第二楽章 言霊の呼び声

第10話 夜更け

 (猫ちゃんが五万七千二百ハ……猫ちゃんが五万七千二百九……ん?)


 そんな事を考えながら俺は意識を取り戻す。凄く身体が軽い。頭痛もなし。変な臭いもしない。要するに気持ちの良い朝だと言える。

 と言うか、 


 (柔らかい感覚……。どっかのベッドの上か?)


 俺は静かに目を開けた。グレーの天井。しかしそれは橋の下から見た景色ではなく、ちゃんとした天井――屋内だと言う事が推測される。

 俺は上半身を起こした。

 周りもブルーシートではなく、ちゃんとした白い壁。右奥にグレーの扉。そして俺はベッドに寝かされていたみたいだ。

 すると突然右横から、


 「……ぁ、起きた……。えっと……」


 凄くぎこちない女の声。俺はそちらを向く。

 長いストレートの黒髪。小顔、二重の目……可愛い。そしてどこかの学校らしき制服。……大きい。

 彼女は何とも言えない、どうして良いのか分からない様子でこちらを見てくる。

 対してこちらもどうして良いのか分からなない。なんせ俺は、なんでここにいるんだ? ここどこだよ? 状態だからだ。天使の頭をかち割った後、その後の記憶がない。

 なので取り敢えず、


 「よぉ、爆乳おっぱい

 「なっ!?」

 

 俺は真顔で言う。少しでもこの嫌な雰囲気をどうにかしたいからだ。

 まぁ正直な事を言えば、彼女の名前を思い出せない。可愛くて胸が大きい。そして例のサイコパス染みた行動。それらの印象が強すぎて名前が出てこん。だから爆乳おっぱいと言ったまでだ。

 ちなみに俺の彼女に対する評価はどん底。むしろマイナス。


 (あれがハニートラップって奴か……)


 まんまと引っ掛かった。あまり関わりたくない。

 すると右奥の扉が開き、金髪の白衣を着た女性が覗き込んで、


 「あ、起きた見たいだねぇ~。じゃあジェミーさん呼んでくるよ。あと林村さんにも」

 「あ、お、願いします。ケイトさん……」


 爆乳おっぱい(仮称)は金髪に言い、金髪は扉を閉める。

 一秒後また扉が開いて、


 「……クロム君……で合ってるよね?」


 金髪は俺に言い、対して俺はコクンと頷く。

 彼女はニッコリと笑って、


 「君とはウチと同じ匂いがするッ! デリカシーがないッ!」


 バタン。また扉は閉まってしまった。……なんだったんだ、今のは一体? また妙な雰囲気になる。彼女も何も言わない。本当にこう言う雰囲気が俺は嫌いだ。

 なので俺から疑問を、


 「なぁここ何処だ?」


 取り敢えず今は情報が欲しい。どうしてこうなっているのか、さっぱり分からん。

 すると彼女は何とも言えない顔。


 「……今は言えない。林村が来たら……」


 (何なんだよ……)


 次第に苛立ちが芽生える。

 それにだ、よくよく考えてほしい。俺はかつてこの女に殺されかけたのだ。そんな女と一つ屋根の下……何も起きないはずがなく。最悪また何かされるのかも知れない。そう考えるとこの状況自体恐いのだ。

 そう言えばなのだが――俺は川に落とされそうになった時を思い出しながら、


 「お前、そう言えば【言霊ことだま】使えるんだな。霊感ないのは嘘かよ……」


 【言霊ことだま】。それは言葉に宿る霊的な力……支配系超能力と言って良いのかも知れない。主にそれは発した言葉通りの事にする、または誘導する。そして空気感、つまり流れを作り出す事が出来る。それはもちろん霊力の力だ。

 俺が川に落とされそうになった時、コイツは【言霊ことだま】を発した。俺はそのおかげで何とか踏ん張れた訳だが――。

 あれ? 少し考えて見ると話が矛盾している気がする……。


 (あの状況なら【言霊ことだま】使わない方が良かったんじゃね?)


 俺が霊感があると知った時点で、そのような力は使うべきではなかった。俺にはある程度の耐性があるのだ。ならば使わない方が良かっただろう。

 その答えは直ぐに帰って来た。


 「……なに【言霊ことだま】って。霊感?」


 (本気で言ってる顔……やっぱ霊感ない?)

