第07話 天使

 「と言う事は君は、じっちゃんがどこに行ったのか分からないって事?」

 「あぁ、そうなる」


 とても不思議な気分だ。薄暗いブルーシートで囲われた家の中。下にはボロボロの毛布。隅にはダンボール箱の中に、よく分からない器具が沢山入っている。上には頭と四肢が切断された、人間の燻製くんせい……死体。左足のアレは俺でも気持ち悪いので、取り敢えずビニール袋で見えないようにしている。

 そして目の前には美少女。

 

 (これがお花畑だったら、また違ったんだろうなぁ~)


 慣れと言うものは恐ろしい。もう上の奴になんの感覚も覚えない。言うならばインテリアだ。しかし雰囲気づくりというものは大事である。男女二人きり……。変な妄想が頭の中で映像化される。決してエロい事ではない。だたの……ね?

 そんな変態に対して美少女は、ややソワソワしたようすで、


 「その……敵ってのはなんなの?」


 (……うーん)


 なんて言えば良いんだ? 俺の敵は、そもそもの前提ぜんてい知識がないと説明が出来ない。なんせそれは空想上くうそうじょうの生き物とされている。要するに”霊感”が大事な訳だ。

 そこでふと、


 (あのジジイ、術使ってたよな……)


 俺は使えないが、あのような力は霊感がなければ扱えない。要するにあの老人には霊感があると言う事になる。

 ならばその協力者である彼女も霊感があるはずだ。



 「えっと、天使なんだけど……」



 天使。それは主に聖書に登場する神の使いだ。

 人型に何枚かの翼。ほぼ霊力で出来ていると言っても良い、その身体。ちなみに実体はあるので触る事も出来る。

 ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルなどが有名だろう。もちろんそれは名前だけではなく、それそのものだ。


 (まぁ、それだけじゃないんだけど……)


 俺の敵は天使と言うか聖書そのもの。唯一神ヤハウェ。全部まとめて俺は聖書の奴らと読んでいるが……。そもそも俺は聖書以外の全ての神も嫌いだ。自分勝手で……。

 俺は意識を彼女に戻す。


 「……え?」


 この反応は正しい。なんせ奴らは”正義”を掲げ、世間一般的には幸福をもたらすポジティブなイメージがあるからだ。……俺だって。

 彼女は強張った表情をして、


 「な、なっ……何言って……」


 神や天使。悪魔やドラゴン。妖怪に巨人に妖精。こう言った高次元者達をこの界隈かいわいでは架空者かくうしゃと呼んでいる。

 天使は架空者の中でも上位の存在。人間よりの強大な力と卓越たくえつした能力を持っている。あの老人が使っていた術が可愛く見えるぐらいだ。


 そんな存在が俺の敵だと知って、絶望する気持ちも――しかし彼女の口からは、俺の想定外の言葉が飛び出して来た。


 「ば、バカじゃないのっ!? こ、こんな時に……変な事言わないでよっ!」


 (……え?)


 急に怒鳴られて俺は蹴落とされる。それほど敵に驚いたのか?

 彼女は続ける。


 「そんな変な話……。冗談は今はやめてよ……」


 どうやらそう言う事らしい。理解した。完全に理解した。


(この子、霊感ねぇんだ……)

 

 話が伝わらない訳である。

 そんなことよりも、


 (俺、初対面の女の子に……ッ)


 彼女は俺を気持ち悪そうな瞳で見る。

 彼女視点からは、俺の事をいきなり「天使だ」、とか言うヤバイ奴に見えたのだろう。……ヤバい。

 頭がグルグルと回る。


 (どうする、どうする、どうする……!!)


 もし今さっき言った事を否定したらどうなるだろうか? ……悪い印象しか残らないだろう。むしろ最悪まである。

 ならばここはもう押し切るしかッ!


 「ち、違う。天使は実在する。本当にいるんだよ!」


 しかし彼女は冷めた表情、疑いの目。

 彼女からは「コイツヤバイ奴じゃね?」や「もう喋るな」と言った雰囲気が、ドバドバと伝わって来る。


 (霊感がない人間に奴らは存在し、実在する事をどうやって説明すれば良いんだよッ!)


