14 口火

 鷹狩りが集まって住む区域は、他のマチ人からは魔窟まくつと呼ばれていた。市街地ナカマチが住人同士の連携が強く、非常に衛生的なのに対して、魔窟は荒んでいる。

 まず、見た目が汚い。道路にはゴミや汚物や吐瀉物などが当たり前に放置されている。建物は古い上に手入れがされず、壊れた部分はそのままだ。

 加えて、臭い。ゴミの腐敗臭や年季の入った悪臭だけでなく、住人が放つすえた臭いのせいが大きい。

 鷹狩りは、特にこれといった仕事をしていない。おとなしく部屋に籠って趣味に没頭している人もいるが、多くは酒好きで、昼も夜もなく酔っぱらっては表をうろつき、おしゃべりやうたた寝を楽しんでいる。酒以外の人気の娯楽と言えば、薬物と博打。身だしなみに気を使ったり、風呂に入ったりといった習慣は廃れている。

 ニケ党の一行がまず目を留めたのは、雑居ビルの階段で足を放り出して寝ている男性だった。老人に見えるが、もじゃもじゃに生えた髭を剃れば意外と若いのかもしれない。

 大柄な辰五郎とボディスーツのフウ子がまず近づいた。

「……五〇がらみ、痩せ形、肝臓が少しくたびれてるくらいか」

 覗き込んだ辰五郎が値踏みする。軽く頷く佐吉。

「起きなよ、おっさん」

 言って、フウ子がバチンと鞭を鳴らした。音だけでは起きないので、荒っぽく脛を蹴る。

「う……う……?」

 目を覚ました男性が重いまぶたを開く。

「狩られる時間だよ」

 鋭い鞭の音が辺りに反響し、思わず身を竦めるたま子。しかし音は目覚ましに過ぎなかった。まだ無傷な男性が「そうかい……」とぎこちなく体を起こす。

「あーあ……」と大きく伸びをする。その口には歯が何本も残っていない。

「いや、いい夢を見た……」

 状況がわかっていないのか、微笑む男性。

 辰五郎がバズーカのようなものを向ける。

「観念しな」

 次の瞬間、予想より軽い音と共に網が飛び出した。空中で開き、見事に男性の全身を包む。

 辰五郎は漁でもするように、網の一端を持って男性を引きずった。「痛い、痛いって」と、抵抗というよりも、引きずられる不快感で体を浮かせる男性。

 途中から抱え上げた辰五郎が、それを乗ってきた車のトランクに放り込む。網で動きが取れないと安心しているのか、閉めずにまた魔窟に向かった。

「……どうするんだ?」

 おマキに問うたま子。わずかに痛ましげな表情で答えが返ってくる。

「あの人はパーツ屋なんだよ」

「パーツ屋?」

「分解して再利用するのさ、物でも人でも」

 おマキはそれ以上の説明を拒んだ。よくわからないなりに青くなるたま子。

 一行が車から離れたタイミングを見計らって、男性のもとへ行く。トランクの中でちょうどよく寝転がれたらしい男性は、夜空を見て鼻唄を歌っていた。今日飲んだ酒と、もっと年季の入った体臭との混同に鼻を押さえつつ、たま子が呼びかける。

「大丈夫? おじさん」

「おーぅ。今はどうってことないなあ」

 歯の少ない口から、陽気な返答がある。

「……捕まったの、わかる?」

「おーぅ。俺は狩られたんだなあ」

「……殺されちゃうよ」

「おーぅ。わかってらあ」

 ……本当にわかっているのだろうか。

「逃げようとは思わない?」

「なんでぇ」

「なんでって……。怖くない?」

「そりゃ、考えりゃ怖いなあ。でもおまえ、逃げる場所なんか、あるもんかい」

「……とりあえず、ここから出るとか」

 男性は笑った。やっとたま子の顔を見る。

「心配してくれてありがとうな、お嬢ちゃん。でも気にすんねえ。この世もあの世も、全部おんなしだ。あると思えばある、ないと思えばない」

「……そんなことないよ」

「いや、気にすんなって。俺にとってはあの世もこの世もおんなしよ。今まで死んでるように生きてきた。死んだって、今まで通り楽しく生きていけらあね」

「……わかんない」

 男性は再度笑った。心から楽しそうな笑顔だった。

「幸せな人生だった。最後に人の役に立てるんなら、なお良しだあ」

 そしてお気に入りらしい歌の続きを歌う。

 たま子は諦めて車を離れた。

 と、すぐそこに佐吉がいることに気づいて冷や汗をかく。

 佐吉は小柄な体をさらに屈めて、下から覗き込むようにたま子を見た。その顔にはからかいの笑みが浮かんでいる。

「気が済んだかい」

「……何が」

 体勢を直して、大人っぽく言う少年。

「ある人たちに言わせるとな、ここは地上のユートピアだってよ。怖いもんが何もねえ。死ぬのもな」

「……酒と薬で麻痺してるだけでしょ」

「いいじゃねえか。幸せなんてもんは、所詮そいつの主観なんだぜ。おめえの幸せだって、誰かと同じじゃねえだろ」

「もちろん」

 これには自信をもって断言するたま子。

「じゃあその幸せが叶ったと思いねえ。自分じゃあそれが現実だと思ってる。でも他人から見ると、おめえはただ眠ってるだけだ。で、目が覚めることなく死んでいく。おめえは幸せじゃあねえかい?」

