残滓 ①
反社の寺内から割の良い仕事があるとのことで絶対に怪しいと思いながらも中川はその仕事内容を聞いた。話を聞き終わって寺内からの誘いに中川は頷いた。それは確かに割の良い仕事であったからだ。内容は事故物件に数週間から一ヶ月ほど住むというもの。不動産業者は次に住む者、もしくは検討中の者には事故物件であるということを言わないといけない義務があるが次の次に住む者にはそれがない。つまり事故物件を売るときには一度誰かがバイトで住むというのがこの業界では当たり前のこと。普通の人なら断る話だがネットカフェ難民の中川にはこの上ない話であった。なんといっても住むだけで金が入るのだから。中川にとって幽霊なんてものは恐くもなかった。むしろ人間の方がよっぽど怖いものだ。この底辺の世界に住む中川はそれを身を持って知っている。
さっそく寺内の車で事故物件へと向かった。が、てっきり近くまで送ってもらえるのかと思っていたら少し離れたところで寺内は車を止め、中川に鍵と地図、食料費の入った封筒を乱暴に渡す。戸惑っていると寺内は急に苛立ちを持って中川を外へと追い出す。仕方なく中川は事故物件へと徒歩で向かう。地図には写真付きですぐに辿り着いた。ならここまで送ってもおかしくはないはず。そう疑問に思いながら中川は鍵で門扉を開き中へと入る。今日から住む事故物件は外から見てもわかる高級住宅だった。洋風な門扉、庭は広い人工芝。家も大きく威圧感があった。玄関扉を開くとこれまた広い玄関。玄関にはダンボール箱が一つ置かれている。その上にホッチキス束ねられた数枚のプリントがあり、一番上のプリントには丁寧に掃除しろという指示と利用の際の諸注意が書き殴られている。中川はダンボール箱を持ち上げる。意外とダンボール箱は重かった。両手が塞がっているので腰を使って取っ手を下げてドアを開き、リビングへ入る。家具はないと思っていたら家具が配置されていた。まるで人の住む家に間違って入った気分を中川は感じた。隣接してダイニングがあり、ダイニングテーブルはホコリもなく綺麗であった。中川はダイニングテーブルの上にダンボール箱を置き、自由になった肩を揉んだ。息を吐きリビングの高級ソファーに腰を下ろした。安物の武骨なスプリングソファーとは違うふかふかのソファーに中川は寝転び始めた。ガラスのローテーブルの上にテレビのリモコンがあり電源ボタンを押しテレビを点けた。プリントはいつも通りの内容だった。電気水道ガスは通っているので普通に暮らしてもよい。食器の使用許可する。部屋は汚してはいけない。また傷を付けるのも駄目だと。それから初日は掃除をしろ。家屋を調べ異変がないかチェックしろ。最終日は業者がきて家財を回収する。その後、部屋を掃除してから出ろと指示が書かれている。ダンボール箱を開けると洗剤、雑巾、消臭スプレー、ダニ避けスプレーにはたきが入っていた。どうしてこれだけで重いと感じたのか不思議だった。試しにもう一度ダンボール箱を持ってみると軽く、先程のような重みはなかった。重心がおかしかったから重く感じたろだろうか。
中川はまずプリントの指示通りに家屋のチェックを。こういう場合は窓が割れているか電線が切れているか等のチェックである。こういった一軒家は不法侵入、窃盗に狙われやすいからである。だがつい最近まで人の住んでいた気配がする。調べる必要性はあるのかと思われるが、それでも中川はきちんと家屋を調べることにする。まず一階の部屋から調べ始める。最初に今いる北側のリビング、ダイニング、そしてキッチンと。どこも問題はなかった。次に南側の応接室、和室、書庫、トイレ、更衣室、風呂場と調べ始めた。応接室はガラステーブルと黒革のソファーと棚。棚の上には剥製の動物が。和室は広く、畳を数えると16畳もあった。部屋の端には仏壇ようのスペースがあった。