第2話 ミラノ風ドリア1

 明くる朝、三人は工事現場にいた。辛うじて凍死しない程度の気温の公園で三人は肩を寄り添って寝た。目覚めたとき、キムラは満福を抱き枕のように抱き抱えていた。よって機嫌は悪かった。

「ああ、お腹空いたあ」

満福が独りごちる。キムラは舌打ちした。

「そんだけ空腹で、なんで痩せないんすかねえ」

「え!? それは知らない! 」

くっくっと満福は引き笑いした。やはりキムラは舌打ちした。


「おいおい、仲良くしなよ。とりあえずこの仕事やったら飯食えんだから」

安全帽にカーキのツナギを着たチャゴがウインクをしながら嘯く。肩にツルハシを担ぎながらモデルのようなポーズをとった。ツルハシが似合う女を初めて見たとキムラは思った。

「人生初の添い寝がこんなデブとか、多少は可哀想でしょ、俺」

満福はしょんぼりした。

「おい、あんまり虐めんなよ」

意地悪な笑顔でチャゴは言い放った。


 

 建設現場は巨大なビルだった。キムラは適当にサボりつつ、なるべく軽い建材をたまに担いだ。チャゴは36階で足場を作っていた。 とび も真っ青のバランス感覚だ、と豆粒のようなチャゴを見て、キムラはぼんやりと思っていた。満福はいそいそと現場の皆に道具を運んでいた。

 

 十三時の鐘が鳴り昼休憩の時間になった。当然のように弁当は出なかったので、3人は刺すような空腹に耐えつつ空を見上げるほかなかった。春なのか秋なのかわからないが、気持ちいい風が吹いている。

 

 「一個、すごいことに気付いたよ」

「へえ」

チャゴの言葉に何となしにキムラが答えた。

「上から見たんだが、この街は、壁に囲まれた建物だ。その広さは異常だ」

男二人は目を丸くした。

「どうもこの街周辺にはそれほど大きい建物がないらしく、見晴らしがよかった。目測だから自信はないけど、ざっと三十キロ位先に、壁が街を囲むように見えた」

「壁に囲まれた街? ここは東京のどこかじゃないんですか? 一体どういうことでしょうね」

チャゴの答えにキムラが漫然と答えた。


「それに、建物って言うのはどういうことです? 」

さらにキムラがくと、チャゴは二人の後方、斜め上を指さした。二人が振り返る。



 工事現場の幕の先、二、三十メートルほどの建物の先が所狭しと並んでいた。そしてそのはるか後方に、不気味に薄ぼんやりと空に向かう直線がうっすらと見える。

「……あれはなに?雲? 」

満福が不安げに訊くと、チャゴが答えた。

「……柱、いや、ビルだよ。とんでもない高さで、先が見えなかった。雲の上まで間違いなく続いてる」


「……ウソだろ」

キムラが呆然と答えた。チャゴは続けた。

「これが嘘じゃない。あたしも化かされてるのかと思って何度も見たけど、あれは中央棟──いわばセンタービルだ。ここからだとほとんど見えないけど、センタービルから建物が放射状に拡がっている。階段畑みたいにね。全く、悪夢みたいだよ。ここは間違いなく、日本じゃない」

「……信じられないよう。だって日本語も通じるし、サイゼリヤだってマックだって普通にある。東京でないにしろ、どこか別の街ではないの? 」

満福が不安げにつぶやくと、チャゴはピシャリと、返した。


「違うね。だってマンプク、壁で囲まれた街やら雲まで届く超高層ビルなんて、日本で見たことないだろ? あたしも聞いたことないよ」

「じゃあここはどこなの? もしかしてあの世? 」

「……最悪そうかもしれないね。あたしらの記憶もほとんど無いからはっきりとは言えないけどね」


──俺たちは死んだのだろうか? キムラは自問自答していた。



 死んだとしたら、なぜ? 考えようとしたが、空腹で頭が整理できない。それに気づくといよいよ考えはまとまらなかった。

「……まあ、あたしも午後はもう少し周りのヤツに話を聞いてみるよ。あんたらも頼むよ! 」

そう言ってチャゴは二人の背中をバシンと叩いた。

 


