12 ニケ党
自宅に戻ったのはまだ日が高いうちだった。頭を解放したかったのでソポスを外し、よく似たダミーのブレスレットに着け替えて、遊びに出かけた。
上着も持つ。ソポスがないと、自分で体温調節をするしかない。
亀屋商店が並ぶ通りで、黒いセダンが停まっているのを見かけた。マチでもトラックやワゴンは珍しくないが、セダンは少ない。琥太朗は経験と勘で、血腥い気配を感じた。
「あら、棟梁んとこの。小太郎ちゃんに用かい?」
ハナの飼い主のおばさんが、気づいて声をかけてきた。琥太朗の親族は大工をやっているので、この辺りでは「棟梁んとこの」で通っている。
「うん。どこにいるか知ってる?」
亀屋一族は結束が強く、すべてが一つの家族のように付き合っている。裏を返せば、亀屋金物店に行っても亀屋小太郎がいるとは限らない。それよりも誰かに聞いたほうが確実だった。
「さっき菊之進といたみたいよ」
「菊之進……? ありがと」
お座なりに礼を言って駆け出す。この黒いセダンが菊之進と関係あるなら、血腥い予感は当たっているかもしれない。
細い路地をすり抜けて菊之進の自宅に向かう。古い長屋作りの一画で、木製の引き戸を開けて呼びかける。
「兄やん、いる?」
じきに目当ての亀屋小太郎が出てきた。今日は和服姿だ。琥太朗はほとんどいつも洋装だが、マチでは未だに和服を愛用している人が少なくない。
「タロウ。どうした」
おっとりした口調で嬉しそうに言う。
「暇なときにゲームしようって、約束したでしょ」
「そうだっけ。でも今はちょっと……」
「菊兄と遊んでるの? だけ?」
言っている間に、薄暗い廊下の奥から菊之進が覗いた。
「おお、棟梁んとこのか。上がれ上がれ」
菊之進は一九歳の青年で、縦にも横にも大きな体をいつも和服に包んでいる。顔は四角く、眉は太く、髪の毛は硬く短い。
「こんにちは」
琥太朗は愛想良く微笑み、少し高めの声で挨拶をした。
もう一人も顔を出した。こちらも和服だが、着物地で作った洒落たコートを羽織っている。丸顔で、線が細く、長い髪を帯締めで結んでいる。二三歳の周一――ニケ党に所属する青年だ。
「こんにちは、周一さん」
再び育ちの良さそうな挨拶をする琥太朗。周一も柔らかく微笑んで返す。
「いらっしゃい。お上がりなさいな」
「はーい。おじゃましまーす」
子どもっぽく無邪気に言い、脱いだ靴は手できちんと揃える。周一はそれをにこにこと見ていた。
「何してたの?」
亀屋小太郎の腕にしがみつきながら聞く。
「テレビを観てたんですよ」
周一が答える。
「タロウくんも観ましょう」
「わーい」
生活感のある六畳の部屋は、こたつを囲んで四人が座ると窮屈なくらいだった。胡座をかいた亀屋小太郎の膝に陣取る琥太朗。
菊之進がコーラとミルクティーのペットボトルを手に「どっちがいい?」と聞く。
「甘いやつ」
「どっちも甘いぞ」
「じゃあ、シュワシュワしないの」
炭酸が苦手な振りをしてみせる。
座りながら「お父さんお母さんは元気ですか」と、自然に世間話を始める周一。
「元気だよ。お母さんはしょっちゅう服を作るから、どんどん増えてくよ」
「そっか、タロウのは全部お母さんの手作りだったな」と亀屋小太郎。
「うん。同じのをたくさん作るから、いつも同じ格好だと思われるけど」と笑う。
「タロウくんのお母さんは、何歳なんですか?」と微笑みながら聞く周一。
「えー? 知らない」
「三十代ですか? 若く見えますけど、大きなお兄さんもいるんでしょう?」
「いるけど、よくわかんない」
「タロウ、一人っ子じゃないの?」と意外そうに亀屋小太郎が聞く。
「きょうだいいるよ。でも、えっと……お父さんとお母さんの間の子は、僕だけなんだって」
考えながら答える。
ああ、と頷く亀屋小太郎と菊之進。
「腹違いとかか」
「棟梁とはどういう関係なんです?」
周一が質問を重ねる。
「
「タロウくんのおじさんなんですか? つまり、お父さんかお母さんのきょうだい」
「うーん、わかんない」
