霧と隕石 ①

 高架線を走っていた車両は景色を変えた。上から見下ろしていた景色が地上の高さになり車道や民家、人を窓に映す。だがそれもすぐに変わる。車両はどんどん下へと下がり崖の間を走る。崖の影が窓から這い寄り車内を暗くさせる。そして車両は暗い終着駅に停まった。崖の影に覆われた暗いホームに私は降り立ち、階段を上り改札口へ向かう。そこからさらに長い階段を上り、外に出る。外は霧に覆われてなかった。それもそうだ。ここはまだ鷺沼町ではない。

 鷺沼町は十五年前から年中、霧に覆われた不思議な町。気候や地形に関係なく霧が鷺沼町を覆っている。様々な学者たちが解明に努めようと訪れたが結局原因が解らずに終わった。なぜか町は霧の町というのを売りにすることなく外界と隔絶するようにしている。今日、私がそんな鷺沼町に訪れるのは線路の延伸工事の件である。土地に関しては問題はなく、立ち退き等のトラブル話もないので線路の延伸は問題はなかった。しかし、延伸工事の際に色々と問題点が浮かび、線路付近の地主にお手数を煩わせることになった。今回、私がここに訪れたのはそれの謝罪と今後の工事の説明である。

 鷺沼町にはまず駅北口からロータリーを越えて、十字路を右に曲り、住宅街を越えなくてはいけない。鷺沼町行きのバスはなく、さらにタクシーも鷺沼町へは危ないので向かってはくれないという。それほど濃霧が深刻であるのだろう。私は仕方なく徒歩で向かうことにした。住宅街を突き進んでいる最中、次第に住宅街から人気ひとけがないような異質を感じた。住宅街には一戸建ての家が多く並んでいる。家々には花壇があり、色とりどりの花が咲いている。それは家の主がいて世話をきちんとしているということ。でも、なぜだか暗い雰囲気が漂う。そしてそれは鷺沼町に近付くにつれ増してゆく。

 霧に覆われた鷺沼町の写真はネットにもアップされている。しかし、先輩から事前情報なしで見た方が良いからということで私はネットの画像を見ずに向かった。地図アプリからするとあの登り坂を越えると鷺沼町が一望できるらしい。私は期待を込めて早足で坂を駆け上がった。そして坂の上から見る鷺沼町、いや霧は私の想像を越える景色で絶句した。霧ではなく雲であった。雲がすっぽり町を覆い、町の風景を外界と遮断している。想像だにしていなかった光景に私は興奮した。鷺沼町の地上はどうなっているのか。私は坂を下りて鷺沼町へと向かった。


 霧に足を踏み入れようと坂を下りてゆくと、なぜか霧へと入らず、近付くことさえできなかった。私を中心に円を作るみたいに。おかしいと思い、首を振り左右を見るといつの間にか左右は霧に覆われていた。後ろに振り返ると、後ろもまた霧であった。どうやらいつの間にか霧の中にいたようだ。歩き進めると霧は私を避けるように触れさせようとはしない。そして思い出した。確か霧というものはそういうものだったではないか。前にも一度霧の中に歩いたことがあるではないか。

 とうとう私は坂を下り切った。霧は上空にはない。雲ではないのだから当たり前だ。霧は地面まで迫っているもの。私は地図アプリを頼りに目的地に向かった。まず始めに伺ったのは田島淳一宅であった。延伸工事の際、田島氏の私有地を通る。許可は前もって取っている。私が伺ったのは形というものだ。田島氏は年輩の方であるがしっかりとした体にはきはきとした発音の方であった。もし50代と言われたら信じていただろう。実際は齢87である。田島氏は温厚な方で話はスムーズに進んだ。あまりにもスムーズに進んだので私は拍子抜けでもあった。少し時間が出来たので世間話として霧について尋ねてみた。

 田島氏が言うには十五年前に隕石が池に落ちて池の水が全て蒸発して霧となりこの町を覆っているのという。もちろんそんな与太話は信じられないがここで話し手の機嫌を損なわないため私は否定せず、不思議なことがあるのかという驚いた顔をして、ただなるほどと頷くことにした。田島氏はさらにこの町の歴史について語り始める。かつて古墳時代の頃に隕石が落ちたこと。そしてそれにより大きなクレーターができ、そこに雨水が貯まり池となったという。池には祠が建てられ、この町の小さな信仰対象となった。それが今回の隕石衝突により池がなくなったという不思議な隕石繋がりを田島氏は語った。

