十本山 ①

 私の地元には十本山参りという風習がある。この風習は十月十日に十本山の頂にある祠を参拝するという行事である。十本山は伝説によると十の山が重なり合って、そして一つの山が生まれたといわれる。十の頂はその時の名残りとか。イメージとしては山頂が凸凹した山を想像すれば良いだろう。十本と名を打っているが実際は九つの峰と一つの岳で十本となっている。

 十本山参りにはまず最初に東の琳開山の峰から反時計回りで尾根を伝い、北の猿獅子山、西の柿谷山、南の産音謳うぶねうたい山の順に回る。この北、西、南の山にはそれぞれには峰が二つ聳えて祠も二つずつある。産音謳山からは東には進まずに中央へ向かう。途中、中央には森が茂り、そこを抜けると中央の宝塔山までに聳える八つ目のポイントである浄水きよみず小山。そして中央に聳える宝塔山、最後にその宝塔山の峰の隣に聳える危険な岳である魔王岳の計十の祠を参るのが十本山参りである。

 この十本山参りは寺の住職である安寿和尚が長らく一人で執り行っていた。しかし、齢七十を過ぎ世代交代という運びとなった。だが、ここで安寿和尚には子も弟子もおらず十本山参りの継承者がいないという問題が浮上した。

 そこで一度、町内会にて代役の議論が行われた。しかし、町内会のメンバーは平均年齢が七十五歳であり一番若いものでも六十七歳であった。そう、どれもが安寿和尚と同年代であったのだ。

 さらにそのほとんどが登山の経験が浅かった。ゆえに町内会から若人会へと十本山参りの話が下りることになった。もともと肉体労働は若人会に任せるのが常だったので、実は十本山参りを議題するときには若人会に押し付ける算段をすでに考えていた。

 町内会から十本山参りの話が下りた時、若人会でもやっかいな案件がきたなと皆は内心そう思っていた。話し合いでは皆はなかなか口を開かないし、立候補する挙手もなかった。なぜならこういう地元風習系は一度誰かが引き受けると最初に引き受けた者が今後も担う傾向があるからである。勿論、順番制にするのも策だがこういう宗教系を毛嫌いする者が多く、内心できれば誰かに押し付けたいという運びにしたかった。

 そして話は難航した。最初にずる賢いことで知られる泉さんがハイキングを趣味とする能代さんを推したがハイキングと登山は違うと泉さんに反論。言い返され不機嫌になった泉さんは次に嫁がパワースポット巡りにはまり休日返上で付き合わされているという鶴岡さんに話を振った。これもまた寺社仏閣と登山は違うと一蹴。逆に鶴岡さんは泉さんに押し付けようとした。泉さんは上手く断る理由がないため子供のように嫌だと言い張った。

 議論は議論でなくなり、次第に過去を振り返る誹謗中傷の嵐になった。そして順番制にする者と阿弥陀くじで決めようとする者に別れた。

 長時間の議論の末、能代さんが地元消防団に助け舟を出そうと提案。後日、地元消防団を合わせての話し合いとなった。地元消防団は祭などにも手伝ってくれるので、もしかしたらと期待があった。

 消防団の長谷川さんは若人会の議論に同情して今年度は引き受けようと返事を寄越してくれたのだ。若人会の皆はほっと胸を撫で下ろし、長谷川さんに礼を述べた。

 まず十本山参りの前にコースの確認と練習を兼ねた登山が行われた。練習登山は三つに分けられて、長谷川さんと若人会のメンバーが参加することとなった。

 東の琳開山から北の猿獅子山を鶴岡さんと丸さん。西の柿谷山から南の産音謳山を池谷さんと私が。最後に中央の宝塔山と魔王岳を能代さんと泉さんに。もちろん長谷川さんは全てに参加となる。我々は長谷川さんの十本山参り当日のコンディションを考慮し、練習日はそれぞればらばらとすることにした。

 私は不満を持つ泉さんがきちんと練習に来るのか心配であった。けれども能代さんが色々と手を回して泉さんを練習登山に参加させた。

 だが、うまく事が進むなかで問題が発生した。中央、宝塔山の魔王岳に練習登山中に長谷川さんと泉さんが怪我をしたのだ。なんでも泉さんと能代さんが宝塔山登山後に口論になったのだ。長谷川さんが止めに入りその時に長谷川さんと泉さんが足を滑らせ、二人は崖にちかい坂を落ち、足を骨折。その口論の元となった原因は泉さんを練習に参加させるために能代さん奥さんを使い婦人会で泉さんの奥さんに旦那こと泉さんに練習に参加するように釘を刺したのだ。そのことが原因で口論となり、殴り合いこそはしなかったが服のつまみあいとなってしまい悲劇が起こったのだ。

 緊急で若人会を開き、代役を立てることとなった。そこで練習登山に参加し、かつ若いというだけで私が選ばれてしまった。辞退を申し込みたかったが能代さんに頭を下げられ、あの泉さんにも頼むと言われ断ることができなかった。

