オッド家の苦悩 ①

 神学者アダムス・メイガスは周りの神学者たちからアジアの神秘思想にすっぽり身も心も捧げたギース・ヨルダンとの交友を見直すことを忠言されている。しかし、アダムスにとってギースは幼少期からの同郷の友であった。ギースもまた己の噂によってアダムスの社会的進退に悪影響を及ぼすことを危惧しているのでギースはアダムスと会う際はお互いの知人がいないときと決めていて、二人だけで会うことが常となっている。さらに酒や精神的苦痛さえなければ二人は神学の扉を開けることはなかった。

 しかし、今日に限ってギースは日本の神秘思想について熱く語り始め、アダムスにとある筋から入手したノートを見せてきた。アダムスの困惑の顔色を察したギースは話の順を変えてデニー・オッドについて語り始めた。懐かしい名前にアダムスは力を抜き、椅子の背もたれに体重を預けた。ただし注意の視線は依然ノートに向けられている。

 デニー・オッドは二人がアルコールの覚えた学生時代に古くさい西部の酒場然とした歴史好きの心を掴むバーで出会った老人である。


 当時も今も若者は伝統を破る形を好み、流行という風を身に纏い、性と酒、歌にダンスに明け暮れるのが当然であった。アダムスたちの市ではブルーウェアーと呼ばれるブロックが若者の街であった。しかし、アダムスたちはブルーウェアーとは反対のサンドゲイルと呼ばれるブロックに足を向けていた。サンドゲイルは時代の流れに置いていかれた古くさい街であった。本来アダムスはブルーウェアーで女を引っ掛ける術を身に付けていてサンドゲイルとは正反対の人間である。対してギースは生真面目が人の形をしたもの、といっても実際は臆病で喧嘩が怖い見栄張りでブルーウェアーには近付けないチキンであった。ある時、アダムスがブルーウェアーのとあるグループリーダーと女性関係で揉めて、しばらく出禁扱いになり、ギースは彼をサンドゲイルに誘った。実はギースは一人でサンドゲイルにも行けないチキン野郎なのでアダムスというか自分のために建前を隠して誘っていた。

 アダムスたちがサンドゲイルがよいに馴れてきた頃、サンドゲイルの端に古びたバーを見つけた。看板がなければ足を止めることもないようなバーであった。その時、二人はすでに一杯引っ掛けた後なので後のことを考える隙もなくバーへと足を進めた。そこで出会った老人がデニー・オッドである。デニー・オッドは常に隅で独り飲みをしていて、悪目立ちをしていた。彼からは話しかけるなと雰囲気が語っていた。若かりしアダムスでも声を掛けるのに五度ほど通わなければいけなかった。

 あれこれと会話を弾ませるうちにデニー・オッドには他人には言えないが内心誰かに聞いてもらいたいような話があるのを二人は気付いていた。サンドゲイルには若者が聞けば喜んで聞いてもいない過去の話まで語るものが多いなかデニー・オッドは他の老人とは違い口を割ることはなかった。それだけ難しい話だというのがわかる。若者にとって固ければ固いほど、それを暴こうと好奇心が芽生える。だが、アダムスがあの手この手を使えど貝のように閉じている口を開かせるのは無理であった。しかし、それを開かせたのがギースであった。

 デニー・オッドが語ったのは自身の家についてであった。彼の家では常に家族以外の気配があり、家で寛ぐことができないという。夢も悪夢ばかりで何度も夜中に恐怖で目を覚めさせられたと。さらに何度もポルターガイスト現象に襲われたこととかも語る。建築に問題があるのではと建築士に依頼しても解決は見受けられなく、次第にデニーの母が怪奇現象の類いだと感じて、神父や牧師を呼んだ。けれど彼らは怖れて逃げて行った。そういったことが近隣にも知られ始めてしまった。そしてオッド家は周りの視線から逃げるように引っ越しをした。けれど引っ越した先でも恐怖は付きまといオッド家の精神は疲弊していった。そしてそれは今でも悩みの種だと言う。興味を引かれたアダムスたちは一度家に伺いたいと頼み込んだ。しかし、デニーはそれを拒んだ。アダムスたちのように興味を引かれて家に訪れるものは多くはなかった。だが、その皆が恐怖を味わい彼から離れていった。さらには話が出回り、近隣のみならず離れた町からも奇異の目で見られるようになったのだ。そうして何度も逃げるように引っ越しをしたという。そういった経緯からデニーは不必要に人を家に呼ばないことにしている。だがここまで聞いて、はいそうですかと引き下がれるわけにはいかなかった。アダムスたちは誰にも言わないと約束しても、デニーは首は縦に振らなかった。

