海蚯爺

 東雲しののめあきら美濃部原みのべはら町に滞在していたのは役所の仕事としてであった。仕事内容は美濃部原町の戸籍と空き家の調査である。美濃部原町は山と海に囲まれた土地で外からの交通は限られている。しかし、こういった町ほど荒くれ者が流れ着くものである。それで役所から東雲が派遣された。東雲は無事調査を終わらせ美濃部原町から出る予定であったが、なんとわざわざ市長から電話でもう一仕事を頼まれた。それは公安から来る人物の手伝いであった。その人物は清宮哲郎という名で年齢は32と。だが東雲は知っていた。彼らが使う名は偽名であると。その清宮の目的は美濃部原町にある宗教法人シンカマエラの調査であった。

 宗教法人シンカマエラはかつての美濃部原町で信仰されていた海神の信仰、そして町の文化を受け継いだ宗教法人である。宗教法人といっても大きな組織ではない。地元住民からは祭や行事を率先して進行してくれる組合程度の認識である。

 その宗教法人シンカマエラを公安は疑惑の目を向けているらしい。東雲は公安の手伝いは初めてではなく何度か協力をしていたことがある。しかし東雲自身、シンカマエラは問題視されるような危険な宗教団体ではないと認識していた。だけど仕事として東雲は公安の要望にのり、清宮を美濃部原町では部署が違う後輩という体裁で話を進めた。清宮はすぐに宗教法人シンカマエラを調べるのではなく、まず郷土資料館、神社跡地、地車保存会を周った。郷土資料館では伝承記録。美濃部原神記や妖蛇伝説。中でも海蚯爺ミキュウヤについて丹念に調べていた。郷土資料館の後は神社跡地に向かった。神社跡地では社はなく古い祠が一つあるのみである。祠には像が一体安置されているが輪郭はぼやけていて元の形が判別できない。次に伺った地車保存会では役員たちに地元の風習について尋ねた。その後は挨拶周りのように町の主要施設を二人は周った。目的の宗教法人シンカマエラを伺ったのは彼が町に来て七日目の頃だった。訪問には東雲も一緒で。顔見知りの受付嬢の川谷に頼むとすぐに現指導者に会うことを許された。現指導者の槙浜譲治は齢七十三で白い頭髪に皺が刻まれた顔、背は小柄で腰は曲がっている。だが、まだ健脚で目には強い意思が感じ取れる。清宮は現指導者である槙浜に神話、歴史、理念、信者数、現在の活動内容及び活動規模を聞く。それを槙浜氏は嫌な顔をせずに一つ一つ丁寧に答えた。その日はそれで終わった。それ以降は清宮一人で調べることになり、東雲の仕事は部屋でデスクワークをすることや役所に連絡するくらいである。役所も上の者が東雲が別件の手伝いをしていると知っているので特に何も言わない。あと仕事は食事や洗濯などであった。

 ある日、暇を持て余していた東雲は気分転換に外出した。アパートから細長い坂を一つ下るとすぐに海に着く。海に沿って左に折れると港で、右に折れると波打ち際で奥へと進むとノスタルジー彷彿させる防波堤がある。防波堤の向こう側には砂浜が。ただ細長くて大小の岩肌もありあまり遊び場としては不向きである。せいぜい釣り場程度であろう。東雲は防波堤に沿って歩道を歩いていると向こうから女性が。その女性は新興宗教シンカマエラの受付嬢川谷であった。東雲は川谷に多少なり好意を持っていたので立ち止まり挨拶した。すると向こうも東雲の前で立ち止まり挨拶を返し、会話に発展した。東雲は挨拶だけで終わると思っていたので驚いた。そして思いもよらぬ会話のチャンスに内心喜びもした。立ち話もなんだからと二人は喫茶店へ向かう。喫茶店では東雲は久々の異性との会話に心を弾ませた。互いに昔の学生時代や今に至るまでの珍妙な出来事を語り合った。そして一時間程たった頃だろうか、東雲は彼女の話の中で美濃部原町の文化に対して興味を持ち質問をした時だ。川谷がならばと東雲に町についての紹介や散策を申し出たのだ。それは純粋な故郷の紹介かそれとも仕事としてのものか判断しかねるが清宮が町のこと調べていたので彼女の提案を受け入れた。

