魔鉱
俺の職種は自衛隊。といってもバイトだ。階級も低い。だから自衛隊と聞いて本格的なものを思ってはいけないし羨望の眼差しを向けてはいけない。そんな俺はそろそろ違う職を選ぼうと自衛隊を辞めることを決意していた。そのことについて友人や同期も誰も止めようとはしなかった。まあ、真剣にやってたわけではないからいいけど。もしかしたらそういうのが無意識で発露していたのかもしれない。上官に除隊を申し出ると最後の任務として調査隊に参加するようにと告げられた。その最後の任務は廃坑となった鉱山跡地を調べること。実施日は一ヶ月後でもしかしたらそれまで考え直せというメッセージなのかもと考えたが残念ながら上官の雰囲気からそうでもないらしい。本当に最後としての仕事なのだろう。上官曰く、自分が選ばれたわけは地元民であるからだと言う。だけどこの廃鉱は地元の悪ガキでさえも近寄らない場所である。上官にもそのことを伝えるが、なぜか言いにくそうな表情を向けるだけで何も語らない。そして不思議なことにミーティングもなしに当日を迎えた。意味も分からずに当日、ヘリに乗り込むと今までとは毛色の違う隊員が先に乗り込んでいた。目は相手を竦めるほど鋭く、口はしっかりと結ばれていた。座っているだけなのに危険な香りをぷんぷんと撒いていた。自衛隊には色々な部隊があり、一般で一番有名なのはレンジャーだろう。彼らはレンジャーのようなプロ部隊とも思われる。そんな部隊に自分が選出されたのは怪しいと思い、受けなければよかったと後悔し、やっかいな任務でないことを祈った。ヘリが大気を振り叩くような音を出して、上昇し目的地へと動く。大抵の隊員は軽口を言い合ったり、ブラックジョークを言って場を和ませるが、この隊員たちにはそれが一切ない。ルーキーでもなく、真面目な人間とも思えないが彼らからはまるで死地にでも行く覚悟が窺えた。重い空気に耐えきれず、俺は自己紹介をし、そしてこの調査について質問をした。彼らは自己紹介こそしなかったが鉱山の調査についての自分の役割を説明した。いや、説明というよりか注意に近かった。
そしてヘリは重い空気を乗せたまま目的地に到着。坑山ではなく坑夫たちが寝泊まりする宿舎などが残る集落に近い町にヘリは降り立った。俺を含めて5名がヘリを降りる。彼らは地図も見ずに迷うことなく進む。俺はそんな彼らの後をただ続いて歩く。そして四角いトンネルに壊れたレールが続いている坑山の入口に到着した。
俺たちはゴーグルを掛け、ヘルメットの電灯を付けて、一番前と三番目が懐中電灯を二番目と四番目がランタンを灯す。ヘルメットの電灯は弱く、懐中電灯の光は細長く奥を照らし、ランタンは周囲を明るくさせる。これならヘルメットの電灯は必要ないように思われたが頭上が低い所や木材が垂れている危ない箇所があった。真っ直ぐな一本道ではなく蛇行していて道が二股にも三股にも別れていた。前を歩く彼らは迷うことなく道を選び進んで行く。俺は何度も尋ねたが彼らは答えなかった。俺がもし帰り道に迷ったらと聞くと彼らは肩を竦めるだけだった。その態度にいらっとしたが確かに帰り道で迷うことはないだろう。進んでいる方に分岐はあっても戻り道には分岐はないのだから。しばらく進むと部屋を見つけた。
休憩所だろうか部屋にはテーブルと椅子がある。壁には棚が一つ。棚には書類や本がある。背表紙にアルファベットのタイトル洋書だろうか。他にもアルファベット以外の文字の背表紙の本がある。俺は部屋の出入り口で立ってるように指示を受けた。彼らは部屋や書類、本をカメラで撮りは始める。隊長らしき人物が仲間のコードネームを言う。だがコードネームを言われた隊員は返事をしなかった。不審に思い隊長が部屋を見渡す。そしてもう一度コードネームを言う。俺は異変を感じ人数を数えた。どういうことか俺を含めて五人いたのが四人だった。間違いだと思いもう一度数えるも四人が五人にはならなかった。隊長は俺に消えた隊員が部屋を出たのかと聞くが俺は首を振って否定した。部屋への出入り口は俺が立っているここだけで他にはない。しかし、ならばどこに行ったというのか。不思議なことに俺以外はなぜか動揺することなく作業に移る。欠員が出たのに関わらず彼らはもくもくと仕事をする。
