第58話 青い桜

 『九相図くそうず』と言う物がある。仏教絵画の一つで、屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく経過を九つに分けて描いた、と言うものだ。


 其ノ一 脹相ちょうそう――死体が腐敗によるガスで内部から膨張。

 其ノ二 壊相えそう――腐乱が進み皮膚が破れ始める。

 其ノ三 血塗相けちずそう――腐敗による損壊がさらに進み、溶解した脂肪や血液や体液が体外に滲みだす。

 其ノ四 膿爛相のうらんそう――死体自体が腐敗により溶解する。

 其ノ五 青瘀相しょうおそう――青黒色になる。

 其ノ六 噉相たんそう――虫が湧き、鳥や獣に食い荒らされる。

 其ノ七 散相さんそう――その結果、死体の部位が散乱する。

 其ノ八 骨相こつそう――血肉や皮脂がなくなり骨だけになる。

 其ノ九 焼相しょうそう―― 骨が焼かれ灰だけになる。


 そして今俺の瞳に映っているその光景は、其の一から其の八までの集合体のようなものだった。

 むくろ。それが集落中に蔓延っており――いや、最早それが集落と化していた。眼前に広がる死の臭いと、それを貪ろうとするハエ達。血肉を啄む鳥。紛れ込む獣。集落は赤黒色に染まっており、死の静寂と脆弱を放っていた。


 (何が……?)


 言葉を失っていると、急に身体が硬直。そして自由が利かなくなる。直ぐに俺は、身体の支配権がアスタロトになったと気付いたが、


 「おい、アスタロト。どういう事――!?」


 するとアスタロト急に猛スピードで、その集落の上空を飛ぶ。下を見れば見るほど悍ましい光景だ。それが人と認識するのにも少し時間がかかるほど、殆どの死体は原型を留めていない。おまけにこの臭いだ。恐怖すら忘れるほどに……。

 しかしそんな事よりも、今はアスタロトだ。アスタロトは異常に焦りの表情で、死の集落の中心に、凄い速度で向かっている。

 俺が「おいッ!」ともう一度呼びかけると、


 『もしかしたら、元の時間に帰れるかも知れないッ!』

 「……なっ」


 唐突な答えで脳の整理に時間がかかるが――直ぐに切り替えて、


 「帰れる!?」

 『うん、多分ッ! でも確実なのはさっきからのこの感覚、この流れ。元の時間と全く同じっ。それに仮説だけど、ここがあの神域の中だとしたら……。つまり今繋がったんだよッ! 元の時間とここ、古事記がッ!』


 すると――それが視界に現れた。

 辺り一帯が紅黒色に染まり、屍と骸と乾いた血のみが永遠と続くと思っていたこの集落。そんな集落のほぼ中心にそれは静かに、そして圧倒的存在感を放ちながら立っていた。

 青色。ただ青色。その集落に似合わない美しい青色。それが風に吹かれて、少しずつ落ちていっている。



 ――――青い桜。



 見たこともない、聞いた事もない種類だ。しかしその見た目はあの日本で有名な木、桜そのものだった。

 と、次の瞬間に気付いた。その花の下、幹の部分。そこに黒と認識しようとすれば黒。白と認識しようとすれば白と言う、不思議な裂け目が出来ている事に……。


 『あの裂け目の先が元のッ! もう閉まりそう、間に合えッ!!』


 俺もアスタロトと同じで間に合えと願う。この裂け目に飛び込めば、元の時間に帰れる。そしてこの古事記の世界とはお別れ――。

 刹那、背筋が凍る。


 (この……感覚ッ!)


 まるで顔に水滴が一粒落ちて来たような感覚だった。記憶が自分に問いかけて来た。さっき感じたあの残酷な感覚が、再び広がり始めたのだ。それも集落全体……いや、もっと。恐らく紅伊くれない達がいる場所へと――。


 (――紅伊くれない達は……どうなるんだ?)


