23 煎餅パーティー

「コタロウ……今日空いてる?」と、茶々丸が陰気にぼそり聞いてきたのは、帰り支度をしているときだった。

「え、何? 俺と遊びたい?」

 意外な相手に、驚いて聞き返す。

「あ、ひょっとして今日、誕生パーティー? いいよ、行くよ」

 慌てる茶々丸。

「ち、違うよ。誕生日じゃないし、パーティーもやらないよ。……なんだよ、ふつうに話しかけたらいけないのかよ……」

「用があるんなら、本題から言ってよ。早く帰りたいんだから」

 すでにリュックを背負い、あとは靴を履くだけの状態で琥太朗が急かす。茶々丸は口ごもりつつ続けた。

「……この間、うちの母さんが、遊びに来いって誘っただろ」

「ああ、うん。――行っていいの? そしたらみんなで――」

「だからあ! ……母さんはそのつもりなんだけど、俺は来てほしくないんだよ。うち、狭いし汚いし……」

「じゃ、何の話だよ」

 茶々丸は俯き、もごもご話し出す。

「だから、少しでもきれいにしたいんだけど……どうしたらいいかわからなくて……だって、よその家がどんななのか、知らないしさ……長屋の隣近所は同じようだし……でもみんなの家は違うと思うし……だから見本を知りたいって言うか……。それで思い出したんだけど、コタロウの親って、料理とか服の作り方とか、公民館でいろいろ教えてるだろ。それなら、家もきれいなのかなと思って。……きれいじゃないなら、それはそれで安心できるし……。だからその、つまり……コタロウんちに行ってみたいです」

 琥太朗は眉根を寄せて、三〇センチ上にある顔を見つめた。

「……本題『から』言えって、言っただろ? どこが悪いんだ? 耳か? 頭か? 両方か?」

 殴られる危険を感じて、一、二歩後ずさる茶々丸。

「……ごめん」

「まあいいよ。ちょうど今日、煎餅焼く日だから」

 途端に機嫌を直して快諾する。茶々丸のほうが戸惑う。

「……煎餅を焼く……とは?」

「うん。炭で焼くんだ。焼き立ては旨いよ」

「あ。……本当に焼くのか。何か、比喩かと思った……」

「来る?」

「う、うん……」

 こくこく頷く茶々丸。

 二人が下駄箱で靴を履いていると、いずみが近づいてきた。おずおずと琥太朗に声をかける。

「あの……」

「うん、何?」

 きっぱりした目を向けられて、躊躇するいずみ。

「本題から言ったほうがいいぞ」

 茶々丸がぼそっと呟く。決心したように頷く。

「……僕も、行っていい?」

「ああ、煎餅食べたい? いいよ」

 あっさり許可されて、ほっとしつつ、微妙に首を傾げるいずみ。かまわず煎餅の話を続ける琥太朗。

「たくさんあるからね。いつも焼いたら知り合いに配るんだけど――今日はたまちゃんと兄やんの分はなくなりそうだな。まあ平気だよ。そのうちまた、やるだろうし。――いつも醤油ダレ一種類なんだけど、今回は甘口と辛口二つ用意してたんだよね」