作業が終わったのか隊長は俺を呼び、俺のリュックにボロボロの書類と本を詰める。その時、梵字が目に入った。どうやらその本は梵字で書かれたタイトルであるらしい。それを目にしたとき、頭の中が疼いた。封印されし過去が長い時を越えて俺の体を掴んだみたい気がした。見たことがあるようなないようなハッキリとしない曖昧な気味の悪い気分だ。こういうのをデジャブというのだろうか。
四人となった部隊は部屋を出て再度坑山の奥へと突き進む。なぜ彼らは仲間が一人消えても狼狽えないのか。それはプロだからか。奥へと進む度に明かりが小さくなる。電池が切れたのかと考えたが電灯は確かに強く光っていた。なのに周囲が暗い。私は彼らにおいてけぼりにならないよう注意しながら歩く。一人分の頭が消えた。それほどまで明かりは小さくなったのか。しかし、違和感があった。俺はヘルメットの電灯を強くした。そして一人が消えていることに気付いた。すぐに俺がそのことを言うと隊長が点呼を取った。やはり一人減っている。今は三人となった。彼らは何にもなかったように歩き始めた。さすがにおかしいと思い強く詰問した。しかし、それでも彼らは何も言葉にはしなかった。俺は苛立ちを感じ前を歩く隊長の肩を掴み、振り向かせようとした。その瞬間、隊長は消えた。俺は始め、掴んだ手が滑ったのかと思った。だが、前を向いて確認しても隊長の姿はなかった。俺は悲鳴を上げた。俺の悲鳴で隊員が振り向いた。そして彼は隊長が消えたことを悟ったらしい。その時の表情は驚愕ではなく沈痛であった。やはり彼らは前もって何らかの情報を与えられていたのだろう。俺は最後の隊員に掴みかかり、理由を尋ねた。だが彼にあっさり押さえつけられた。彼は一言だけ最後の一人になったらここから廃坑から出ろ私に告げるやまた奥へと歩き始めた。
俺は恐怖を感じ、すぐに来た道を戻った。彼は消える覚悟だがこちらにはそんなものはない。例え彼が消えたとして道を戻れど自分が助かる保証はない。なら、今すぐ戻った方が得策だと考えた。もう辞めるつもりでいたのだ。馬鹿にされようが構わない。俺は走った。走って走って逃げた。だがおかしなことにまるで奥に進んでいるような錯覚を受ける。向かっている先もまた闇。止まると闇の中に一人閉じ込められた気分だ。俺は後ろを振り返った。彼はどうなったのかと。後ろは闇だった。何も見えない。俺はその闇に向かって声を上げた。だけども返事はなかった。俺はどこか彼も闇に消されたのだと諦めていた。俺は再度戻り道を辿る。明かりが小さくなり始めた。懐中電灯を取り出し辺りを照らそうとする。しかし、辺りを照らすことはできなかった。懐中電灯は確かに光を発している。ではなぜ照らすことはできないのか。その答えはすぐに気付いた。闇が光を食っているかのようだ。どうしてそれに気付いたのかは解らないがそうであると感づいたとしか言いようがない。俺は立ち止まった。世界は俺を残して闇のみ。自分だけが色を持っている。こんなことありえるのか。俺は手を前に伸ばし再度歩き始める。しかし、どれだけ歩いても出口には辿り着かない。もう来た道以上にあるいているはずだ。それにしても道はくねっていたはず歩いていれば手が壁に当たるはず。それが全くといってないのはおかしくないか。俺は試しに左へと進む。だがおかしなことに壁に当たらない。ありえない。俺は手を伸ばしながら走った。それでも壁に当たらない。
そこであるもう一つの異変にも気付いた。それは地面だ。レールの名残りがあったり凸凹していはずだ。それなのに地面はつるつるの床のようだ。俺はしゃがみ地面を触ってみた。地面は冷たく固かった。ここはどこだ。坑山ではない。とにかく早くここから脱出しなくてはいけない。俺は知識を総動員して考えた。それで俺はこういうときは指に唾をつけて風を調べるということを思い出した。さっそく右手人差指を舐め、風を調べた。前に左右に指を動かす。そして右に向けると冷たくなった。風を見つけ俺はその方向に進んだ。進めば進むほど風が強くなる。希望が湧き、出口を求め、次第に足早になる。突きだしていた人差指が柔らかい何かに当たった。壁にしては柔らかかった。俺は手を当て、障害を調べる。湿度があり、柔らかい。手を嗅ぐと酸味の匂いの奥に魚臭いものが感じ取れた。風は確かにここからだ。