13 鷹狩り
家族と食事を取り、風呂も済ませた琥太朗が自分の部屋に下がろうとしたのは、まだ夜九時前だった。
「もう寝るの?」
観ていたテレビが終わる前だったので、母親が不思議がって聞いてきた。
「うん。――今日ちょっと、研究所で疲れたから」
その答えに納得する母親。体の小さい我が子を抱き締める。
「寝冷えしないようにね。おやすみ」
「おやすみなさい」
父親とも同じ挨拶をして、部屋に向かった。
戸を閉めるなり、パジャマを普段着に着替え始める琥太朗。フードつきの黒いロングコートとソポスを身につけ、小さめのリュックを背負う。ベッドには自分の身代わりを仕込み、ソポスの力を借りて庭に瞬間移動する。下草の上に靴下で立った彼は、自分の靴をイメージして出す。準備完了だ。
『ソポスを濫用したら、取り上げるわよ』
みち子の警告が頭の中で聞こえたのは、せめてもの良心だろう。「わかってるよ」と返して、悪行を続ける。「見つからなきゃいい」。
道に出る。ひと気はない。おおよそ人通りのありそうな場所は把握しているので、そこまでソポスの力を借りて走る。
瞬間移動でなく走るほうを選んだのは、そのほうがまだ、人に遭遇した際のリスクを減らせると思ったからだ。走っているなら前方に人を見つけた時点で回避ができる。そのため、視力を通常の倍以上に上げ、時速四五キロメートルほどで夜の街を駆け抜けた。
ニケ党が鷹狩りに行くという場所は、おおよそ見当がついた。南区に近い一画だろう。その辺りはよくドンパチが起きるので、ホットスポットとしてファミリーに指定されていた。
鷹狩りという言葉には二つの意味がある。
一つは、昔、鷹狩りや狩猟を生業にしていた村の出身者、という意味だ。
マチの住人は、一つの地域から来たわけではない。都会出身者も少数いれば、大半は地元の農村出身者だ。そのなかで個人主義が強い鷹狩りは、その他の地域出身の人たちと価値観が合わなかった。結果、自分たちだけの享楽的なコミュニティを作り上げ、他の地域出身の人たちからは自堕落だと疎まれるようになった。
もう一つは、その鷹狩りの人たちを狩りに行く行為を指す。
ファミリーはニケ党を愚連隊と呼ぶ。不良の集まりだと。当のニケ党は自分たちを正義と呼ぶ。正義だから、悪者を征伐しないといけないらしい。偉そうにマチを管理したがるファミリーや、自堕落な鷹狩りの人たちなんかを。
琥太朗には正義も悪も関係ない。ただ気づいたのだ。刺激的な環境でこそ、新たなソポスの使い方が思い浮かぶことに。
そのころ、周一は黒いセダンのハンドルを握っていた。隣には菊之進が座っている。後部座席には四〇歳くらいの女性と、なぜか、たま子の姿があった。
「やっとその気になってくれて嬉しいよ」
肩につくくらいの髪を地味な和服の肩に下ろした女性は、言葉通りの表情で背の高い少女を見る。その目はまるで、生き別れになっていた自分の娘を慈しむようだった。
「別に、そんなんじゃない」
前を向いたままのたま子は無愛想に答えた。こちらは厚手のパーカーにワークパンツという、普段通りの洋装だ。
「無理しなくていいんだよ。あんたの気持ちはよくわかってる。もちろん、あんたの立場もね。だからあたしらも、無理に誘うことはできなかったのさ。でも……」
一旦言葉を切って、眼差しに力を込める女性。
「おチカ……あんたの母さんの仇は、絶対に討ってやるからね」
ふう、と軽くため息を吐くたま子。女性に目を向ける。
「何度も言うようだけど、おマキさん、ボクは……別にそんなことを――」
「大丈夫だよ」と大きな声で遮るおマキ。
「あんたは何も心配いらない。あんたは自分の手を汚す必要なんてないんだよ。ただ、あたしらの御旗になってほしいのさ」
「組織にはアイコンが必要ですからね」
運転席から柔和な声が届く。
「でもおマキさん、いきなりそんなことを言っても、戸惑うだけですよ。たま子ちゃんはまだ、繊細な少女なんですから。あまりプレッシャーを与えては……」
気遣う口調の周一に、おマキが頷く。
「わかってる、わかってるよ。ごめんね、たま子……。つい気持ちが入っちまって……。あんたを見ると、どうしても子どもんときのあの子を思い出すんだよ……」
そっと涙を拭うおマキ。
たま子は気づかれないよう、窓を向いて再び息を吐いた。たま子の母・おチカとおマキが親友だったというのは、嘘ではないのかもしれない。しかし……。
車は別の一台と合流してから、民家が途切れたところで停車した。おマキと菊之進が降りていき、もう一台から降りてきた人たちと向き合う。
「たま子ちゃん」
車内で周一が話しかけた。
「あ?」
