魔香の誘い ①

 私が担当する授業の学生が教室に立て籠り、最後は集団自殺したと聞いたときは驚愕した。だが、正直に言えば微かな可能性はあった。いつかこうなるのではと。彼らは少しずつ最悪な結果へと転がり落ちようとしていた節が以前から見受けられていた。こうなったことの原因はやはり私が短大で文芸創作Cの授業を受け持ったことからであろう。実のところ私は理系の人間で大学では物理学を学生に享受している。だから文学というものに造詣があるわけなく正直中学の頃からの苦手分野である。そんな私があることがきっかけで短大の一般自由選択科目文芸創作Cの担当となってしまったのだ。

 文芸創作Cは詩の創作を講義としている。ではなぜ大学で物理学の講師を勤めている私が短大の客員講師として文学の授業を請け負うことになったのかというと、それは昨年の剣崎大学創立100周年記念として上梓した剣崎文芸集が起因である。創立者、はた政信は文壇にこそ登り詰めなかったが趣味で私設の文芸倶楽部を持ち、さらにはまだ芽の出てない作家を養っていたという。そういったことから100周年記念として教職員全員が文芸作品を創作しなくてはならなくなった。ほとんどの教職員はエッセイか短編の私小説であったが私は詩を提供した。なぜ詩なのかというと私はまずエッセイが何かを知らなかったし小説なんてものは無理であった。私の人生においての文芸活動はせいぜい国語の授業で書かされた日記のような作文か韻を知らない詩であった。作文はさすがに幼稚のような気がしたので詩を書くことにした。この詩がOBである著名な批評家の目に留まり評価されてしまった。そこまではまだ良かった。ただ短大の文芸創作Cの授業を請け負っている講師が産休に入ったことで事態は思いもよらぬ方向に転がってしまったのだ。それは産休に入った講師の代理として私に白羽の矢が立ったのだ。当初、私はたかだか記念の詩歌集のためにでたらめに書いただけの詩が評価されたからといって講師を勤めるのはおかしいと辞退を申し出た。だが事務局長でなく学長自らが私に頭を下げにきたのだ。さすがにこれは無下には断れない。そしてとうとう私はまあ1科目だけなら問題ないだろうと折れてしまった。

 だが、ここに意外な問題が二つあった。一つは短大が県境にあり大学から離れているということ。そしてもう一つが文芸創作Cの授業が半期制でなく通年制であったということ。つまり、私はたった一つの専門外の授業のために一年間電車2本乗り換えて、通勤に一時間以上かける羽目になったのだ。勿論、授業内容と私が選出された理由しか気に止めていなかったのが悪いのだが大学側に上手く省かされたのではないかとも思われる。本当は私の前に他の文系教員から袖を振られたので最終的に私に回ってきたのではないだろうか。さすがに引き受けてしまった後に辞退を申し出ることはできないので私は受け入れることにした。


 短大といえば一昔前までは女性が通う学び舎であったが今では共学が増え始めていて、さらに卒業後に大学への三年次編入を謳ったものが多い。剣崎短期大学でも男女比が半々で卒業後の進路の4割弱が大学への編入である。

 私は授業開始前に病院で前任者に会い、授業のレクチャーを伺っていた。まず一人の詩人について半生、その詩人が作った詩を解説をする。それが終われば学生に詩を作らせる。そして添削し、その後に発表というのが基本的な授業の流れであった。そのときに前任者は詩には個性が出るというのを語った。どういうものかと思ったが授業を始め、学生に詩を作らせ、添削して気づいた。程よく遊んでいる女子学生は愛、嘘、性、陰口に関するものが多く、地味目な女子学生は自然を詠ったものが多い。そして男子学生の多くは無難に書いた結果具体的のようだが尾は抽象的になっていてテーマの見えない詩が多い。オタクっぽい男子学生は混沌だの深淵、逆光などの単語を散りばめた中二病的なものが多い。本人が自作した詩を朗読するのは気恥ずかしさがあるのか皆、顔を赤らめたり、声をもごもごと発したりと緊張していた。しかし、その中で堂々と自作した詩を発表する学生がいた。名はエウリオン・ザッカーバーグ。白人の学生である。爽やかな金髪で澄みきった碧眼で微笑んださいの柔和な顔つきが人に親近感や安心感を与えた。彼は海外留学生とかではなく幼少期に父の仕事で日本に来日してきたのである。それゆえ日本語が堪能。彼が席を立ち、背を伸ばし朗読する姿は男女問わず目を引きつかせる。彼が作った詩は宗教的かつ幻想的でどこか物語風であった。履修届け締切後も受講生の増減変動がないのは彼のおかげであろう。

 GWの後、エウリオンの隣に女子学生が座ることになっていた。その席は元はオタクっぽい男子学生が座っていた席だ。その女子学生は程よく遊んでいるステレオタイプの女子学生で名前は杉崎天海。口にはしないが彼女がエウリオンの恋人というのが私や受講生の共通の認識だった。

