10 帰途

「うわ――――ぉぅ」

 たま子の驚きは、途中から長閑な歓声に変わった。

 突然、生じた強い光に目を覆い、その手をどけると空間の真ん中に、星形の星が一つ浮かんでいたのだ。

「何あれ、クリスマスツリーの一番上のやつ?」

 亀屋小太郎が感動半分、呆れ半分に言う。

「星、だな」

 軽く笑ってたま子が応じる。

 金色の星は、満月ほどの明るさで穏やかに球形の世界を照らしていた。

「うおッ!?」

 どん、と勢いよく腰に抱きつかれた亀屋小太郎。ポケットが「ニャー」と鳴く。振り向くと、小さい体を震わせていずみがしがみついていた。

「ああ、悪い悪い、疲れたよなー」

 今しがたの少年の恐怖も知らず、亀屋小太郎は人のいい笑顔で抱き上げた。

 琥太朗も一行に追いつく。奇怪な闇の生物は、星が輝くと同時に消えていた。

 エロスが口元の笑みで迎える。

「センスは悪くないな」

「そう? みんなには派手好きって言われるけど」

「いい星じゃないか」

 一つ頷いてから真顔になる。

「しかしな、少年、星というのは本当はただの丸なのだぞ」

「し、知ってるよ……」

 亀屋小太郎がいずみを抱き上げたのを見て、たま子がそろそろと琥太朗に近づいてきた。

「おまえも疲れたんじゃないか? ……その……おぶってやっても、いいけど……」

「ああ、うん、大丈夫、ありがと」

 爽やかに拒絶する。万が一のことがあっては堪らない。もうブレスレットを外すまでは、誰にも触りたくなかった。

 心なし、寂しげに去っていくたま子。

 その後は何も起きず、無事に桜の木の根本に辿り着いた。

 予想より大きく広がった枝ぶりと満開の花にしばらく見惚れる。

「いいねえ、夜桜」

 いずみを肩車した亀屋小太郎が、年寄りくさい口調で言う。

「この間の桜祭りを思い出すなあ……」

 すると、木の向こうで打ち上げ花火がパーン、パーンと上がり始めた。驚きと戸惑いと喜びに、口と目を開く一同。

「なんで、どういうこと?」

「……夢なんじゃない? 全部」

「じゃあ、起きたらまた、一からやり直すのか」

「きれー……」

 他の子たちの会話に紛れて、「サービスがいいな」と囁くエロス。

「折角だしね」

 答える琥太朗の顔に若干、疲れが滲んでいる。

 見やったエロスは、琥太朗の左手を握った。手のひらから流れ込む温もりが、急速に全身を癒す。

「……ありがと。……そんなこともできるんだ」

「うむ」

 多くを語らず、無表情のまま手を離す。

 声の届かない位置にいるたま子が、それを見ていた。


「あ――ある、よ。――届く、と思う……」

 亀屋小太郎に肩車をされたいずみが、茂った枝の間に頭を突っ込む。全員の期待通り、そこに〈ぐるぐる〉が浮かんでいた。

「よかったー。帰れる」

 ほっとするが早いか、全員が体を接触させる。肩車したいずみと亀屋小太郎、その上着をつかむ茶々丸、その上着をつかんだたま子は琥太朗に手を伸ばしたつもりだったが、エロスに割り込まれた。

「全員つかまったー? じゃあ――もとの場所に戻れることを願って――」

「ニャー」

 亀屋小太郎(とハナ)の掛け声を合図に、いずみが両手を〈ぐるぐる〉にグッと差し込む。勢いをつけたのは、部分移動になってしまうことを恐れてだ。

 幸い、神様は皮肉をしなかった。一行は来たときと同じように、するすると渦の中に吸い込まれていった。


 目を開けたとき、最初に飛び込んできたのは桜だった。

「え、うそ」

 落胆しかけた琥太朗だが、よく見ると違う。花がだいぶ散って緑に変わりつつあるこの桜は、お化け桜だ。下は草原ではなくコンクリート――〈神殿〉の屋上だった。

「え、なんで!?」

 一瞬遅れて亀屋小太郎の声がした。

「あ、大丈夫だよ、兄やん」

 言いながら見回す。亀屋小太郎、いずみ、エロス、たま子――。

「よかった、戻って来れたー」

 無邪気に安堵する亀屋小太郎と対照的に、たま子がヒステリックな声を出す。

「おい、茶々丸は!?」

「え――」

 慌てて探す。いない。

「まま待て、落ち着け」と顔面蒼白になった亀屋小太郎が、へっぴり腰で両手を広げる。「たしか、向こうに行ったときもあいつだけ少し遅れたんだ。そういう体質なのかもしれない。ちょっと待とう」

