02 人生計画表
「……誕生日おめでとう、私」
朝起きると、私は14歳になっていた。
目覚ましのアラームが鳴る。どうやら少しだけ早く目覚めてしまったようだ。
寝癖頭のままリビングに向かうと、テーブルに封筒が置いてあった。
政府から届いた書類だ。
『人生計画表』
ホチキスでとめられた分厚い本を、ぼんやりと眺める。
○中学1年生の中間考査で65点を確保
○父親の転勤で中学2年生の夏休みに転校、中高一貫部に入りそのまま進学
○高等部で一学年上の先輩と付き合い、恋愛を経験
○大学の同級生と知り合い、卒業後に結婚
○子供2人を確保し、パートに勤めながら育児を両立
○子供が成人後、年金と仕送りで老後を静かに過ごす
それが国が定めた私の人生計画表だった。
***
登校。
7月──海辺の地域にある通学路を歩く。
漂ってくる海風は少し暖かい。
青い空。
白くさんさんと輝く海。
大気でかすむ町の向こう。
磯の匂い。
学校についた。
紺色の制服と白いスニーカーの生徒たちが校門に吸い寄せられていく。
海からの風が強く吹く中学校。塩害で錆だらけのこの場所で私たちは一日の多くを過ごす。
田舎町のこの学校では上履きというものは存在しない。
校内でも土足だから廊下では床用ワックスと土のにおいがする。
下駄箱がないこの学校ではどこでラブレターをねじこめばいいんだろう。
午前の授業は上の空で過ぎていった。
今朝届いた人生計画表のことで頭がいっぱいだったのだ。
──世界計画法。
ずいぶん昔にこの法案が可決されてから、世界の人間はコンピューターに設定された日常を生きることになった。
全世界でこの法律ができたおかげで犯罪や戦争はなくなり、AIにプログラムされた世界のなかで「人」という何十億もの歯車が噛み合って動いている。
それぞれが14歳になると人生計画表を渡される。
ある女子は中学を卒業したら私立の名門高校に通うらしい。
ある男子は市役所の公務員に、成績トップのあの子は財務事務次官の息子と結婚する予定となっている。
それぞれがプログラムされた歯車をズラさないように呼吸をしている。
14歳になった今日、私もその歯車の一つとなった。
あらかじめ用意されたレールを走るだけの私たちは、運命を約束された緩やかで意味のない時間を、ただひたすらに生きている。
放課後を告げるチャイムが鳴った。
ホームルームが終わると、起立、礼、さようなら。
「今夜の行動予定を確認しなきゃ」
私は手首に巻き付かれたデバイスのスイッチを入れた。
半透明のモニターが浮かび上がり、画面をピ、ピ、ピと指でタッチする。
○19:30 夕食
○20:30 課題に取り組む
○21:00~ 風呂、自由行動
○22:30 就寝
これも全部、国のコンピューターが決めた予定だった。
この通りに行動しないと、私たちは強制収容所に放り込まれてしまう。
「息苦しいなあ」
私は教室の窓から景色を見渡した。
もう夕日が沈みかけて街灯がちかちかと灯りをみせた。
西の空はまだ炎のように赤く燃えて、黒く染まったビル郡を焼いている。
その先で海に沈む太陽がきらきらとした水平線の輪郭を描いていた。
***
夕食を済ませると、予定通り学校の課題に取り組むことにした。
「やばい」
今夜やるはずの課題を学校に忘れてしまった。
……失態だ。
時計に目をやる──20:10。
走って学校まで10分、帰ってくるころにはちょうど20:30、ギリギリだ。
私は急いでスニーカーを履いて玄関を出る。
アスファルトを鳴らしながら夜の町を駆けた。
「はあ、はあ」
学校の前についた。
閉じられた校門の前に誰かが立っている。
そして、彼は街灯に照らされながら、こちらを振り向いた──。
白い髪。透き通るような瞳。制服姿。
今にも消えてしまいそうな、独特ともいえる雰囲気の彼をみて、私は思わず立ち尽くしていた。
「なに?」
彼は薄い唇でそう言った。
いつのまに距離を詰めていたんだろう。気が付くと私は30cmもないくらい顔を近づいていた。
「あっ……いや、学校に忘れ物して。早く取りいかないと今日の行動予定が崩れる」
「ふーん、大変だね。破ったら強制収容所だ」
そう、少しでもレールからはみ出したら私は世界の歯車から外れてしまう。
「ふふ」
彼は軽く笑った。
「きさま、何を笑っている!」
「いや、ごめん。おかしくてね」
「なにがおかしいのだ!!」
「運命が決まっているなんて馬鹿みたいじゃないか」
そうだ。
何かがおかしい。
「なら、私はどうすればいいんだっ!!」
この気持ちを、どうすればいいんだ。
中学生になったときに気付いた。
「この町は窮屈だっ!」
道も、世界も、生活も。
「自分の人生をぜんぶ他人が決めるなんておかしい!」
「そうだね」
彼は私の顔に手のひらをかざした。
「じゃあ──僕が君の運命を壊してあげる」
正確にいえば、かざしたのは私の顔ではなく、その背後の向こう。
振り向くと、夜の薄闇に紛れた大きな鉄塔があった。
「まずは、あの鉄塔から壊そうか」
その瞬間、鉄塔の電線がいくつもの火花を散らしながら弾けていった。
夜空に浮かぶ微かな花火だ。
すると、瞬く間に辺りの光が消えた。
まるでシャットダウンしたかのように町全体が夜の闇に包まれた。
……停電、した?