 初めに紹介されたのは神社跡地であった。そこは以前、清宮と伺ったところだ。その旨を伝えようとした時、川谷は語り始めた。語り口は優しく丁寧で東雲は穏やかな気持ちになった。ここで止めるのは無粋だと何も言わず川谷が紡ぐ話を黙って耳を傾けた。実際、それは正しい選択であった。川谷が語ったのは東雲も知らぬ伝記。

 それはかつてこの町で起こった山の神と海の神の争い話。


 山の神は山の土を使い、釣り場を作った。それに腹を立てたのが海の神。海を土で汚され、かつ海をせばまされ、そして山の神が海の生物を乱獲したのでお怒りになった。山の神と海の神の争いが始まった。勝負は海の神が勝った。山の神は釣り場を捨て逃げた。海の神はすぐに山の神が作った釣り場を海へと沈める。だがそれでも海の神の怒りは治まりきれず関係のない大地を海へと沈ませた。それにより多くの町が海へと流された。そこで人間たちは怒りを鎮ませるために七人の巫女を生け贄に差し出す。その結果、怒りは見事鎮まった。だが海の神は山の神を奉る社を破壊させ、自身を奉るように命じた。町の人間はそれに従い今日に至るという。


 次に、紹介されたのは町の端にある岬であった。岬には白い灯台があった。しかし、灯台には向かわず、川谷はその三十メートル手前に立ち止まって海へと指差す。川谷が指差すのは海から飛び出た岩であった。いや、岩というよりも小島にも見える。大きさは2階建ての家屋程で上部をしめ縄で巻かれている。川谷曰く、あの岩が巫女が生け贄になった場所という。そして川谷は海風に乗せて歌を唄う。いや、それは外国の歌というかどこか詩をそらんじるようでもあった。歌の終わりに川谷はあるフレーズを何度も小さく復唱する。そのフレーズは仏教系の念仏のように聞こえた。歌が終わって東雲がどこの国の歌かを尋ねると川谷は山の神への歌と告げる。その時の川谷の表情は逆行によってうかがい知れない。東雲は海に向かって山の神の歌はおかしいと想ったが口にはしなかった。


 そして彼が来てから一ヶ月が経った頃。彼が消息不明になった。

 東雲は最初はどこかに泊まっているのではと考えていた。その頃、清宮は自由に行動していて、彼が夜のうちに帰ってこないのはその日が初めてというわけではなかった。だからその日の夜もそうだろうと東雲は決めていた。異変に気付いたのは二日も連絡なしに帰ってこなかった頃だ。さすがに何か事件か事故に巻き込まれたのではと考え、公安に通報をと動き始めた。だが、丁度その時に東雲の動向を知ったかのように公安から電話が掛かる。東雲は現状のことを報告。すぐに援護の捜査員を差し向けるようにと伝えた。しかし、公安はそれに待ったをかけた。それで東雲は一日待つことにした。翌日、公安からの通達は驚くものだった。それは通達というよりも指令であった。内容は彼の足取りを追えというものであった。東雲はその指令に反対を述べた。東雲は自分は協力者といっても素人である。彼の足取り追うのは難しいと言った。だが公安は今、怪しまれずに動けるのは東雲だけと告げる。その言葉に東雲は頭が重くなる気分に陥った。公安はさらに清宮が宗教法人シンカマエラについてどう調べていたのかを判明するだけで良いと告げる。その後、何度か押し問答が続いたが東雲は根負けして引き受けることにした。ただし危険になれば即刻手を引くと一言添えて。

 東雲は盛大なため息の後に清宮の私物を漁った。まず表紙に美濃部原町と書かれたノート。だがそこには手掛りというものは見受けられなかった。書かれていることは東雲も知っていることであった。むしろ東雲が教えたことを書き込んだものである可能性が高い。次にノートパソコンを調べるもパスワードロックが掛かっていて中が解らない。公安に連絡するとノートパソコンは送るように告げられた。東雲はその他に情報になるもの探した。唯一見つかったのはジーンズのポケットにあった居酒屋のレシートであった。その居酒屋は東雲も知っている居酒屋で店主とも顔見知りであった。東雲はすぐに居酒屋に向かい、清宮についてそれとなく尋ねた。だが残念なことに獲られる情報は何もなかった。東雲は帰りに他の居酒屋、そして町で唯一あるファミレスにも寄ってみた。しかし、どれも外れで清宮に関するものは獲られなかった。

