5、陰陽師が使う、もっとも一般的な呪法とは……

 昨日の鮮やかな青空が嘘だったかのように、どんよりと曇っている。


 父と妹が家を出てまもなく、七瀬はやってきた。土曜日だというのに、きっちりと制服を着ている。

「なんで制服?」という質問はスルーされ、邪魔するぞ、と言って靴を脱いで上がってきたので、急いで居間に通した。


 七瀬が周りをいぶかし気にキョロキョロと見回しているところに、急須でいれた玄米茶を出した。


「どうだ? やっぱ幽霊がいるのか?」

 怖くなって、明石も部屋を見回すが、特に何も見えない。俺、霊感ないからな……とつぶやけば、七瀬は湯飲みをとって一口茶をすすった。


「幽霊がいるわけじゃない。というか、君は勘違いしているようだが、僕は霊媒師ではないぞ」

「え、お祓いできるんじゃないのか」

 祈祷師なんだろ?とぽかんとして訊けば、渋い顔で返される。

「厳密にいえば祈祷師とも少し異なるが……。この家は幽霊が棲みついてるわけじゃない。呪われているといっただろう」

「死んだ人の怨念とかじゃないのか?」

「違う。妹の部屋はどこだ?」

「え? 隣だけど……」

 唐突に七瀬は立ち上がり、すずの部屋へと行く。と思いきや、玄関へと向かった。靴を履いて外に出てしまう。明石も慌てて靴を履いて後に続く。なにか気に障ることを言ってしまったのだろうか。怒って帰るつもりか!?


 止めなければと声をかけようとしたとき、七瀬はくるりと向きを変えて、庭の方へ回り、縁側のそばで足を止めた。

「おい、ここから縁の下に手を伸ばせるだろう。君、ないかさがしてくれ」

「おれ!?」

 急に指示されて驚く。床下20センチほどある縁の下の空間はじめじめと暗く、ところどころ蜘蛛の巣も張っている。


「自分でなんとかすると豪語していただろう。早くしろ」

 有無を言わさない、美形の怜悧なまなざし。こいつ…結構えらそうだな、と思いながらも膝を地面につけてかがむ。


 暗くてよく見えないので、とにかくいけるとこまで奥に腕を突っ込んで、手当たり次第に動かした。湿った土が指先にあたり気持ち悪い。少しずつ移動しながら手探りでを探す。しばらくすると、硬いものにあたる感触がした。


「七瀬! なにかあったぞ!」


 指先でちょっとずつ動かし近くまで引き寄せると、両腕で一気につかんで日の下へと取り出した。


 それは、直径十五センチほどの小さな土器だった。埃まみれで汚れており、こげ茶色をしている。もとはどんな色だったか分からないぐらいだ。ぴったりとフタがしてある。


「これ…なんだ?」

 試しに蓋を引っ張ってみる。


「ばっ、開けるな!」 



 焦ったような七瀬の声が聞こえたが、蓋は開いてしまった。思わず中身をのぞき込む。








「う、うわああああああああああああ」


 





 中に入っていたのは。 


 無数の黒い髪の毛と、


 人型に切られた古紙だった。





 あまりのおぞましさに明石は叫び声をあげ仰け反った。後ろにいた七瀬が迷惑そうな顔をして、両手で耳をふさいでいる。


「いったいなんなんだ、これは!」


 振り向いて説明を求めれば、やれやれといった体で七瀬は言った。


「呪物だ。これは陰陽師の最も一般的な呪法で使われるものだ。土器に呪いたい相手の髪の毛と人型の切紙、餅を入れる。餅はさすがに腐りきったんだな…。これに式神を憑依させて、相手の寝起きする家屋の床下に埋めておく。呪詛で相手は病気になったり命を落としたりする」


