5 お化け桜

 二日後の午前八時、模型チームの六人は寺子屋の門前に集合した。各自リュックを背負い、歩きで『お化け桜』周辺の計測に向かう。

 先立つ話し合いで「どうせなら、咲いているうちに行こう」という意見が支持を集めた。そのため、中区から始めるという段取りを最初から裏切って、本日の決行となったのだ。

 空は薄曇りで、風が吹くと肌寒い。

 たま子は地味な色合いのトレーナー、厚手のパーカー、厚手のパンツ、亀屋小太郎はセーター、ジャンパー、厚手のパンツ、茶々丸はネルシャツ、フリースのパーカー、厚手のパンツという、見た目よりも機能重視の出で立ちだ。

 いずみは洒落た子供服ブランドのカットソーにジャケット、デニムパンツにマフラーとニット帽という、見た目と機能を両立させた格好をしている。

 琥太朗は仕立ての良いワイシャツ、ネクタイ、ニットのベスト、ハーフパンツという、見た目はいいが季節感のずれた格好だ。エロスも同じくで、ベルベットの優雅なドレスを着ているものの、膝丈で上着もない。

「その格好で寒くない?」

 年長者らしく、亀屋小太郎が一応聞く。しかし二人とも、何を問われているのかわからない、という顔をした。防寒のためにファッション性を犠牲にしてまで着込むという発想がないようだ。