いや、正確には上からか。俺は腹正しく壁を叩いた。すると大きな何かが引きずるような物音が前から生まれた。壁も動き、俺は懐中電灯を向ける。全ての光を吸収する闇には意味はなく何も照らすことはない。だが懐中電灯の光のおかげではないが異変が発生した。色が輪郭が現れのだ。そしてそれは目であった。大きな目が強い視線をもって俺を射止める。俺は蛇に睨まれた蛙のように固まった。輪郭は増していき、大きな顔が現れる。穴は小さいが大きな鼻、左右に伸びた口、尖った歯、歪曲した頭、突き出た顎、額には大小の瘤。その時、俺は気付いた。風の正体はこいつの吐息なんだ。俺は一度尻餅をついたがすぐに起き上がり、背中を向け走った。怖くて無我夢中で走った。
――振り返るな。走れ、走れ。
ガツンと音が額からした。その音が聞こえるや痛覚が意識を底へと落とした。
目が覚めた時、俺はベッドの上にいた。見知らぬ部屋のベッド。天井の端に監視カメラがある。ベッドとカメラ以外何もない部屋。病室とも考えられるが病室にしてはどこおかしい。しかし、場所が分からずとも闇の世界ではないので安堵した。俺はナースコールを見つけ押す。しばらくしてナースではなく医者がきた。医者がいうにはここは病院という。しかし、どこの病院かは教えてくれなかった。その日の午後、上官よりも地位の高い人物が現れた。雰囲気から察するに彼らの上官だろうか。その男はこちらの質問には何も答えず一方的に質問だけをする。二日目になり今度別の人間が訪れてきた。軍人というより学者風情な男であった。その男もまた質問だけして帰っていた。自分の身に何があったのかを知ったのは五日後のことであった。上官が見舞いにやってきたのだ。その時に色々と教えてもらった。丸一日経って連絡がないので救援部隊を編成して現地へと送り、鉱山で私を保護したこと。そしてその他の隊員は見つからなかったと上官は言う。だが他の隊員の捜索の時、上官は目を泳がせて鼻を撫でていた。そのクセは嘘を言うときのものだ。結局、隊員たちがどうなったかはわからずじまいに終わった。
一週間後に退院し、俺は上官に除隊を申し出た。実家に戻った俺は親に坑山について尋ねた。両親ともに子供時分には廃坑となっていたので知らなかった。ただ、祖母が知っていた。祖母曰く、ある坑夫が信仰を持ち込み、布教したことで坑夫たちがおかしくなり、暴動や狂気が蔓延し軍が動き鎮圧したと。その時、多数の死者がでたという。当時祖父も若くその時は出稼ぎとして坑夫を勤めていたらしい。祖父は俺が若い頃に亡くなっているので坑山については何も聞かされていなかった。俺は祖母に坑夫たちの身に何があったのかを尋ねたかったが祖母はそれ以上は何も知らないと言う。ただ、祖母は近所の男たちは皆、出稼ぎで坑夫やっていたという。なら祖父世代の人間を捕まえれば話を聞けるということである。さっそく俺は調べてみた。しかし、祖父世代の人間は皆、亡くなっていた。何か変な違和感を感じた。生きていたら祖父もそうとうな年齢。ゆえ生きている人が少なくてもおかしくない。だけど一人も生存者がいないのはおかしい気がする。手詰まりになり、坑山については諦めることにした。
ところがそれからしばらくしてからある時に俺は父に祖父の死因の真相を聞かされた。ずっと俺は心筋梗塞と教えられていたが実はそうではないらしい。祖父の死因は原因不明の不審死だったらしい。朝、祖母が部屋で息絶えている祖父を見つけたらしい。その時の祖父は尋常ではない形相であったらしい。目玉が飛び出すほど見開かれ、口もまた大きく開いて舌が飛び出していた。両手は髪を掴み、背は大きく反り返っていた。その異様な姿は祖母もあとから駆けつけた父や母を不安がらせた。さらに死因も不明であった。それゆえ当時子供だった俺には怖がらせないため心筋梗塞で亡くなったと嘘を教えたのだ。そこまでのことなら今の俺には別に驚くことはなかった。ただ、祖父が亡くなった時期に町の老人が相次いで同じ不審死が相次いだらしい。それには俺も驚いた。そしてそこには何かあるのではと勘ぐった。俺は祖父が亡くなる前に何か変わったことはないかと父に聞いた。しかし、これといって変わったことはなかったと言う。だが祖母が異変があったことを覚えていた。祖父が町内会の寄合で近所の人が昔の聖書を見つけ、それを皆で読みあい昔を懐かしんだと祖母は聞いていた。そしてその聖書はあの鉱山で流行った宗教の聖書であるらしかった。俺はその聖書を目にしてみたいと告げた。
