2 転入生
たま子と亀屋小太郎が座敷に入ってきた。連れている見慣れない少女に気づいた子どもたちが視線を送り、ざわめきの波が広がる。
「誰、あれ?」
「もしかして転入生?」
「すげー」
「どこのチームに入るんだろ」
「こっち来てー」
注目を集める理由は簡単だった。たま子より一〇センチは小柄で、長いまっすぐな黒髪をポニーテールにした少女は、恐ろしくきれいな顔をしていたのだ。凛と背筋を伸ばした細身の体型に、膝丈のシンプルな黒いドレス。人形かアニメキャラクターのような美少女だ。
周囲に簡単な紹介をしつつ、たま子たちが少女を連れてこちらに来るのを、琥太朗は漫然と見ていた。
やがて目の前で止まる。
「エロスという」と、たま子が言った。
「……は?」
「転入生のエロスちゃん」と、亀屋小太郎が紹介し直す。
「……は?」
茶髪の美少年は、その繊細な美貌にふさわしくない凶悪な表情で、黒髪の美少女を凝視した。
「……エロス?」
転入生は黙ったまま、冷ややかな眼差しで少年を見下ろす。
「……変な名前」
「こら。――エロス、今日の集会の目的は、先ほど説明した通りなんだけど」
「理解している」と、やはり冷ややかな声が答える。人間味のない、もしくは人形らしい無機質な声だ。
「もしよければ、ボクたちのチームに入ってはどうかと」
たま子はほんの少し頬を弛めて誘った。
一方で人形の表情は弛まない。
「その――小さいのも一緒なのか?」
小さいの、と視線で琥太朗を指して問う。
「年少と年長が一緒にチームを組むんだよ」
凡庸な見た目と善良な性格が特徴の亀屋小太郎が、特に何の引っかかりも覚えない様子でおっとりと説明する。
琥太朗は十分すぎるほどの引っかかりを覚えていた。
険のある表情のまま「僕の名前は琥太朗です」と、数分前の自己紹介を繰り返す。
たま子が「なんだその言い方」と失笑した。
琥太朗は笑わない。
「今年一一歳になります。お姉さんは――何歳ですか?」
エロスは初めて端正な顔に薄い笑みを浮かべた。
「私は――一四歳だ」
そんなはずはない、と琥太朗が告発する前に、亀屋小太郎が嬉しそうな声を挟む。
「俺たちと同い年なんだよ。でも今まであんまり寺子屋に通ってなかったんだって。だからいろいろわからないことがあると思うけど、タロウも親切にしてあげるんだよ、いいね」
「…………」
琥太朗は返事ができなかった。嘘つきかもしれない相手に親切にしてあげることが、はたして正しいことなのだろうか。
しかし年長組に相談をする機会はなかった。開始時間が遅れたため、急いでプレゼンテーションの支度に取りかかったからだ。
じきにたま子が発表を始めると、内容を聞いた子どもたちがそこここで耳打ち話を始めた。
予想通りの反応だった。
かまわず発表を続けるたま子。しかし終わりを待たずに、職員の一人が彼女を呼んだ。
反抗せず事務所について行く。善良な亀屋小太郎は慌てふためいた様子で、短い逡巡の末、たま子と職員を追いかけるほうを選んだ。
――ダメかもな。
琥太朗はため息をつき、畳にあぐらをかいた。
姿勢よく正座をして聞いていたエロスが無感情に問う。
「なんだ? 表現の自由が弾圧されたように見えたが」
「正解。察しがいいね、お姉さん」
二人はどちらからともなく視線を合わせ、それぞれ含みのある顔で薄く笑った。
「金の髪の
老獪な魔女を連想させる低い声が琥太朗の鼓膜を震わせる。
「そんなの、小さいうちだけだよ」
「今も十分小さいように見えるがな」
「お姉さんは大きいよね、ずっと」
挑発を無視して人形めいた顔を見つめる。はっきりと覚えているわけではないが、三歳のときに見たのもこの姿だった。一四歳くらいの、大きなお姉さん。
少女は動揺するでもなく返す。
「エロスでいい。いくらも違わないんだ」
「俺さっき、質問のしかたを間違えたな。今年何歳になるの? ――って聞けばよかった」
「答えは同じだ」
「それじゃ変だよ。今年一四歳になるなら、今一三歳でしょ」
「そうか? そうかもしれんな。教養がないのでよくわからん。なにせ、寺子屋にも通っていないくらいだからな」
「ひょっとして、五年後には俺のほうが年上になってる?」
「さあな」