 アニメキャラクターのような美少年美少女が並ぶ姿に、たま子が目を細める。たま子は外見と口調に似合わず、少女趣味だった。

 お化け桜は寺子屋から六キロほどの距離にある。それでいて頭が見えている。すなわち、とても大きい。

「あれってさ、キノコ雲に似てるからお化け桜って言うんだよね」

 歩きながら亀屋小太郎が言う。

「え、そうなの?」と琥太朗。

「うん、うちのじいさんはそう言ってたよ。見ると怖いからお化けなんだって」

「本当にお化けが出るからじゃなくて?」と聞いたのはいずみだ。別段、冗談を言っている風ではない。

 たま子も頷く。

「ボクもそう聞いた。人が枝の間に入って行くと、何かいるんだって」

「それは枝に登るなっていう戒めだろうね。迷信によくあるパターンだよ」

 茶々丸が面白みのない解釈をする。無視して、たま子が続ける。

「だから『桜の精』役があるんじゃないかな」

「あ、そうか」と亀屋小太郎が素直に納得する。「お化けの一年の労をねぎらうためにね、なるほど」

「その表現、変じゃない?」と呆れ顔の茶々丸。

「でも、ずっと桜の木に詰めてるわけだろ? 大変じゃないか」

 たま子と琥太朗はほのぼのとした笑みを浮かべる。「兄やんはやさしいね」

「コタロウくん、今年『桜の精』役やったんだよね。すごいな」

 いずみがお世辞ではない羨望の眼差しを向ける。

 それまで他人事だったエロスが、急に興味を示した。

「ほう、あの桜に登ったのか?」

 とんでもない、と琥太朗が手を振る。

「そんなわけないよ、桜祭りは鳥居町のお祭りなんだから。〈神殿〉には入ったりしないよ」

「今日は入れるわけ?」と茶々丸が聞き、亀屋小太郎が「昨日言っただろ」と呆れる。

 たま子が答える。

「みち子姉さんに動いてもらった。思ったより簡単に許可が降りたよ。……午前九時半に入り口の前で待ち合わせだから、遅れないようにしないと」

「え、みち子姉さんが案内してくれんの?」

 再び聞いた茶々丸に、亀屋小太郎が厳しい目を向ける。

「何言ってるんだ。昨日の話、全然聞いてないんだな。ちょっと真剣味が足りないんじゃないか? 自分から希望して入ってきたわりに」

 茶々丸は動じることなく、反対に陰気な笑みを口元に浮かべて、たま子に言った。

「姉さん、ダンナがうるさいんだけど。ちょっと注意してくんない?」

 この一言で真っ赤になる亀屋小太郎。「なな何言ってるんだよ」と慌てる声には、はにかみと嬉しさが隠し切れない。

 一方でたま子は、聞こえない振りを決め込んだ。


「このままだと魔窟を掠めるな。どうする?」

 少し行ったところで、リーダーが一同を振り返った。

「魔窟?」と聞いたのはいずみだ。

「鷹狩りの住み処だよ」

 亀屋小太郎の説明に、顔を歪めるいずみ。

「嫌だよ。遠回りしようよ。怖いし汚いもん」

 他の子からも異議は出なかった。

「ちょっと臭うからな……」

 言って、たま子は進路を変更した。


 乗り物が少なく、移動はどこでも徒歩が基本のマチの子どもたちは、六キロの距離を簡単に歩ききった。時刻ぴったりに〈神殿〉の入り口前に到着する。

「あ――いた」

 見渡して気づいたたま子が、ほんの少し焦る。駆け寄りながら頭を下げる。

「すみません、お待たせしましたか」

 相手はメイド服姿の若い女性だった。青灰色の大きな目をにっこりと細める。左右の耳の脇でしばった長い髪は、人工的なピンク色だ。

「いえ、時間なのでお迎えに出てきたところです」

 発音は自然だが、どことなく合成音の響きのある声。

「エンケパロスだ!」と茶々丸がはしゃいだ。

「こら、失礼だろ」

 たま子が窘める。しかし亀屋小太郎といずみにしても、好奇心が目と口からあふれ出さんばかりだった。

 エロスは一歩退いて、一番後ろにいた琥太朗に並んだ。表情を変えずにそっと聞く。

「……珍しいか?」

 琥太朗は回答を控えることでエロスへの同意を表した。研究所に縁の深い身としては、キメラもロボットも、珍しいものでは決してない。

 それよりも、お化け桜と〈神殿〉のほうがよほど魅力的だった。四階建ての〈神殿〉の上に堂々と突き出した巨大な桜――他に見る樹木とは比べ物にならず、近くから見上げるとより壮大だ。〈神殿〉の倍ほどもあるように感じる。

 今はもう緑の葉がだいぶ混じっているが、薄紅の花弁が満開のときは、遠くからだと大爆発の煙が上がっているようにも見える。「怖い」と感じる人がいるのも頷ける光景だった。

「それでは、ご案内いたします」

 メイド服姿のエンケパロスが、合成の可愛らしい声で告げる。エロスと琥太朗以外の四人は、エンケパロスそのものに惹かれる様子でいそいそと従った。

 エロスは不機嫌にふんと鼻を鳴らす。

「あんな旧式のを寄越すなんて……子どもだからって馬鹿にされてるんじゃないか」

「どうかな。子ども受けのいい型をあえて選んでくれたのかもよ。一目でエンケパロスだってわかるほうがさ」

 琥太朗が言うと、あっさり納得するエロス。

「言えてるな。――そうかもしれん」


 フェンスの内側に入ってすぐに「撮影されますか?」と聞かれた。桜はまだ建物越しである。

「えーと、近くで撮りたいんですけど。桜の足元に行けますか?」

 たま子が聞くと「行けません」と即答された。

「大きさを測りたいんですよね? 屋上から枝を見ることはできますが、地面からの距離はここからでないと、わからないと思います」

「あの、中庭に生えてるんですよね?」

「はい。ですが、現在は中庭に出ることはできませんので」

「あ……そうなんですか」

 軽い落胆が模型チームに広がる。

「なんだ、みち子姉さんに動いてもらったって言っても、大したことないね」

 口元で笑いながら無遠慮に呟く茶々丸を、亀屋小太郎が睨みつけた。


 建物の通用口でセキュリティ装置を操作するエンケパロス。ドアが開き、一行は中に入る。

 内側は非常灯がところどころにあるだけで薄暗かった。その暗さにか、ドアが閉まると同時に「わあ」と声が上がった。

 ただの通路じゃないか、と琥太朗は思った。しかし子どもたちは、目が慣れてもその通路自体を物珍しそうに眺めている。

「すごい、ソトの建物みたいだ」と茶々丸が興奮気味に言うのを聞いて気づく。そういえば、ナカマチの建物は一戸建てがほとんどだ。琥太朗のように研究所通いをしている身でもなければ、こういう建物には慣れていないのかもしれない。

