17 配給所
亀屋金物店を出た三人は、ほとんど反射的に、いつも行く配給所に足を向けた。
道を歩き出してから、今日が特別な日であることを実感する。
通りの誰かが三人に気づくたび、顔をしかめたり、あるいは声に出して「変なこと考えるんじゃないよ」と言ってきたりしたからだ。
「ご親切にどうも」
大人っぽく皮肉で返す琥太朗。「おや、棟梁んとこのは安心だ」と急に態度を変える相手もいる。
まだ事情のわからない小さな子どもが、亀屋小太郎を見かけて「兄や」と駆け寄ってきた。慌てて止める母親。引きはがすように抱き上げながら、「よしよし。今日はダメよ。あのお姉ちゃんには近づかないでね」と一瞥をくれて逃げていく。
たま子と琥太郎は、同時に亀屋小太郎の腕を押さえた。彼はたま子のこととなるとすぐに熱くなる。
「今日は鳥居町にしない?」
琥太郎の提案はすんなり通った。一同は踵を返し、大鳥居に向かって足早に歩き出した。
周囲をお堀で囲まれた鳥居町は、マチで一番華やかな場所とされる。
しかしまだ昼過ぎとあって、大通りにも〈娘〉の姿はまばらだ。たまに行きかう〈娘〉も着飾った衣装ではなく普段着で、ちょっと用足しに行くだけらしい。客の姿もほとんどない。
「こうして見ると」
不意に大通りの真ん中でたま子が立ち止まった。目前に、鳥居町でも一番豪華なキャバレー『銀月楼』がある。
「昼間の花街ってのは、化粧をしていない遊女みたいだな」
頷く少年たち。夜はまばゆい電飾の効力で夢の国だが、日の下で見ると、古ぼけたテーマパークのように見えた。どことなく、長年の怨念も感じさせる。いくつかの悲喜劇は、子どもでも聞いたことがある。
「そういえば、兄やん、長介おじさんってどうなったの?」
連想して、歩きながら聞いた。
「ああ、ボクも気になるな」とたま子。
「長介おじさん?」
軽く吹きだす亀屋小太郎。
「おじさんねえ。……おじさん、骨董屋の跡を継ぐのを嫌がってただろ。自分は仲買じゃなくて職人になりたいんだって、うちの父さんとこにも修行に来てたけどさ、致命的に手先が不器用なんだよね。……で、おじさんが気に入った〈娘〉さん、四年かけて、口説かれたんだか、根負けしたんだか知らないけど、半年くらい前に、一緒になるって挨拶に来たんだよ」
「なんだ、うまくいったのか」
面白くなさそうな顔をするたま子。
「何度も振られてノイローゼ気味だったんじゃないのか」
「ま、うまくいったんだよ。でね、おじさんは骨董屋を継ぎたくないから、〈娘〉さんの実家に行ったんだよね。それが畜産農家で、人手が欲しかったからって歓迎されて、おじさんも動物好きだから、気に入っちゃってね、今も楽しくやってるらしいんだけどね」
「めでたし、めでたし?」
琥太郎の問いに亀屋小太郎が笑って首を振る。
「その〈娘〉さんはさ、やっぱりおじさんと同じで、実家を継ぎたくないから鳥居町に来てたらしいんだよ。それが、いったんはおじさんと実家に帰ったんだけど、やっぱり嫌で、逃げて来ちゃったんだよね」
「また鳥居町に?」
「ううん、おじさんち。――その〈娘〉さん、客商売得意だし、骨董品も好きだからって、おじさんちの仕事をすっかり覚えちゃってさ、今じゃおじさんの両親にすごい可愛がられてるよ」
「……ほう……」
たま子はどこか複雑な表情で、感想を言おうとして諦めた。
「よかったね」
琥太郎もそれ以外の言葉が思いつかなかった。
三人はなんとなく笑った。
「あ」
小物屋の前を通りかかったとき、たま子が大きな声を出した。目線の先に、玩具のガチャガチャがある。
「ああ、可愛いね」
見やった亀屋小太郎が言う。それは子犬を模した玩具のガチャガチャだった。
「やりたい?」
「やりたい!」
元気よく返事をしたのは琥太朗のほうだ。ラインナップにある秋田犬に目を奪われている。
「すいません」
店の奥に声をかける亀屋小太郎。座っていた老人は少年らを認めると、愛想よく「どうぞ」と言った。
最初に琥太朗が回した。