 たま子はちょっと考えた。

「……つまり、幸せな夢から覚めないまま死ぬってこと?」

「そうよ。おめえがそれを夢だと気づくことはねえ」

「それは……『幸せに感じる』けど、『本当は』幸せじゃない、ってことでしょ」

 佐吉はくっくっくと喉で笑った。

「『本当』って何だい。『本当』なんてもんがあると思ってんのかい」

「ある……よ」

 首を傾げつつも肯定する。佐吉は反論する代わりに喉で笑いながら、魔窟のほうへ歩き去った。

 思わず立ち止まったまま見つめるたま子。その足に、小さな感触が触れる。見ると手のひらサイズの柴犬が、後を追えとばかりに立ち上がっていた。

「うん……行こうか、ポチ」

 まだ逃げ帰るわけにはいかない。


 次のターゲットは、道を千鳥足で横断している人だった。どっちへ行きたいのか、片側から片側へ渡っては、また反対側へ戻っていく。

「少しは抵抗してもらわないと、面白くないわよねえ」

 唇を舐めながら呟くフウ子。辰五郎が頷く。

「我々のトレーニングになりませんからね」

 優等生の口調で自分たちの行為を正当化する周一。

「トレーニングって?」

 追いついたたま子は、最初からそこにいた振りでおマキに聞く。

「武器のだよ。銃の撃ち方一つだって、練習しなきゃ覚えられないだろ」

 ふらふら歩いていた人が、躓いてよろけた。倒れかかったのを、下側からビシン、とフウ子の鞭が打つ。

「……がッ……」

 今度の獲物は、驚いて狙撃主を見た。恐怖と怒りに見開かれる目。

 よろけつつも、その体は薄明かりの灯った建物の戸に、意図的にぶつかった。必死で「おい」と声を振り絞る。

 二度三度、鞭が唸りを上げる。「ひッ、ひッ」という短い悲鳴、皮膚や服に亀裂が入る音、飛び散る血痕。

 戸にも当たった。ガシン、と大きな衝撃音になる。

 その内側から、不穏な顔つきで数人が出てきた。中は飲み屋だったらしい。

「また来やがったな」

 先頭のいかつい男性が気炎を吐く。いったん引っ込んだと思うと、開いた戸からグラスやお猪口、皿や酒瓶が投げられる。

 次いで、白い煙が勢いよく噴射された。直撃を免れたたま子はそれが消火器とわかったが、運の悪い菊之進は逃げようとして倒れ、視界を奪われてもがいている。そこへフライパンを構えた最初の男性が戻ってきた。

 殴られる、と竦み上がるたま子。現実にはフウ子の鞭が一瞬早く、フライパン共々酔客を打ち倒した。

 バズーカが放たれる。前方にいた数人が網を被って地面に縫いつけられた。

「お、いいぞ、若いんがいる」

 佐吉の嬉しそうな声。

 しかし反撃は終わらなかった。倒れた人の頭上を、連続で銃弾が通過した。

「うわッ」

 初めて撃たれそうになり、慌てて逃げるたま子。ところが脚が震えて、思うように距離を稼げない。

 助けたのはトカゲ少年だった。小さな体で軽々と支え、安全な位置まで避難させる。

 そこから見た光景は、銃撃戦だった。酔いか怒りのせいで真っ赤な顔の男性が仁王立ちでマシンガンを放ち、周一、おマキ、フウ子、辰五郎の四人がばらけてハンドガンで応戦している。

 じきにマシンガンの対象が辰五郎に定められた。と、後ろのほうにいた菊之進が飛び出して、こちらもマシンガンを放った。

 飛び出たのは銃弾ではなく、大量に発煙する爆竹だった。たちまちに辺りが音と煙と火花で包まれる。

 離れていたたま子は、周辺に人の気配を感じ始めた。誰も大騒ぎはしない。しかし騒動に気づいて外を確認したり、誰かと話したりしているようだ。

 きっとそのうちにファミリーの黒服組が駆けつけるだろう。少し安堵する。

「アン!」

 玩具の柴犬が鳴いた。「逃げろ」と言っているようだ。気づけば佐吉と辰五郎がさっさと駆け出している。

「終わりか……」

 ほっとする間もなく、ぐん、と腕を引かれる。トカゲ少年だ。誘導されるまま、たま子もその場から逃げ出した。

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