窓の外を見ながら、つっけんどんに返すたま子。かまわず穏やかな雰囲気で周一が続ける。
「私がどうして、このグループに入ったか、わかりますか?」
「さあ」
興味なさそうに返す。
「私も、ファミリーに親を殺されたんです」
たま子は初めて、運転席の周一を見た。耳の下で髪を結んだ細い首筋。
「……理由はあったんでしょう。ファミリーを恨むのが正当なのか、それで何かが解決に向かうのか、それはわかりません。……でも……」
涙を堪えているのだろうか、軽く顎を上げる周一。
「……何かしていないと、苦しくて、どうしようもないんです」
「…………」
たま子は再び窓の外を見る。
ふ、と息を吐く周一。小さく聞こえる。
「ただのごまかしかもしれませんけどね……」
たま子は最後まで何も言わなかった。
薄暗い外灯の下、二台の車で集まった合計八人が顔を合わせる。
先に最年長のおマキが、たま子に「あんたはあたしといればいいよ」と囁いた。遠慮なく背後に隠れ、そっと観察する。
周一と菊之進は先ほど紹介された。周一は長い髪を帯締めで結び、洒落た着物地のコートを羽織った優男だ。防寒用ではないだろう白い手袋を着けているところが、気障な印象を受ける。
対照的に、素朴な着流し姿で体格のいい菊之進は、たま子と同じ寺子屋の出身である。しかし五歳違うので、覚えていることはほとんどない。
もう一台から降りたメンバーで、まず目を引いたのが〈研究所産〉のトカゲ少年だった。ポロシャツ、ハーフパンツの軽装からわかる体型で少年らしいと感じるが、実際のところはわからない。小柄で細身、地面に届く長い尾を垂らしている。頭髪はなく、顔も肌もトカゲそのものだ。
女性が一人いた。十七、八歳だろうか、均整のとれた肢体を首から爪先までのボディスーツに包んでいる。おそらくは身体能力を強化するためのスーツだろう。髪はきっちりしたお団子にまとめている。
「あれはフウ子、あっちのでかいのは辰五郎」とおマキが囁く。
でかいの、はすぐにわかった。極端に大柄な男性が一人いる。丸刈りで、迷彩服。頭皮から首にかけていくつも傷や火傷があり、いかにも近寄りがたい雰囲気だ。二〇代後半から三〇歳くらいか。
「……あの子は?」
今度はたま子が囁く。残る一人はたま子と同じくらいの少年だった。汚れたつなぎに安全靴、頭には大きなゴーグル。小柄で、大きな目は勝ち気そうに輝いていた。
「あれは佐吉さんだよ」
おマキの回答に、眉根を寄せるたま子。
「佐吉――さん?」
しかし敬称をつける理由は教えてもらえなかった。
やんわりと気取った雰囲気の周一が、やっと全員に聞こえるくらいの声で言う。
「逆境を掻い潜り、今現在も我々が一つになれていることに感謝を
たま子は改めて眉根を寄せた。ただの挨拶なのか暗号なのか、わからない。他のメンバーの表情にも感動した様子はないが、一人、菊之進だけはにこにこと満足げに笑っていた。
次におマキが一同を見渡す。
「それじゃあ、訓練を始めようか。
するとそれが合図だったように、輪が崩れた。二、三人が「勝利を」と小さく復唱したが、あまりまとまっている様子はない。たま子はほっとする。団結した組織に勧誘されるよりは、ずっといい。
次の瞬間、メンバーがそれぞれに取り出したものを見て、安堵を撤回した。一番大柄な辰五郎が持っているのは、大きな筒だ。形はシンプルだが、バズーカに見えた。
フウ子は背丈を越える長い鞭、菊之進は小さいマシンガンのようなものを持っている。周一とおマキは袂からハンドガンを取り出す。
トカゲ少年と佐吉少年は何も持っていない……と思っていたら、腕組みをした佐吉が、じろじろ見ながらたま子に近づいてきた。
「坊主は……どうしたい?」
「……ん」
どうしたくもないので、一歩逃げるたま子。庇うようにおマキが前に立つ。
「この子は今日は見学だよ。武器はいらないのさ」
佐吉はつなぎのポケットから、あるものを取り出して地面に投げた。
それは最初、手のひらサイズのカプセルに見えた。転がって止まると、自ら動いて手足を伸ばす。小さな柴犬が誕生した。たま子を認識して、ぱたぱたと尻尾を振る。
「ボディガードだ。ないよりはましだろ」
「…………」
貸してくれるのだろう。たま子は礼を言うべきか迷った。その間に背を向ける佐吉。
「行こう、おマキさん」
菊之進が声をかける。声は抑えているが、ワクワクとした気配が伝わってくる。
人を襲うのが、何が楽しいのだろう。それも、恨みも何もない相手を。
内心でしかめた顔を表には出さず、たま子も一行に続いた。
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