 なら最後は宗教法人シンカマエラであろう。清宮は元々シンカマエラを調べるために来たのだ。だがそれは東雲の身にも危険が及ぶということでもある。東雲はここで終わりにしようと決めた。自分は役所の一地方公務員で公安の捜査員ではないのだと。そんなことを考えながら帰路についていた時、宗教法人シンカマエラの受付嬢川谷と出会った。彼女は明日、午後六時から海蚯爺祭ミキュウヤまつりがあるのでお遊びに来て下さいと言う。東雲は時間があれば伺うと社交辞令を述べた。そして川谷からチラシを受け取り別れた。本音は伺う気などさらさらなかった。関われば不幸に会うのは見えていた。

 自宅用としているアパートの一室に戻ってきた東雲は公安に報告。すると公安は明日の祭に参加するよう命じる。翌日、東雲は海蚯爺祭に参加した。

 海蚯爺祭は成人男性は蝋燭と干し柿を成人女性は松明と酒を持ち、互いに決められたルートを通る行事である。東雲は昼前にスーパーで燭台と蝋燭、干し柿を購入。チラシに書かれていた集合場所に時間通りに到着。シンカマエラ主催の祭であっても海蚯爺祭はこの町の伝統文化である。町中の成人男性が集まっている。町の人間からすると外の人間が参加していて奇異に映り東雲をちらちらと目で追う。東雲は視線を感じるもなるべく意識せず平素を装う。開始時刻が近付き、参加者はライターで蝋燭を灯し始める。

 そして海蚯爺祭が始まった。開始とともに皆が一斉にルートを歩き始める。町民にとってはもう知り尽くした経験なのかチラシでルートを確かめることなく進む。東雲は彼らの後を追いながら歩き始める。徐々道は細くなり路地に入った。東雲はおかしいと感じ、チラシからルートを確認しようとした時、後ろの男数名東雲を押さえようとする。それと同時に前方の男たち一斉に振り返り、彼らもまた東雲を封じようとする。東雲は目隠し、猿轡さるぐつわをされ、両手足は縄で縛られる。そしてある施設へと運ばれる。目隠しと猿轡が外されるそこは明かりが蝋燭の火のみで特定するには時間を要した。目が慣れ、ここが祭壇であると東雲は理解した。東雲の他に行方不明の清宮がいた。彼もまた両手足を縄で縛られている。男が一人近付いてくる。男は宗教法人シンカマエラの指導者槙浜譲治であった。槙浜譲治は清宮の顔を掴み、じっと見つめる。そして手を離し、近くにいる信徒たちに祭壇に載せるよう告げる。清宮が抵抗をすると一人の男が注射器を取り出し清宮の首に当てる。薬を打たれた清宮はとろんとした目をして人形のようにぐったりする。信徒たちが彼を祭壇に載せると槙浜が

 長い釘のような金属を胸の前で持つ。それは短剣であった。取手には金の刺繍が施されている。東雲は危険を感じ、槙浜に止めるよう懇願する。それを信徒の暴力により止められる。槙浜は祝詞を唱える。日本語ではない変わった発音の言語であった。カ行なのかハ行なのか判別がつかない言語。唱え終わり槙浜は剣先を下に、一気に清宮の胸に突き刺す。清宮は薬の影響か悲鳴を上げなかった。さらに槙浜は何度も清宮を突き刺す。穴だらけになった清宮はいつのまにか死んでいた。そして次に東雲番がきた。東雲は最後の力を振り絞って抵抗をするも清宮と同じように首に薬を打たれて朦朧とする。信徒によって祭壇に載せられ槙浜が祝詞を唱える。朦朧とするなか東雲はその祝詞に聞き覚えがあるような気がした。最近どこか、誰かが、印象的に。槙浜があるキーワードを発した時、東雲は思い出した。彼女だ。そう川谷だ。川谷があの日海風に乗せて諳じたもの。東雲はうろ覚えで諳じる。すると槙浜は驚き、祝詞を止めた。周りの信徒たちも驚き、波紋のようにどよめく。落ち着いた槙浜は剣を東雲に向ける。一息の間の後に剣を振り上げた。もう駄目かと思った時、大きく音を立ててドアが開き、複数足音が部屋に木霊こだまする。スーツの男たちが部屋に雪崩れ込み信徒と取っ組み合いが始まる。逃げようとした槙浜を男が馬乗りになり押さえる。東雲のもとに一人の男が駆け寄り言葉を掛けてくる。その声色には聞き覚えがあった。東雲がぼんやりと不思議な顔すると相手は電話でやり取りをしたものだと告げた。そこで東雲は合点がついた。そう、部屋に駆け込んできたのは公安であったのだ。

