4、七瀬って誰だよ
翌日の放課後、明石は図書室の前にいた。
転校してきたこの学校には、図書室が二つある。一つは数年前に校舎を改築した際に、パソコンを多く導入して作られた新図書室。もう一つは多くの蔵書がそのままになっており、今も利用できるようになっている旧図書室。
今いるのは、後者だ。最近の調べ学習もだいたいパソコンで行うので、旧図書室を利用する生徒はほとんどいないそうだ。
今日の昼休み、明石は前の席に座る角刈りの男子――名前を時田という(予想通り陸上部だった)――に色々と訊いてみた。
まず昨日話した美少女についてだ。少女はやはり同じクラスだった。翌朝、廊下側の一番後ろの席にちょこんと座っていた。名前を朱宮まどかと言い、誰ともつるもうとしない、一匹狼みたいな女子らしい。
クラスの男女ともに敬遠されているが、男子にはひそかにファンが多いとのこと。俺も結構タイプだ、と時田は照れたように鼻をかいた。
次に七瀬について訊ねると、途端に苦虫をかみつぶしたような表情をした。あまりしゃべりたがらなかったが、次のことは教えてくれた。
七瀬は、火社町では有名な祈祷師の家の跡とりで、稼業でお祓いなどを引き受けている。ほとんど授業には出ず、旧図書室にいるという噂だった。
(だから、七瀬ならなんとかできるんだな……)
今日は出張から帰ってくる父が早めに帰宅できると言っていたので、すずは父に任せることにする。呪いなんて非科学的なものを信じるわけじゃない。万に一つということもあるし、まどかに言われたことも気になる。
明石は旧図書室の引き戸をゆっくりと開けた。
「失礼しまーす……」
埃っぽい独特のにおいが鼻に漂ってくる。この高校は歴史が長く、校舎も趣がある。旧図書室は明石が前に通っていた高校のものよりも大きい。
人気がなく、ずいぶんと静かだ。窓からは行き遅れた春の陽が差し込んでいた。遠くにグラウンドを走る運動部の掛け声が聞こえる。ここだけゆっくりと時が流れているようだ。
背の高い本棚の間を奥へ奥へと進んでいく。七瀬はいつもいるわけではないらしいから、もしかしたら空振りかもしれない。そもそも肝心の七瀬がどんな人物なのかいまいち分からない。
不安と期待が入り混じりながらさらに歩みを進めれば、本棚のゾーンは終わり、机と椅子が置かれた空間へと出た。部屋を見渡せば、窓際の奥に一人の男子生徒が座って分厚い単行本を読んでいた。
透き通るような白い肌に、色素の薄いさらさらとしたストレートの髪。スッとした鼻筋に涼し気な目元をしていた。その上に、細い銀縁の眼鏡をかけている。
(美形だ……)
これはモテるだろうな…と明石が呆けていると、 本に視線を落としていた瞳がこちらを向いた。突然目があって思わずうろたえてしまう。
「なんだ?」
よく響く低い声で、眼鏡の生徒は不機嫌に短く問いてきた。無遠慮に凝視してしまったので、失礼だったかもしれない。
「あっ、ご、ごめん……。俺、七瀬を探してるんだけど」
「七瀬は僕だ」
「お、お前かよ!?」
呪いをなんとかしてくれる人、とのことだったので、前髪が長めなオカルト系男子か、寺の息子で坊主、とかだと思っていた。実際は想像と正反対の清潔感のあるイケメンた。
「君こそいったい誰だ」
七瀬は不審を露わにして、眉をひそめている。
「俺は明石悠平。昨日転校してきた。お前と同じクラスだ」
「初対面なのにずいぶんと失礼なやつだな。で、転校生が何か用?」
興味を失ったように、視線を本へと戻してしまった。明石はクラスメイトのあまりにすげない態度に心が折れそうになりながらも答える。
「朱宮さんからお前のことを聞いたんだ。それで…相談に乗ってくれないかと思って」
「まどかに…?わざわざ僕のことを聞いたってことは、仕事の依頼か」
彼女を呼び捨てにするとは、どんな関係なんだと思っていると、七瀬はパタンと本を閉じ、再び明石と視線を合わせた。
「それなら話を聞こうか。そこに座りなよ」
顎で対面の席に座るように促される。明石は恐る恐る、作り物のように整った顔の男の前に腰を下ろした。
「朱宮さんに住んでいる家が呪われているって言われて。クラスのやつらもたぶんそう思ってる感じだし。関係ないとは思うけど、引っ越してきてから妹の体調も良くなくてさ……。七瀬ならなんとかしてくれるって聞いたから相談しに来たんだ」
