18 誘拐
「キャン!」
配給所を出ると突然、ポメラニアンが走ってジャンプをした。飛んでいた虫でも捕まえたのか、尾を振りながらくわえた何かを地面に押しつけている。
「どーした、きなこ?」
のんびり覗き込んだ琥太郎が、物体を見て青くなる。
「だだだだダメだよ、これ」
慌てて「虫」を放す。「虫」はよろよろしながらも、どうにか飛び立った。
「メリッサじゃないか」
気づいたたま子と亀屋小太郎も瞬間的に青ざめる。
体長四センチメートルほどのクマバチを模した飛翔体。それはナカマチの住人なら見知っている、ファミリーの監視カメラ搭載
三人はその場でしばらく見送った。傷ついたメリッサが、自分を攻撃した犯人を告発しに戻ってくるかと思ったのだ。しかし何事もなく、別のメリッサが気ままに肩を掠めて行った。
「大丈夫……か、な?」
ふう、と息を吐く三人。
「キャン!」
何を思うのか、当のきなこは「まかしとけ!」と言わんばかりにふわふわの尾を振っている。
「何てことすんのさ、もう」
拾い上げようとした琥太郎の手を、はしゃいだステップで器用にかわす。
「遊ばれてるな」と笑う亀屋小太郎。
「それにしても」とたま子が浮かない声を出す。「ずいぶんと多いな」
見上げる。意識して見れば、そこここで大きなクマバチが飛び交っていた。
「低いしね」
普段なら目線より上を飛んでいるのが、地面の近くにまでいる。
たま子は二人から顔を背けて、そっとため息を吐いた。ファミリーが警備を強化したのだ。きっかけは、はっきりしている。
「黒服もいる!」
琥太郎が小声で叫んだ。
「おお」と応じる亀屋小太郎。喜んでいる。
通りの先に二人連れがいるのを、たま子は嫌そうに見た。ファミリーの警備隊、通称『黒服組』と言えば、子どもたちにとっては「かっこいい」存在だ。しかし今日は遭遇するのが怖い。
「亀、菊兄のことがあっただろ」
やや不機嫌な声を出すたま子。
「ん? うん」
「嫌じゃないか、あれを見ると」
あれ、と顎で黒服を指す。
「え、別に? 悪いのは菊兄のほうなんだし……」
のんきに言った亀屋小太郎を、気づいて引っ張る琥太郎。
「そうだよ、兄やん、今日はあれ見たくないよ。あっち行こ」
ところが脇道に入ったところで、別の二人連れとばったり会った。
「ああ、こんにちは」
反射的に挨拶をする亀屋小太郎。一方でたま子は、反射的に下を向いていた。一人がそれを見咎める。
「――おまえ、ニケ党の――」
いかつい眉を顰めた男を、顔を上げたたま子は毅然と見つめ返した。
「おまえと呼ばれる道理はありませんが、ミスター?」
相手は一瞬、表情をさらに険しくした。すぐに態度を取り繕って紳士的に返す。
「これは失礼。……梓の子のおたま」
梓というのは育ての親の名前だ。実の母を亡くした後、ファミリー経由で預けられた。
「ええ、梓の子です」
おチカではなく、と言外に主張する。
声をかけたほうが先に、ふんと鼻を鳴らして行き過ぎた。もう一人が嫌みな笑いを投げかける。
「時期が悪い。疑われないように気をつけるんだな」
「はい」
澄まして返事をする。
声の届かない距離まで行ってから、亀屋小太郎が「はあッ」と息を吐いた。冷や汗をかいている。
「何もしてないのに疑われるんだね。ニケ党なんて、たま子は関係ないのに……」
「…………」
琥太郎とたま子はそれぞれ聞こえない振りをした。
「まあ、これなら変なのが近づいて来ないから、却って助かる……」
言葉の途中で、たま子の視線が何かに奪われた。そちらを振り向く琥太郎。
遠くに鳥居町の住人が見えるだけのようだが……。
「……あの、バイクの人……」
「え?」
よく見る。あまり体の大きくない作業員風の人が、店から出てスクーターに乗ろうとしている。
「アン!」
ポチが鳴きながら跳ねた。
「やっぱり?」とたま子。駆け出したポチを追う。
「あ、あの人が――」
「借りた人?」
琥太郎と亀屋小太郎も慌てて走り出す。
しかし相手は気づかず、どんどん遠ざかっていく。
「すいませーん。……ええと、誰だ」
走りながら呼びかけるたま子。聞こえる様子はない。ポチの足も、人よりは多少速いものの、スクーターには敵わない。
追いつくはずがないのは明白だった。焦った琥太郎は、無意識に「どうにかして止めないと」と思ったに違いない。
急にスクーターが停まった。人が降り、辺りを見回してすぐに、追いかけてくる子どもたちの存在に気がついた。追いつくのを待っている。
「アン!」
ポチが持ち主に飛びついた。キャッチした手が、つなぎのポケットにしまう。
「よ、よかった……」
息を切らしながらたま子が呟く。
ゴーグルを頭に着け、汚れたつなぎに身を包んだ一五歳くらいの少年は、面白そうに三人を眺めた。
「おめえじゃねえ……」
まずたま子を見て、口の中で言う。次に少年二人を見比べて、琥太郎に目を留めた。
「……おめえか、鬼っ子」
「え?」
