22 再開
「あー、いた」
「茶々!」
鳥居町の自宅は留守だった。ひょっとしたらと近場の別の寺子屋に向かう途中で、母親と一緒の茶々丸に行き会った。声を上げて駆け寄る。
茶々丸は辛気くさい顔で、迷惑そうに横を向いた。代わりに、よそ行きの着物に身を包んだ母親が、愛想よく応対する。
「あら、こんにちは。――コタロウちゃん、大変だったわね。怖い人に誘拐されたんですって? 無事でよかったわ」
茶々丸は機嫌悪く、小さな声で「何か用?」と尋ねた。
「あの、寺子屋休んでるから、大丈夫かと思って」
代表して亀屋小太郎が言う。
「……大丈夫って、何が」
さらに小さく不機嫌な声で返す。
「具合悪いんじゃないの?」
琥太朗がやや高い声で、母親のほうを見上げて聞いた。
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
平静な言い方からは、事情がわからない。
亀屋小太郎が一歩踏み込む。
「変な噂が立ったから、来づらいのかと思ったんだけど……」
不愉快さを全面に出して睨む茶々丸。
母親が「え?」という顔をする。「噂って、どんな?」
聞かれてたじろぐ三人。
しかたなく亀屋小太郎が「あの、お父さんのことで……ただの噂だけど……」と曖昧に答える。
「お父さんが鷹狩りだから? みんなそんなに気にしてるの?」
意外そうな母親。その表情に深刻さはない。
瞬間、息子が険しい顔で舌打ちをした。
「そうだよ」
言い捨ててすたすたと歩き出す。刺激しないよう、距離を取って追いかける三人。気を遣いながら話しかける。
「噂されたって、一瞬だよ。すぐにみんな飽きるよ」
「別に、ただの噂だって言えばいいんだし……」
「そうそう。反応しないのが一番だぞ」
そう言ったたま子を横目で見る。嫌みな笑みを口元に浮かべる。
「さすが、姉さんが言うと、説得力ありますね」
馬鹿にされたと感じて、むっとする亀屋小太郎。
「やっぱり、引き留めなくていいんじゃないか?」
たま子と琥太朗にこっそり言う。
たま子は同輩を無視して、茶々丸との距離を詰めた。
「人間性とか家庭環境に関係なくだな――おまえが一番、手先が器用なんだ。お化け桜の模型、おまえでなければあんなに完璧に再現できなかったと思う。おまえがいなくなるのは、模型チームとして損失だ」
意図を悟って加勢する亀屋小太郎。
「そ、そうだよ。完璧は言い過ぎだと思うけど、たしかに他の奴らよりかは上手いよ。いてくれないと困る。――人間性はともかく」
口のまずさに、琥太朗は思わず〈兄〉の尻を叩いた。
茶々丸はふて腐れた表情のまま、言葉でも態度でも返事をしない。曲がり角に差しかかったところで、不意に自宅とは反対方向へ曲がった。拒絶と感じて足を止める三人。
「――別の寺子屋に行ったら、お父さんのこと、言い触らしてやるからな!」
突然、琥太朗が怒り口調で叫んだ。驚いた年長二人に頭を叩かれる。
追いついた母親に、たま子がしおらしく言う。
「茶々丸くんに、明日は来るように伝えてください。彼はプロジェクトに必要な人なので、参加してもらえないと困るんです」
嬉しそうに微笑む母親。
「あらそうなの? あの子、寺子屋のこと何も話してくれないから、知らなかったのよ。こんなにお友だちがいるなんて。今度ぜひ、遊びに来てちょうだいね」
帰り道、亀屋小太郎がほんわかした表情を浮かべた。
「やさしそうな、いいお母さんだったな」
「そう?」「そう?」
冷静なたま子と琥太朗の声が重なった。
「え、な、何? 否定?」
「――『いい人』が必ずしも『いい親』とは限らないぞ、亀」
「――とりあえず、あの人、共感能力が乏しそうだよね。まあ、茶々丸があんな風に育ったっていうのが、すべてだけど」