 たんたんと語っているが、聞きなじみのない恐ろしい単語がいくつも登場している。 


「なんで!?いつの間に俺ら呪われたの!?」


「騒がしい奴だな、どう見ても何十年も前のものだ。君たち家族を狙ったものじゃない」



――そして七瀬は静かに語り始めた。


 五十年ほど前、火社町には松尾という町長がいた。

 代々この町に住む人格者で、とても好かれていたそうだ。だが、中央から政府の息のかかった新しい権力者がやってきた。


 権力者は、松尾から町長の座を奪うために、策を練る。

 浮浪児を雇い、松尾の家で奉公するように仕向けた。


 孤児だという子供を哀れんで、松尾は面倒をみてやった。小汚かった子供を風呂に入れてやり綺麗な服を着せ、小遣いも少し渡してやった。


 しかしある日、近くの民家に着物をはだけさせた幼女が泣きながら逃げ込んできた。その子は震える声で、とぎれとぎれに言う。


” 、”と。


 この子供がとっくに権力者によって買われていることを、人の良い町民は知る由もなかった。


 松尾は人格者だったが、五十を超えても独身だった。


 それは病死した恋人が忘れられなかったことが理由なのだが、そんなことを知らない人々にとって、その事実は恐ろしい裏付けとなってしまった。


 その日以来、町民が松尾を見る目は、180度変わってしまった。新たな権力者が、信じていた町長に裏切られたと憤る町民の心を掴むのは、造作もないことだった。


「なんだそれ、ひでぇ話だ……」


 胸くそ悪い、と明石は口汚く罵りたくなった。


「何もかも失った松尾は、家を新しい町長に引き渡すことになる。この家のことだ」  


「え…?」


「家を明け渡す前に、呪物を軒下に置いていったのさ」


「じゃあこれは、松尾サンって人が、自分をはめたヤツを殺すためにやったのか?」

 

七瀬は首肯した。


「親切にした恩を仇で返される怒り。罠にはめられた恨み。自分を信じてくれない町民への憎しみ。身を焦がすほどの憎悪はいくばくか。呪いたいと思うほど」


 ありったけの恨みをこめて、この土器を家に残していったのだろう。


「哀れじゃないか――」


 口元にうっすらと笑みを浮かべて、七瀬は陶酔したようにつぶやいた。

 その姿に、明石はどこか落ち着かない寒気を感じた。


「だが、安心しろ。この呪いは呪物に式神を憑依させてなければ、呪詛の効果はない。素人が見ようも見まねでやったところで成功しないものだ。ただ強い憎しみの念が呪物に残り、禍々しい気を放っていた。それが君の妹の体調に影響していたんだな」