「棟梁の子どもはタロウくんのいとこですか?」
「いとこって?」
「言われたことないですか?」
「うーん、ない……と思う」
「お父さんお母さんは、棟梁を何て呼んでます?」
「棟梁って呼んでるよ」
「……どっちの親戚なんですか?」
「どっち? 両方じゃないの?」
「……棟梁はお父さんお母さんを何て呼んでます?」
「ジョージとアリスって呼んでるよ」
言うと亀屋の二人が笑った。別に冗談ではない。
周一は一瞬、表情を凍らせた。すぐにもとの微笑みを復活させる。
「テレビ観ましょう。タロウくん、ソトのドラマは好きですか?」
「好き。でもあんまり、家だと観られないんだ」
この回答に、周一は満足そうな顔をした。
「タロウくんとこは筋金入りの親ファミリー派ですからね……」
三人が観ていたのは、高校を舞台にした野球ドラマだった。楽しく観ながら、周一が亀屋小太郎に目をやる。
「君も、ソトだったら来年から高校生なのにね……」
「いいよね、高校って楽しそう。制服とか部活とか、青春だよね」
コメディめいたドラマの内容に笑いながら亀屋小太郎が答える。我が意を得たりと頷く周一。
「そうですよ。向こうに生まれていれば、当然行くべきはずだった場所です。なのに、どうして我々にはその権利がないんでしょう」
柿の種を食べている琥太朗に目を移す。
「タロウくんも、ソトの学校に憧れませんか?」
「ええ?」
琥太朗は思わず嫌な顔をした。すぐに戻す。
「ドラマは面白いけど……僕、寺子屋のほうがいいや」
「なんでです?」
「だって……」
ソトの学校は年齢で学年が決まる。琥太朗も学校に通っていたなら、一年生から現在の五年生に至るまで、大勢の同い年の子と幼稚な会話、授業内容に徹していたはずだ。
ぞっとする。恐ろしいほどの時間の無駄ではないか。
そしてそれをそのまま言うほど、琥太朗は幼稚ではなかった。
「だって、むつみさんがいないもん」
亀屋の二人が軽く笑った。
違う寺子屋出身の周一が「むつみさん?」と尋ねる。菊之進が答える。
「〈研究所産〉だよ。顔が二つに腕が六本あるんだ」
「すごく優しいんだよ。力持ちだし、器用だし」
嬉しそうに言う琥太朗に反して、周一は顔をしかめる。
「ああ、そういう奇形の人間は、向こうにいませんからね。――知ってますか。向こうではそういう、非人道的な実験は行われないんですよ」
「ひじんどうてき?」
「生き物を玩ぶようなことは許されないんです」
「玩ぶって? ……むつみさんは、可哀想な感じには見えないよ」
「もし君がそういう、変わった形に生まれていたら、どう思いますか?」
「むつみさんみたいだったら? かっこいい!」
無邪気な返答に笑う亀屋二人。周一は粘り強く質問を重ねる。
「でも、変わっていると、周りからおかしな目で見られることもあるでしょう。ひどい場合は、いじめられたりですとか。変わっているのは自分のせいではないのに、いじめられたら、どう思いますか?」
「差別するほうが悪い」
琥太朗は思わず、うんざりした調子で呟いた。すぐに気を取り直して、周一が満足しそうな回答をする。
「いじめられたら、やだな。悲しいし、悔しいと思う。自分でどうしようもないことなら余計に」
「そうでしょう。なのにマチは――というより研究所は、おかしな人間や生き物を次々に生み出しているんです。それは不幸の種をまいているようなものではありませんか」
菊之進が大きく頷く。
「そうだそうだ。研究所のやっていることはあまりに非人道的だ。生き物を自分たちの研究材料としてしか見ていないんだ」
頷いて周一が続ける。
「それにファミリーも。――どうして彼らに、我々を管理する権利があるのでしょう」
「管理?」と琥太朗。
「我々がソトに出るのを禁じていることです。――不満に感じたことはありませんか?」
視線を向けられた亀屋小太郎が、無意識に、琥太朗の体を抱く手に力を込めた。
「それは……ソトに憧れることはあるけど」
「そうでしょう。タロウくんは?」
「僕は……お母さんと離れたくないし」
