第5話 ヤマザキ メロンスペシャル1

 「ヴァシュカンヤ!? 」


満福が今までにない速さで機敏に起き上がった。そのスピード感が事の重大さを物語っていた。キムラが目を擦りながらのそりと起き上がった。


「な、なんですかあなた達は」

安東が異様な風体の集団に話しかけると、

「治安上の問題が発生していますので、部屋を改めさせていただきます」

と、極楽鳥の仮面を被った黒ずくめの一人が機械音のような声で答えた。安東に戦慄が走る。

「い、いえ、ここには私しかいません! 誤報ではないでしょうか! 」


黒装束が大挙して粗末な木の扉に押し寄せた。梟、夜鷹、孔雀、鷲……怪鳥を象った様々な仮面が安東を凝視した。あまりの恐怖に安東は身動きひとつ取れなかった。


「み、皆さん! 逃げて! 奥の窓へ! 」

そう叫んだ瞬間、安東の上半身が消し飛んだ──否、溶解した。

 

 それを見たキムラが固まる。

「……え」

間髪入れずチャゴが男二人を凄まじい力で起き上がらせ、窓に全力疾走する。

「一言も喋るな! 全力で走れ! 」

既に枯れてきた胃が悲鳴をあげる。

 


 窓枠ごとぶち破って三人は外へ飛び出した。窓の先は幸いにも屋根と屋根を繋ぐ橋があった。

「マンプク! クッション頼むよ! 」

チャゴがそう言って巨体を蹴りあげて橋の下に落とす。

「キムラ! 翔べ!! 」

訳も分からずキムラは満福の腹めがけて飛び降りた。満福の弾力性のある腹が布団のようにキムラを優しく包み込んだ。


「すぐ立て! メインストリートまで全力疾走するよ! 」

「むり! 腰! 腰が痛い! 」

満福は全く起き上がれなかった。チャゴが舌打ちして背中をしたたかに打った巨体の手を引き、また恐るべき膂力りょりょくで走り始めた。キムラはずっと布団にくるまれていた。

 

 

 五分は走っただろうか。ヴァシュカンヤたちは今のところ追跡してこなかった。息も絶え絶え、三人はメインストリートに出ることが出来た。だが、なにかに見られているような気色悪い感触を、三人が全員感じていた。


肩で息をしたチャゴが声を振り絞る。

「ハア、はあ、はあ、やばい、空腹で倒れそう……! 」

長く布団に包まれてしっとりとしたキムラはその様子を見て我に返った。

「タクシー! 」


オレンジのタクシーが止まり、ドアを開けた。

「あんた……! タクシーいくらするか分かってんの……!? 」

「今はカネより生命を優先すべきです。運転手さん、早く出してください! 」

三人は大急ぎで乗り込み、タクシーが発進する。



 走り出して十分ほど経ち、ようやく一行は人心地着いた。チャゴが助手席、男二人は後部座席だった。奇跡的に満福は無傷だ。


「……あんた達ワケありだね」

初老の運転手が話しかけてきた。

「ええ、まあ。ちょっと追われていて」

キムラが答える。

「どこ行くんだい」

「……なるべく遠くへ。そうですね、壁の方に行ってください」

「合点だ」

運転手は楽しげにスピードを上げた。

 


 「それで、姐さん。あいつらは何? 」

キムラがくと忌まわしげにチャゴは舌打ちする。

「黒装束の花嫁。ヴァシュカンヤとかヴィーシャカンヤとか呼ばれてる。なんだろうね、いわばここの警察だ」

「警察? そんなふうには全く見えなかった……そもそも、俺達が何をしたって言うんだよ! 」

思わずキムラは声を荒立てた。

「なんだろうねぇ。心当たりがあるとすれば」

二人の脳裏に浮かんだのは、昨夜の満福だった。自然に二人の視線が集まる。

 