興味なさそうに言って、ちらりと視線を送る。
「隠し事があるのはお互い様だろう」
「え?」
視線を辿る。琥太朗の左手首にある革紐のブレスレット。
「――どうして知ってるの?」
その問いは、あなたもそうなのか、と言外に聞いていた。
「それより」
と、露骨に話題を変えるエロス。
「なぜあの娘は連行されたんだ? 何が禁忌に触れたのか、説明してもらいたいんだが」
少し考え、琥太朗は頭をかく。
「人が勝手に話していいことじゃないな。……たまちゃん本人に聞いてよ」
「そうか。本人には聞いてもいいことなのか?」
「あー……ダメだね」
本人たちの意思に反して、それ以上の会話はできなかった。発表も聞かずに座っている二人を、それぞれ別の子が自分のチームに誘ったのだ。
たま子たちはまだ戻ってこない。念のため次の候補を探しておこうと琥太朗が立ち上がり、エロスもそれを真似た。
『鶏の飼育環境の改善および調理過程の最適化によって至高のゆで卵を作る』
『寺子屋の大広間と同じ大きさの折り紙で折れる建造物の探求』
『障害物を避けながらお堀の周りを一定の速度で走り続けるミニカーの製作』
『ウェディングドレスを作る! ~~儀式としての婚姻研究、シンプルとラグジュアリーの深層~~』
『宮沢賢治研究:分析の効率化でアバカスは作家の頭脳にどれほど近づけるか』
…………見て回るのに飽きた琥太朗は、座敷の隅でお茶を一杯もらうことにした。
「おはよー。今年もよろしくね、むつみさん」
まだ挨拶をしていなかった、と思い出し、やかんと湯呑みの傍らに立った〈研究所産〉のむつみに声をかける。
笑顔で座敷を眺めていたむつみが、琥太朗にその笑みを向けた。
「これは……よろしくお願いします」
いくらか低い声が応じ、それから反対を向いた。頭髪のない後頭部にも同じ顔があり、今度はそちらがにこにこと琥太朗を見つめる。
「よろしくお願いします」
こちらの声はいくらか高い。
――こっちだったか。
琥太朗は内心で頭をかく。
むつみは顔が前後に二つと、腕が三対六本ある人間だ。顔立ちはどちらかといえば女性的なのだが、胸に膨らみがなく、上半身だけでは前後を見分けるのが難しい。
下半身の関節の向きを見れば、声の高い方が〈前〉だとわかる。なので琥太朗はなるべく〈前〉に話しかけるようにしているのだが、どうもうっかりすることが多い。もっとも、本人が言うにはどちらも同じ人であるらしい。
「戻って来ませんね」
やかん、湯呑み、お盆をそれぞれ三本の腕で持ってお茶を注ぎながら、むつみが心配そうな声を出す。
「たまちゃん?」
何でもない口調で聞き返す琥太朗。
「ま――大丈夫だよ」
軽く言い切ったのは、不安要素を思い浮かべたくないからだ。
たま子は理性と感情の落差が激しく、うまく立ち回れれば無罪放免、下手をすれば極刑という人で、どちらになるか予想がつかない。連行されてすでに一時間が経つ。プランが破棄される程度で収まればよいが。
「可愛らしい転入生がいらっしゃいましたね」と、むつみが切り出したのは、単に話題を変えるためだろう。
「あー、そうだね」
いい加減に頷く。
エロスは座敷の真ん中で発表を見ていた。その周りに波紋のごとく子どもたちが群がっている。どうやら美しい容姿は地上の重力にすら影響を与えるらしい。
「キューピッドのことですよね」
「は?」
「エロスというのは」
「あ――そうなんだ」
キューピッドと言えば、その矢で射られた者は恋に落ちるという愛の使者だ。しかし、愛だの恋だのを鼻で笑いそうなキューピッドである。
「コタロウさんはもう、仲良くなったみたいで」
ほんのり含みのある言い方をされて驚く。
「仲良い? どうして?」
「あら――先ほど、目を合わせて笑ってらしたじゃないですか」
「――そうだっけ?」
少なくとも、楽しい会話で笑っていたわけではない、と抗弁する暇はなかった。
むつみの後ろの顔が「あ」と発した。一瞬遅れて、前の顔が「あ、戻って来ましたね」。
それが耳に入るが早いか、優れた運動神経を発揮して琥太朗は飛び上がった。
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