 当日の早朝、私は登山スタイルでスタート地点である琳開山麓の炎顎招安えんがくしょうあん寺に着いた。私はてっきりこの私用でかつ練習登山の際にも着用した登山着で登るつもりだったが町内会の皆が言うには専用の装束がありそれに着替えて参るようにと言われた。そして寺社内の一室で装束に着替えさせられた。装束はどう見ても修験僧の装束であった。そして供えの御神酒が入った瓢箪型の徳利、干し柿、スルメ、餅の入ったサックを渡され、そこに自分が持ってきた水筒とおにぎりの入ったパックを詰め込み私は登山口から登山を開始した。

 最初の琳開山は楽で登山口から真っ直ぐで緩やかな坂を登るだけであった。峰に鳥居がありその奥に祠がある。その祠にある杯に御神酒を注ぐ。そして次に供え物を。最後にお経を唱えて終わり。お経も短く、個人的にはお経というよりか呪文みたいと感じる。

 お経の終わりに耳に微かな音を感じた。自然のものとは違う何か意思のあるような音。私は気のせいと思い、次の猿獅子山へと向かった。猿獅子山までは尾根を伝い一本道。思い起こせば全てが一本道だといまさらながら気付き、私はこれは楽勝だなとたかをくくった。

 猿獅子山の峰に辿り、祠にお供えとお経を唱える。お経の終わりに私は先程と同じ音を感じ取った。それは先程よりも鮮明に。私は辺りを見渡した。しかし、人の影もなく私一人だけで物音は木枯らしだけであった。

 峰を下りると肩と呼ばれる平坦な道が続いた。私は道を進みながら先程から耳に微かに聞こえる音について考えた。山彦であろうか。山彦なら近くに人がいなくても聞こえるし音が小さくても別段におかしくもない。ただ、山彦なら山彦らしい人の声であるし、山彦ならエコーもある。聞こえた音は人の発するような声音でもなければエコーもなかった。

 そうこうしている内に次の峰に続く坂に差し掛かった。猿獅子山のもう一つの峰は小さい坂の上で私的には峰というよりか丘に近い感覚である。峰には鳥居もなく祠もないが阿弥陀像が一つ立っていた。そしてお供えの後にお経を唱えた。今度は耳に集中してみようと試みる。

 音は意思のある声のように聞こえる。ただ、それは日本語でもなく英語でもなかった。それは私の知る限り人の言語ではないような気がする。というと、カ行とサ行を同時に発音したようなものだったり、到底人が発音できないような音だったり、発声と同時に打楽器音な管弦音が後から微かに聞こえる。

 お経を読み終えて私はしばらくじっと立っていた。耳を澄ませて声に集中しようと。しかし、お経を読み終えたら謎の声は聞こえなくなった。後は、風の音のみが耳朶を打つ。

 私は次の柿谷山へ足を向けた。尾根を伝い、時折休憩を挟んで進んだ。西の柿谷山から南の産音謳山までは練習登山で登ったのでさしあたって気を使うようなことはなかった。柿谷山の祠の前で私はお供えをする前に周囲を警戒する。目を閉じ、耳を澄ませる。そうすれば何かが聞こえ、次こそは声の正体について判明するのではないかと思ったのだ。

 しかし、お経の前だからか何も異変な音は聞こえなかった。私はお供えをし、お経を読んだ。不思議と今度は声が聞こえなかった。私はお経を唱えながら辺りに視線を動かす。私以外誰もいない。目視する限り何もおかしなことはない。とうとうお経を読み終わり、私はどこかもやもやした気分であった。

 やはりあれは幻聴の類だったのであろうか。私は坂を下りながら山の外側へと目を向けた。雲のような灰色の霧が外側の森上空を覆いゆっくりとだがこちらに向かっていた。私は驚き霧がこちら側に辿り着く前に終わらせねばと足を早くした。

 西側の尾根は高く地肌が剥き出しで、崖の上を歩いている感覚であった。その尾根はまるで外側と内側を隔離する壁のようでもあった。西側の峰に辿り着いた私は着いてそうそう膝で呼吸をした。サックから水筒を取り出して水を飲み、額と首の汗を拭った。

 スマホで時間を確かめると昼の十二時五分前であった。山の外側に目を向けると霧はまだまだ遠く余裕があるように見えた。急いで着いたのは早計だったようだ。

 私はサックからおにぎりを取り出して昼食を取る。そして、おにぎり二つをすぐに平らげた後、私は祠にお供えをして立ち上がり、お経を読み始めた。

 お経を読み始めると背中から突き刺すような鋭い視線を感じた。もちろん私には背中に目があるわけでもない。なのに気配ではなく何かに見られているという不思議な感覚に襲われた。私はお経を読みながら後ろをおそるおそる振り替えって確認した。が、誰もいなかった。気のせいだと思い、前に向き直りお経を読み続ける。しかし、再度強い視線を感じた。今すぐ立ち去りたい欲求に私は駆られる。

 私は背中を震わせながらお経を読み続けた。読み終わった後、私は大きく息を吐き、唾を飲み、思いきってさっと後ろを振り返った。

 だが、何もなかった。

 眼下には外側の森とその上を覆いこちらへとゆっくり移動する灰色の雲のような霧だけである。私を窺うという存在は何もなかった。しかし、視線を感じるだけにしてはどうしてあれほどの恐怖を感じるのか。手はじっとり汗ばんでいた。私は迷いを拭おうと頭を振り、頬叩き気を引きしめなおした。


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