祖母はそんな俺のために持ち主の家の者に連絡をとってくれて俺は例の聖書を手にすることができた。聖書は思っていたよりも薄かった。その聖書は本物というわけでなく写本というものだった。写本でもそうとう昔のものであるらしく表紙の文字はくすみ読めなかった。すると母がこの本をどこかで見たことがあるという。しかし、すぐに見間違いと感じて興味をなくしたようだ。俺は自室で真っ直ぐに聖書と向かい合う。梵字で書かれた聖書は得も知れぬ力を持ち、圧を放っている。なかなかページを捲る勇気が持てない。しかし、ここでじっとしているわけにはいかない。頬を叩き、目を細め、ページをゆっくり捲る。目を開き、中を確かめるも梵字で書かれていて読めなかった。それはタイトルを見たときから分かってはいた。理解できない梵字が並ぶ。意味は理解ないはずなのにイメージや本が持つ思念が流れ込む。恐怖が俺を襲う。さらに頭が重くなり、首や胸が締め付けられる。体が熱くなる。動悸も激しくなる。視界がぼんやりする。どうして読めもしないはずなのに、ただ見ているだけでこのような感覚が生まれるのか。さらに悪寒が走った。俺は早々にページを閉じ、すぐに返却した。
それから俺は悪夢を見るようになった。どのような悪夢かは思い出せない。ただいつも寝起きには恐怖を体験したという実感だけが残っていた。そして悪夢から覚めても俺の心は穏やかにならず、常に恐怖というものが纏わりつく。それのせいで日常にも支障をきたし、両親はそんな俺を鬱かなんかと思っていた。さすがに悪夢が原因とは両親には言えない。俺は恐怖心を打ち明けぬまま日常を過ごした。そんなえも知れぬ恐怖と戦うなか聖書の持ち主家族が変死したのを知った。一家全員が亡くなったので事件性の可能性がありと警察が動いた。しかし、警察は何も発見することなく、解決できずに迷宮入りとなった。俺にはなぜあの一家が全員亡くなったのか分かった。聖書だ。たぶん俺が古くさい聖書を借りたので一家の者たちはもの珍しさに中身を見たのだ。それで亡くなったのだ。きっと祖父もそうだったのだろう。いや、祖父だけではない。祖父世代の老人は皆、恐怖で亡くなったのだ。そんなことありえるのかと問われても俺にはそうとしか考えられない。これは味わったものにしかわからないだろう。恐怖がすぐそこにあるのだ。俺はもう駄目だろう。
しかし、諦めていたある日、急に恐怖が消えた。俺にとり憑いていた負の空気、そして体を竦めさせるどこから向けられているかわからない視線がかき消えていたのだ。それはまるで急に世界に一人残された気分でもあった。どういうことだろうか。持ち主の一家は亡くなったのにどうして俺は助かったのか。俺とあの一家の違いは何か。一つあるとしたら俺は坑山に入り、恐怖を経験したことか。それで恐怖に対して耐性でも生まれたのだろうか。だが、たったそれだけで本当に助かるのだろうか。しかし、考えても俺の知識ではそれ以上は何もわからない。だが今はそれでいい。これ以上踏み込んではいけない。もう忘れよう。触れてはいけないのだ。どうして助かったのかは、わからないが生きているならもうそれでいい。全ては俺の胸の内に封印しよう。これからの安寧のためにも。
しばらくして、母が急に思い出したかのように屋根裏部屋に入った。そして一冊の本を手にして戻ってきた。それは聖書だった。ただ品が違っていた。母の持つその梵字の聖書は丁重に装丁されていた。母が言うにはこの家の祖父が亡くなった時、実家の母から渡されたものだと言う。俺は聖書を手にしてページを捲った。やはり中は梵字で書かれていた。読むことはできなかったが写本と違い恐怖はなかった。もしかして俺が助かったのはこれのおかげなのだろう。短絡的に思われるかもしれないが、そうとしか考えられない。きっとこの聖書が負の力を相殺してくれたのだ。俺は聖書を母から聞いた元のあった屋根裏部屋へと戻した。
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