 次に伺うのは道藤みちふじ氏である。そのことを田島氏に告げると池の管理を率先して行っていたのが道藤氏と教えてくれた。私は礼を言ってその場を辞した。道藤氏の家は池があった場所からすぐ近くにあった。それは隕石の落下地点の近くでもある。私は地図アプリで位置を確認しながら進んだ。そしてすぐ近くと分かって顔を上げて前方をきちんと見て異変に気付いた。霧が濃くなっているのだ。もはや半径2メートル程しか景色が分からなくなっていた。私は慎重に歩き道藤氏の家に着いた。道藤氏の家は木造建築だが壁が炭になったかのように黒いため一見木造建築には見えなかった。

 私はチャイムを押すと、掠れた声の老人が戸をゆっくり開け現れた。それに私はお手を煩わせたと恐縮になった。家の中も霧で包まれていた。しかもなせが甘い香りがする。気のせいだろうか。道藤氏が何か甘いもの作っていたのか。私はリビングに通されて緑茶と羊羮を出された。甘い香りの正体は羊羮ではない。ではやはり霧だろうか。そんなことを考えていると道藤氏の視線に気付き本来の目的を思い出した。私は延伸工事について説明した。その際に道藤氏の私有地を通る旨を。いつ時かどれだけの人数、車輌等が通るのかを。説明としてはそれだけのはずなのになぜか時間が長く感じた。向こうはぼんやりとじっとしていた。私が咳き込むとゆっくりと壊れかけの機械のように動き、返事をした。私は隕石について尋ねてみた。田島氏に聞いた話をそのまま道藤氏に確認すると彼もまたそうであると首肯した。私は興味本位に池を目にしたい旨を告げると道藤氏は案内をかって出てくれた。

 そして私たちは隕石が落ちたという池に足を向けた。池は道藤氏の裏手にあるのですぐに辿り着いた。これなら案内の必要はないと感じたが祠の場所を知らないし、池を全て蒸発させる程の隕石の熱量はすさまじく池の水がなくなっただけでなく池以上の広い穴と深く長い亀裂を生んだ。足下を気を付けなければ急に現れた穴と亀裂に足を踏み入れてしまう。普段であればなんともないのだが、この濃霧だと危険である。私は道藤氏の背を追いながら、穴の縁を歩く。しかし、この霧は本当に異常であった。まるで下からけぶっているようだ。

 私は落下した隕石について尋ねた。隕石は落下後どうなったのか、そして落下の衝撃で道藤氏の家には被害はなかったのかを聞いた。私の質問に少し間を置いて彼はこちらに振り向かず歩きながら答え始める。隕石については分からないと。隕石が落下した当時はまだ池に水はあったこと。さらに霧も濃くはなかったという。しばらくして大学の学者や市が派遣した水質調査の研究員が調べにはきたけど霧のせいで見つけることはなく帰っていった。家についての被害は屋根瓦が十数枚落ちたことと松の木が一本折れただけだという。私はそこで本当に隕石が落下したのだろうかと疑問感じた。隕石が落下したというなら話題にはなっていたし、例え霧のせいで視界が遮られるといっても見つけらないことはあるだろうか。そんなことを考えていると祠に辿り着いた。

 胸程の高さの祠には何もなかった。祠というものには大抵阿弥陀像や地蔵、もしくは石等が鎮座しているものと認識している。不思議に思うと道藤氏は以前は遥か昔に落ちた隕石の一部が置かれていたと説明する。しかし、十五年前の隕石落下後、被害を調べるため伺ったら隕石はなくなっていたという。とりあえず私たちは何もない祠に手を合わせてお参りを済ませた。帰り道になる霧がさらに濃くってきて1メートルどころか目の前の道藤氏の背でさえも霞み始めた。さらに気温が下がり、得も知れぬ不安に恐れた。私はしっかりと彼の背を捉えるように努めた。そのせいで私は足下の小さな亀裂に気付かず、つい足を引っかけてしまった。そして私はたたらを踏んで道藤氏の背中に手が。だが私の手は道藤氏の背中すり抜け、さらにそのまま前進した私の体もすり抜けた。私は驚き、悲鳴を上げ、道藤氏の名を叫んだ。しかし、返事はなく私の声は霧に吸い込まれていく。