「もちろん、お母さんも一緒ですよ。一緒にだったら、ソトに出たくありませんか?」
「うーん……」
首を傾げる。
「わかんない……」
「タロウはまだ子どもだから」と亀屋小太郎が笑って追及を遮る。
「あ、もう、こんな時間だ。タロウ、帰らないと心配するんじゃないか?」
ついでに時計を見て、琥太朗を出しに立ち上がった。
「どうも上がると長居しちゃうな。またね、菊兄。ごちそうさまでした」
「おう」
気のいい亀屋一族の青年は、引き止めもせず朗らかに笑って手を振った。
神経の細やかそうな青年のほうは、慌てて菓子の包みを取り、表まで追いかけてくる。
「タロウくん、これ」
「あ……ありがと」
出した手をつかまれた。顔が近づき、低い声が聞く。
「君……よく研究所に通ってますよね」
「う、うん……」
「アントロポスって、聞いたことありませんか?」
「え?」
きょとんとした反応に、周一が諦める。もとより期待していた風ではない。
「アン……何?」
「いいえ、なんでも。――またね」
「――うん、バイバイ」
長屋が見えなくなった辺りまで来てから、亀屋小太郎がそっと息を吐く。笑いながら軽くぼやく。
「周一さん、いつもあの話になるんだよな……」
「ソトに出たくないか――って?」
無知な子どもの振りをやめにした琥太朗が、冷静な目で見上げる。
「ダメだよ、兄やん、都合よく使われたら。――亀屋全体がファミリーに逆らったと見なされるよ」
脅しのため、大袈裟に言う言葉に、深く考える習慣のない亀屋小太郎が頷く。
「わかってるって。――菊兄も単純だからな。心配ではあるけど」
「人の心配より自分の心配だよ。しばらく会わないほうがいいんじゃない?」
「うーん、でも、昔から世話になってるしなあ……」
煮えきらない態度に、琥太朗が眉根を寄せる。
「今日、どうして兄やんの居場所がわかったと思う?」
「うん? 誰かに聞いたんだろ?」
「そう。おばさんに聞いたら『菊之進のとこ』って言われたんだよ。前は『菊ちゃん』って呼んでたのに。――菊兄、一人暮らしになってから、孤立してきてない?」
言い当てられて複雑な表情になり、無言で頭をかく亀屋小太郎。
「付き合ってたら、兄やんも同類だと思われるよ」
追い討ちをかける琥太朗。
「そう言われてもなあ。――どっちが正しいと思う? 菊兄とみんなと。――俺は、周一さんの言ってることも、わからなくはないんだけど」
琥太朗は呆れて息を吐く。
「正しさなんて関係ないよ、そんなのただの多数決なんだから。問題は、敵の数だよ。もし菊兄につくなら、亀屋全体が兄やんの敵になるんだよ。ファミリーも」
「そ、そうか。――さすがだな」
素直に感心した様子で四つ下の〈弟〉を見る亀屋小太郎。
通りに出た琥太朗は、それよりも停まっている黒いセダンに注意を奪われた。指を差す。
「ねえ、あれって周一さんの?」
「ああ、あれ? そうみたいだね」
「個人の持ち物じゃないよね。ニケ党の、ってこと?」
「さあ。よく知らないけど」
「――さっき、変なこと聞かれたよ。アン……なんとかを知ってるかって」
「アン? それがなんだって?」
「わかんない。でも、探してるんだろうね」
ニケ党がアントロポスを探している……ならば、絶対に会わせるわけにはいかない。彼女と。
「まあ、よかったよ、おまえが来てくれて」と、急に思い出したように声のトーンを上げる亀屋小太郎。
「実は、鷹狩りに誘われてたんだ」
「え……いつ?」
「今夜。俺、そういうの得意じゃないからさ。九時から出かけるなんて、親もいい顔しないだろうし」
「ああ、だから、車で来てたのかな」
「たぶん」
オレンジに染まり始めた空が映る、磨きあげられた車体を見て、二度三度頷く琥太朗。
「今夜……ね」
小さな独り言は〈兄〉には届かなかった。
二人は仲の良い〈兄弟〉らしく、分かれ道まで他愛のないおしゃべりをした後、手を振って別れた。
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