 だが夏期休暇前には二人は別れることになった。それは恋愛によるものではなく生死による別れであった。杉崎の死は事故によるものだった。短大には知人の講師や事務局員、学生がいるわけではないのであくまで耳に入った程度だが、どうも深夜一人で赤信号なのに交差点を渡ってた時、車に轢かれたらしい。受講生が亡くなるという経験は初めてで私は授業の最初に彼女のために黙祷を設ける程度のことを努めた。その時、エウリオンの顔を窺うと彼は平然としていた。それがふりなのか本当なのかは判別のしようがなかった。この日の授業が前期での最後の授業で、変な形で夏期休暇が始まった。

 私は夏期休暇中は短大には一度も寄らなかった。しかし、エウリオンとは一度大学の方で顔を合わせた。その日はオープンキャンパスの日であった。彼は白人なので大勢の中ですぐに目につく。説明会の後、彼が挨拶にきた。そして私は彼を教員部屋に連れ、話をした。

 彼は私が大学で物理学の講師を勤めているのに驚く素振りはなかった。ただ、部屋の棚に詩集や文芸雑誌がないことには驚いていた。彼は私にどのようにしてインスピレーションを得て詩を作っているかを尋ねた。正直に話すかどうか躊躇われた。彼の目には尊敬の眼差しが表れていた。私はそんなに大した人間ではないのだがどうしてこうも評価されるのかわからなかった。インスピレーションというよりも頭に浮かんだイメージを出鱈目に描き出しているだけである。何かに触発されたわけではない。私はそれを素直に話すわけにはいかないので何かをためになるものを言わないといけないと感じ焦った。そこで目に留まったのが土産で貰った香木であった。それは知人が研究の所用である地域に向かっときの土産である。その香木は国内のある地域で使用されているもので、それを私の土産として贈られた。そして私は記念詩集前に知人から土産として貰った香をアロマの替わりに使い心をリフレッシュさせたと彼に嘯いた。ただ香を使用したのは事実で実際、私は詩を作る前に使用したのだ。だがそれはたまたま土産を頂いて試してみただけである。そこから何かしらのインスピレーションを得たわけではない。しかし、見事に彼の興味を惹き付けたので私は彼に香を削り、分けてあげることにした。使い方の説明と過度の吸引の注意をした。まあ、1回分程度なので過度の吸引はないだろう。なぜか彼は香を恭しく受け取りリュックに閉まった。後日彼から香を焚き、瞑想して良い詩が生まれたと連絡がきた。彼は香をもう少し譲っては貰えないだろうかと懇願してきた。特段私には香に対して思い入れもなかったので全て譲ることにした。私は1度使ってから手をつけていないので香を沢山譲ったことになる。弁明させてもらうが私は彼に香を譲った際、口酸っぱく注意した。彼も私の注意を真剣に受け止めてくれていたと思う。

 夏期休暇も終わり、後期日程が開始され私の短大での週に1度の文芸創作Cの後期授業も始まった。文芸創作Cの授業はテストがなく授業は詩の創作のみである。前任の講師はそろそろネタが切れ始めるかもしれないけど学生を強く非難してはいけないと私に告げた。しかし、学生たちの詩への情熱は下がることなく、むしろおかしなことに上がっていた。おかしなこたはそれだけでなく彼らが作る詩や授業への態度も変わっていた。作者の性格や日常が滲み出るような詩からエウリオンと同じような幻想的な詩に変わっていた。そして授業態度は真面目に取り組むようになっていた。決して今までが不真面目であったわけではない。きちんと授業は受けていた。だが今は感情が消え、私語が減り、姿勢よく授業に取り組むのだ。不気味さが教室に満ちていた。彼ら皆、同じ個体のように感じた。外見こそ違えど思想や思考が同位しているような。

 授業の後、皆は会話もなく席を立ち、部屋を出る。最後に残ったエウリオンが夏期休暇中に皆で香を焚いたことを話した。香の効果は素晴らしく、自分達はより高みへと文学的表現を越えた先にある世界に対する発露を見いだせたと蕩々に語る。それついて私は恐ろしさを感じた。かつて彼は人を惹き付けるものを持っていたが、今も魅了は備わっているがそのベクトルが違う方に向かっていた。陽から陰へと。私は彼に用法用量について問い質した。彼は一度も足りとも過度な吸引はなかったと私に告げた。一度目の吸引から次の吸引まで三日の日を跨いでいると。

 それからというもの授業は常にどんよりとして、そして重く、酸素が薄く感じるほど息苦しいものだった。だが何よりも私を苦しめさせたのは彼らが紡ぐ詩であった。感情もなく淡々と語る姿勢は巫女の予言を聴衆に語るそれのようでもあった。さらに詩は連作ではないはずなのにまるで同じようなイメージを与えてくる。言葉も単語も長さも違うのにどうしてか。学生の発表を聞くたびに目眩と頭痛が襲ってくる。時には時間と空間がゆっくりと伸ばされている感じがするし、意識が離れていることもあった。その時は発表を終えた学生から名を呼ばれ、重力のある現実に戻ってきた。もう授業はすでに私の手を離れていた。この異変は学内には周知のものとなっていて大学の方にも事務局長の耳に入るほどになっていた。

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