 独りになった私はスマホを取り出し、地図アプリで位置及び方角を確認しようとした。だけど電波が不安定のため地図アプリが機能しなかった。私はその驚愕的事実に目を見張った。ここまで電波の不安定なんてなかったのに。いや、正確には道藤氏の家までは問題なかった。ここは山手にあるので電波が届かないのだろうか。私は記憶を便りに方角を確認して歩き始めた。霧はさらに濃くなり何も見えなくなった。私は慎重に足を前に出して問題ないなら前に出した足に体重を乗せ、もう片方の足を動かした。気温はさらに下がり、私は肩を抱き震えた。それは気温だけでなく恐怖による震えも含まれていた。私はとぼとぼと歩き進めるうちに甘い香りを感じ取った。それは道藤氏の家で嗅いだものだ。私は安心して胸を撫で下ろし甘い香りの元へと進んだ。そこで気が抜けてしまったのか私は穴に足を踏み外して、そのまま体を穴へと転がり落ちた。

 穴は深く、何度も体を打ち付けて、やっと底へと倒れた。しばらくは打ち付けた痛みで起き上がることすら出来なかった。あちこち打ち身は出来ただろうが骨や関節には問題なかった。転がったということは崖ではなく坂であるということだろう。さらにそんなに急勾配でもないようだ。私は立ち上がり、どうにかして坂を上がろうとした。方角は間違ってはいない。しかし、歩けど坂は現れなかった。逆方向に向かったのか。いや、そんなことはない。私はきちんと転び落ちた方角に向かったのだ。ならなぜ坂に差し掛からない。ずっと平坦た道だ。霧は濃く、気温は冬の気温のように下がり、甘い香りもますます強くなってくる。肉体的疲労か、はたまた精神的疲労か、もしくは甘い香りにより脳がおかしくなったのか。私もうただぼんやりと前へと突き進む。前を歩いていたらいずれ変化は訪れるだろうと淡い期待をして歩き続ける。足は重く、呼吸も苦しくなってきた。早くどこかで体を休みたかった。仕事そのものは簡単に終わらせたのに。どうしてこのようなことに。さっさと帰ればよかったのだ。私は自分の好奇心を恨まずにはいられなかった。

 そして歩き続けて変化が訪れた。目の前に白く大きな崖が現れたのだ。さらに霧が薄くなり、視界が良好になった。それによって現れた崖は崖でなく巨石であることが判明した。私はすぐに隕石と結びつけた。地中に埋まっている部分があるので全体像は不明だがアーモンド型と思われる。目算だが縦は約8メートル、横は5メートルほどであろう。触れてみると熱く、反射で私はすぐに手を離した。手を見ると火傷をしていた。だが、それほどの熱を持っているなら気温は暑くなるはず。なのにどうして気温は低いのか。霧が巨石からの熱をシャットしているのか。しかし、一体どうしたものか。変化を望んだが、こんな変化ではなかった。これではますます混乱するだけだ。今の境地を脱する術を求めていたのに。私は隕石であろう巨石に背を向け、歩き始めた。来た道とは垂直の方角に。歩き進めて十分弱、私は隕石に出くわした。これはどういうことか。なぜ隕石がここに。いつの間にかUターンでもしたのか。いや、そんなはずはない。確かに真っ直ぐ進んだのだ。ならどうしてここに隕石が? 

 よく見てみると目の前の隕石は先程のとは別のものと判明した。同じアーモンド型であるが先端が大きく欠けている。ということはこれは古墳時代に落ちたという隕石だろうか。いや、先程の隕石が古墳時代のものかもしれない。どちらが先でどちらが後かは判別しようがない。そこで以前に学者たちが落下した隕石を探しにきたと道藤氏は言っていた。私は空笑いを発した。運悪く転げ落ちた人間が運良く隕石を発見するとはなんと皮肉であろうか。私は慎重にもう一度触れてみようとした。指先をそっと当て、臆するようにすぐに離した。熱はなかった。むしろ冷たかった。私はもう一度、今度は長く触れてみた。やはり熱はなく冷たい。氷のように冷たく、長く触れているとシールのように皮膚が引っ付く。私は隕石から離れようとしたその時、隕石の先端からヒビが走り始めた。ヒビは太く大きくなり、そして隕石は割れ崩れた。中からは蒸気が音を出して溢れ出た。私は危険を察知し、その場から急いで離れた。走り続けて、背中で大気を震わせる爆発音を耳にした。霧か蒸気かそれとも爆発の煙かどれかは分からないが視界は白く塗り潰される。甘い香りは強く、嗅げば嗅ぐほど頭の中が重くなる。きっと霧は毒性を持っているのだろう。足下が覚束なくなる。

 膝が崩れて私の意識は落ちた。

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