 

 ならば考えられる事なのだが――無意識。

 彼女は無意識に【言霊ことだま】を放った。だから俺は危険を察知し、踏ん張る事が出来た……そう言う事になる。無意識に感謝である。

 しかし少し心配な事も……。


 (あの【言霊ことだま】相当な威力だった……。そして本人は無意識……。相当周りの人間に被害が出たんじゃねぇか……?)


 今は考えないでおこう。……恐らく凄い事になっているはずだ。

 すると右奥の扉がガチャっと開き、また別の人物が入って来る。白衣の黒人の男性。

 彼は笑顔で、


 「目が覚めましたか。こんにちは。……どうですか? 左足のようすは?」


 (左足? ――あ)


 俺はハッする。そして急いで自分にかかっている布団をどかし、左足を確認――「うぉぉ」と感嘆の声が漏れた。

 あの地獄を再現したようにただれ、ウジ虫が湧き、骨が突き出していた左足の断面は、綺麗に縫われた痕がある。あの地獄の面影を全く感じない。


 「苦労しましたよ。よくあの状態で生きていましたね……。特に感染症も見当たりませんでした。凄い回復力です」


 彼はにこやかに言う。つまりこの人が俺の左足を復活、とまではいかないが、この綺麗な状態にしてくれたと言う事だ。

 俺は嬉しさと感謝の気持ちで、 


 「ありがとうございました。何とお礼すれば良いのか……」


 すると彼は嬉しそうに、


 「いえいえ、こちらこそ目覚めて下さって、ありがとうございます。私も嬉しい限りです。では後々林村さんが来ますので……では」


 (林村……)


 先ほどから聞く名前だ。言い方からして彼らの上司。そして俺を助けた人物……と捉えて良いのか? うーむ。なんにせよ、俺の左足を治す事の出来る医者を従え、大きな物を、権力を動かす力。


 (あの老人が林村?)


 そうも考えたが、爆乳おっぱい(仮称)が林村を”じっちゃん”と呼んでいない時点でそれはないだろう。

 そう言えばなのだが「東ミズチ」・「アンティキティラ」。あの老人が言った言葉だ。そんで協力者に助けてもらえと……。

 結局どういう意味だと考えたが――そこで記憶がフラッシュバックする。爆乳おっぱい(仮称)が言っていた。


 「もしもしミズチッ! 緊急事態なの。直ぐに、直ぐにッ! 橋の下、例の家に来てっ!」


 思考が加速する。

 ミズチ――林村――権力――人を動かす力――東ミズチ。


 (なるほど、繋がった……)


 林村=東ミズチ、と言う事だ。

 そこで疑問が生まれる。――なぜ偽名?

 俺はその林村が気になったので、


 「貴方は……。いや、林村ってどういう人ですか?」


 回りくどい言い方はせず、率直に聞いてみた。

 するとこちらを振り返らずに、


 「私の手は汚れてるんです……。けがれているんです……。でも林村さんは、そんな私に手を差し伸べて下さって……」


 それ以降は話したくなさそうだった。


 「そうですか……」

 「では……まだ安静に、ゆっくり休んで下さいね」


 ガチャ。黒人の彼は出ていく。

 すると隣で爆乳おっぱい(仮称)が、


 「君って敬語使えるんだね……。何か新鮮……」


 (コイツは何なんだよ……目も合わせないし……)


 さっきから爆乳おっぱい(仮称)が何を考えているのか良く分からない。ずっと腕を組んで、明らかに俺から意図的に目をそらしている。……腕を組んでいるので、妙に胸が強調されているのは秘密だが。

 何と言うんだろう。取り敢えずコイツや他の人に殺意はなさそうだ。この左足が証明している。なのでもう爆乳おっぱい(仮称)が俺を攻撃してくる事はないだろう。

 だが妙にツンツンしている雰囲気。その雰囲気は爆乳おっぱい(仮称)から、


 「んだよ、爆乳おっぱい

 「……ッ」


 苛立ちを覚えたので聞いてみた。

 すると爆乳おっぱい(仮称)は顔を真っ赤にして、


 「そ、その……。き、君……。お、ぉ……爆乳おっぱいって呼ぶのやめてよ……!」


 俺は取り敢えずと言う事で命名したのだが……どうやら嫌だったらしい。まだ俺の中の候補として、サイコ女やら、ジジイメンヘラなど色々あるのだが……。

 そう言えば、


 (さっきデリカシーがないって言われたなぁ)


 デリカシーの意味はあまり良く分からないが、他人から見て俺は何かが欠如していると言う意味だろう。俺こんなにピュアホワイトなのに……。俺はボケェーとそんな事を考える。

