第50話 美術部へGO その1(真奈視点)

 

 今日は10日水曜日、秋休み最終日。

 私は、流湖先輩に連れられて県立巻間高校へと向かっていた。


「今日は先生も来てくれるから、良かったら作品のレビューもして貰ったらいいかもね〜」


「いいんですか? やったっ」


 マギ高の美術部顧問、得田富佐子とくだふさこ先生は、その独特の作風で一気に話題になった新進気鋭の芸術家だ。

 何故高校の教師をやっているのかわからないくらい才能がある人だが、こうして出会う機会ができたという点では私にとってはラッキーではあるが。


「じゃあ行こっか〜」


 と、先輩と共に高校へ向かう。


 先輩は先日の一件でお兄ちゃんに対する気持ちを明らかに大きくしている。私も同じ人を好きな手前、恋のライバルではあるが、互いに正々堂々と戦いましょうとなっているのだが……多分、この人はそんなことは考えていないと思う。


 今の流湖先輩は、覚醒モードとでも呼ぼうか、どこか吹っ切れた様子だ。何をしでかすかわからない雰囲気を感じ、私としては要注意も要注意の状態となっている。


 確かに私には、お兄ちゃんと一緒に暮らしているというアドバンテージがあるから不公平かもしれない。しかし、先輩も一階の管理人室で寝泊りをし始めたのだ、状況としてはそこまで違うというわけではないだろう。


 だが一番の問題は、お兄ちゃん自身が恋人を作ろうとしないことだ。

 私の『伊導お兄ちゃんのことが好き好きすぎて脳がアヘアヘしちゃうのおおおおお病』のことを気にしてか、今は真奈の病気を治すことが一番大事だ、と言って譲らないのだ。正に押しても引いてもピクリともしない石像のような頑固さだ。


「真奈ちゃんは、いつ頃から絵を描いているの?」


「そうですね、正しく振り返ることは難しいですが、だいたい小学生くらいでしょうか?」


 嘘だ。本当は幼稚園の頃からよく絵を描いていた。その対象は勿論、お兄ちゃんだ。あの人と結婚して幸せそうに暮らす二人での絵などのシチュエーションや、出来るだけカッコよく描こうと似顔絵を練習したり、とにかく当時から私は絵に書くものは全て『伊勢川伊導』だったのだ。


 勿論、成長するに連れて他の絵も描くようになった。特に最近は、風景画に凝っている。だがその絵のどこかにいつもこっそりとお兄ちゃんを登場させているのは内緒だ。


「へえ、じゃあまだこれからだね〜。自慢するもんじゃないかもしれないけど、私は保育園の頃から絵がうまいって褒められてきて……でもお母さんが死んじゃってから、一時期は描けなくなったよ」


「あ、そ、そうなんですか……」


 先輩のお母様は、小学生を卒業する頃に轢き逃げに遭い、残念なことにこの世を去ってしまっている。


「そんな私を救ってくれたのが、先生の作品だったの」


「そうなんですか?」


「うん。先生の作品は、他の作家の作品とは全然違う、凄い勢いを感じたの」


「勢い、ですか」


 得田先生の作風は、現代社会をモチーフにした風刺画だ。しかし、ただの風刺画ではない。普通想像するような、ネガティブなものではなく、ポジティブな雰囲気のものなのだ。


 そこに存在するのは、人間の欲望。喜怒哀楽のみならず、あらゆる人が持ち得る欲望と感情を一気にぶちまけたようなもの。


 しかも先生のすごいところは、それが『絵』だけじゃないということだ。彫刻に陶芸、現代アート。噂では作詞作曲もできるという。つまり、万能でありながら器用貧乏ではない、正に本物の天才、才能の塊であるのだ。

 本人もまた、それを分かった上で己の力に押し潰されることなく引き出せているところも、高評価が下される所以だろう。


 しかし一番気になるのは、そんな人がここ数年で急に表に出て来たことなのだ。年齢は確か30代半ば。本人のプロフィールによると、それまでも普通に高校の教師をしていたらしい。こんな人がよく今まで世間に晒されることがなかったなと驚きを隠せないのが正直なところだ。


「私の負の感情を全てを呑み込んで咀嚼し表現してくれているような気がしたの。まるで私も作品の中にいるような錯覚にさえ陥ったわ。そうしてこう思った。やはり私には、芸術が必要なんだってね。見るのも、勿論作るのも。ふふっ、真面目な話しちゃってごめんね〜」


 とおちゃらけた方に謝ってくる。


「いえ、そうだったんですね。じゃあ得田先生が自分の進学した高校の美術部顧問だっていうことは知っていたんですか?」


「一応、有名だったからね。私が進学を決める頃には、学校もバレちゃっていたし。それでも先生は転勤することもさせられることも無かったから、こうしていま色々と学ぶことができているんだよ〜」


 転勤しなかった理由はわからないが、転勤させられなかった理由はおそらく知名度とか学校の評判とかそういう所謂"大人の事情"ってやつだろう。公立は数年毎のローテーションが組まれるというが、そこからあぶれたと言うわけだ。

 活躍しそうな子供を特待生として入学させるのに似ている。


「ではね、私たちは運が良かったということでしょう」


 勿論私だって、ぜひこの高校に入学して、先生から指導を受けてみたい。そうすればきっとさらなる高みに登ったお兄ちゃんを表現できるだろうから♡


「あ、着いたね〜、じゃあ取り敢えず事務のほうに受付しに行こうか。真奈ちゃんがくることは先生が予め話をつけておいてくれてるからすんなりと通れると思うよ」


「そうなんですね、後でお礼言わなきゃ」


 そうして先輩の言う通り、特に何か長いやり取りがあるわけでもなく、本人確認だけで終わり、そのまま美術室へ向かう。


「はい、着きました! ここが私たち美術部の部室です。入学したらよく来ることになると思うから、今のうちに場所覚えておいてもいいかもね〜」


 と言う先輩の横で、私は緊張から唾を飲み込む。

 やはり高校という私のまだ知らない空間にいるという違和感と、今から尊敬する先生に逢えるという期待と緊張がない混ぜになっている。


「はい、どうぞ〜」


 そうして中に入ると----なぜか田島先生がいた。


「え? 田島先生??」


「あれ、伊勢川さんですか。今日はどうしてここに?」


「先生こそ、私はここの見学に来たんです」


 田島先生は、いつかテレビ見た顔そのままの得田先生と何かお喋りをしていた。


「あ、お、お邪魔します!」


 私は驚きから挨拶をするのを忘れていたことに気が付き、慌てて頭を下げる。


「はい、ようこそ美術部へ〜!」


 部員たちは数人おり、中には増田先輩もいた。


「あ、真奈ちゃんっ、こんにちは!」


「こんにちは、増田先輩! 今日はよろしくお願いします」


 そして話を終えた得田先生から、私の軽い自己紹介がなされる。私もそれに補足する形で、部員の方々へこの高校に入りたい旨などを伝えた。


「へえ、この娘がね〜、あの伊勢川くんの妹さんかあ」


 と、得田先生はジロジロと私のことを観察する。テレビ等よりもリアルの方がずっと美人だ。

 うう、緊張する……


「先生、真奈ちゃんが可愛そうですよ! 取り敢えず、何か絵を描いてもらったら?」


「そうだな、そうしようか。じゃあ取り敢えず、お兄さんの絵でも」


「えっ」


「なんだ、嫌なのか? 折原からはお兄ちゃんっ子だと聞いているが。何もないよりも描きやすいものの方がいいだろう」


 な、なるほど。私の気持ちがバレているのかと思った。流石に流湖先輩達以外にバレたらまずいよね、しかもこのお兄ちゃんの学校なんだし……


「は、はい、では」


 とキャンバスを前に創作意欲を沸かせていると。




「お、来ているじゃん」




 え、蓮美先生!?



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