その後、書庫に向かうとき階段を見つけた。どうやら地下があるらしい。中川は好奇心が疼いたが我慢してまず書庫に入った。書庫には本はなく空の棚のみ。これらを本で埋めるなら一千冊は必要となるだろう。棚の他には学習机と椅子だけ。学習机の引き出しを調べると中はから。だが学習机には秘密のスペースがある。一番下の引き出しを取り外し、机の中を窺う。そこには本一冊分を隠すスペースが現れる。それは中川もよくいかがわしい本やDVDを隠すときに使っていたスペースである。そこから一冊の本が見つかった。だがお目当ての本はつまらない物であった。出てきたのは剣崎文芸集。中を見ると表題の通りただの文芸集であった。中川はぺらぺらっと捲った後、本を学習机の上に置き、次へと向かう。
トイレ、更衣室、風呂場も異変はない。そして中川は地下へ続く階段をはやる気持ちで下りる。地下は防音のある音楽室と細長い部屋、そしてミニシアタールームの三つの部屋がある。音楽室にはグランドピアノが一台。細長い部屋にはビリヤード台と奥にテーブルとソファー、グラスが置かれている棚が。全体的にバーのような薄暗い部屋。そして最後のミニシアタールーム。壁一面の大型スクリーンとオーディオ。スクリーン向きにソファーベッドと円形のミニテーブル。
地下の探索の後、二階に移動。二階は北側は寝室が四つ。どの部屋にもベッドが置かれている。そしてその部屋の中でとびきり広い寝室があり、ベッドもキングサイズ。中川はここを寝室に使おうと決めた。南側は空き部屋が四つ。ただある一つの部屋だけ鼻につく残り香があり、香に意識すると頭が少しぐらついた。どの空き部屋も緑色のカーテンのみであった。中川はカーテンを開き、一つ一つ窓をチェックする。どれも鍵がしっかりと掛けられていた。どの部屋もホコリもなく綺麗であった。
中川は小腹が空いたのでコンビニで冷凍食品とカップ酒を購入。近くにレンタルビデオショップがあり、準新作の洋画のDVDを五枚借りた。家に戻り、ダイニングへ。ダイニングの棚にはカップや皿があり、プリントには自由に使ってよいと書いてあるので棚から皿を取り出し冷凍チャーハンを盛る。最後にラップをかけようとしたらラップが見当たらなかった。仕方ないので中川はラップなしで冷凍チャーハンを温めた。温めている間、中川はラップがないならトイレットペーパーもないのではと思い、トイレットペーパーの有無を確かめるためトイレに。トイレットペーパーはあって中川は安堵した。その時、電子レンジの音が鳴り、中川はキッチンへと戻る。ミトンを手にはめてレンジからチャーハンが盛られた皿を取り出す。
夕食の後、中川はミニシアタールームで洋画を一本見ながらカップ酒を飲む。暇潰しにと書庫で見つけた剣崎文芸集も持ち込んだ。借りた洋画のDVDはつまらなく、すぐに飽きてしまったらしい。中川は暇潰しに持ってきた剣崎文芸集を適当に捲り、たまたま目に留まった詩を読み始める。内容はさっぱりだった。しばらくすると眠気に襲われ、意識を微睡みに委ねた。
目が覚めたというよりも、起こされたという感覚があった。いつもより早い時間に寝たからか、こんな夜更けに起きてしまったのだろう。中川は目を覚まし起き上がろうとしたが金縛りに遭い、動けなかった。このような経験は初めてだった。動けないまま天井を見る。染み一つない天井だが光加減で天井が揺れているように見える。揺れを見ていてなぜ光加減がと気づく。不思議に思うものの視線も体も動かせない。あれは本当に天井なのか。波のように揺れ続ける天井。見ている徐々に不安になってくる。揺れが大きくなり、陰影が顔の形になる。その様子を中川は息を飲んで見つめる。そして恐ろしいことに中川の顔になった。