琥太朗の分析に渋い顔で頷くたま子。「きょ、共感能力?」と戸惑う亀屋小太郎。
琥太朗は急に嫌なことを思い出した。亀屋小太郎に八つ当たりする。
「兄やんは自分の親があんまり、いい親じゃないって思ってるんでしょ。でも、兄やんは十分幸せだよ、他の人からしたら。いい家庭で育ったから、いい子に育ったんだよ」
「な、なんだよ、皮肉か? ……いい親って言ったら、おまえのほうがそうだろ。二人とも、やさしくて見た目もよくて、おしゃれな家に住んでて……理想じゃないか」
琥太朗もそう思っていた。昨日までは。
突然、無言で駆け出す。振り向かず「またね」と言い捨て、身を隠すように一番近くの角を曲がった。
反射的に追いかけようとした亀屋小太郎を、たま子が「いいよ」と止める。
「なんだよ」と苛立ちを吐いて、すぐに心配そうな顔になる亀屋小太郎。
「……なんか、まずいこと言ったかな。……あいつんち、けっこう複雑そうだもんな……」
少し黙り、たま子は「まあ、考えたってわからないさ」と返す。紫に染まり始めた空を見やり、皮肉っぽく、ぼそっと呟く。
「――いい親に育てられたからって、いい子に育つわけでもないしな……」
翌朝、三人はそれまでと同じように、道すがら合流しつつ寺子屋に向かった。たま子と亀屋小太郎は、可愛い〈弟〉が戻ってきたので嬉しかったが、当の琥太朗がひどく不機嫌なので、会話はほとんどなかった。
年長二人がこそこそ言い合う。
「……何があったと思う?」
「……あるはずないと思うんだけどな。あの親が、コタロウを叱ったりするか?」
「……叱られたくらいでタロウが落ち込むとも思えないしね」
気がかりの対象は他にもあった。茶々丸だ。今日は来るのだろうか……。
しかし先に到着した一行が気を揉むまでもなく、いつも通りの時刻に、いつもより陰気に、彼はやってきた。
敷居をまたいだ途端、気がついた子どもたちが、待望の玩具に群がるがごとく囃し立てる。
「来たぜ、鷹狩りの子が」
「道理で臭いと思った。臭い、臭い。息すんな」
「なんで寺子屋に来んの? どうせ鷹狩りになるんだから、勉強なんて必要ないだろ」
強ばった顔の口元を引き締めて、無視を決め込む茶々丸、
次の瞬間、琥太朗より二、三〇センチは背の高い少年たちが、次々に倒れ込んだ。
「蹴るぞ!」
極限に機嫌を悪くした琥太朗が後ろにいた。
「タロウ……今度からは蹴る前に言ってあげな、な……」
あたふたと逃げ出した少年たちは、座敷の端で成り行きを見守っていた職員に泣きつき、反対に説教をもらう羽目になった。
「ふん!」
暴行を咎めに来るかと、職員を睨む琥太朗。その頼もしい頬に、茶々丸が小さく「……ありがとう」と呟いた。
ゆっくり振り向く琥太朗。
「
やはり機嫌が悪い。
大っぴらに囃し立てる子はいなくなった代わりに、周囲からの冷たい視線は続いた。悪気などない、彼らは純粋に鷹狩りを嫌っているのだ。物心がつく前から周囲の大人に「鷹狩りのように働かず自堕落に生きるのは悪いこと」という価値観を植えつけられているのだから当然だ。
「……鷹狩りなんて、何も生産しないんだから、生きてる価値ないよな……」
茶々丸には聞こえないよう配慮したらしい年長の囁きが、たま子の耳に入った。話の相手も、こちらを気遣いながらそっと頷く。
「……いなくていいよな、言っちゃ悪いけど……」
記憶を辿るたま子の目が、一昨日の方角を見る。意識せず、翼ある言葉が漏れる。
「……死んでるように生きてきた……」
「ん、なんだ?」
隣にいたエロスが聞き返す。慌てて首を振るたま子。
「ほら、せっかく揃ったんだから、みんな座って」