すらりとした長身の男がキムラに爽やかに答えてくれた。

「そりゃあなた、ここは日本チャンドワですよ。当たり前でしょう? 外国から来たんですか? 」

キムラは重そうな見た目の割に軽い資材を選んで運びながら、話しやすそうな男を探して情報収集していた。

「──いや、すいません空腹で頭がクラクラして、ちょっと記憶が曖昧なんですよ」

爽やかな笑顔でキムラは誤魔化した。──日本チャンバラ? 最後の方がよくききとれていなかった。好青年は途端に心配そうな顔になり、


「ああ、大丈夫ですか? まあ、みんな同じですよ。明日のご飯のために今日働いている。水でも飲みます? 口つけてますけど」

ありがとうございますと一礼し、キムラは水をあおった。さすがにおにぎり一個しか食べていない状態での肉体労働は体にこたえていた。


「……三人はお友達で? 」

好青年が突然聞いてきた。昼休み円陣を作って話しているのを見ていたようだった。

「ええ、まあ、いや、知人ですかね……」

思わず言葉を濁すと、青年は目を潤ませて語った。

「あの女性、とても綺麗な方ですよね。まるで芸能人かモデルみたいだ。どんなご関係ですか? 」

こいつチャゴが気に入ってるのか、そう気付いたキムラは策を弄した。

「もし良ければ仕事後に少し話しますか? 紹介しますよ。その代わり。この街のことをもう少し教えてください。常識がいろいろ思い出せなくて」

青年はパッと明るい顔になり、いいんですか、と顔を近づけてきた。穏やかな相貌 そうぼうを崩さず、キムラは快諾した。

 


 青年の名は安東といった。2週間ほど前から現場で働いているらしい。


 安東によると、この日本のような街の他に、四つの地域があるらしい。街の人々は皆キムラたちと同様に四十八時間以内に食事をしないと死ぬという。中央の尖塔については分からないと答えた。


「なんで安東さんはバイトに? 」

何気なくキムラは訊いてみた。

「……ちょっと言っていることがよくわかりません。生活を送る方法がほかにあるんですか? 」

それを聞いて、改めてキムラはここが日本ではないことを確信した。働くという概念が既に彼が知る日本とは違う。キムラは穏やかに、そうですよね、と相槌した。


 

 夕刻になり、現場は終業した。手渡しの給料袋を開くと、千二百円入っていた。キムラの知る日本ではありえない低賃金だ。袋を覗きながら、満福が溜息をつく。

「あーこれじゃ牛タンも食べれない」

「いきなり全部使おうとするんじゃねえよどういう胃袋だ」

チャゴが面白がりながら辛辣に返した。


キムラは袋の中の金をポケットに入れながら誰にともなく呟いた。

「どう考えても日本じゃないですね、ここ」

チャゴが頷く。

「そうだね。鳶のおっちゃん達に しな作って話聞いたけど、どんな仕事も一日分の給与しか貰えないらしい。通りを歩いてるサラリーマン達もだ。ゾッとするのは、それに誰もなんの違和感も感じてないってことだ」


「不思議なのは、なんで俺たちだけ何となく日本の記憶があるか、ってことですよね」

「あーそれは皆目見当つかないねえ。なんだろね、死にたてだから? 」

それにはキムラも答えられなかった。

「……そういや、イケメンが姐さんと話したいって言ってました。ちょっと紹介していいですか? 」

すると、キムラの後ろから安東が顔を出した。

 


 「初めまして、安東と言います」

少しモジモジしながら自己紹介した。チャゴはさして興味もなさそうに、チャゴですよろしくー、と挨拶した。

「あのー、そちらの体格のいい方は? 」

「あ、僕、食田満福です」

何故か緊張の面持ちで満福は答えた。安東はこっそりキムラを手招きして耳打ちした。


「あの人すごい食べそうですよね。チャゴさんはああいう人が好きなんですか」

「あー、知らないっす」

キムラは適当に答える。

「なんだよ男同士で内緒話とか。好きなのか? 付き合うのか? 」

「いやいや、違いますよ! 」

そう安東が否定するとチャゴは少し残念そうに二人を見た。こいつも大概だなとキムラは思った。



「皆さんお聞きしたところ記憶喪失なんですってね。お気の毒に。まあ仕事さえちゃんとしてれば飢えることはないんで、がんばりましょう! 」

安東が白い歯を光らせながらさわやかに笑った。

「そうですね。ところで、さっきなんか聞き覚えない言葉を言ってましたよね。日本チャンバラとか何とか。何ですか? 」




 そうキムラが尋ねると、安東はなにかに気付いたような顔をして話し始めた。

「日本チャンドワです。……ほんとに皆さん記憶が無いんですね。この地域の名前ですよ。よろしければこの後食事でもいかがですか? 色々とお教えします」


三人は一度顔を見合わせたあと、頷いた。



<残金4,204円>

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