驚き叫びそうになった時、とうとつに目が覚めた。中川はソファーから起き上がり、荒れた呼吸を整える。恐る恐る天井を見ると何のへんてつのないオフホワイトの天井であった。ということはさっきのは夢だったのだろうか。それにしては現実的だった。中川は一階のキッチンで水を飲むことにした。そこで昨日のチャーハンで使った皿、そしてカップをシンクへ置く。だがカップを使った記憶はなかった。中川はコーヒーや紅茶を飲む人間ではない。なら、一体だれが。中川は急いで家中の戸締まりを確認。しかし、どこも鍵は掛かっていた。たぶん記憶にないだけでカップを出して使用したのだろうと中川は自分にそう言い聞かせた。
大変な事実に気付いたのは昼食を買いに外へ出ようとした時だ。玄関のドアに鍵が掛かっていた。昨夜、掛けた覚えはなかった。鍵は内から掛けるか、鍵で掛けるかの方法しかないはず。鍵はポケットに入っている。それならば侵入者は中にいるのか。中川はもう一度部屋中をくまなく調べた。しかし、やはり誰もいない。これで安心したかと言えば嘘になる。謎は消えないし、なぜか人を探そうとすればするほど人の気配を感じる。勿論、それは恐怖からの錯覚だ。だが、不安は拭いきれない。
中川はスーパーで昼食だけでなく夕食の分も買った。夕食分は冷蔵庫に入れ、遅めの昼食を摂る。昼食はカップ麺と惣菜。お湯を沸かそうと鍋に水を入れようと蛇口を捻ると鉄臭い赤茶色の水が出た。それに中川は驚き、後退りした。どうやらそれは蛇口の錆らしい。中川は水が透明になってから鍋に水を入れた。
その日の夜、バスタブにお湯を入れようとしたときにも蛇口から錆が出た。中川は他にもシャワーや洗面所等、蛇口全てを捻り錆を出しきった。蛇口の中がこれほど錆び付くということは年季はあるということだろうか。それにしては家はホコリもなく綺麗である。一度誰かが掃除に来ていたのか。しかしそれだと蛇口の錆について知っているのでは。それともその時は水道は止まっていて知らなかったのか。
中川はその日はミニシアタールームではなくキングサイズのベッドのある寝室で寝た。
翌日、中川はすっきりとした目覚めで起きた。昨日のような金縛りには遭わなかった。朝が早かったので近くの喫茶店でモーニングを摂ることにした。客は中川一人だった。喫茶店のマスターから中川は今、自分が住んでいる事故物件のことを尋ねた。その際、自分が今住んでいることは伏せて。そのマスターからの情報によるとどうやらあの豪邸は外国人一家が住んでいて半年程前に一家心中をしたらしいという。さらにその息子が一家心中の前に短大でクラスメイトと共にどうやら立て籠ったあげく集団自殺をしたらしい。残念ながらマスターは短大の名は覚えていなかったが中川は家に帰ってすぐにスマホで検索した。短大で立て籠り集団自殺はそうそうあるわけではないのですぐにヒットした。短大の名は剣崎大学短期大学部。さらその短大を調べてみると短大ではあるが大学への編入を目的としているらしい。中川はその大学名を目にして首を傾げた。ここ最近で目にした名前だ。そして思い出したのか中川は大きく手を叩いた。足早にミニシアタールームに行き、テーブルに置かれている剣崎文芸集を手に取る。剣崎とはこの剣崎だった。調べるとどうやら剣崎大学の創立100周年記念で作られたものだという。その剣崎文芸集を捲くるとまたあの詩のページへと導かれる。よく目を凝らしてみるとそのページ端には皺があり、さらに左右のページ隙間も深く何度も開かれた跡のようである。中川は何かヒントはないかとページを捲り調べてみると最後のページに折り畳められた一枚のプリントが挟まれていた。プリントには詩が書かれている。それは剣崎文芸集の詩とどこか似ているような気がした。
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