「秋田犬!」と気合いを込めての結果は、ポメラニアンだった。カプセルを開けるが早いか「キャン!」と高い声で鳴き、いきなり鬼ごっこを仕掛けてくる。
「こ、こら、待て」
機敏な琥太朗の手をすり抜けて、商品台の下に逃げ込んでしまう。
「おい、ずるいよ、そんなの」
「キャン!」
笑いながら次に亀屋小太郎が回した結果は、チャウチャウ。カプセルを開けたとき、それはぐっすりと眠り込んでいた。突っつかれて初めて辺りを見回し、あくびをしてから主人に気づいて、お座りをした。挨拶代わりにパタリと一回、尾を振ってみせる。
「おお、レアじゃないか」
ラインナップを見てたま子が褒める。
「たま子は?」
「ボクはいいんだ」
言いながら、持っていた柴犬を取り出す。
「この子を返してからじゃないと」
地面に置かれた柴犬は、座り込んでいたチャウチャウと鼻で挨拶をし、台の下から飛び出してきたポメラニアンとじゃれ合った。
「どうしたの、それ」
「ちょっと、人に借りて、返しそびれたんだ」
ちょうど三匹とも茶色だった。
ポメラニアンはきなこ、それより赤っぽいチャウチャウはあんこと名づけられた。
三人は三匹の玩具犬を従えて配給所に向かった。
「こんにちはー」
鍵がかかっていない引き戸を入って、それぞれに挨拶をする。すぐ横のカウンターには、いつものおばさんがいた。でっぷり太った体をパイプ椅子に落ち着けて、こちらに目もくれずに雑誌を読んでいる。
実のところ、見ていないようで恐ろしく細やかに観察をしているのだ。配給所の管理人は、マチの情報屋とも呼ばれるくらい、何でも知っているのが常だった。
「おばさん、ぬれ煎餅ある?」
「ないよ」
何気なく聞いた瞬間、用が済んでしまった。
「どうする? 別のとこ行く?」
「えー、せっかく来たんだから、ちょっと見ようよ」
亀屋小太郎の問いかけに、琥太郎がさっさと奥へ入っていく。
その配給所は、小さめの一戸建てを改築して造ってあった。古い木造住宅の内側に、背の高い金属製の商品棚が詰まっている。一番手前の食料品の棚を過ぎて、雑貨が並ぶコーナーへ行く。
たま子が追いついたとき、琥太郎はなぜか天井を見上げていた。
「前はさ、ここに階段があったよね」
唐突に言われて、たま子がきょとんとする。
「階段? いつの話?」
「ずっと前。造り変えてこうなったんだよね」
「そうなのか?」
たま子は、後から来た亀屋小太郎に聞いた。聞かれたほうは「ああ……」と遠い目をした。
「昔、工事をしてたっていうのは、なんとなく覚えてるな。でも小さいときだから、その前のことは……」
「あったよ」
後ろから大人の声がした。見ると珍しく、管理人のおばさんが大きな体を揺らして、にこにこと近づいて来ていた。
「よく覚えてるね、坊や。階段があったのは、坊やが一歳になる前だよ。二、三回、お母さんと来ただけなのに、覚えてたんだね」
「うん!」
褒められたと感じた琥太郎は、得意満面で返事をした。
眉間に皺を寄せたのは年長組のほうだ。
「なんで、覚えてたって、あっさり認めるんだ。ふつう疑わないか?」
「誰がいつ来たかって、本当よく覚えてるよね……」
不気味そうに管理人を見やる。
おばさんは反対に、胸を張った。
「この子は特別な子だって、最初からわかってたよ。人には見えないものが、この子には見えるのさ」
「はあ……」
言うだけ言うと、元の場所へ戻っていく。
「……特別って、金髪だったからじゃないか?」
たま子が訝しげに呟く。
琥太郎はすでに別のものに興味を移していた。
「ねえ、これ、新しい玩具かな」
無秩序に置かれた雑貨のなかから、目敏く玩具っぽいものを探し出す。それは、チェス駒のポーンかこけしをモチーフにしたような、五センチメートルほどの置物だった。全部で八つある。
「四対四で戦わせるとか?」
亀屋小太郎が覗き込む。しかしゲーム盤が見当たらない。
「――違う。ボードゲームじゃない」
説明書を見つけて読み始めた琥太郎が訂正する。
「……これ、一個一個が動くんだ」