 東雲は捜査員の車に乗せられた。後部座席に体を横にさせられ隣町の病院へと車が発進した。その頃には意識ははっきりしているが体が重く麻痺しているかのように動かない。東雲はどうして隣町の病院なのかと理由を尋ねると美濃部原町の病院はシンカマエラの息がかかっていると返された。隣町と言っても山を越えなくてはいけなくて、坂ののぼり下り、カーブを曲がる際の揺れを感じながら東雲はじっとする。だが、山に入って暫くして大きな揺れを感じた。坂を上り下りやカーブとは違う下から車体を突き上げるような揺れであった。捜査員は車を一時停止させ揺れが終わるのを待った。揺れの正体は地震だった。地震は強くそして長く続いた。地震が止まった後、捜査員はゆっくりと慎重に車を発進させる。余震はなく車はあと隣町まであと一つ坂を越えたところまで進んだ。しかし、恐ろしい自然現象が二人を襲う。それは波であった。夜闇のせいか、音がなかったせいか、はたまた後ろから来ていたからか二人は波が近くにまで寄ってくるまで気づかなかった。捜査員は急いでアクセルを強く踏み、制限速度を無視して車を走らせる。波は車のすぐ後ろまで付けてきた。後輪が呑まれる。東雲は手を握りしめ祈る。そんな時、ふと川谷が唄ったあの歌が頭によぎった。東雲は目を瞑り、歌を唄う。日本語ではない言語の歌。一度聞いただけでは覚えられないはずなのに東雲はすらすらと唄う。


 二人はなんとか波の手から逃げ延びることに成功した。無事、車は坂を越え隣町に辿り着いたのだ。波は坂を越えることはなかった。だが、引き潮の時はまるで強い力で車を後ろに引っ張られるような感じであった。

 東雲は隣町の病院で治療を受け、今晩は入院ということになった。翌日、彼は美濃部原町の悲劇をニュースで知った。大きな地震が発生し、それから大きな津波が美濃部原町を呑み込んだのだ。ニュースはどの番組でも報じられていた。小さいが一つ港町がまるまる呑み込まれたのだ。キャスターは沈痛な表情で政府が発表する行方不明者は町民全員であると言う。その衝撃が影響してか東雲はある日の晩、夢を見た。夕方の空、岬の上で女が歌を唄っている。歌がそらに流れると東雲の体も上昇する。東雲は腕を伸ばし女に掴みかかろうとするも空を切り空へ流される。大きな津波が町を包もうとする。全てが洗い流されるの何もできずに黙って見下ろす。荒波が鎮まり海へと戻った時、東雲の意識はベッドの上に。東雲の荒い呼吸が部屋に木霊する。汗はかいてはいないが体温は異様に温かった。でもそれを嫌悪することはなかった。それは生者の証だから。

 東雲は退院したその日にあの時の捜査員に呼ばれた。指定された場所は病院近くの喫茶店。東雲を呼んだ理由は捜査状況を教えるのでなく東雲からあの日に一体何があったのかを尋ねるためであった。そこで東雲は知りうる限りのことを話した。それに納得して捜査員はコーヒー代をテーブルに置いて席を立った。足を動かそうとして止めた。振り返って彼は津波の際、東雲が呟いた言葉について聞いた。東雲は美濃部原町で知り合った人から聞いた山の神へと歌だと教えた。彼は納得したのか足を動かし東雲から去った。しかし、東雲は彼が去り際に呟いた言葉がどこか引っ掛かっていた。

 東雲は自宅に帰ろうと駅に向かった。その前に図書館で地元の資料集を読んだ。そこには山を越えたさきの隣町である美濃部原町についての情報も載っていた。海蚯爺については載っていないが、山の神についての情報が載っている。その記事を読んで東雲はつい息を漏らした。山の神は女神であったのだ。それであの時、公安の捜査員は去り際に女神様かと呟いたのだと東雲は理解した。

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