魔香の誘い ②

 事務局長は優しく、そして遠回してで授業の風評を語った。それを聞き私はなるべく彼の私に対する評価を下げぬように授業を正しき方向へと進むことを誓った。彼もまた授業というより受講生の異変の方に注視していた。

 私は授業方針を自由テーマの作詩からお題による作詩に変更した。お題は彼らの幻想的な詩から離れた家族愛や小動物、料理に絞った。少しメルヘンチックな少女然とした作風になるかもしれないが、こうすれば問題は回避されるのだろうと結論付けた。だが、残念ながら、それらも無駄に終わった。彼らはどのようなお題に対しても自分達の文学的表現の一つに取り込もうとする技巧を持ち合わせていたのだ。もう私としては為す術はないのかという時に事件が起こった。

 エウリオンはさらに自分達と同じ感性を抱く支持者を得ようとパーティーを開いたのだ。そのパーティーで大勢の学生に香を嗅がせ、自分達の作品を発表しようとした。そのパーティーは人が集まったものの香に対して少なからず抵抗があるものたちがいて彼らの通報により、このパーティーは警察の世話なる運びになった。私もまた警察に説明を問われることになるも、あくまでも彼らの普段の授業態度のことであり香木についての問いはなかった。なぜかと不思議に思ったが、どうやらエウリオンは香木を自分が手に入れたものと主張したらしい。警察は香木について調べようとするも香木は全て使用されていたらしく成分を調べることはできなかった。ただ、彼らの血液から違法な成分は検出されなかったのであの香木は違法なものではなかったということに結論付けられた。

 しかし、この事件により周りからエウリオンたちや私の授業が奇異の目で見られるようになった。大学の事務局長は私を責めるようなことはなかったが、どこかに私に非を認めさせようとしていたり、私から隠していることを探ろうとする節が見受けられた。勿論、私に非はあるのだろうがそれだけで全てを押し付けるには弱い。だからこそ事務局長はもっと私自身から非を詫びる姿勢をどこか求めていた。私としてはそれ以上の詫びはここでの仕事に支障をきたすので認めるわけにはいかなかった。見えぬ攻防の後、事務局長は授業を休講に処する方針を検討していると言う。私としては願ったり叶ったりである。元々、私は理系の人間。物理学専攻であって、文学とは無縁の身である。そして12月になってすぐに文芸創作Cの授業が休講になる旨が短大の掲示板に貼られることになった。私は肩の荷が落ちた心地であった。だが、それは束の間の安寧だったのだ。授業に対する処遇は悲しくもあの不幸な事件が発生させた。

 短大が冬期休校に入ってすぐにエウリオンたちは教室を中心に一部校舎内に立て籠ったのだ。中心となった教室は文芸創作Cで使われる教室で、エウリオンたちは教室近くの廊下に机や椅子を並べてバリケードを作り、それ以上は入れないようにした。他の講師や、事務員長らが説得にあたるも効果は得ず。一時間経った後、短大側は警察を呼んだ。私が訪れたのは丁度その頃であった。メガホンを渡された私は彼らに抵抗を止める旨、学校側もこれ以上大事おおごとにしないと約束していることを告げた。しかし、彼らは授業の再開を要求をし、その要求が認められぬ間はここを出ないと告げる。私は短大の学長、事務局長に彼らの要求を話した。だが、学長たちはすぐに首を横に振った。私には学長たちの不安も分からなくはない。ただ問題はパーティーだったのだからそれを厳しく注意すれば問題はないのではと私は再度進言した。それでも学長たちは認めることはなかった。もう私としてはやるべきことはやった。これ以上、私にできることはなかった。手がないのならば突入が普通である。しかし、短大側としてはなるべくそれは避けたかったらしく膠着状態が続いた。夕方の頃には校舎の外にマスコミが大勢、校舎を囲っていた。そして保護者たちが現れ、説得に向かった。しかし、それでも彼らは聞く耳を持たず止めようとはしなかった。説得に失敗した彼らは学長たちや私を責めた。特に私に対しては辛辣に責めてきた。ヒステリックに喚き、自分の子供ではなく大人である私たちに非があると。そしてその中には的を外れた言葉もあった。物理学だから彼らが満足いく授業を受けていないのではと。

 夜の7時頃に睡眠導入剤が入った食事を彼らに差し向けられた。けれど不思議と彼らは眠りに落ちいることはなかった。次に睡眠導入剤入りのジュースを使った。それでも彼らは眠りに落ちなかった。9時になり最終手段として突入することになった。事務室にて保護者たちは祈りながら報告を待つ。頭上から大勢の足音、叩くような打撃音、窓ガラスが割れるような破裂音、そして怒号。音が止み、しばらくしても事務室の方に警察からの報告はない。さすがに異変を感じたのか保護者の一人が立つと他の保護者も釣られるように立ち上がり事務室を出ようと動く。それを事務室にいる警察が押し止め、外へ出るのを禁ずる。保護者たちは不満や子供たちの安否を尋ねるも、警察は何も言わずに保護者たちに座るよう促す。 仕方なく保護者たちは戻って椅子に座ろうとした時、サイレンの音を聞き、窓の方へと足を向ける。私も窓へと目を向けると赤いランプを輝かせる救急車が視界に入った。救急車は一台だけでなく何台も後ろに続いていた。保護者たちだけでなく学長たちや私も最悪の事態を感じ取り扉へと向かった。その我々を再度警察がバリケードのように防ぎ、部屋の外へ出ないよう押し返す。