棚を覗いて、何かを探す琥太郎。「あった」と白い手袋を取り出して着ける。説明書を広げ、駒の一つを床に置く。
「えーと、まず……」
手袋を着けた右手のひらを上にして、親指だけちょっと曲げてみせる。――駒が一センチほど宙に浮いた。
「おお、それがスイッチなのか?」
たま子が興味深く見つめる。
「うん、手袋がコントローラーなんだって。……で、前進は……」
人差し指を曲げて戻す。ゆっくり直進を始めた。さらにちょいちょいと人差し指を曲げると、スピードが上がる。
「壁にぶつかる!」
亀屋小太郎が叫んだ。
琥太郎は「あわわ」と中指を曲げたが、ゆっくりになるだけで止まりはしなかった。そのまま壁にぶつかるかと思いきや、直前でぴたりと停止した。
「おお、間に合った」
「ううん、今のは勝手に止まったんだよ。……たぶん、自動で回避行動を取るんだね」
説明書を見回しながら琥太郎が言う。
「ふうん……」
たま子はふと、何かが引っかかる顔をした。
琥太郎は駒を手前に来させたり、回転させたりした。ピョンとジャンプしたり、スライディングしたりもする。
「簡単?」と亀屋小太郎が聞く。
「ううん……」
唸る琥太郎。
「指を二本とか三本とか折るのもあるんだよね。動かしてて咄嗟に操作するのは、慣れないと難しいかも……」
「他の分は? 俺も……」
別の手袋を探す亀屋小太郎に「ないよ。全部で一セットなんだ」と説明する。
「全部? だって、どうやって?」
「右手が一体分のコントローラーで、左手が、どの駒を操作するかの切り替え装置なんだって」
「え、でも八体あるよ?」
「左手は、親指から薬指が一体目から四体目に対応してて、それ以上は指を折る回数を増やせばいいみたい。だから、人差し指を三回折れば十体目も操れるんだよ。ここにはないけど」
「理屈では、何体でも増やせるということか」
呟くたま子。ふと天井を仰ぐ。
「全部を一体ずつ操るわけ? 無理だよ」
亀屋小太郎が大袈裟に両手を上げてみせる。
「ううん、起動させるととりあえず全部、一体目と同じに動くように設定されてるんだって。……最初にどういう陣形にするかも、決めておけるみたい」
はっとしたようにたま子が聞く。
「それ、誰が作った?」
「誰? えーと……」
説明書をひっくり返す。
「……ゼウスって書いてある」
呆れた表情が琥太郎から全員に広がる。
「誰だ、その嘘つき」
「これ、そんな昔に作られたわけじゃないよね?」
「ゼウスがこんな玩具を作るとも思えないし……」
「でも」とたま子は、ちょこんとお座りした柴犬を見る。「ひょっとしたら、その人かもしれない」
「その犬を借りたの?」
「名前は?」
亀屋小太郎と琥太郎がそれぞれ聞く。たま子は顎に手を当てた。
「名前……覚えてないんだよな。しゅ……いや」
周一に聞けばわかるかも、と言いそうになってやめる。
「一応、聞いてみよっか。……すいません」
亀屋小太郎が管理人のおばさんに、玩具の制作者について質問する。しかし仲介人からまとめて仕入れているので、個別の品物についての詳細はわからないとの返事だった。
「これを作った人はわかる?」
琥太郎は、柴犬を乗せた手をカウンターに置いた。
「それは」と言いかけたおばさんが「ん?」と顔を近づける。
「それ……ガチャガチャのかい?」
「こっちはね」と、自分のポメラニアンを見せる。
「そうだろう。こっちのはちょっと違うね。似てるのはあるけど、違うメーカーのか、改造されたものだね」
「そうなの?」と見比べる亀屋小太郎に、琥太郎が頷く。
「持つと、重さが全然違うんだよ。だいぶ中身が違うんじゃないかな」
「こっちは」とたま子がポメラニアンのほうを指しながら聞く。「目がプロジェクターになってたりしますか?」
とんでもない、という風に手を振る管理人。
「そんな機能ないよ。子ども向けの玩具なんだから」
三人は礼を言って、配給所を後にした。
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