【短編集】100作品書くまで終われない

中村ケンイチ

01 「なんだ、このスイッチ?」

「なんだ、このスイッチ?」


少年は、森林の中であるスイッチボタンをみつけた。

銀色の細い棒に支えられて、白いボタンは夏の太陽をきらきらと反射させていた。


少年は村に帰ると、母親に「森のなかで変なスイッチを見つけた」と言った。

母親は優しくほほえみながら「そう」と返した。


母親は近所に住む知り合いに、息子が言っていたボタンの話をした。

その世間話は、またすぐ近所の人に伝わった。


最初は小さなウワサ程度だったが、村の人々にそのスイッチボタンの話は広まった。


そのスイッチボタンをひと目見てみたいと、森に村の住人が集まった。

何人かがボタンを押そうと手を差し伸ばすが、どうも押す勇気がなかった。

このボタンを押して何が起こるかわからないという不安があった。

誰もがその責任を取りたくなかった。


ウワサを聞きつけた怪しい宗教家が、森の中にやってきた。

「これは災いをもたらすスイッチだ。絶対に触れてはならん」

そう言い切った。


次第に村の外から色んな人間がやってきて、スイッチの周りを囲んだ。

ある大学の教授。有名な科学者。

目のきょろきょろした利権屋みたいなやつもいた。


「村長、ここを観光名所にしましょう」

「そんな、急に困りますよ」

「この村も賑わって、町まで往復できる道路も作られますよ」


村長はだいぶ悩んだが、村の発展のために決断した。


後日、業者がきて、辺りの森林をチェンソーでなぎ倒していった。

ショベルカーがやってきて土地を整地し、自然を平らにしていった。

スイッチを祀る大きなやしろができた。


観光客で賑わった村は大きく発展していった。

最寄りの無人駅が改築され、近所に大きなデパートができた。

村に住む人が増え始め、自治体の財布が潤い、子供が遊べるような公園をいくつも作った。


スイッチの存在は、村の人々をどんどん幸せにしていった。

同時に自然は破壊されて大きなビルがいくつも立った。


利権屋は約束通り、町までいく大きな道路を作った。

それと同時に、スイッチを押す権利をオークションにかけた。

100万円からスタートした。


もしかしたらあのスイッチは、過去に戻れるタイムマシンかもしれないと、誰かが言った。

けれどあのスイッチは、老いた身体を若返らせる魔法の道具かもしれないとも言った。


オークションの価格は100万から1000万へ。次第に膨らんでいき、10億まで上り詰めていった。

何か良い出来事がおきるのではないかと、スイッチの存在は人々を魅了し続けた。


ある日、立派なスーツを着た政治家がスイッチを視察しにきた。

あごに指をあて「ふむ」とつぶやくと、黒いリムジンに乗って帰っていった。


スイッチの存在は国会議事堂を騒がせた。

あらゆる政治家がスイッチのことを議論し、その話題はテレビのニュースや新聞の一面を飾った。


押すべきだ。

いや、押すべきではない。


大議論は海を超えて国際会議まで行き渡った。

あれは世界のどこかで核爆弾を破裂させるスイッチなのではないかと騒ぎ立てた。

スイッチのせいで経済は揺れ動き、小さな戦争まで起こるようになった。


あらゆる国の偉い人が集まる会議で

「あのスイッチは消し去るべきだ」

と結論を出した。



少年はずっと耳がうるさかった。

やけになって広場のやしろに向かうと、スイッチのカバーを外して、人差し指でボタンをぽちっと押した。


一瞬だけ空の色が反転したのを感じた。

まるで世界中の人々の記憶が、かき消されていくように。


けれど次の瞬間には空の色が広大な青に戻っていた。

そして少年は目の前のスイッチを見つめて、こう言った。



「なんだ、このスイッチ?」

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