃ褒めてきたのである。困惑した。その先生がせっせと世話をして、アボカドは結構頑張って教室に緑色を提供した。


 枯れたんだったか進級のときに捨てられてしまったんだったか忘れたが、とにかくアボカドはどこかにいってしまった。でもあれはとても楽しかった。


 最近、テレビで農家に芸能人がお邪魔してご飯をご馳走になるというはた迷惑な番組で、国産のアボカドが出てきて「国産アボカドは一個700円」というのに度肝を抜かれた。な、ななひゃくえん。それもう醤油をかけて「マグロの味~」とか言いながら食べる値段じゃない。


 アボカドは植えて何年もたたないと実をつけないのだそうだ。手間がかかるから高いのである。それにアボカドにもいろいろ品種があるとかで、スーパーで普通に買えるものと国産アボカドは品種が違うらしい。この「同じ植物だけど品種が違う」というのがなかなか深い。


 テレビを見てショックを受けたことの一つで、東京ではリンゴを1個買いするというのも衝撃だった。今でこそ我が家ではやらないが、リンゴというのはデカい箱で一つ買うものではないのか。そうじゃないなら四個で四百円くらいで買うものじゃないのか。「ふじ」とか「王林」とか、品種がいろいろある中から買うのではないのか。


 そう思うのだが、どうやらみかんの産地ではみかんに品種があるらしく、一緒くたにしてみかん呼ばわりしている東北民のわたしには盛大にブーメランなのであった。


 みかんといえば中学のころ、同級生の男子がすごい武勇伝を語っていたことがある。


「小さいころ大みそかに紅白見ながらねーちゃんとみかん食べてたら、二人でひと箱食べて、その日全身真っ黄色になって病院に担ぎ込まれたんだぜ」


 どういう武勇伝なの……(三度目の困惑)。

 植物の話から脱線してしまった。


 とにかくエアープランツはもう手を出さないつもりでいる。アボカドも種から栽培するにしたって取り除くとき種に包丁を突きさす方法を選ぶので無理だ。

 植物をインテリア扱いするのは好きになれない。なぜかは知らない。植物は生きているのだ、それをインテリアにするのはいくらなんでも失礼ではないか、と思うのである。

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