 幼い子どもは大人より悪い気を受けやすいから、と続け、七瀬はいつもの平坦な表情に戻った。


 死に至るようなものではないと知り、明石は胸をなでおろす。言われてみれば、この土器があるのはすずの部屋の下だった。


「大人でも敏感な人は違和感を覚える。だからこの家にはなかなか人が住みつかない。君は鈍感だから何もわからなかったようだな」

「ばかにしてる!?」


 土器を取り除けば、体調もそのうちよくなるだろうと七瀬は言う。さらに土器を引き取ってきちんと浄化させてくれるとのことだ。


「そうか……よかった。それにしても、お前…なんでそんなこと知ってるんだ? 町の郷土資料館に話が残ってるとか? あっ、だからクラスの奴らも知ってるのか!」

「そんなわけあるか。あまりに人が住みつかないから何かあるんじゃないかと、都市伝説のように噂されているだけだ」

「都市伝説……?だからあの反応か……。じゃ、なんでお前は真相を知っているんだよ?」

 さっぱりわからずに、肘で七瀬をつついた。速攻で馴れ馴れしいッと怒られ、手で叩き落とされる。


「七瀬家は平安時代より続く祈祷師の一族だぞ。この町の歴史に誰よりも詳しいに決まっている」 


 千年を超える時の長さに、明石は圧倒されてしまう。俺なんて、じいちゃんの父さんがどこのだれかすら知らないのに、と胸の内でこぼした。


「お祓いもできるみたいだし、色々知ってるし、さすが名家の跡取りだな。俺、すごい奴がいる町に引っ越してきたんだな」


 明るい声色で、素直に気持ちを吐露した。だが、ほめられたはずの七瀬は、嫌悪感を露わにして眉を寄せている。


「……七瀬の家は元は陰陽師の血筋だ。とりわけ呪法に強い家だった。だんだんと呪術を専門に取り扱うようになり、古今東西のあらゆる呪いを行うようになったんだ」

「へ?」

 急に語りだされたので、頭の上にはてなマークを浮かべていると、七瀬は、君は国語の成績悪いだろ、と言ってきた。失礼なやつだ、国語は数学よりマシだというのに。


「君は呪いを霊障かなにかと勘違いしているようだったが、先ほどもいった通り俺は霊媒師ではない。しいて言うなら呪術師というのが一番近い」


 七瀬の灰青の瞳はかげり、今は黒に見えた。



「呪いをかけるのは、幽霊でも妖怪でもない。人間だ」


 

 多額の金と引き換えに、人間の恨み、つらみを晴らす。

 それが代々続いてきた七瀬家の生業だ。

 だからこの土地には七瀬家を忌み嫌う者も多いのさ。

 

 七瀬は嘲笑するように、そう吐き捨てた。口元は笑みを浮かべているけど、なぜだか痛がっているようにも見えた。


(だから教室にもほとんどいないのか…?)


 七瀬の名前を出したときの、時田の反応を思い出す。


「……お前も仕事で人を呪うのか?」


 おそるおそる、問う。絞りだした声が震えている気がして嫌になる。


「無知なやつだ。呪うということはとてもリスキーなんだぞ。よっぽどのことがな

ればやらない」


 七瀬は鋭く明石をにらんだ。


「僕は呪いを解くのが仕事だ。今回のように素人が中途半端な呪いをかけることは意外と多い。呪いを止めるのが僕の役目だ」


 悪影響も与えるしな、と腕を組んで、キッパリと告げてきた。それを聞いて、明石は安堵して一息ついた。張りつめていた空気がふわりと緩む。


「なんだ、お前良い奴じゃん」


 ニタリと口角を上げて言う。七瀬は怒るようににらんできたが、照れているのか色白の顔が赤くなってしまっている。意外と可愛いところがあるかもしれない。


「なあ、松尾サンはどうなったんだ? この町の歴史を知ってるんだろ?」

「土地を売った金で、死んだ恋人の故郷でひっそりと暮らしたと聞いている」

「そっか……。抱えきれない憎しみを、呪いと一緒に置いていけたのかなぁ」


 恨む苦しみから逃れられていたらいいなと思う。 



「そうだ、お礼にお好み焼きごちそうするぞ? めちゃくちゃウマイんだぜ!もうすぐ親父とすずも帰ってくるから一緒に食べようぜ」


 引っ越しの時にホットプレートを持ってきたはずだから、一気にたくさん焼けるのだ。


「……遠慮しておくよ。この土器を始末しなければいけないしね。もう行くよ」


 七瀬は土器に蓋をして両手に抱えて立ち上がると、さっさと歩き出してしまった。

 その速さにはあっけに取られたが、その背中に「ありがとなー!また学校でなーー!!」と大きな声をかける。しかし一度も振り向くことなく、曲がり角に消えていった。

 

 

 本当のところ、これですずが良くなるのかは半信半疑だった。

 だが、その疑いは夜には晴れることになる。これまでの不調が嘘のように、すずは元気になったのだ。


 日曜日、食欲が戻ったすずのリクエストにより、家族3人でお好み焼きパーティーをすることにした。

 あつあつのそれを小さな口を尖らせてフウフウしている妹を見て、明石は心から七瀬に感謝したくなった。だが同時に、胸の奥から恐怖が沸き上がってくる。


(呪い、というものは本当にあるのだろうか?)


 口の周りをソースでべちょべちょにしながら、すずは「おいしい!」と笑っている。特製のお好み焼きは、幼い頃母に教えてもらったものだ。


 七瀬。代々呪術師の一族――。少し怖い。でも。


「なんだか悪いやつには見えないんだよなぁ」


 と、小さくこぼした後、明石もマヨネーズをたっぷりかけたお好み焼きを口いっぱいに頬張った。

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