「え、僕!? 」

「……そうだな、それくらいしか思いつかない」

おどけてみせる満福にチャゴはさらに話しかける。

「あんた、目を付けられたみたいだね。全く。クソ……安東…… 」

キムラの脳裏にあの時の光景が蘇った。一瞬で上半身が消し飛んだ光景。

「……最期、庇ってくれたね。まったくお人好しだ」

静かな声でキムラが呟くと、チャゴが悲痛な声で返す。

「クソ……、絶対逃げ切ってやる! そんでもってひと泡吹かせてやる……! 」

俯くチャゴの眼は、青い復讐の炎を灯していた。


「奴らの武器は何だったんだい、姐さん」

「知らないよ。考えたくもない」

吐き捨てるようにチャゴは言った。


「……ヴァシュカンヤの武器は、毒だ」

突然運転手が話に入ってきた。

「まったく、聞きたくもねえ話を勝手に聞かせやがって。ついてねえなぁ、厄日か今日は」

迷惑そうに初老の運転手は独りごちた。やや禿げあがった頭髪に無精髭を生やし、頑固そうな顔つきで前を睨んでいる。汚れたシャツに深緑色のツナギのような服を着ていた。運転手というより、工場の作業着のようだ。

 



 「……おじさんごめんなさい。適当なところで下ろしてくれていいよ」

チャゴがそう言うと、無精髭だらけの顎を逞しい腕で撫でながら運転手は笑った。


「は! 何言ってやがんだよ。俺の仕事はきっちり客が行きてぇとこに運ぶことだ。気にすんな嬢ちゃん! それよかお前ら、来訪者だな? 」

「おじさんいい人じゃん! そうなんだよ。来訪者ってやつらしいんだあたしら 」

チャゴが嬉嬉として答えた。


時折街に現れる記憶喪失者を「来訪者」と呼ぶらしい。昨夜安東が教えてくれていた。


「難儀だなあそりゃあ。俺ァこの街にもう二十年近く住んでるが、元々は俺も来訪者だ。来たばっかの頃は腹の空き方に慣れなくてな。何度枯竭こけつしかけたかわからん。

ちゃんと目的地まで連れてってやるよ! まあ勿論お代はいただくがな」

そう言うと運転手は豪快に笑った。


「あ、ありがとうございます! 」

嬉しそうに満福が後ろから彼の肩を抱き締める。途端に車が蛇行し、運転手は慌ててブレーキをかけた。

「おい! 太った兄ちゃん! そういうのは隣のきれいな嬢ちゃんにやってもらいてえんだよ! 死にてえのか! 」



運転手の名は源といった。タクシードライバーは副業で、本業は別にあるのだという。


しばらく走り、完全に夜が明けた。通りは相変わらず華やかではあったが、段々と一般民家の数が増えてきた。

「そいで、お前ら、行くあてはあんのかい? 」

一同は黙り込んだ。もちろん行くあても目的地もない。


「どこか、安全な所に行ければ……」

そうキムラが零すと、源は髭をいじりながら思料した。


「そりゃああれだな。別のチャンドワに行くしかねえな」

「別のチャンドワ? 」

チャゴが目を丸くした。

「ああ。隣のチョングオかラ・フランスだ」

「……美味しそう」

満福がお腹を鳴らした。


「ヤツらはな、担当のチャンドワでしか追ってこない。なんだろうなァ、管轄があるんだろう。まあそもそもこの世界は政府もねえし法律みたいなもんも何もねえから、よくわかんないんだがな」

「政府も法律もないって、治安は大丈夫なんですか? 」

キムラが思わず口を挟むと、バックミラーに映る源の顔は険しくなった。


「ヤツらの眼は誤魔化せねぇぜ、メガネの兄ちゃん。ガム一個万引きしても追ってきやがる」

どうやって、とキムラは疑念を抱く。そして更に質問した。

「捕まるとどうなるんです? 」


「例の中央棟、正確にはターミナルタワーと言うんだっけ。そこに連れてかれるよ。抵抗すると安東みたいになる。何度かあたしは見た。なあマンプク? 」

チャゴが嫌なものを思い出したような顔で答えると、満福はやや青ざめた様子でうんうん、と頷いた。


二人は、震えていた。その様子が、彼女の発言が誇張でもなんでもないことを示していた。

 

<残金4,204円>


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