 これは水を掴むような話。なんせ証拠はないのだ。言うなれば”悪魔の証明”。証明不可能な事を証明して見ろ言われても、それは不可能。

 そして俺もで神や天使を見たことはない……だが、


 「え、えっと……。いるんだよ……」


 生まれつき霊感がある俺だから言える事だ。確かに見た事はない。だがいるのは感じる――――その霊力と殺意によって……俺はそれで天使を感知できる。


 「…………」

 「……ぁ……えっと」


 これは言うならば懇願に近かった。このまま押し切らないと、また違う意味で面倒くさくなる。それだけは何としても避けたかった。


 「信じてくれ……としか……」

 

 なんて言うんだろう? 真実を話しているはずなのに、妙に恥ずかしい。俺が間違っているみたいだ。目の前の美少女から放たれるその「大丈夫かコイツ……」と言う視線。それが俺に突き刺さりまくる。俺はこう見えてピュアホワイトなのだ。

 すると突然彼女は、


 「ふふっ……」

 「ぇ?」

 

 口に手を当てて可愛らしく、楽しそうに笑う。その表情は文字通り天使のよう。……だが今の会話のどこに面白い要素があったのだろうか? 俺は不思議な気分になる。

 彼女は方目を微笑みながら、


 「名前、クロム……だっけ?」

 「ぅ、うん……。はい」


 自分でも分からないが口調が勝手に敬語になる。恐いと言うか、緊張していると言うか、何というか……。妙に落ち着かない気分なのだ。

 すると彼女は優しく微笑んで、


 「君って面白い人なんだね。私の緊張を解そうと……優しいんだね。エヘヘ」


 (……とんでもない勘違いをされた気がする)


 おそらく「はいはい、そうですねー」みたいなあのノリだ。これはスルー安定とか言う奴だろう。と言うか、


 (完全にイタイ人に思われた……)


 まぁそれでも、ギスギスした雰囲気にはならなかっただけマシ。俺はそう自分に言い聞かせるのであった。



 ◈ ◈ ◈



 「そう言えば君って、その……身体は……」


 彼女は何か言いたそうな表情でこちらを見てくる。

 それにしても何で上目遣いで……? グッジョブ。


 「あぁ、左足の事は本当に大丈夫だ。全く痛くない」


 彼女は心配性のようだ。何度も聞いて来る。俺が強がっているとでも言うのだろうか? 何度も言うが実際全く痛くない。まぁあの情景を見たならば無理もないが……。

 すると彼女はぎこちない表情で、


 「えっと……左足もそうなんだけど。その……外見と言うか、見た目と言うか……」


 (外見? ……あ)


 乾いていて……。そして目の前の美少女に気を取られていて忘れていたのだが、俺は現在血塗れなのだ。ふと下に敷いてある毛布を見ると、カピカピになった血の粉がポロポロと落ちている。

 要するに彼女が遠回しに言いたい事は、汚いと言う事だ。


 (あぁ……)


 昔小説で、恋愛は男がエスコートするとか書いてあった覚えがある。なんでも包容力ほうようりょくとか、何とか……。そして女性は清潔さを求めるとかも聞いた事がある。


 (…………)


 どちらかと言えば、会話は彼女にエスコートされてる気がするし、包容力ほうようりょくはそもそも意味が分からない。清潔さは皆無。

 俺は心の中で号泣する。

 すると彼女は――おそらく俺の表情が何かしらの表情をしてしまったのだろう。


 「えっと……私、タオルあるから。確か外に雨水貯めてた場所あったよね……。拭いて上げるっ!」

 「えっ? わ――」


 悪いよと言おうとしたが、彼女はそれよりも早く外に出て行ってしまう。完全に彼女にエスコートされている。男としてもう失格だ。俺は心の中で負けた気分になる。

 それにしても彼女も彼女だ。少し過保護すぎる。まさかあのジジイともそう言う……。あり得るかも知れない。あのホームレスをほっとけないくて、みたいな……。

 そう言えばなのだが、


 (彼女はあのジジイとどういう関係なんだ?)

 

 俺は上には吊るされている人間の燻製を見ながら思う。

 彼女も特にこれを気にしているようすもなかったので、これが普通なのだろう。ならば余計に気になる。

 食人者カニバリストと美少女との関係性を。


 瞬間、外から――。



 「きゃあッ!?」


 ――ザブ―ンッ!



 (彼女の――水の音ッ!!)


 その水に何かが落ちる音と、彼女の声から状況は頭の中で――気付いた時には身体は動いていた。

 俺は直ぐに両手で地面を付き、右足で地面を蹴る。三足歩行で真っ直ぐ、獣のように彼女の声のした方に……ッ!


 (間に合えッ! 間に合――)


 彼女を視界に捉える。彼女は――壁の窪みにへばり付いていた。しかしあれほどの流れの川。もってあと、二秒。


 「届けッ!」


 俺は彼女の手首目掛け手を伸ばす。

 しかし――その手は届かなかった。

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