 窓から見える救急車に運ばれていく学生たち。母親たちは泣き崩れ、父親たちは私たちに掴み掛かろうとする。籠城した彼ら全員が運び込まれた後、突入隊の隊長からエウリオンたちが突入前に集団自殺をはかったことを知らされた。


 その後、審査会が設けられ私個人に対する責任はないとくだされた。此度の件は全て不道徳的パーティーを催した学生たちに落ち度があるということになった。ただ、文芸創作Cの授業は今後短大で開講されることはなかった。


 事件から3ヶ月が経ったある日、フィールドワーク帰りの友人から土産を受け取った。今度の土産は茶菓子で香木ではなかった。私はあの香木について尋ねた。彼は肩を竦め、あれは土産屋で買ったのではなくフィールドワークで会った風変わりな女性から譲り受けたのだと告げた。次に私は効能について尋ねると彼は知らないと言う。私は彼の分のコーヒーも用意してあげ、貰った茶菓子を開封した。香りの強い茶菓子で開封するとテーブルから離れていた彼にも届くほどであった。彼は香りで思い出したのか女からは香木の効果は人によっては数日後と聞いたと言う。では私も数日後に効果が現れ、あの詩を書き上げることになったのだろうか。

 その日、家に帰った私は真っ先に棚へ向かい、棚に差し込んでいる剣崎文芸集を取りページを捲る。そして自分の詩に目を通す。幻想的でどこか物語風。改めてみるとどうしてこのような作品が生まれたのか不思議なものだ。詩の内容をイメージしてみると額の奥が疼く。きちんと読んでみるとエウリオンたちの詩と繋がりがあるように見受けられる。彼らの詩は私の詩の続きなのではないか。彼らに提出された詩はチェック後コピーされ彼らに返している。私はファインダーからコピー用紙を取り出す。そして私はコピーした彼らの詩を出来上がった順に並べ、読み解く。額の疼きを堪えてイメージする。次第に脳がこれ以上のイメージを拒絶し始める。それでも私は額に汗をかきながら詩を読み解く。絶対に読み解かねばならないのだ。エウリオンたちがどのような境地を目指したのかそれを私は知らないといけない。そこまでするのはなぜか。それは責務、後悔、懺悔、はたまた探求心か。それとも憐憫か。負の感情が流れ込む。流れては渦を巻き、私の意識は削られあぶくとなる。


 私は赤い大地の上にいる。乾燥した風が私を叩く。

 体が軽い。それもそうだ。肉体がないのだから。私は詩の中にいる。でも実感がある。

 見上げた黒い空にはオーロラが。私はそれを恋しく思う。

 いつの間にか私は飛んでいた。驚きはしない。当然のこと。

 眼下には川が蛇のように動いている。

 星の光が瞬いたと知った時、光が降り注いだ。大地を割り、大地を震わす。

 光は怒っていた。

 何に?

 それは私が知るよしのないこと。

 誰かが近くにいる。見えることはないが確かいる。近くにいると感じたら、急に遠くにいると感じる。でもそれは確かに私を見ている。

 敵か味方か分からない。

 赤い大地が溶けゆく。マグマのように。そして川を汚す。汚された川は黒くなる。塞き止められ川は死ぬ。

 私は悲しい。私の目から滴り落ちた涙は大地に落ち、そこから蔦が伸びる。天への伸びる蔦はすぐに力なくしなびれる。

 どんどん私の体は浮上し、体は四散する。腕は割れ落ち、脚は千切れ落ちる。首にヒビが走り、とうとう体が大地へと引っ張られた。

 私の頭はどこに向かう?

 声がする。見せてやると。

 目蓋を閉じる。

 目蓋を開ける。

 その度に映る景色は違う。

 ピラミッドの中にいる。どうしてそこにいるのか。どうしてピラミッドの中にいると分かるのか。猫が私を見ている。

 大西洋を漂っている。視界の端には燃える船が。

 鎧を身に纏った男が馬に乗っている。男の手には槍が。槍は何を貫くのか。

 少女が花を売っていた。今日のパンのために。

 男が泣きたいのを我慢しながら見送る家族に敬礼する。男は知っている赤紙は血の色だと。

 つまらなそうな顔の女の子がじょうろを傾け、朝顔に水を掛けている。朝顔は泣いている。花ではなく土に水をと懇願する。

 国も時代もしゅも違う。


 コピー用紙から目を反らすと全身汗でびっしょりだった。長い間読み耽っていた気がする。時計を確認すると三時間経っていた。いくらなんでもおかしいと思った。そして時計の針が動いてないのと考えた私はスマホで時間を確認するとやはり時計と同じ時刻だった。なら三時間というのは事実なのだろう。私は驚愕した。エウリオンたちはよく詩の朗読や研究で集まっていたという。なら彼らも体験したのだろうか。彼らの場合は香を焚いていた。ならばどれほどトリップをしていたのか。今、分かることは全ては私から始まっていたということ。私はコピー用紙を全てをシュレッダーにかけた。これで幻想世界に虜になる者は現れないだろう。ただ剣崎文芸集は私以外の教職員、OB、そして学生たちに渡っているのでそればかりはどうしようもない。だが剣崎文芸集だけではトリップは起こらないはず。

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