「え、えええっ!?」
こいつ、もしかして──超能力。
「デバイスを開いてごらん」
私は手首のデバイスのスイッチを入れる。
「あ」
今夜の行動予定表が、真っ白になっていた。
「これで今日は何もしなくて済むね」
彼は背中を向けて、その場から立ち去ろうとした。
「まて! おまえは何者だっ!」
足を止め、顔を向けると彼は言った。
「そうだね── 僕はコンピューターでいうところの、トロイの木馬かな」
***
家に帰ってから停電が復旧した後、私なりに調べてみることにした。
トロイの木馬──。
正体を偽って侵入し、システムの一部として潜伏、破壊活動を行う。
他に神話の中にも登場するけど、私の頭ではよくわからなかった。
私はふかふかのソファの上で本を広げていた。
紙のこすれる音。
電灯の明かりが落とす優しい影。
家は落ち着く。
あいつは……結局何者だったんだろう。
彼が手をかざしたあの瞬間、世界の歯車が大きくズレた。
おかげで久々の夜ふかしをこうして満喫している。
「あんた、そろそろ寝なさいよ」
台所で食器を洗っていたお母さんが呆れたように言った。
「今日の予定真っ白だし、別にいいじゃん」
「そんなこといって、勉強もしない、お母さんの手伝いもせず、ずっとだらだら」
「寝坊しなければそれでいいじゃん」
私は本を閉じた。
「お兄ちゃんを見習いなさいよ。あの子、計画表通りに猛勉強して良い大学入ったんだから」
「お兄ちゃんは関係ないじゃん!」
「あなた、もう中学生なんだから、しっかりしなさい」
中学生──。
「私もう寝る!」
薄闇の天井をぼんやりみていた。
──もう中学生なんだから
布団の中で、その言葉が何度もよぎっていた。
「……この世界はキライだ」
ふと、今日の夜のことを思い出していた。
白い髪。静かな佇まい。
透き通るような瞳。
そう、あの目だ──。
灰色の町。紺の制服。
黒い頭ばかりのこのモノクロの世界に、たったひとつ彼の瞳だけが激しく光をまき散らし色を灯している。
私はその瞳に吸い寄せられるように、顔を近づけていたのだ。
運命を変えることのできる能力。
また彼に会いたいと思った。
会ってどうしたいんだろう?