七瀬は顎に指をあてて、目を細めて聞いていた。何気ない仕草が恐ろしいほど絵になっている。
「君の家は二丁目の一本松がある古い家のことか?」
やはり地元では有名なのか。その問いに頷くと、七瀬はため息を一つついた。
「なるほど。それでは期待に応えてアドバイスをしよう。今すぐ引っ越した方がいい」
「は!? それ朱宮さんにも言われたぞ!? そんなにやばいのか!?」
不安に駆られて目の前の綺麗な男に詰め寄る。七瀬は動じることなく平熱で答えた。
「まどかなら同じことを言うだろうな。簡単に解決できる最善の策を提案したんだ」
「こっ答えになってない!? まさか本当に呪われてるのか…?」
いや、そんなわけない。自分はあの家で何も感じたことはないし、きっとあのクラスではホラーが流行っているのだ。それで転校生をからかって面白がっているのだ。きっと何年後かの同窓会でネタにする気なんだ。
「なぁ、そうだろう?」
ひくひくと必死の笑みをつくって、七瀬に詰め寄る。
「君がそう思いたいなら、それでいいだろう。引っ越せないのなら真相など聞かない方がいい」
もう絶対にあの家に何かある物言いである。明石はがくりと肩を落とした。やはりすずの体調不良は、不吉な家が原因なのか……?
だからといって、そんなに簡単に新しく引っ越せるはずもない。男手一つで子供二人を育ててくれる父親に金銭面でも精神面でも負担をかけることになる。
「七瀬、たのむ。引っ越すのは難しいんた。お前、お祓いとかできるんだろ? なんとか力になってくれないか?」
この通りだ、と深く頭を下げる。しかし、七瀬はぴくりとも心に響いていない声色で言う。
「簡単に言ってくれる……こちらは仕事でやっているんだ。君に報酬を支払えるだけの甲斐性があるのか? 引っ越す方が安く済むと思うが」
七瀬の家は有名な祈祷師の家。お祓いの金額の相場などは知らないが、きちんと仕事として引き受けているのなら、それ相応の料金がかかるのだろう。
「そうだよな……。ごめん、失礼なことを言った」
素直に謝罪を口にすれば、七瀬はフン、鼻を鳴らした。明石はめげずに食い下がる。
「そしたらせめてあの家についてだけ教えてくないか? 情報量は俺のこづかいすべてだ。ちなみにメッチャうまいお好み焼きもつける」
「だから、訊いてどうすると言っている」
七瀬は声の温度をさらに一、二度下げて冷気をまとう。眼鏡越しに明石をじっと見つめてくる。よく見ると、その瞳は灰青の色をしていた。
明石はそれをまっすぐに見つめ返す。
「自分でなんとかする」
原因がわかったら、自分でなんとかできるかもしれない。死ぬ気で調べれば、対策も立てられるはずだ。その旨を七瀬に伝えれば、芸術家たちがこぞってミューズにしたがりそうな美しさをもつ男は、海より深いため息をついた。
「君は馬鹿か」
「な、なんだとッ」
「素人にどうこうできるわけないだろう。……わかった、僕が指示して極力君が動け。それで手を打とう」
心底不本意であるが、と七瀬はつづけた。それを聞いた明石は、目を見開き、立ち上がって前のめりに七瀬に近づいた。
「本当か! イケメンだけど良い奴だな!」
盛大な偏見を含んだ言葉を吐きながら、陶器のような白い手を握りブンブンと振る。すぐに向こうから引っぺがされたが。
「君の家に調べにいきたいが、なるべく誰もいないときの方が都合がいい」
「ああ! それなら明日妹を連れて親父が病院へ行くから、その間に来てくれないか?」
と、詳しい時間を伝える。七瀬はうなずくと、すっと立ち上がった。座っているときには同じくらいの背だと思っていたのに、立ってみれば明石より10センチは高い。
同い年なのに、ずいぶんと大人に思えた。顔もスタイルも良いとは、不平等に舌打ちしたくなる。
「では、明日の君の家に行こう」
それだけ言い残すと七瀬は読んでいた本を小脇に抱えて、さっさと図書室を出ていってしまった。
後には窓際から差し込んだ陽が、キラキラと光っているだけである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます