第59話 カミングアウト

 

「えっ……俺じゃなく、真奈を?」


 笑顔でとんでもないことを口にした目の前の女の子を、俺は何を言っているかわからないという顔で見つめてしまう。

 引っ越しの時に俺に一目惚れしたのだと言ってから今の今までずっとアタックし続けてきたあれは、全部嘘だったってことか?


「そうです、あなたの妹さんの、伊勢川真奈ちゃんが、恋愛対象なんです。同性恋愛ですね!」


 つまり理瑠は男じゃなくて同性が好き……てことでいいのか? 今一度訊ねてみる。


「ええっと、すまない。いや、偏見があるわけじゃ無いぞ? だが、男の俺じゃなくて、女の真奈のことが好きなんだな?」


「はい、そうですよ。正確に言いますと、男とか女とか関係なく、人間としての真奈が好きなんです。これ、わかって貰えますかねー?」


 つまりは性別は関係なく、真奈という人間自体のことが好きということだろうか。


「すまない、俺は恋愛自体したことがないから……可愛い女の子とか見ると、おっ、と思うことはあるけれど。最近皆から積極的にアプローチされて、ようやくその恋愛というものを意識するようになったんだ」


 いわゆる恋愛オンチというやつなので、そんな埒外の概念を語られてもイマイチ理解できないのだ。言葉の意味はわかるが、何故そうなるのかわからない。


「そうなんですか……まあとにかく、そういうことですので!」


 と、それ以上は説明してくれないみたいだ。この場ではとりあえず、真奈のことが好きで俺のことは好きじゃないということを伝えたかったのだろう。


「えっと……俺はどうすれば?」


 今この場で伝えたということは、何か理由があるはずだ、と問う。いや、むしろあって欲しいとこちらが願っているのかも知れない。


「そうですねー。では私の今実行している計画をお話ししますね! 私は最初はお兄さんと真奈を遠ざけようとしたんです。そうすれば心もフリーになった真奈のことを貰えると思ったからですね。でも、うまく行かなかった。真奈がもっとお兄さんのことを好きになっちゃったんです……」


 と残念がる理瑠。


「なので、こうなれば今度は真奈とお兄さんをくっつけて、そこに私が混ざればいいと思ったんです。表向きはお兄さんが私と真奈の二人と同時に付き合って、そのうち真奈と私がくっつく。ね? こうすれば皆幸せじゃないですかー」


「……なるほど、つまり俺と真奈がくっついて、そこに理瑠も混ざって三人で暮らしたいと」


「はい、そのとーりです! 真奈の幸せは私の幸せ。皆でウィンウィンになりましょうー!」


 とはいうが、俺は真奈と恋仲になる気はない。何故ならば何度も言う通り実の兄妹だからだ。禁忌を犯してはならない。


「理瑠、すまないが俺は……」


「真奈が妹だから付き合えない、ってことですか?」


「え、そうだが、言う前に言われるとは」


「お兄さんの顔を見ていると大体わかりますよー。でもそれって、真奈は妹だからという生まれた時からずっと知らずうちに社会から強制されている関係性の捉え方と、自らの中にあるその社会で生活を送るにあたっては倫理観を大切にしなければならないという固定観念によるものですよね? お兄さん自身の本当の意思はどこにいったんですか? 心から真奈なんて所詮妹である、女ではないと思ってらっしゃるんですか?」


 と怒涛のまくしたてを披露する理瑠。


「あんだけ毎日のように"『お兄さん成分』の補給"だからとベタベタとくっつき、耳元で喘いだりしている女の子がいるのに、一切興奮もしなければ女として意識することもないと。真奈って結構な美少女だと思っていたんですが……鋼の意思をお持ちなのだというのであれば、私から言うことはもう何もありません。お兄さんは倫理とかそういうのは関係なく、妹という存在をそこから出すべきものではないと考えているということでしょうから」


「俺の意思……だと」


 何を言ってるんだ、真奈は妹当たり前じゃないか。父さんや母さんだって……あれ? じゃあ俺は何故妹とは付き合えないと思っているのだろう。


 理瑠の言う通り、社会が持ち得る空気があるから? 両親から口酸っぱく言われたから? 俺は俺として生まれたワケで、真奈は真奈として生まれたわけで。

 そこに兄や妹という関係を作らせているのは、周りの態度や教育によるものではないのかという指摘は、完全に否定することはできないのではないか?