 あれ以降、デニーはバーには現れずアダムスももう怪奇話は忘れかけていたときだ。ギースがデニーと交渉に上手く言ったと報せてきたのだ。ギースは個人でデニーの家を探り、デニーに一晩だけ泊まらせてくれと頼み込んだ。少し引っ込み思案ぎみだったギースの行動力にアダムスはある意味脱帽した。そして泊まりの日になった。

 アダムスはオッド家の所在地を聞いたとき、初めはピンときていなかったが林の出っ張りと聞いたときは驚き、手を叩いた。住宅街の端に林があり、その林に飛び抜けた出っ張りがある。よくアダムスは車で隣町に出掛けるとき林と荒野の切れ目にある木々が境目を侵したような出っ張りがあると目にしていた。その出っ張りの中にオッド家があるという。

 車を出っ張りの中へとすり抜けさせると大きな広い敷地へと入った。その広い敷地に木造の家が一棟あった。左右と後ろの木々のせいか不気味さがあった。デニーの話を聞かなくても何かしらな怪奇めいたものを感じていただろう。チャイムを鳴らす前にドアが開かれ、二人は中へと招かれた。屋内に入り、二人はすぐ妙な気配を感じた。目に見えない何かを。そしてそれは二人を舐め回すように視線を投げかける。一時間もしないうちに心はざわめき、体が勝手に反射とは違う無意識による行動を始める。例え肉体を意識していても不意に無意識化になり肉体を動かしているのだ。さらにデニーとの会話にも集中がなくなり、相手の言葉を失うことがあった。どんな集中しようとも相手の言葉を忘れてしまうのだ。聞こえてはいる。理解はしている。ただ相手の言葉を脳内に反芻するさせても、すぐ消えるのだ。消えてしまうと思い出すことも出来ない。デニーはアダムスたちの異変に不思議とは思わなかった。それがこの家に来た人たちの当たり前の状態と知っていたからである。アダムスは一泊をするつもりであったが我慢ができずにギースを残し、夕食後にオッド家を後にした。ギースは一泊し、その結果オッド家の怪奇現象に身も心も疲弊していた。それ以降、この件が起因して二人の価値観、宗教観を大きく変化させた。アダムスはお堅い神学者に、ギースはカルト的神秘思想家にへと。ギースの異常的な神秘思想の心酔は、まるでオッド家の悪夢について逃れようと活路を見出だそうとしているかのようであった。アダムスは後ろめたさからギースに信仰と救い、希望、幸福感、精神の鍛練について語ることによってギースを救おうともした。それでもギースはひたすら目移りすることもなく神秘思想へと埋没した。


 ギースは古びたノートがデニー・オッドの父、フレデレリック・オッドが記したものだという。そしてそれをアダムスに読むように勧めた。アダムスはそれを手にして眉を潜めた。ギースは読み終えたら連絡をするようにと告げて帰って行った。それにアダムスは生返事をした。内心どうすべきか迷っていたのだ。あの日のオッド家の出来事については忌避すべき点がある。しかし、気にならないというわけではない。それはカリギュラと呼ばれる人間がもつ怖いものみたさというやつである。


 アダムスは度々カルトや都市伝説めいたものに酔狂した者達から質問を受けることがある。彼等は神学者を宗教内秘密や暗号めいたものを研究しているものと勘違いしていることが多くアダムスにマスコミでいうところの裏をとるような質問を投げ、答えを求める。しかし、神学者は宗教上の曖昧な神や天使、悪魔という存在、そして伝承や戒めを学問上に纏め、一般に分かりやすくするものである。ゆえに秘密や暗号に精通しているわけではない。むしろ酔狂めいた者達からの言葉から都市伝説めいたものを知ることが多いのだ。こと日本においては失われた十支族関連の日ユ同祖論が挙げられる。天狗、京都の祇園祭、カタカナ、六芒星などがイスラエル、ユダヤなどと関連付けられている。

 正直な話、アダムスはこのノートを読むまで都市伝説を力説する彼等を小馬鹿にしていた。けれどノートを読んだことによって彼は秘匿された真実が自分の目の前にあると強く感じ、今までの価値観が180度変わり、新たな境地を開拓しなくてはという使命感に襲われた。アダムスは興奮冷めやらぬうちにギースに連絡をとった。

 ギースも彼がすぐに連絡を寄越すと考えていたのでいつでも電話に出られるよう待機していた。アダムスが自分と同じ真相解明のため強い意志を持っていることにギースは喜び、電話にて己の計画について熱く語り、アダムスにも参加を促した。当初はアダムスはその計画に少し引きぎみであった。なぜならあのオッド家に伺うということだからである。彼にはまだあの家での恐怖心が少なからず残っていた。だが、ギースの熱量に押されアダムスは計画に賛同した。

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