私は、彼に、自分の人生を──。
***
「……おはよう、私」
校舎にチャイムが鳴り響く。
休み時間に、学校の中をうろついて回った。
彼が来ていた制服──あれはうちの中学のものだ。
ならこの学校の生徒であることは間違いないだろう。
でも、名前知らなければ学年もクラスもわからない。
学校中の教室を走り回った私は、息を切らしながら彼の姿を探していた。
けれど、どこにもいなかった。
その日、夕食をすませると再び夜の学校に向かった。
深海のように染まる建物の影。
その影を踏みつけながら私は走った。
──いた。
いつもの校門前。
「トロイ!!」
「やあ。……その呼び方はどうなんだ?」
「じゃあ木馬!!」
「トロイでも木馬でもどっちでもいいけど」
「……や、やっぱり木馬はダメだ。なんだかえっちぃ響きだ」
て、勝手に赤くなって馬鹿みたいだ、私。
「それより汗だくだね。走ってきたの?」
「ああ、なんだか走ってばかりの一日だった気がする」
「今日の行動予定表はいいのかい?」
私は手元のデバイスを操作し、彼に見せつけた。
「見ろ! 今日は珍しく夕食後の予定はぜんぶ自由時間だ!」
今更だけど、私は彼が自転車を持ってきていることに気付いた。
「……今夜はどこかにでかけるのか?」
「うん、昨日無茶したせいで、あまりこの周辺に長くいられないんだ。海へ行こうと思う」
「私も連れてけ!」
***
彼は無言のままペダルを漕いでいた。
後ろの荷台に乗った私は、彼の腰に手を回して流れ行く夜の町並みを眺めていた。
まるで時間が止まっているかのように町は静かだ。
その中で、ペダルを漕ぐ音がただ無機質に響いている。
「そういえば、もう検査は受けたのかい?」
背中越しに伝わってくる声。
「ああ、14歳になる前に学校で受けた。なんだか妙な体験だったな」
「キミがこの世界の歯車に認められた証だ」
先日、性格検査を受けて人生をプログラムされた私。
噂によると、潜在意識や性格から犯罪を起こす可能性のある人間は、人格矯正プログラムに参加させられるんだという。
適正に落ちた人間は、この世界から“処分”されるらしい。
「AIが発達したこの世界。地震や雷、火山噴火、隕石の飛来まで予測できるようになったこの世の中、人間さえも機械で計算しようとしている」
そう呟く彼の背中に、私は横顔を押し付けた。
「私はこの世界がキライだ……」
周りの友達やクラスメイトは、この世界になんの疑問も抱かない。
物心ついたときから、自分の親が子をそう育てるようにまたプログラムされているから。
「私は変なのか……? 勉強をなまけることは変なのか? 兄妹に劣ることも変なのか? この世界に違和感を感じていることも、異常なのか?」
「異常じゃないさ」
「……」
「キミは何も変じゃない。何も変わっていない。むしろ変わったのは周りのほうだ。中学生になると別世界だ。学校も家もみんな変わっていく」
「……」
「たとえ変でもいいじゃないか。それがキミの特別な感性なんだから」
「……」
「それだけキミは特別なんだ」
「ぐう……」
視界が滲む。
押し当てている横顔からぬくもりが伝わってくる。
その温かさは、彼のもの? 頬を染めた私のもの?
「え、泣いてる感じ?」
「泣いてない。でも今、胸を締め付けるこの気持ちの正体はなんだ?」
目を逸らした先で、月が輝いていた。
「それはきっと、嬉しいって名前の感情だよ」
***
海の砂浜に二人で立っていた。
見上げた夜空に散りばめられたきらきらとした星の絨毯。
その中でたしかに浮かぶ青白い月が、広がる水平線を宝石のように照らしている。
波の引く音が気持ちいい。
夏の少し暖かい潮風にのって漂う磯のにおい。
「……ねえ」
「うん?」
「まだ、名前、聞いてない」
私たちは顔を合わせた。
「僕に名前はない。生まれたときから、親も兄弟も親戚もいない」
彼は今にもこの世界から消えてしまいそうだった。
「僕は噛み合わない歯車なんだ」
差し伸ばした手のひらから、見えない何かがこぼれ落ちていくのがわかった。
それはきっと彼の人生の中でかけがえのない大切なものなんだ。
彼の儚げな表情をみて、私はその手をぎゅっと握った。
「私たち、友達になろう」
手の温もり。どこか切なかった。
「楽しいことやつらいこと、分かち合って一緒に生きていこう」
きっと私たちはこれから先、ずっと一緒にはいられないのだと、感じた。
だから繋ぎ止めておくように、強く、強く、手を握りしめた。
「約束だぞっ!」
***
帰り道。
「ちょっと寄り道するよ」
そう言われて着いたのは夜の学校だった。
「校舎に忍び込むのか?」
「うん、この田舎町の学校は空いている窓も多いんだ。ほら、あそこ」
彼が指差した先に、空いている窓があった。
「肝試しみたいでわくわくするなあ!」
私は浮かれ気分で中に乗り込んだ。
「信じてないけど、夜の校舎は不気味で幽霊がでそうだな」
「……」
私の声は廊下に反響して返ってくる。
「来週から夏休みだ。友達になったことだし、色んなところに遊びに行こう!」
「……」
なんだか彼は静かだった。
無視でもされているのか?