 発言には反論の余地があったが、一同は言われるままにした。他にどうしていいかわからない。

 数分経ったころに、屋上のドアが開いた。腹部に穴が空いたままのエンケパロスが、ピンク色の長い髪の毛を揺らしながら駆け寄って来る。

「よかった、やっぱり皆さんだったんですね。セキュリティが反応したので来てみたのですが」

「あ」

 慌ててリュックから拾得物を取り出す琥太朗。

「これ――見つけたんで」

「あら、ありがとうございます」

 持ち主が自分の断片に触れる。と、その瞬間に、断片は元あった場所に戻った。メイド服も元通りに塞がる。

 確認するようにその辺りを撫でながら、一同に言う。

「お連れ様がお待ちですよ」

「連れ?」

 顔を見合わせる一同。


 〈神殿〉の外で待っていたのは、茶々丸だった。

「茶々!」

「無事だったのか」と駆け寄るのに対して、茶々丸は待ちくたびれた様子で立ち上がる。

「もーぉ、待ちましたよお。いったい、どこ行ってたんです?」

「なんだ、おまえ一人だけこっちに出たのか?」

「でも、待ってる間にちゃんと計測しときましたからね。この辺、全部」

 得意気に言う。

 視線を交わすたま子と亀屋小太郎。

「そんな時間があったのか?」

「ま、結果的には」

「でも五分じゃそんなにできないだろ?」

 亀屋小太郎が言うと、茶々丸は怪訝な顔をした。

「五分て? 三時間近く待ちましたよお」

「え?」

 慌てて時計を見る。昼の十二時をとっくに回っていた。

 首を傾げつつ、「いつから一人でいるんだ?」とたま子。

「えーと、時間は見てないけど、みんなが四階で消えてからだから……たぶん十時よりは前……」

 言いながら茶々丸は、一同の表情のおかしさにビクッとする。

「な、なに? どうかした?」

「……おまえも一緒に来たよな?」

「え? ……行ってませんよ、咄嗟に避けたもん」

 無言になる一同。茶々丸が続ける。

「みんながいなくなったんで、案内してもらって外に出たんです。で、建物とか桜とかを下から撮って、あとその辺も、うろうろしながら見える限りは撮ったし、ファミリーのほうは撮影禁止だから、代わりに書類をもらっときましたよ、寸法がわかるやつ」

「ニャー」

 不意に亀屋小太郎のポケットでハナが鳴いた。

「あ、そうだ」と取り出す。猫の生首を手に載せて見せる。

「なんすか、その玩具」

 驚かない。

「――本当にボクたちと一緒に来なかったのか?」

 たま子が真顔で聞く。しかしその意味すら茶々丸にはわからない。

「やだな、サボってたわけじゃないんですよ。これ、ちゃんと撮影したの、見てくださいよ」

「じゃあ――」と、いずみが発作的に高い声を出した。

「じゃあ、あれ――誰?」

 頭を抱えて崩れ落ちるのを、亀屋小太郎が抱き抱える。

 当然のこと、答えられる者はいなかった。


「メシだ」

 力強いリーダーの一言で、場の膠着が解けた。

 桜がよく見える位置に移動して、レジャーシートと弁当を広げる。

「ああ、ここでも十分きれいだね」

 持ち前のおおらかさを取り戻した亀屋小太郎が、湯気の立つほうじ茶を手に、のほほんと言う。散る時期とあって、見上げるまでもなく、風がそよぐたびに薄紅の花弁が舞い落ちる。

「さっき、折角屋上に出たのにな」と呟くエロスを、たま子が「まあまあ」と諫める。「話をぶり返さないでくれ」

 しかし今度は茶々丸のほうが、「飛ばされた先ってどんなだった?」と聞いてきた。

 一瞬黙る一同。何をどう答えればいいのか迷う。

「――美少女戦士」

 そんな一言が、亀屋小太郎の口を突いて出た。途端に茶々丸とエロス以外が笑い出す。

「え、何それ何それ」

 好奇心全開で食いつく茶々丸。

「残念だったな、見られなくて」

 わざと冷たく言うたま子。

「え、え、どんな? 詳細教えてよ。写真ない?」

「ない。おまえも来れば見れたのに……」

 悔しがる茶々丸の頬に、からかうように花弁が一枚張りついた。


 寺子屋で解散した後、亀屋小太郎、たま子、琥太朗の三人はハナを家まで届けに行った。

 玄関前で鉢植えの世話をしていた女性に呼びかける。

「おばさーん」

「あら、小太郎ちゃん、お帰りなさい」

「ハナ、いる?」

「ハナ?」

 愛想の良い顔が曇った。

「いるんだけど……見たらひっくり返るわよ」

「ちょうどよかった。俺も」とポケットから例のものを取り出す。

「ニャーン」

 おばさんは両手で口を押さえて目を丸くした。

「ちょ、ちょっと、ハナ! おいで!」

 慌てて玄関の内側に呼びかける。元気の良い足音が駆けてきた。

「ニャー」

 首のほうが鳴いたと思うと、灰色の体が尻尾を立てて、亀屋小太郎の足に擦りつく。

「うわ……きも……」

 思わず琥太朗がこぼす。血の気が引くたま子。

 頭のない猫は、想像以上に気持ち悪かった。

 かまわず、しゃがんで猫の体に頭を載せる亀屋小太郎。無事、元の姿に戻ったハナは、それまでの異常を気にしない様子で、ゴロゴロ言いながら彼にまとわりついた。

 胸を撫で下ろしたのは飼い主のほうだ。

「よかったよお、今朝からこんなで、どうしようか困ってたのよ。ご飯も食べられないでしょう? お父さんなんか、ひどいもんで、こんな気持ち悪い猫は捨てちまえ、ですってよ。まあ、怖がってるだけだけどね、あれで案外、気が小さいから。――あ、ちょっと待ってて」

 おばさんは台所からサイダーを取ってきて三人に渡した。

「本当助かったわ。ありがとうね」

「ニャーン」

 朗らかな笑顔と鳴き声に見送られて、長いような短いような一日が終わった。

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