 あまり換気をしていないらしく、ひんやりした空気にはカビと埃の臭いが混じっていた。

「ここは昔、大勢の人が働く工場でした。現在は稼働しているのは一部のみで、他はこのように静まり返っています」

 可愛い声が内容に関係なく明るく語る。

「知ってる。ゼウスがいたころでしょ」

 得意気に言う茶々丸の声が、しんとした長い通路に響く。

「はい」と可愛い声。「〈神殿〉の愛称がついたのは、ゼウスに因んでだと言われています」

「ゼウスって生きてるんだっけ?」

 いずみが小声で聞く。同い年の琥太朗にだけ聞いたつもりだろうが、翼ある言葉は反響して全員の耳に届いた。

 たま子がまず答える。

「たしか、もういないはずだな」

「え、そうなの?」と亀屋小太郎が高い声を出す。「うちのじいちゃんとか、まだいるみたいに話してるよ?」

「それはあ、亀屋一族が親ファミリー派だからですよ」と茶々丸が嫌みな言い方をする。「実はもうずっと前に亡くなってるんでしょ。公表されなかっただけで」

「そういう噂だな。だから、まだ生きてるって信じてる人も多いんだって」と、たま子。

「ええ? ――本当はどうなんですか?」

 エンケパロスに聞く亀屋小太郎。エンケパロスは微笑んだまま首を傾げた。

「私にはお答えできかねます」

 通路は長かった。ところどころ窓があり、今は無人の広い作業室が覗けた。暗くてよく見えないが、大きな機械や作業机などが残されているようだ。

「わあ、ねえ、学校の教室みたいじゃない?」

 ソト好きの茶々丸が無邪気な声を上げる。

 たま子も「卒業後の誰もいない教室って感じだな」と同意する。

 と、わずかに日の光が差し込む窓の存在に気がつく。どうやら部屋の奥にも窓があるようだ。それも、かなり大きい。よく見れば、壁全面が窓になっているような。

「……あの窓は……?」と、たま子が呟く。

「あ!」

 はっとする亀屋小太郎。

「あの向こうに中庭があるんじゃない?」

 エンケパロスが頷く。

「はい。この建物は中庭を囲む形で作られています。かつては作業者の癒しとなるよう、どこからでも中庭が見られるように大きな窓が設置されました」

「あの、窓から桜を見上げることはできませんか? 中庭には出ないので……」

 エンケパロスはにこやかな表情を変えなかった。近くのドアに一行を誘導し入室させる。

 通路よりさらに気温が下がった。加えて臭いが変化したことに気づいた琥太朗が「ん?」と漏らす。

 どこかから外気が入ってきているようだ。そしてなんだか、土の臭いがする。

「おい」

 亀屋小太郎が険しい声を出した。衝動に忠実な茶々丸が、我先にと窓へ駆け寄ったのだ。

「え? ……うわー!」

 悲鳴は歓声とない交ぜだった。後に続いた子どもたちも、それぞれ同じような声を上げる。

「これ……根っこ?」

 拳で軽く叩きながら、たま子が呆然と見上げる。

 巨大な桜の幹は、窓ガラスを破って室内に侵入し、ほとんど壁と化していた。

 エンケパロスが解説する。

「八〇年ほど前に植えられた桜の木ですが、ゼウスの遺伝子操作によって爆発的に成長し、他の樹木も含め中庭をすべて飲み込んでしまったのです」

「中庭には出られないって、そういう意味……」

 呟いた声が苦笑に変わる。

 しかしいいものを見れた、と一同が視線を交わすなか、エロスが冷静に言った。

「どうするんだ。これでもう帰るのか」

「え?」と数名が応じ、エロスも怪訝に「え?」と返す。

「撮影は外からしかできないんだろう。これ以上中にいたって、意味ないじゃないか」

「そうだけど……」亀屋小太郎がメンバーを見回す。「せっかく〈神殿〉に入れたんだし……」

 たま子がはっとしたように答える。「そうだ、屋上に行かないと。許可もらってるんだから」

「なぜ?」

「なぜ? ……だって、見たいでしょ」

 エロス以外が頷く。

「弁当持ってきてるし」

「桜の下で食べようって……」

 それに対してエロスが眉を顰める。

「お化けが出るんだろう?」

 はっとして、沸き立つ一同。

「まさか怖い? エロス嬢」

「えー、意外、可愛い」

「真に受けるタイプとは」

 むっとして言い返すエロス。

「馬鹿にするな。痛い目見るぞ、お化けをなめてると」

 しかし余計に一同を喜ばせるだけだった。

「ぜひ痛い目にあってみたいね、お化けがいるんならね」

 吹き出しつつ言った茶々丸を、エロスが「言ったな」と指差す。

「どうなさいますか?」

 やんわりとガイドが促す。

「お願いします、屋上まで」

 迷わずリーダーが決める。メイド服のエンケパロスは笑んで頷き、先頭に立って歩き始めた。異を唱える者はいなかった。全員がぞろぞろと従う。

「一人いなくなったりしてな」

 やや不機嫌な声が、暗がりのなかに響いた。

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