3 結成
「兄やん、たまちゃん」
一瞬で駆けつけた〈弟〉を抱き止めながら、亀屋小太郎が「お、おう」と呻く。
たま子を見上げる。いつもの通り不機嫌そうで、いくらか目が赤い。
たま子は琥太朗の目を見ずにぼそりと言った。
「……大丈夫だ」
「何が?」
鋭い問いを〈兄〉に投げる。亀屋小太郎は、ほんの少し疲れた表情で笑う。
「なんにもないよ。予定通り、模型を作っていいって」
「本当?」
ほっとした。実のところ、プロジェクトの内容などはどうでもいい。問題は、その企画を提案したたま子が卒業の予定を早められるのでは、という点だ。つまり実質的な放校。
二人が戻ってきたときから、大広間は静かになっていた。
視線がたま子に集中する。気の毒そうな表情が多いなか、睨みつける者や小馬鹿にしたような笑みを浮かべた者もいる。たま子はすべて無視した。
もとの場所に戻り、プレゼンテーションを再開する。
「…………いざというときの避難対策を考えるうえでも、この正確な縮尺の模型作りは有用であり、完成度いかんによっては、マチの発展に貢献すると言っても過言ではないと自負するところであります…………」
正面に陣取った琥太朗の他に、座って聴く子はいなかった。皆、距離をおいて野次馬のごとく人垣を作っている。
「……姉さんのことは嫌いじゃないけど……」
「……勇気あるよね……」
「……変に疑われても嫌だし……」
「……関わらないほうが……」
こそこそと言い合う声が聞こえない素振りの琥太朗、たま子の後ろで冷や汗をかいている亀屋小太郎。
亀屋小太郎は、何か一同の神経を和ます気の利いた一言が言えないものかと思案を巡らせていた。しかし、こういうときほど頭が回らないのが亀屋小太郎という男だ。結局、波風がさらに荒立たないよう、中途半端な笑顔で祈るしかなかった。
顔の見えない誰かが、たま子のプロジェクトを揶揄して「城攻め」と笑った。
「言うんなら、もっとでかい声で言え」
とりわけ大声ではないが、琥太朗のはっきりした声が響く。場がざわついたのは一瞬のこと、それをきっかけに野次馬はばらばらと散り始めた。
人垣から残ったのは二人だ。エロスと、いずみ。
「……参加すんの? エロス姉さん」
琥太朗はまず、意外そうにエロスを見た。エロスは無感情に「うむ」と頷いた。
「波乱があったほうが面白いからな」
「……正直だね」
次にいずみに視線をやる。こちらは対照的に、自分の決断に自信を持てない様子で身を縮こませていた。
「……やる?」
小さく聞く。一瞬の間の後、意外にしっかりと頷いた。
たま子、亀屋小太郎、琥太朗、エロス、いずみ……。
それだけいれば十分と思ったか、たま子は「店じまいだ」とさっさと片付けを始めた。
参加者の決まったチームは、適宜広間の端のほうへ移り、詳細な計画を練り始める。たま子と亀屋小太郎が座卓を持ち上げると、傍らから「退却」と揶揄の声がかかった。
「もう一度言え」
喧嘩腰になる琥太朗を慌てて止めようとした亀屋小太郎が思わず座卓から手を離し、自分の足の上に落として飛び上がる。
「だ、大丈夫……」驚いておろおろするいずみに反して、エロスは「騒々しい……」と同情のかけらもない。
移動が済み、一同が座卓を囲んで座ったところで、早速エロスが尋ねた。
「何ゆえそなたの案は非難を浴びたのか? マチの模型を作るのがそれほど問題なのか?」
「遠慮も情緒もないね……」
呆れて半眼になる琥太朗。おそらく、このタイミングでその質問ができる神経を持つ人間は稀だろう。
幸いにも、同じタイプがすぐ近くにいた。
「うん、ボクは反乱分子予備軍として白眼視されてるから。『やっぱり』と思われたんだよ」
まだほんのり目の赤いたま子が、口調は堂々と答える。
「反乱分子? ファミリーに対してか?」
「そう」