 俺はいつから、真奈のことを真奈としてではなく妹として見るようになったのだろう。

『俺依存症』に罹ってからようやく、彼女も一人の意思を持つ人間で、自分の生き方や将来像を持っているのだということに気づき始めたくらいではないか?


 俺は、俺は『伊勢川真奈』のことを--


「あれ、何してるの伊導くん? もうみんな一通り見終わったよー」


「えっ……!?」


 頭の中で結論が出そうになった時、運が良いのか悪いのか、流湖が話しかけてきた。


「あ、ほんとうだ。お兄さん、そろそろ次のお店に行ったほうがよさそうですねー、よさそうなものはあとで買いに戻りましょう!」


「あ、ああ……?」


 今先ほどまでの理瑠はどこへ消えたのかと、生返事になってしまう。


「本当にどうしたの伊導くん、変だよ?」


「そうだよお兄ちゃん、そんな人生を否定された人みたいな顔して。どうせ理瑠に服のセンスでも弄られたんでしょ! 駄目だよ理瑠、お兄ちゃんのこと虐めたら!」


 真奈もやってきてすぐにそう言う。

 真奈、お兄ちゃんは今頭の中が大変なことになってるぞ。


「あはー、めんごめんご真奈っ!」


 理瑠が真奈に抱きつく。今まではただのスキンシップだと思っていたああいう行動も、実は好きな人に接触できて嬉しいなどと思っているのだろうか。


「じゃあ次いきましょー! あれ、阿玉先輩たちは?」


「ああ、霞と泰斗くんなら違うお店に行ったわよ。どうやら欲しい服が売ってるお店があるとかで、彼女にプレゼントしてあげるんだって」


「そうなんですか、アツアツですねー」


 俺は皆に続いてXYALAを出るが、足元が宙ぶらりんに浮いたまま置き場のないような感覚に襲われていた。





 そうしてその後は特にハプニングが起きることはなく、買い物も終わり、泰斗と霞とはお別れをしてアパートへ戻ってきた。


「ではまたですね! お兄さん、今度またゆっくりお話ししましょー」


「ああ、またな……」


 手を振る理瑠をみんなで送り出す。ゆっくりということは、まだまだ言うべきことがあるということなのだろうか? これ以上に驚きをもたらしてくれることなぞ有るのかと、今からその存在を考えるだけで頭が痛くなる。


「じゃあ二人も、私は一旦自宅に戻るから、何かあったら遠慮無しに言ってね〜」


「あ、うん、ありがとな流湖」


「はい、今日は楽しかったです、さようなら!」


「ばいばい〜!」


 と、家の中に入っていく流湖。


「お兄ちゃん、まだ夕方だから何かする?」


「え?」


 俺は目の前でそう問いかけてくる妹……『伊勢川真奈』の顔をじっと見つめる。


「ど、どうしたのお兄ちゃん……?」


「お兄ちゃん、か。そうだよな、俺は兄で、お前は妹。それ以上の何物でもないよな」


「どうしたの急に? そうだよ、私は生まれてから死ぬまで、お兄ちゃんの妹なのです! 今後はそういう方向で行くからって言ったはずだけど?」


 と可愛く首を傾げ、ポニーテールを揺らす。


「ははっ、そうだよな、何を悩むことがあるのか俺は。男と女としてなんて……そんな……」


 口に出して自らの今までの考えが間違っていないと再確認しようとした俺だが、理瑠の言葉がどうも頭に残ってしまい、何が正しいのか分からなくなってしまっていた。


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