亀屋小太郎がまとめた。俯いたきりの茶々丸も、尖りっぱなしの琥太朗も、ひとまず机を囲む。そこへ待ち構えていたかのように、むつみが温かいほうじ茶を差し入れた。
「それじゃあ、チームの再開を祝して」
のほほんとした笑顔での発言に従って、湯飲みで乾杯する一同。
内心、亀屋小太郎は茶々丸の表情を窺っていた。涙を堪えてはいるものの、寺子屋をやめるとは言い出す気配がない。あの母親が説得してくれたのか、琥太朗の脅しが効いたのか……。
「それで?」と最初に口を開いたのは、おとなしい彼にしては珍しく、好奇心を瞳に湛えたいずみだった。
「コタロウくん、何があったの?」
「あー……聞きたい?」
ほんの少し、面倒くさそうな琥太朗。マチは狭いので、ちょっとした事件が格好のゴシップネタになる。きっと、あることないこと虚実取り混ぜて、噂が伝わっているのだろう。
勿体つけるように一つ咳払いをして話し始める。だいたいは昨日たま子たちに語ったのと同じだが、よりソポスの存在を消すために「どうやら自分は気絶している間に幽体離脱をして、みんなの様子を見に行っていたらしい」という設定にした。
特にいずみが喜んだのは、琥太朗の家に来ていた亀屋小太郎の様子を、霊体の琥太朗が見ていた、という件だ。
「――急にドアが開くような音がしたんだよ。バンッて。そしたら二階からビューッって強い風が吹き込んでさ、部屋の中をワーッって揺らしたんだよ。もうみんなびっくりして大騒ぎ! てっきり――てっきりさあ」
興奮気味に語って、笑い出す亀屋小太郎。琥太朗が呆れ顔で続ける。
「適当なんだよ、兄やん。カレンダーが揺れたの見て――それ、兄やんからもらったやつなんだけど――『タロウ、これ気に入ってたから……』って、しんみり言うんだよ。そこまで気に入ってないよ、悪いけど」
顔を赤くして大笑いする亀屋小太郎。いずみもキャッキャ笑い、茶々丸も軽く吹き出した。
「――これを書いたのもおまえか?」
考え込んでいたエロスが、プリントを取り出して聞く。そこには子どもっぽい字で「おはよう」「怖いものはぜんぶ幻」とあった。
「あ、そうそう。書けば気づくかなと思ったんだけど――」
「やっぱり?」
さらに目を輝かせるいずみ。
「これ、気がついて、いつ書いたんだろう、不思議だねって、二人で言ってたんだよ。朝はなかったし、どっちの字でもないから。本当に――本当に、不思議なことってあるんだね」
感極まった口調。
微笑ましく見ていたたま子に「いずみは不思議な話が好きなんだな」と言われ、途端に頬を赤くする。
たま子はほっとした。茶々丸のことでチームの雰囲気が悪くなるかと心配したが、琥太朗のおかげで吹き飛んだ。
親は親、子は子だ。いくら親が問題のある人でも、それが子に直結するわけではないし、いくら子がまともに生きようとしていても――その親の子という世間のレッテルからは逃れられない。
それでも自分の居場所を見つけることができれば、それは救いだ。
いずみが艶やかで無垢な瞳を琥太朗に向けている。
「――コタロウくんて、本当すごいよね。強いし、しっかりしてるし、頭いいし、かっこいいし……憧れる」
それから恥ずかしそうに声を落として、こっそり続けた。
「……そんな人が、僕の友だちだったら……嬉しいんだけど」
琥太朗はそれに、今朝初めての笑顔で応じた。
――数日後、寺子屋では琥太朗についてのおかしな噂が広まっていた。誘拐されて行方不明になったのは自作自演で、注目を浴びたいがために仲間と口裏を合わせて幽体離脱の話まででっち上げた、というものだった――。
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