予想していなかった琥太郎は、身構える暇もなく佐吉に捕まった。シャツの首をつかまれ、軽々と抱き上げられる。佐吉はそのままスクーターにまたがった。発進する。
「ちょちょちょ」
「誘拐!」
「キャン! キャン!」
取り残された亀屋小太郎とたま子ときなこが騒ぐ。
訳が分からない琥太郎に、たま子の叫び声が刺さった。
「そいつに捕まると殺される!」
「は? え?」
誘拐犯を見る。佐吉は口を開けてにやりと笑った。
「……おじさん、誰?」
鳥肌が立つと同時に勘が働いた。見た目は少年の佐吉を、おじさんと呼ぶ。相手は否定しなかった。
「俺ぁ、ジャンク屋佐吉だ」
「……ジャンク屋……」
思い出した。大人たちの会話に名前が出たことがある。なおせないものはないと評判の技術者兼医者だが、人と物の区別がつかないマッドサイエンティストだと……。
「あの、降ろしてください」
ひとまず、冷静に頼んでみる。
「いやだね。せっかく手に入った面白いもんを」
「…………」
琥太郎は呼吸を整えて目を閉じた。一秒後、地面から生えた六本の手がスクーターを押さえた。進行を妨げられた車輪が勢いで宙に浮く。
「ふん」
予想していたのか、佐吉は慌てず、琥太郎をげんこつで殴った。
「いてッ」
集中力を失い、ソポスの作用が消える。
「道具はいいが、おめえにゃ使いこなせねえよ。使えなきゃ、宝の持ち腐れだ」
「……知ってるの?」
「ああ。対処方法はわかってる」
またにやりと笑う。
動揺した琥太郎は、それ以上瞑想することができなかった。ソポスは万能だが、それを使う人間には弱点がある。いったん「できない」と思ってしまうと、そこから抜け出すのに時間がかかるのだ。
ソポスは本来、門外不出のはずで「悪い人に狙われるから」絶対に口外してはいけないと再三言われていた。その「悪い人」に初めて遭ってしまった。
スクーターは鳥居町を出て、琥太郎の家とは反対方向に進んだ。たま子たちはとっくに見えなくなっている。
「どこに行くの?」
不安に駆られて聞く。
「知ったって、何もいいことはねえぞ」
半笑いの返事が返ってくる。
琥太郎は黙った。まだ一〇年ちょっとしか生きていないが、いろんな人を見てきた。佐吉には感情にむらがない。自分が何かを言ったくらいでは、考えを変えることはないだろう。
怖さを自覚したとき、手首に軽い違和感が走った。
――あ、そうか。
今の精神状態では思う通りソポスを操ることはできない。けれど、強い恐怖を感じればグラウコンは暴走する。幸か不幸か、グラウコンはソポスのなかで一番暴走しやすい個体、という評判を持っていた。
切り札の存在に気づいた琥太郎は、ほんの少し余裕を取り戻した。
「……おじさん、昨日、鷹狩りに行った?」
「ああ」
「そこでたまちゃんと会ったんだね」
「たま? ああ、あのガキか」
「……あの、人形作ったのって、おじさん?」
「ああ」
「すごいね」
琥太郎は思わず目を輝かせた。油の染み込んだつなぎをつかんで見上げる。
「ああ」
しかし反応は素っ気ない。
「僕、ちょうど見てたんだよ。……ねえ、周一兄さんより、おじさんのほうが操るの、上手い?」
「どうだかな。俺はプレイヤーじゃねえ」
「ドクターだから?」
「いや、ただのジャンク屋だ」
急にスクーターが左に傾いた。投げ出されそうになり慌てる琥太郎。
ずいぶん荒っぽい運転――と思いきや、セダンがついて来ているのに気がついた。
スクーターが路地に入る。車は入って来られない。が、広い通りに出るとまた、別の車がどこからか現れる。そんな鬼ごっこが繰り返された。
「追っ手だ」
舌打ちした佐吉は、あけて広い通りに出てスピードを上げた。どんな改造が施されているのか、ぐんぐん加速するスクーターにセダンが引き離される。
たま子たちが黒服に通報したのだ――察した琥太郎は、車に向かってめいっぱい手を振った。
「こら、ガキ、暴れんな」
「助けてー。殺されるー」
「黙らねえと、今殺すぞ」
佐吉は琥太郎の襟首をつかむと、放り投げる振りをした。小さな体がぶらんと宙づりになる。
「ひえッ」
血の気が引く。スピードによる風圧と体の不安定感に加えて、追ってくる車の窓に銃を構える姿があったからだ。
間髪入れずに発砲する。一発目はスクーターの後輪に命中した。やはり改造されているのだろう、難なく弾き返される。二発目は警告のつもりか、佐吉と琥太郎の頭の間を通過した。
「あッぶッ」
思わず佐吉にしがみつく。これでは助けられる前に大怪我しかねない。
「おい、ガキ!」
金色の手に首回りを固定された佐吉が怒りの声を上げた。ハンドル操作を誤り、石垣に接触した反動で急旋回する。
腹立ち紛れに、佐吉は今度こそ琥太郎を放り投げた。
坂の途中だった。柵を超えて飛ばされた琥太郎は、自分が打ちつけられる砂利の地面を五メートル下に見た。
そして強い恐怖を覚えた。
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