「なるほど、それで『城攻め』か。本丸はファミリー本社か?」
「その話はちょっと……。冗談だってのはわかるんだけど、ね?」
困った笑顔で亀屋小太郎がエロスに諫言する。しかし無視したのはたま子のほうだった。
「いや、〈西の壁〉さ」
「やめろって」
今度は強めに止めに入る亀屋小太郎。いずみも周りに聞かれていないかと不安そうに視線を配る。
「〈西の壁〉? なぜ?」
「十年ほど前、ニケ党という愚連隊が起こした騒動を知ってる?」
「たま子、いい加減に――」
「ああ……あの、天井が壊れて一週間夜が来なかった事件か。たしか〈西の壁〉が襲撃されたんだったな」
「その愚連隊のリーダーが、ボクの母親なんだ」
「なるほど、それでか」
頷き合うエロスとたま子。他の三人は、何を言ってどういう表情をしたらいいのかわからない。
たま子の母親は、襲撃が失敗に終わった時点でファミリーの警備隊に殺されていた。
「それで、そなたはファミリーを恨んでいると?」
「聞かなくていいでしょ……」
あまりに不躾なエロスの発言に琥太朗もぼやく。寺子屋はファミリーが監督する施設である。
たま子は首を横に振った。
「いや。悪いのはボクの母親のほうだ。母亡き後、身寄りのないボクをファミリーが育ててくれた。ボクにとってファミリーこそが恩を返すべき親だと考えている」
本音なのか冗談なのか判断のつかない口調で言う。
「立派だな」
返すエロスも、どちらなのかわからない。
「で、それは内密の話なのか?」
「みんな知ってるよ」
「ならどうして、こやつらは話したがらないんだ?」
率直な問いかけに『こやつら』を代表して琥太朗が答える。
「それはね、世の中には、公衆の面前では話すべきでない話題というのがあるからだよ」
「そうか。勉強になるな」
琥太朗のほうを向いたエロスが、その背後に視線を止める。たま子も同じところを見ているのに気がついて、琥太朗は振り向いた。
たま子たちより一つ年下、一三歳の茶々丸が、どことなく陰気な顔ににやにや笑いを浮かべて立っていた。
「何か用?」
声のトーンを下げた琥太朗を亀屋小太郎が手で制す。
「何か言いたいことでも?」
ふつうのトーンで聞くたま子。
「いやあ、感動したよ」と、茶々丸は声に大袈裟な抑揚をつけて切り出した。
「実に見物だった。そうじゃない? 普段は姉さんのこと、みんな嫌ってるわけじゃないのにさあ、危険を察知した途端に手のひら返しだ。それだけならいい、自分の身を守るのは本能だからね、でも、反旗を翻したほうが
語る間も顔からにやにや笑いは消えない。決してたま子に同情しているのでも、他の子どもたちに怒りを覚えているのでもないのは明らかだった。
しかし「何が言いたいんだ?」と怪訝な態度を示したのは亀屋小太郎のみで、エロスは「慧眼だな」と頷き、たま子は「別に反旗なんてモンでもないだろう」と突っ込み、琥太朗は「そうだね」と軽く流した。
「で――なんだ?」
改めてたま子が聞く。茶々丸はその質問を待っていたかのように、勿体つけて発表した。
「姉さんに感服したよ。……俺もこのチームに入れてください」
「馬鹿言うな」と亀屋小太郎が却下するのと、「好きにしろ」とたま子が応じるのは同時だった。
「え? え?」
亀屋小太郎が戸惑う。
「なんで――入れたって、いいことなんてないんじゃ……」
「いいことってなんだ」
茶々丸ではなく、同輩に鼻白んだ態度を取るたま子。
「だから……役に立たないとか……」
「役に立たない奴はいらない、なんてボクは言っていない。だいたい、頼んでる奴を理由もなく拒むのは理不尽だ。それは差別じゃないのか、亀」
「でも、ほら、役に立たないどころか、足を引っ張るような何か、言ったりやったりするかもしれないし……」
「そうなったら、その理由で排除すればいい。まだ起きてもいない不祥事を理由にするのは、偏見というものだ」