 瞬間、俺はアスタロトから無理無理身体の支配権を奪おうとする。考えるよりも先に身体が動いた。


 『な、ちょッ!? 何してるのクロムッ!?』

 「紅伊くれない達がっ。このままだと紅伊くれない達がッ!!」


 俺の身体が空中で硬直。俺は身体の支配権を乗っ取ろうとするが、アスタロトも支配権を譲ろうとしない。アスタロトは焦りながら、


 『クロムッ、私達は元の時間に帰る事が目的なんだよ!? それにこの時間でどうなったて、あの子達がどうなったって、全部元の時間に繋がるの知ってるでしょッ!!』


 その言葉を聞いた瞬間、全身にあった張り詰めた糸がプツンと切れた。同時にアスタロトに身体の支配権を戻す。

 そうだ、確かにそうだ。俺達の元々の目的は元の時間に帰る事。ここで何が起ころうが、紅伊くれない達に何があろうが、全て元の時間なる。つまり俺達にとって助けに戻ると言う選択肢は意味がないのだ。

 ただ底知れぬ罪の――嫌な感じがする。


 『よし、閉じるまで後少し……行くよ、クロムっ!』


 懐かしい感覚だ。姉ちゃんの声で、まるで手を引っ張りなら言われるような台詞は、俺の罪悪感をも打消し納得してしまう気分になれた。

 

 「うん、そう――」


 瞬間、そんな気分をソイツは一瞬で打ち消した。

 赤黒い人型の何かが真下から飛んで、


 『【力鳴リキナイロ 潰頭カイガシラ】……』


 その手に持っていた長い石の棍棒のようなものを、こちらに物凄い速さで振り下ろして来る。アスタロトは直ぐにかわせないと判断したのか、


 『【三重防壁サード・バリア】っ!?』


 その人型と俺達との間に三重の【防壁バリア】が出現するが、その持っていた石の棍棒は一瞬にして、三重の【防壁バリア】を粉砕。

 ゴイィン――瞬間、俺がアスタロトから支配権を奪い、【瘴神気ミアズマ】の刃の義足でその攻撃を受け止めたが……。

 

 (鈍い……重ぅいッ)

 

 次の瞬間には、

 

 「落ちっ!?」


 身体は下方向へと吹き飛んでいた。しかし【三重防壁サード・バリア】のおかげか、翼を使えば地面スレスレで何とか持ちこたえれるぐらいの威力。

 しかし、


 (翼が使えないッ!?)


 そもそも肉体の共有と言うものは、俺とアスタロトの意識50%:50%が、お互いの力を最も出せるとアスタロトは言っていた。ならば身体の支配時100%の時はどのような状態だろうか? 答えは簡単で、俺が身体の支配権を握っている時は、俺だけの力しか出せない。アスタロトが身体の支配権を握っている時は、アスタロトの力しか出せない。

 そして現在リンクが乱れまくっている俺は、そのまま紅黒く人皮がへばり付いている竪穴式住居に落下。だが見た目は禍々しいが、落ちた場所が竪穴式住居の藁と土の屋根。落下のダメージを最低まで抑えられる。

 

 「クソ、何だアイツ!?」


 一瞬過ぎてその姿をほぼ確認出来なかったが、あの棍棒のような石の棍棒。始めは魔道具だと思ったが、少し何かが違う感じがした。どちらかと言えば奴の一部のような……そんな感覚。

 すると、


 『クロムっ、裂けぇ……。に……?』


 アスタロトの細い声。俺はアスタロトの意識の方へと意識を向ける。

 するとそこには――ハエが集り蛆が湧くものもある。しかしその大半はミイラ化しており、それが音もなく揺れる。大量の大小関係ない人間の足が、壁から吊るされていた。

 流石の悪魔であるアスタロトも、この異様過ぎる光景を見て、混乱している様子だ。俺もあの時ならば……混乱していたのかも知れない。俺は妙にあの老人に感謝した。

 それを認識した間もなく、上から、


 『ザァ……【力鳴リキナイロ 潰頭カイガシラ】』

 