「そこの少年。――たち」

 玄関を出るか出ないかで、今度はエロスに呼び止められる。

「何?」

「今、靴を履く。待たれよ」

 そう言ってエロスは優雅な動作で下駄箱を開け、ロリータ風ラウンドトゥのストラップつきパンプスを、繊細な手つきで三和土たたきに置いた。

 待ちながら琥太朗がぼやく。

「――待てって言えば、待たせていいってことにはならないんだけどね」

「イライラするでない。短気は損気と言うではないか」

「もっともなんだけどさ、姉さんの立場で言うことじゃないよね」

「待たせた」

 追いつき、隣に立つ。

「で、何?」

「いや何、私も呼ばれようと思ってな」

 涼しい顔で答えるエロス。

 茶々丸がぱっと表情を明るくした。前に出る。

「いいよ! 来てよ! いやー、ラッキーだなー。エロス嬢みたいに可愛い子を呼べるなんて。他の奴らに嫉妬されちゃうなー」

「……俺の代わりに言ってくれてありがとう」

 心のこもらない礼を言う琥太朗。

 道中も、茶々丸はデレデレとエロスの太鼓持ちに徹していた。「きれい」「美人」といった、ありきたりな表現を繰り返して美貌を称える。

 うんざりした琥太朗が聞く。

「茶々丸って面食い?」

「え、うん、まあ」

「そうか。では私と同じだな」

 エロスの何気ない一言で黙った。身の程はわきまえているらしい。


 到着したのは、大きくはないものの小洒落た二階建ての洋風建築だった。門の前で、口を開けて見上げる茶々丸。

「はあ……」

「変わった家だな」

 表情は変えずにエロスも言う。周辺に古風な和風建築が多いなか、急角度の赤い屋根と純白の壁の取り合わせは特徴的だった。煙突らしき出っ張りもある。

「かっこいい……」

 いずみだけ、うっとりと呟く。

「古いし狭いけどね。――入って」

 門と植え込みで囲まれたなかに庭がある。ずんぐりした体型の男性が一人、大型のバーベキューコンロに炭を起こしていた。門が軋む音に振り返り、人のいい笑みを浮かべる。

「おお、お帰り。ずいぶんいるな。いらっしゃい」

「お父さん?」

 いずみが小さく聞く。

「ううん。裏に住んでる左之丞おじさん」

「ああ、棟梁って人か」と茶々丸が頷く。

 火箸の手を止めた左之丞は、小さな客人を順に見た。愛嬌のある丸い目を、まずいずみに向ける。

「坊やは謙三さんとこの末っ子だな。そういや琥太朗と同い年か。体が小さいって心配してたけど、琥太朗に比べると大きいやね。……んんん? その美人さんは?」

 ドレスを着た見慣れない美少女に驚き、食いつくように見る。

「この間来た転入生だよ」

「ほうほう、どちらからいらしたね。お母さんの名前は?」

 デレッと目尻を下げて聞く。

紗金しゃきんです。田舎から来ました」

 転入以来、初めて敬語を使った。見た目にふさわしい、いかにもお嬢様といった雰囲気に、同窓生たちは思わず無言で見つめた。

 左之丞はそれよりも、知り合いに該当する『紗金』がいないか、必死に首を捻っている。

「紗金かあ。鳥居町に多い名前だなあ。美人の代名詞みたいな名前だからな――勤めていたお店とか、わかるかい?」

「いえ。母とは会ったことがありません。父も知りません」

 そういう設定か――と納得する琥太朗の脇で、茶々丸は親近感の籠る眼差しを向けた。

「――あ、名前は何て言うんだい?」

 少し冷静になったところで、やっと本人の名前を聞く。

「エロスです」

 しばらく無言の間があった。

「何だって?」

「エロスです」

「――本当に?」

「弟はタナトスと言います」

 この補足情報で大抵の大人は「ああ」と納得する。左之丞はピンと来なかったらしく、「カタカナが好きなんだな」と中途半端に頷いた。

「まあ、うちも人のことは言えないから……」

 呟きを受けて、琥太朗が半笑いで三人に告知する。

「うちの両親、ジョージとアリスっていうんだ」

「おまえはコタロウなのに?」

 驚愕した茶々丸が大きい声を出す。

「おまえ、小さいときは金髪だったよな。なのにコタロウ? ジョンとかラッキーにしろよ」

「それ、犬の名前でしょ」

 左之丞が今度は茶々丸を見つめている。

「坊やは……どこの子だい? 見たことあるような、ないような……」

 聞かれたほうは急に照れたような、拗ねたような態度になり、声を小さくする。

「松子の子の茶々丸です。鳥居町の」

 左之丞は視線を中空に浮かせて、記憶を探った。棟梁だけあって、人脈は広い。

「松子。……お父さんの名前は?」

「…………伝助。知らないと思いますけど」

 さらに小声になる。

「伝助…………松…………。ああ」

 思い出したように頷いた。

「あのギター弾きの伝さんか」

 驚いたのは茶々丸だ。ぽかんとする。

「え……はい」

「そうだな。一五年か二〇年くらい前、流しでやってたんだ。歌謡曲からクラシックまで、何でもできる人だった。裏通りじゃ人気あったからな、そのうち誰かとくっついたとは聞いてた。……でも数年で、手を怪我したとかで、姿を見せなくなったんだ」

「あ……そう言えばそんなことを……」

魔窟あの辺の人間は凝り性だからな。一旦やり出すと、雑念なく集中するから恐ろしいよ。なかなか表には出ないが、アーティストとしては一流がごろごろいる。……うん、そうだ、伝さんは当時、人気のあるバンドから誘いがかかってたんだ。でも、約束ごとをするのが嫌だからって、結局受けなかった。魔窟あの辺の人は偏屈でいけねえ」

 そう言う左之丞はにこにこしている。茶々丸はしがらみから解放されたような、純粋な、泣き出しそうにも見える顔になった。

「もう焼けるの?」

 炭火を指して琥太朗が聞く。

「ああ、おまえが帰ってくるのを待ってたぞ」

「じゃあ行こ。紹介するよ」

 手で誘導する。エロスは普段通りの無表情、いずみはやや好奇心が勝る顔、茶々丸は緊張の顔つきになった。

 ドアに近づくと、中でクラシック音楽が流れているのがわかった。

 「おしゃれだなー」と戸惑い気味に茶々丸が呟くのと、「ただいまー」と琥太朗が開けるのが同時だった。音楽が大きくなる。

 それほど広くはない玄関ホールで、両親らしき男女が普段着のまま、ショパンに合わせてワルツを踊っていた。

「…………」

 茶々丸が顎をがくんと落とす。いずみは、夫婦の秘密を見てしまったかのように顔に手を当てて横を向いた。

「あ、おかえりー。いらっしゃい」

 有子アリスはかまわず、ターンをしながら挨拶した。

「ずいぶんいるわね。――みんな初めてかしら」

 動きの合間に言葉を発する。

 息子は簡単に三人を紹介した。三人には「あれ、両親」と、何でもないように紹介する。

 はっとして、顎を戻した茶々丸がいずみに聞く。

「うち、片親なんだけど、両方いるとこれがふつう?」

「そ、そんなこと、ないと思うよ……」

 エロスが冷静に聞く。

「なんで踊っているんだ?」

「えー? 踊りたいからでしょ? 運ぶの手伝ってよ」

 かまわず琥太朗は両親の横を通って奥へ行った。じきに煎餅の生地が並んだ大きなお盆を取ってくる。子どもたちは連携して、庭のバーベキューセットにお盆と、タレの入ったかめと、クーラーボックスを運んだ。