 対して爆乳おっぱい(仮称)は、


 「……聞いてる!? 爆乳おっぱい……じゃなくて……。私にもちゃんと名前があるの! 日下部結菜って言う名前が!」

 「あぁ……日下部結菜。うん、覚えてた」


 嘘である。そう言えば俺から聞いていた。

 昔から人の名前を覚える機会がなさすぎるせいか、人の名前を覚える事がどうにも出来ない。印象深い単語などは覚えられるのだが……。不思議なものだ。

 それにしても、見た目でニックネームをつけちゃだめなのか……。俺は心のノートに刻む。みんなの反応と言い、いまいち他人との距離が掴めない。

 まぁそんな事は置いておいて、


 「じゃあ結菜。よろしく」


 結菜とは、これから暫くは共に行動する事になるだろう。なので挨拶をしただけなのだが……。

 対して結菜はドキッとした顔になり、


 「な……呼び捨て……。まぁ爆乳おっぱいよりは……よ、よろしく」


 何か言いたそうな顔をしていたが……まぁ面倒くさそうなのでスルーする。

 すると「トントン、トントン」と扉のノック音。

 

 「失礼します」


 そして扉が開き、一人のメイドが入ってくる。

 長いグレーの髪にグレーの瞳。整った顔は美形だが、何を考えているのか分からない、無の表情をしていた。メイド服は、黒と白の英国風ワンピースエプロン。

 メイドは感情の無い低い声で、

 

 「あと数分ほどで林村様がお見えになられます。この部屋にはお二人しかいらっしゃいませんか?」


 (このメイド……?)


 俺は少し違和感を覚える。隣で、


 「えぇ、私と彼だけよ」

 「そうですか。日下部様」


 隣で「はぁ」とため息が聞こえ来て、


 「柊さん……。いつも言ってるけど様づけは……」

 「では、失礼しました」


 ガチャ。

 隣でまた「はぁああ」と今度は大きなため息。

 俺は違和感の正体を聞く。


 「なぁ、あのメイド……」

 「今のメイドさん? あの人は柊さん。林村のメイドで、林村から一番慕われている人物だよ」


 いや、そんな事より、


 「いや、そこじゃなくて……男だよな」

 「え……良く分かったね」


 (やっぱりな……)


 そう、初めからずっと感じていた。まずは声。喉仏のどぼとけが服で隠れていたので確信は持てなかったが、それでも少し低い気がしていた。どちらかと言えば男性寄りの声。

 次に肩幅。使用人たちが着ていたメイド服のハリ感。それがあの柊とか言うメイドにはなかった。

 これらの点からそう思った訳だが……。


 「で、さっきのメイドは何で女装してるんだ? 東ミズチの趣味か?」

 「……!!」


 すると結菜の表情は固まる。

 一瞬、聞いては行けない事だとも考えたが、


 (……東ミズチの方か)


 確かに今までの会話で東ミズチの名前は一言も出ていない。例のあの人的な、言ってはいけない不味いものなのだろうか?

 なのでここは取り敢えず、


 「なんかスマン……」

 「え、あ、良いよ。これは私のミスだから……。君って頭回るんだね」


 褒められてるのか褒められてないのか良く分からないが……この女はなんでこうもぎこちないんだ? 俺が投げかけて、コイツが曖昧返答をする。……変な空気になる訳だ。

 あの橋の下の時はまだ普通に話していた。まぁあれは全部演技で、これが本来の姿って可能性もあるが……それともまた違う気がする。

 そこで思い出したのだが、


 「結菜。お前、怪我なかったか?」


 コイツとも色々あったが、俺たちは天使と戦ったのだ。怪我だけはされたくない。

 すると彼女はビクンッと動き、二歩ほど後ろに下がる。更に顔を真っ赤にして、ムズムズ。


 「え、あ……。ごめん、結菜。えっと……」


 (これがデリカシーないって事か……) 


 俺は色々と絶望し、心の中で号泣。

 対して彼女はハッとした顔になり、


 「ち、違うの……き、君は悪くない……」

 「……?」


 俺に何か言いたそうな表情。先ほどからのこの雰囲気はそれのせいだろう。

 すると彼女が今度は彼女が口を開いた。


 「ずっと聞きたかった事なんだけど……」


 彼女はもじもじ……どちらかと言えば申し訳なさそうな表情をして、


 「どうして……君を殺そうとした私を、あの時助けてくれたの?」


 (……助けた理由?)


 すると「トントン、トントン」グレーの扉が開く。

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