 俺はそれを間一髪でかわす。だが今の鈍く重い一撃は相当な威力で、俺達が落下した竪穴式住居を、瞬く間に粉々。地面が抉れ、辺りに地響きが起こる程の……。

 そしてその大きな人影の全貌を確認した。三メートル程の巨体に赤黒い鎧兜。石の棍棒と思われていた武器は、右腕と一体化しており、よく見ると人皮や血肉がへばり付いているのが分かる。そして何よりも俺が息を吞んだのはその中身だ。鎧と鎧の隙間から、黒いドロドロとした粘液がドロドロと流れており――あの紫色の未だ瞬きを見た事がない、大きな虚無の瞳。

 そしてコイツは直ぐ違和感を覚える。なんせコイツは――俺の霊感が反応しない。

 俺はとにかくコイツを倒すため、直ぐに作戦を考えるが、


 『クロム、コイツ……そこらの奴とは違うッ。未知で危険過ぎるっ、だからとにかく今は桜に――』


 ――――デゥグンッ。


 アスタロトの言葉が止まる。同時に俺も感じ取った。あの無意識に懐かしいと感じ取っていた感覚が……薄くなって……。

 俺は急いで青い桜の方に向かうが、


 『ギィ……【力鳴リキナオト 頭砕トウサイ】』


 赤黒い鎧兜が、石の棍棒の腕を振り下し、地面が揺れ、そして波を打つ。俺はそれに足を捕われて、


 (クソッ!)


 『クロムっ!』


 その場でバランスを崩して転んでしまった。赤黒い鎧兜は見逃さない。その図体とは想像できないほどの速さで、こちらに飛び上がり、


 『ァグ……【力鳴リキナイロ 潰頭カイガシラ】』

 

 (ダメだ、かわせないッ!)


 俺は即座にそう判断して、直ぐにアスタロトと思考を共有。リンクも回復して来たところで、


 「【瘴神気ミアズマ】っ」

 『【四重防壁フォース・バリア】ッ!』


 赤黒い鎧兜の一撃を、災禍の瘴気を帯びた四重の防壁が、正面から受け止める――がその内の三枚は一瞬で割れてしまった。


 (俺とアスタロトとの連携でコレか……っ)


 本気の俺達でこれだ。油断した瞬間、一瞬で持ってかれる。

 青い桜まであと三十メートルほど。足元には誰のかは分からない紅黒い髑髏が、二個転がっており、半分は潰れていた。……髑髏らもコイツの餌食になったのか? それを考えた時、直ぐに思った。

 ――絶対にコレになりたくない。

 俺とアスタロトはニヤリと笑い……。


 『【黒煙ノ幻リューマ】』


 今までのは俺達の幻影。

 本物の俺達は鎧兜の懐に潜り込み、


 「『【毒魔爪デ・イズグロード】ッ!」』

 

 俺の右手の毒を帯びた手刀が、鎧兜の腹部分に突き刺さり――しかしその一撃は思っていた感覚とは違った。


 『ズズゥッ』


 (なん……!?)


 手がその腹に吸い込まれていく。俺は直ぐに攻撃を止めて引き抜こうと――その一瞬、


 『【力鳴リキナイロ 潰頭カイガシラ】』


 (不味……ッ!!)


 「【瘴神気ミアズマ】ッ!」


 かわせないと判断し、その一撃を【瘴神気ミアズマ】で軽減しようとしたが……ろくに軽減されず、俺達はそれをモロに食らってしまう。


 「ガゥぁあッ!!」


 その瞬間、


 ――――シュゥ。


 『ぁ、裂け目が……』


 青い桜の裂け目は、静かに消えていく。残ったのは、この残酷な現実と、死体の集落と、


 『終ワリ、ダ……』


 青い桜は静かに散っていく。

 残酷な気は広がって行く。










 ――――前書き――――

 



 新・第三楽章ぉお‼️

 遂に完成致しました。


 『第21話〜』

 ↓

https://kakuyomu.jp/works/1177354054893542879/episodes/1177354054894010550



 内容は変わってないけど……。

 しかし!!


 (前)クロム〉狂気。

 (新)クロム〉覚醒+残酷+☆主人公★


 みんな大好きなあのシーンが、本当にカッコよくなっております。それにキャラに感情移入しやすいかも……。


 シリアス度、残酷度、造形度、描写度UP‼️

 見てね!!





 最後に愚痴です。

 宿題多すぎ……。


 次は第四楽章。

 ガンバル!!

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