 途中、切りのいいところでダンスが終わった。タオルで汗を拭きながら爽やかに笑う二人は、色白のすらっとした美男美女だ。母親は琥太朗と同じく、ふんわりした茶髪と茶色い大きな瞳を持っていた。

 バーベキューコンロから少し離れたところに七輪を用意した左之丞が子どもたちを呼ぶ。

「みんなはこっちのほうが使いやすいだろ。そのテーブルの上にいろいろ揃ってるけど、足りないものがあれば勝手に台所に行って取ってきていいからな。遠慮しないで、うんと食べろよ」

 言葉通り、テーブルにはいろいろな調味料と具材が置かれていた。自家製の醤油ダレ二種類の他に、岩塩、胡椒、味噌、ソース、マヨネーズ、唐辛子、タバスコ、ラー油、バルサミコ酢、ざらめ、蜂蜜、ピーナッツバター、キャラメルソース、シナモン、きなこ、カレーパウダー、ガーリックパウダー、アーモンドパウダー、コンソメ、胡麻、ふりかけ、青のり、削り節などなどがある。とろけるチーズとツナマヨ、コーンマヨもタッパーに用意されていた。

「クーラーボックスにアイスもあるからね。バニラとチョコ」

 琥太朗の一言がだめ押しになる。食欲と創作意欲を刺激された子どもたちは、興奮と皿を抱えてテーブルと七輪を往復した。

 茶々丸といずみはまず、煎餅をわざと生焼けにしたり、焦がしたり、変な形にしたり、二枚まとめて焼いてみたりした。次に、極端に辛くしたり甘くしたりして遊んだ。

「これだから素人は……」

 呟く琥太朗は落ち着いている。小さな甕に自分専用のタレを用意すると、無駄のない動作で煎餅を焼き、漬け込んでぬれ煎餅作りに専念した。

 すぐに醤油味に飽きたらしいいずみは、素焼きした煎餅をカレーパウダーやきなこでまぶしたり、チーズとツナマヨをトッピングしたりと、新しい食べ方を模索し始めた。

 茶々丸はアイスが気に入ったらしい。醤油を焦がした上にのせてチョコソースをかけたり、バターを溶かした上にのせて蜂蜜を垂らしたり、ぬれ煎餅二枚で挟んだりして大いに楽しんだ。

 エロスは――素焼き煎餅をインスタント味噌汁に入れて、ふやかしたのを箸で食べていた。

 柔らかいほうがいいのならと、琥太朗がぬれ煎餅の作り方を教えたのだが、頑として受け付けない。

 何枚も食べないうちに、締めとしてゆず胡椒のを一枚作り、バニラアイスと緑茶と一緒に、寛ぎのティータイムを過ごし始めた。

 そのころ、大人のほうも盛り上がっていた。醤油の焦げる匂いに気づいた隣近所の人たちが、酒とつまみを手土産に集まったからだ。煎餅と並んで、スルメや鮭とばが炙られる。

「なんか狭くなってきたね。部屋行く?」

 扇を振りかざしながら腹躍りをするおじさんに絡まれた琥太朗が、戻ってきて言った。

「いいや、もう帰るよ」

 満足そうに腹を撫でながら茶々丸が答える。焼いたマシュマロを浮かべたコーヒーを飲んでいるいずみも、どこか眠そうだ。

「馳走になった」

 ドレス姿のエロスが、武士のように頭を下げる。

 きちんと片付けも済ませ、さて帰ろうかというところで、へべれけの左之丞が寄ってきた。

「一つお相手を」と、気取ってエロスに手を差し出す。スピーカーからバラードが流れていた。

「よしなよ、もう、酔っ払い……」

 迷惑顔の琥太朗が間に入るより先に、エロスは左之丞の手を取っていた。ごく自然に、それなりの動きでチークダンスを踊り出す。

 観客から起こる喝采。つられて他の人たちも立ち上がり、庭は即席のダンスホールになった。もちろん、ホスト夫妻もノリノリで踊り出す。

 少年たちは、ぽかんとしてそれを眺めた。


「いやー、おいしかったし、楽しかったねえ」

 帰り道、満腹の茶々丸が機嫌良く感想を述べた。

「参考になった?」と、いずみが聞いたのは、茶々丸の来訪の目的を知っていたからだ。

 問われて、はたと固まる茶々丸。

「……なってない……」

 途端にどんよりと肩を落とした。

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タニ 寺子屋の子どもたち 鏡りへい @30398

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