境界未定地域 ①

 今日、私はアメリカから来訪してくる二名の学者を一世紀近く前に廃村となった鳴楽なるらく村跡地へと案内するため、朝早くから待ち合わせ場所である駅に着いていた。一人は神学者でもある神学部の教授で名前はアダムス・メイガス。もう一人はアジア文化学部神秘思想学科の教授でギース・ヨルダンという。

 私はフィールドワーク派というよりデスクワーク派である。だから本来こういうのは私ではなく沢村教授の担当のはず。というよりか彼らとコンタクトを取っていたのは沢村教授であった。だけれども沢村教授はゼミの学生たちを連れだって前もって予定にいれていたフィールドワークに向かってしまった。さらに此度向かう廃村は境界未定地域と呼ばれるどの県にも属さない村であった。そのため剣崎大学で文学部地理学科の講師を勤める私に白羽の矢が立ったのだ。正直断りたかったが沢村教授には大きな恩があったため断りきれなかった。引き継ぎを任された私は沢村教授にアメリカの教授がどうして日本の境界未定地域の廃村を訪れたいのかを尋ねた。それについては沢村教授も詳しくは分からないらしく、名目上ではなんでも昔、GHQ統治下時代にある神学者が廃村を訪れていて当時のことを記した書物を読み、アダムス教授たちは興味を惹かれたということらしい。私も自分なりに鳴楽村について調べてみたがこれといって人に興味を惹くような何かは見出だせなかった。やはりGHQのくだりの話は嘘で何か別の理由と目的があるのだろうか。沢村教授もそう考えていたらしく、私に彼らの動向をなるべく注意しておくようにと告げた。

 その二名の学者は予定より30分ほど遅れてやってきた。私は英語は話せないが沢村教授曰く彼らは日本語が話せるとのこと。しかし残念なことにそれは日本語の定型文、単語が使える程度だった。お互い相手の国の単語とジェスチャーを交えての会話でなんとかやりくりをした。挨拶の後、少し不安な面もあるが私たちは境界未定地域にある鳴楽村へと出発することにした。

 境界未定地域とは主に県境にあり、様々な理由でどの県にも属さない地域のことである。鳴楽村は歴史と宗教上の都合によるところが大きい。鳴楽村にはかつて特殊な山岳信仰があり、氷泰刀山を霊山とし敬っていた。そして歴史上数多くの武将が触れてはいけないものとし鳴楽村を避けていたともいう。それは明治になってもそうであったらしく、その経緯から今でもどの県にも属さないのではなく、まるでどの県も受け入れようとはしたくないという節が見受けられる。

 鳴楽村にはまず県内にある山を越えなくてはいけなかった。その山は低く、普通の登山に近く、私たち以外にも多くの登山家が山を登っていた。だが、デスクワークの私やアメリカからの来訪者はどの登山家よりものろく、何度も休憩を取った。私たちよりも年輩な登山家に追い抜かれたときは少しながら情けなさが去来したものだ。山頂に着いたころは私たちは汗だくであった。山頂には神社があり、本来の目的とは違うがアダムス教授たちはカメラを片手に参拝した。

 山頂には三つの道がある。一つはここに来るときに通った道。その道に繋がっているのが下山道。そして三つ目が神社の裏手にある道だ。それは神社から道が続いているのでなく森を数メートル突っ切ったところから道が走っている。私たちはその道を通り下山する。下山先は沢でそこで私たちは休憩を取った。私は地図とコンパスを出して次の道を確かめた。ギース教授が片言であとどれくらいの距離なのかを尋ねたので私はここに来る途中ほど時間がかかると想定して二時間と告げた。ギース教授が嘆くようなアクションをとるとアダムス教授が彼の肩を叩き、英語で何か言葉にした。

 アダムス教授たちが休憩十分に取ったらしいので私たちは動き始めた。腕時計で時刻を確認すると11時13分であった。次の道は沢にそって進むと橋があり、その橋を渡ると獣道が見える。それが次の登山道である。少し心細いが私たちはなるべく気後れすることなく歩を進めた。緩やかな登り坂が続いて足への負担は少ないが私はアダムス教授たちに気を配りながら進んだ。彼らも私と同じようにデスクワーク派であると感じられた。それだとそんな彼らが海を渡って、登山までして追い求めるものとは一体なんなのであろうか。

 登山道は山頂へと向かわず山の腹分を左に回るようにある。山の裏に回った辺りで私たちは昼食の休憩を取ることにした。私は紅鮭と鰹のおにぎりを二つ。アダムス教授たちは日本のコンビニで買ったBLTサンドウィッチとホットドッグなどを食していた。

 そろそろ出発しようとアダムス教授たちに声をかけようとしたとき、ギース教授は茶色に日焼けした古くさいしわくちゃのプリントと数枚をアダムス教授は碧色の勾玉を手にしていた。私が近付くとアダムス教授はすぐに碧色の勾玉をポケットにいれ、ギース教授は遅れてそそくさとプリントをリュックに入れ直した。私がそれらについて尋ねると彼らは微笑みを返すだけで教えてはくれなかった。正直、ここまで案内してやっているのだから多少は教えてくれてもいいはず。私は少し気分を害し、彼らに出発の旨を伝えた。

 山の裏からは下り道なので比較的楽にと思われた。しかし、砂利や握り拳ほどの石が多くただでさえ下り道なのにバランスが取りにくく大変であった。さらに雀蜂の巣を見つけたときは大変であった。迂回しようにも道は一本道で細く、雀蜂の巣は道に沿った木の上にあるので嫌が応でも近付かなければいけない。私はジェスチャーでアダムス教授たちにゆっくり慎重に進むよう伝えた。雀蜂の巣を越えようとしたところで悲鳴が私の鼓膜を震わせた。驚いて振り向くとギース教授が袖を捲り、左腕の肌を右手で指差していた。何かと思うとヒルであった。無理矢理引っこ抜こうとする彼をたしなめて、私はまず雀蜂の巣から遠ざかるよう指示した。雀蜂の巣から十メートルくらい遠ざかって私は塩を出してギース教授の腕に吸い付くヒルにかけた。数分後、ヒルが弱まったところでピンセット摘み、引っ張ると簡単に取り外せた。

 再び山を下り、森へと差し掛かった。道を挟む木々が枝でアーチを描くように空を覆っていた。それはまるで森のトンネルのようであった。トンネル潜るとき、私は些か恐怖心というものが胸に去来した。しかし、後ろの二人から早く進むよう急かされ、私はトンネルを突き進んだ。トンネルは暗く、そして長かった。風もなく、私たちの足音だけがトンネルの中で反響しているようだ。とても不思議な気分だ。トンネルといっても悪魔でトンネルのようであって、土の道を歩く足音を反響させることはできない。さらに陽の光が弱いのもおかしい。枝葉が完全に天井を作るほどに覆っているわけではない。ならば隙間から光が落ち、影と光による斑模様が地に広がるはず。しかし、それもなくトンネル内はなぜか薄明るかった。そんなこと不思議に思い気味悪がる私とは反対にアダムス教授たちは陽気で楽観的だった。まるで欲しかったものがもうすぐ手に入ると期待する子供のように。彼らはしきりに英語で会話をしている。内容はわからないが興奮していることは声色から伺い知ることができる。

 トンネルを抜けると木々が減り、草と平地だけとなっている。視界の奥に門のようなものが小さく見え、道はそこへと真っ直ぐに伸びている。浮き足立っていたアダムス教授たちは次第にはっきりと見え始める門に歓声を上げて走り始め、前を歩く私を越えて門へと向かう。私は早歩きで彼らの後を追い、門へと近付いた。損傷が激しく、木製の門扉は腐り落ち、塀は一部が崩れていた。門柱に掛けられていたであろう村名の札は字が掠れて判読は無理だった。しかし、ここが地図上に存在する鳴楽村であるのは確かであろう。

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