お互い無言のまま、なぜだか屋上を目指していた。
馬鹿となんとやらは高いところが好きって理論なんだ。
屋上の扉をあけると、夜風が凄まじい勢いで入り込んできた。
「あるおとぎ話を知っているかい?」
「──?」
彼は月を指差した。
「僕たちはきっと、あの月の裏側からやってきたんだって話さ」
「そんなわけあるか、私はこの町で生まれこの町で育ったんだぞ」
そう言うと彼は少し微笑んだ。
「この星の人間は遥か昔に絶滅していて、僕たちは別の惑星で作られた機械人間なんだ」
「そんなばかな話が……。まあ言いたいことはわかる。私たちは人生さえもプログラムされて、まるで毎日が機械のような日々だからな」
校舎の屋上から見渡す海の景色はどこまでも続いていた。
「──ごめん」
彼は、いきなり謝りだした。
「再検査しろって言われたんだ」
「……え?」
「来週、この学校で行われる人格矯正プログラムに参加しろって、政府から通知がきた」
彼は前に歩き出して、屋上のタイルに影を伸ばした。
「でも僕は参加するつもりはない」
「……でも、そしたら“処分”されちゃうんだよ?」
「かまわない」
「かまわなくない!」
私は声を張り上げていた。
「あのプログラムに参加したら、僕は『僕』でなくなってしまう。だから──ごめん」
「……」
「夏休みの約束は、守れそうにない」
分かっていた。
彼と一緒にいることができないことくらい、なんとなく感じていた。
だって彼は、特別すぎるから。
「……私は大人になんかなりたくない」
自然と空に呟いていた。
「ないが人生計画表だ!! なにが世界の歯車だ!! 何が決められた運命だ!!」
身体中が熱くなっていた。
「こんな町、こんな学校、こんな世界、全部壊れてしまえばいいんだ!!!!」
そう、強く願った。
「……それが、キミの願う運命?」
「うん」
一筋の涙が、ほろりと落ちた。
「じゃあ、壊そうか」
彼は私に向けて手を差し伸ばした。
その背景に、大きな月が浮かんでいた。
「……どうやって?」
「僕は自分のことを世界に噛み合わない歯車と言ったね。つまりそれは、僕はこの世界のウィルスそのものなんだ」
「……ウィルス?」
「その力を、キミに託したいと思う」
私は彼の手を取っていた。
すると彼は──
片膝をついて、私の手の甲に優しくキスをした。
「──ありがとう。初めて友達ができたよ」
次の瞬間、大きな地震が起きた。
町全体が大きく揺れ、地割れを起こし、校舎を砕いていく。
「もう力は伝わったはずだ。僕はどっちみち長く生きられない。だから、世界の運命をキミに託すよ」
地面が崩れていく。
咄嗟に伸ばした手──届かなかった。
涙が溢れていく。
スローモーションのように崩れていく中で
涙の飛沫のひとつひとつが暗闇に光る月とふたりを逆さに映した。
「ありがとう──さようなら!!」
***
……。
…………。
私は病室のベッドで、テレビのニュースを見ていた。
ある町の学校周辺地域で、地震対策用に埋められた人工地盤が崩れたという。
プログラムの不具合が原因だと、ニュースキャスターは言っていた。
民家が崩れたり多くの被害が出たが、幸い死者は出なかったという。
「……」
私はこっそり病院を抜け出した。
向かった先は、崩落した一帯の地域。
大きな隕石が衝突したみたいに、何キロにも渡る窪みがあった。
そこにあった私の学校は、もうない。
そして彼も──もう居ない。
私は手首のデバイスを操作すると、人生計画表のフォルダを開いた。
そこに書かれていたはずの私の人生計画表は、真っ白になっていた。
最後に彼が与えてくれたもの──それは、私の自由そのもの。
彼が壊してくれた私の人生──壊してくれた私の運命。
自由を手に入れた私。
「あ」
ぽとりと、手首が落ちた。
アスファルトに落ちた手首は、ぢりぢりと青い火花を散らせて、日光を浴びていた。
落ちた手首を拾おうと腰をかがませたら、今度は右膝の関節が外れ、私の身体が傾いた。
──まだ治療の途中なんだったっけ。
あとで病院に戻ったら直して貰わないとなあ。
崩落した大きな窪みを覗き込む。
そこには瓦礫に混じって、無数の手や腕、足などのパーツが埋まっていた。
たぶん、被害を受けた人たちのモノだろう。
それを回収するロボットたちが、今日も忙しく働いていた。
私はその光景をみて、なんとなく彼が屋上で言っていたおとぎ話を思い出した。
『この星の人間は遥か昔に絶滅していて、僕たちは機械人間として別の場所からやってきた』
そんなわけがないか──と私はくすりと笑い、自分の手首を拾い上げた。
足を引きずりながら、病院に帰る道の途中で、手に入れた自由をどう謳歌しようかなんて考えていた。
その日は特別に日差しが強くて、夏の太陽に歓喜するような蝉の鳴き声が群青の空に響き渡っていた。
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