1 寺子屋

 ファミリーが教育施設としてマチのあちこちに寺子屋を設けて以降、マチの子どもは六、七歳になると寺子屋に通うのが通例になった。これには反ファミリー派の子どもも多く通っている。

 寺子屋の同窓生はお互いを〈きょうだい〉として呼び合う。これはそれぞれの家庭の事情を、寺子屋には持ち込まないという宣言のようなものである。

 琥太朗がやっと通い始めたのは八歳になってからだ。あまりに体が小さく病気がちだったため――という、大人の考えた設定をきちんと理解できるくらいに内面は大人びていたが、とにかく見た目は小さな子どもだった。実年齢と反対に「もう寺子屋に通っているの?」と問われるほど。

 琥太朗が入学したとき、他の子どもも職員も、誰もが目を見張った。珍しい金色の髪を、透けるほど白い頬にふんわりと垂らした、緑がかった大きな瞳の、眩ゆいばかりの容姿だったからだ。

 このころの琥太朗は無謀な言動を控え、その繊細な見た目にふさわしい物言いや仕草を好むようになっていた。つまり、話しかけられると軽くはにかんだり、遠慮がちな返事をしてみせたりした。

 まるで絵本か少女漫画から抜け出てきたような美少年に、ため息の止まらなかった者も多い。

 しかしその容姿とキャラ設定は長くは続かなかった。体が成長するにつれ、金の髪は段々と色が暗くなり、瞳も茶色に落ち着いていったからだ。

 二年後、少年は茶色い髪と茶色い瞳と白い肌が目を引くだけの、平凡な美少年になっていた。


「兄やーん」

 桜祭りの休暇明け、琥太朗は元気一杯にお堀沿いを駆け抜け、同窓生の亀屋小太郎に追いついた。

「おーぅ」

 四つ年上で来年には卒業する予定の亀屋小太郎は、いつもの通り、のっそりした笑顔で〈弟〉に手を振り返した。二人は琥太朗の入学以来、同じ名前のよしみで仲が良い。

「元気だなー。疲れてないか?」

 聞いたのは、桜祭り最終日の昨日、「桜の精」役の一人を琥太朗が務めたからだ。「桜の精」は、祝福を求めて殺到する人々に試練を与えるべく身を隠さないといけない。つまり昨日半日、琥太朗はマチ中を逃げ回っていたのだ。

「へーき。終わってからウマシカ亭の若鶏タツタ御膳食べたから。カレーつきで」

「ああ、いいね。あそこのカレー、一番旨いよね」

「うん! でも――」

 言いかけて、視界に入ったたま子に手を振る。

 亀屋小太郎と同い年のたま子は、いつも通りどこか不機嫌そうな顔つきで、挨拶もなく黙然と琥太朗の隣に並んだ。

「昨日振り、たま子」

 亀屋小太郎が嬉しそうな笑顔を向ける。

「ああ……」

 返事なのか呻き声なのかわからない低い声。

 たま子は女児だが、知らない人にはそうと気づかれない。同い年の男児より背が高く、実はスタイルの良い肢体は、可能な限り厚着で隠している。ボサボサのショートヘア。これといった特徴のない地味な顔立ちは、言われなければ少女に見えない。

「でも、花火見ながら食べたたい焼きもおいしかったよ。ね?」

 先ほどの言葉を続けた琥太朗に、亀屋小太郎はにこにこと、たま子は無愛想に頷いた。


 寺子屋の門を潜るより先に、学長の娘・みち子の明るい声と笑顔が子どもたちを迎えた。

「おっはよー」

 みち子は二十代半ばの可愛らしい女性で、現在は研究所に勤めている。そのため寺子屋で指導を受け持つことは稀だが、親しみやすい性格で子どもたちには人気があった。

「おはよー」とそれぞれが返して通り過ぎたところで「たま子、亀ちゃん」と呼び止められた。

「今日から新しい子が入るから、事務所に寄ってくれる?」

 当然といった様子で頷く年長二人。

「じゃあ俺、荷物持ってっとくよ」

「ああ、サンキュ」

 琥太朗の提案に、亀屋小太郎はすんなり手提げを渡した。

「はい、たまちゃんも」

 促した小柄な体を、四〇センチの高みから不安そうな目が見下ろす。

「……いや、いい」

「なんで。大丈夫だよ。遠慮しないでよ」

「いや……遠慮でもない」

「じゃあ、馬鹿にしないでよ」

「馬鹿にもしてないんだが……」

 軽く困ったような顔をした後、たま子はふいとリュックを背負ったまま歩き出した。曖昧に笑って、後を追う亀屋小太郎。

「むう」

 口を尖らせた琥太朗に、別の子が声をかけた。

「おはよ、コタロウくん」

「ああ……おはよー」

 そこにいたのは同い年のいずみだった。

「重そうだね。……僕、持とうか?」

 おとなしく、普段あまり琥太朗には近づいたことのないいずみが、おどおどと手提げを指差す。いずみも小柄な方だが、それでも琥太朗よりは背が高い。

 自分はそんなに頼りなく見えるだろうか……。

「大丈夫だよ!」

 忸怩たる思いに声を大きくして、琥太朗は教室に向かった。一瞬怯んだいずみがそれに続く。

 まだうすら寒い四月の空に、お化け桜の花びらが数枚、風に運ばれて舞っていた。


 四月最初の通学日は、その年一年間のプロジェクトを決める日でもある。

 襖を取り払って大広間になった畳の上で、総勢八〇人ほどの子どもたちが、思い思いに固まって計画についての話し合いをしていた。大抵は年長の子がプロジェクトのプレゼンテーションをし、賛同した子が集まってチームになる。

 琥太朗も座敷を見て回ってはいたが、内心ではたま子たちが戻ってくるのをただ待っていた。

 今年、たま子は『正確な縮尺のマチの模型を作る』というプランを練っており、琥太朗はそれに参加するつもりだったのだ。

「何か、気になるものがありましたか?」

 気の乗らない態度と受け取られたらしく、白装束に白い頭巾、五芒星のペンダントを首から下げた先生に声をかけられた。

「あ……大丈夫です。もう決まってるんで」

 思わず敬語になった相手は、寺子屋の職員ではない。ピュタゴラス教団という宗教団体の使徒で、主に数学とコンピュータについて教えてくれる。一年毎に派遣されてくる人が変わるため、この人とは初対面だった。

 暇つぶしがてら、琥太朗は新しいピュタゴラスの徒を観察した。去年はいくらか人懐っこいタイプの人だったが、今年は頭巾を下ろして、目元以外の部分が見えない。声からしてたぶん男性、わかるのはそれくらいだった。

「先生、なんていう人?」

「…………」

「……僕の名前は琥太朗です」

「七右衛門です」

「え、かっこいいね。何歳?」

「…………」

「僕は今年の十二月に一一歳になります。先生はおいくつですか?」

「あなたの年齢を三.七三倍したくらいです」

「いつ教団に入ったんですか?」

「八四二三日前です」

「ふ、ふうん……」



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