「で、でも……」
味方を探して琥太朗を見る〈兄〉。
「タロウも心配じゃないか?」
問われて軽く首を傾げる。
「心配かって言われれば心配かもしれないけど……決めるのはたまちゃんだから」
いずみは落ち着きなく一同を見回すだけで発言せず、エロスは「そういうシステムなのか」と納得して口を閉じる。
「ボクたちはプロジェクトチームであって、仲良しグループではない。――そうだろ?」
いくらか語調を緩めて同輩を諭すたま子。
完全には納得できない様子で闖入者を見つめる亀屋小太郎、鬼の首を取ったようにへらへら笑う茶々丸。
「さすが姉さん、公正かつ賢明だねえ。――以後よろしく、皆さん」
こうして六人目のメンバーが決まった。
「整理させてくれ」とエロスはノートを開き、ペンを構えて言った。
「まずその背の高いのがたま子、リーダー、一四歳、だな。……野暮ったい服装と髪型が特徴……と」
「書くのは勝手だけど、口に出さなくていいんじゃない?」
呆れ顔の琥太朗を、次に見る。
「茶髪、コタロウ、一〇歳……」
「俺の特徴、それだけ?」
「……年齢のわりに小さい……」
「書かなくていいよ」
次いでペンの頭をいずみに向ける。
「いずみ、コタロウと同じ一〇歳だ」
たま子が紹介を買って出た。
「内気そうな子だな。……友人なのか?」
琥太朗といずみ、両方を見ながら聞く。二人はそれぞれ首を斜めに振った。
「あんまり接点ないね。――今までは」
「同い年なら、同じ学年ではないのか?」とエロス。
「学年? ……俺は三年目で、いずみは五年目だよ。ね?」
頷くいずみ。
「三年生、五年生ということか?」
「そういうのはないんだ」
質問の意図を理解して、たま子が答える。
「ソトの学校と違うから。年齢とか、何年目とかはあんまり」
「エロス嬢、ソトの漫画が好きだったりする?」
急に茶々丸がはしゃいだ声を上げて、馴れ馴れしく聞いた。
「俺も好きなんだ。ねえ、何が好き? よかったら持ってる本交換しようよ。アニメとドラマのディスクもあるよ」
答える代わりに、エロスは興味深そうな視線を茶々丸に送った。
「茶々丸、一三歳、だな。……前髪がうっとうしい、眼鏡、小太り……」
「オタク、おしゃべり」
「協調性がない」
琥太朗と亀屋小太郎がそれぞれ付け足す。エロスは真面目な顔で書き留めた。
「で――」
最後に亀屋小太郎を見る。
「その朴訥な青年は……」
「老けてるけど一四なんだよ、これでも。たま子と同い年」
苦笑しつつ自分で言う。
「名前は? 亀か?」
「亀屋小太郎。名前は小太郎」とたま子が教える。
「こたろう? 同じ名前なのか」
「うん、だから亀屋って呼ばれてる。うちの屋号」
「屋号?」
「見たことない? お堀からちょっと入ったところに――」
「ああ、あの煙突か。書いてあるな。なるほど、風呂屋の倅か」
「ううん。うち、一族がみんな亀屋って屋号で商売してるんだ。うちの父さんは金属加工の職人。亀屋金物店って暖簾を出してるんだけど」
「まあ、中区の名物一族だな」
たま子の補足に頷き、ノートにペンを走らせる。
「いいか? じゃあ……」
書き終わったのを確認して、たま子が話を進めようとしたところで、いずみがおずおずと手を挙げた。
「あの……こちらの方は……? まだ、よく、その……」
蚊の鳴くような声ではあるが、問題提起としては十分だった。一同の視線がエロスに集まる。
エロスは無表情に、しかしはっきりと言い切った。
「エロス、一四歳、転入してきた謎の美少女だ」
たま子と茶々丸が嬉しそうに吹き出す。亀屋小太郎といずみは衝撃を受けた顔をし、琥太朗は胡散臭そうに見つめた。
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