9、人に見られてはいけない

 朧月のやわらかな光が降り注いでいる。

 山に囲まれた火社町の夜は、より一層暗い。少しの肌寒さを感じながら、明石は境内にある木の陰で息をひそめていた。


 現在、時刻は午前一時である。

 七瀬に深夜にもう一度神社に来るように言われ、いったん帰宅し寝たふりをしてこっそりを家を出てきた。こんな時間に外出すると言ったら、いくら男でも父は許してくれないと思ったからだ。パーカーの上に、薄手のウィンドブレーカーを羽織って、一人で神社まで走ってきた。


 明石が到着すると、七瀬はすでに鳥居の前に立って待っていた。七瀬も家に帰ったんだろうに、まだ制服を着ている。 

「お前、制服好きなのか?」

という質問は、またしてもスルーされた。こっちだ、と言って境内の中を迷うことなく進む後をついていく。


 参道から少しそれたご神木のところまでやってきた。そこから十メートルほど離れた欅の木の陰で待機することにしたのだ。ここからなら、ご神木が良く見える。


「境内にご神木って何本かあるんだろ? これだけ広い神社だし、ピンポイントで待ち伏せでいいのかよ?」

「ここは本堂や参道からも一番遠くて、見つかりにくい。あと二日なんだ、絶対に本懐を遂げたいのなら、このご神木を選ぶはずだ」

 静まり返る草木の中、できるかぎりの小声で会話する。

 

暗闇というのは、それだけで恐ろしい。隣にいるのを確認したくて、七瀬に話しかけてしまう。

「こんな夜中に神社に来るなんて、怖くねえのかな」

「なんだ君怖いのか?」

 七瀬は小馬鹿にして笑っている。

「……人を本気で呪いたいと思ったときには、他のこと考える余裕なんてないくらいすでに心が負の感情でいっぱいになっている。憎しみや嫉妬で狂いそうになるほどだ」

 まるで経験したことのように七瀬は言う。


「それに、丑の刻参りをするのは女性が多いんだぞ?」

「えっ、そうなのか!? ああ、でも日本画みたいなやつで女の人が釘うってるの見たことあるかも」

「鳥山石燕か。……丑の刻参りが最もさかんに行われたのは江戸時代だが、実は最近でも行われることが多い。女性は情が深いからな、鬼にも仏にもなりやすいんだ」

 明石はもうすぐやってくるであろう女を思った。髪を振り乱し、藁人形を持って釘を打ち込む鬼の姿を想像して、ブルっと身体を震わせた。


 依然として辺りは静寂に包まれていた。まだ、誰か来る気配はない。じっとしているせいが、先ほどより寒さが増してきている。

「っへくし……もし朱宮さんが来てたら風邪ひいちゃうよな。俺らに任せてくれてよかったよ」

「まどかは箱入り娘だから、どっちにしろ無理だけどな。あいつの門限は7時だ」

「箱入りの娘のお嬢様か……最高だ……」

 あんなに可愛いのだから、親御さんはそりゃ心配するだろう。大切にされているのだと思った。


「朱宮さん、父は取りあってくれないって言ってたけど、お父さん宮司じゃないのか?誰かが神社で丑の刻参りしてるってなったら、止めるんじゃないのか?」

 なんなら、まどかの父も来るのではないかと思っていたのに。いたのは七瀬一人きりだった。

「まどかの父は入り婿なんだ。だから霊的な力はまったくない。それどころか合理主義者だ。どう神社を経営していくかに重きを置いている」

 プライベートな家の事情まで知り尽くしている様子を目の当たりにして、明石はずっと気になっていたことをぶつけることにした。


「なあ、七瀬と朱宮さんってどんな関係なの?」

 名前で呼び合ってたよな、と補足する。


「もしかして、付き合ってる、とか?」


 ともに名門の家に生まれた美男美女、これ以上お似合いなことはないだろう。明石の心臓はドクドクと鼓動を速めた。 


 七瀬は一瞬息を止めたような気配がしたが、すぐに答えてくれた。

「幼馴染なだけだ。縁の深い家同士だったし、境遇も少し似ているからな」

幼い時から知っている、と声を潜めていった。


「ふーん……」

 聞いておきながら、必死で興味のなさそうな声を出した。内心では、盛大に安堵している。


「そういえば、お前ってハルってなま」

「シッ、誰か来たぞ」

 言いかけたところを七瀬に手のひらで口をふさがれ、慌てて黙る。



 ご神木の方を目を凝らしてみれば、闇の中を影が何やらうごめいている。


 動きが止まったかと思いきや、今度はカン、カン、と金属を叩く音が聞こえてきた。これは、金槌で釘をうちつける音ではないか。

 七瀬は忍び足で少しずつご神木に近づく。明石も、荒くなりそうな呼吸を必死に抑えて、ゆっくりとついていった。


 闇にまぎれ、気づかれることなく背後までやってきた。

 金槌を振り上げたとき、七瀬は聞いたことのないような優しい声で話しかけた。


「おやめなさい」

 

 影の主は、声に驚きこちらに振り返った。


 雲から月が姿を現し、あたりが幾分か明るくなる。

 明石は七瀬の後ろで、固唾を飲み込んだ。


 月明りで見えた呪いの主は、鬼でも山姥でもなく、茶髪のショートカットをした二十代くらいの女性だった。

 上は白のニットシャツ、下はジーパンをはいている。


 どう見ても、呪いとは縁がなさそうな、普通の女性だった。


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