告発へ図書館へ。き、喫茶店へ……
「あら、お早う。大祐くん」
見知った顔だが、その人じゃないと即時判断できた。あの人はこのような言葉遣いは絶対にしないという信頼があったからである。それに酒瓶も常備しているはず。
「……どちら様――」
とぼけて、面倒くさい状況を脱しようとしたところ、年齢の話を振った時同様の殺意込めた視線に、弾圧された。生意気を言っていると、潰されるようだった。
「こ、こんにちは、佐伯さん」
酒飲時と通常時の違いに、目眩がするほどの衝撃を受けていたが、なんとか正気を保って会話を続けた。
「朝早くから誰かと待ち合わせ?」
「そうなんです。あの喫茶店に行かないといけなくなったんですよ」
不満が隠しきれない大祐。ことの発端は、一昨日。大祐が喫茶店からの帰りが遅くなり――主に、目の前にいる女性のせいだが――大目玉を喰らったこと。
その話が、何故か同クラスの学級委員長へ通じてしまったのだ。
逆に染めている疑惑も持ち上がる真っ黒な髪をみつあみにし、左右に二つ携えたいかにもという風貌な学級委員長。もちろん性格も創作上に良くあらわれるそれらと瓜二つなものだった。
校則は絶対遵守、毎休み時間学校中を回っては校則を破る生徒がいないか逐一見回っているのだ。
そんな、学生たちから目の敵とされ、風紀委員とも呼ばれる学級委員長が、次に目をつけたのが昨夜遅くまで外出していたという大祐で、どこに言っていたのか詰問したのだ。
大祐は、正直に喫茶店のことを話したところ、真実かどうか確かめるべく休日の朝八時からその喫茶店に行く約束を取り付けられたのだった。
「てな感じで、今からあそこの喫茶店に行くんです」
状況説明を、簡潔に行って、これから喫茶店に行くことを告げる。
すると、佐伯さんは何かに気づいたのか、手で口を覆っていた。
「でも、確か今日……無いわよね」
「え?」
今日は喫茶店の定休日と言い切ったニュアンスに、あそこは年中無休のハズだと言い返そうとした時
「昔の私のシフト。確か今日は休みを入れていたと思うのだけれど」
「……まじか」
それなら、一昨日の無実を、誰に証明してもらえばいいのだろうか。
せっかく出会えたので、佐伯さんに話をしてもらうという事も考えたが、服装を見て、諦めた。
ビシッと決めたスーツ姿を見て察した表情の大祐に怨恨を込めて叫んだ。
「私はこれから休日出勤だよチクショ――――ッ!」
周りの数人がこちらに振り向いては、ヒソヒソと小声で何か話していた。それを見て再度噴火しそうになっている佐伯さんをどうどうと落ち着かせて、さっさと仕事へ向かわせた。
哀愁漂う背中を見送った後、本格的にどうしようかと頭を悩ませた。あの日大祐が店にいたと証明してくれる人物がいない――いや、一人いた。だが、面識がない。どころか初めて行ったときから、一切姿を見たことがない。酒樽を出してきた時だけちょっと手が見えた程度だ。
店長の姿は見たことも聞いたこともないが、たしかにあの日も、ずっと喫茶店にいたはずだ。
店長の人物像に想像を膨らます。あの喫茶店を経営しているのが普通の人だとは考えにくいが、背に腹は代えられない。
「あ、委員長」
どんな人物だろうと心配になっていたところで、待ち合わせ時間ぴったりに委員長はやってきた。視界の端に、少し映っただけなのに、確信を持って委員長だと思えたのは、彼女の服装が特殊だったから。
「なんで、制服姿なんですか」
物珍しく私服姿が見れるのかなと思っていた大祐の意と反するように、制服姿でやってきた委員長。
「今日は貴方の素行調査に来たのよ。遊びじゃないわ」
学級委員という立場で来たからには、制服であることはなんら不思議ではないらしい。大祐には理解できない範疇だったが、そういうものなのだと割り切って、
「それじゃあ、行こうか」
先頭を切って歩き出した。
しかし、どうしたものだろうか。よくよく考えなくても最初から分かりきっていたことなのだが、あの喫茶店の開店時間までまだまだ時間がある。およそ二時間程。
今から委員長と二時間を経過させるのは生半可なことではない。正直待ち合わせ場所からは徒歩十五分程度で着いてしまう。喫茶店前で一時間と四十五分を待つというのは猟奇的だろう。だからといって、二人でショッピングに行ったりするなど想像も出来ない。
取り敢えず、遠回りでもしながら行ってみようかと、本来右に行くところを左に曲がってみたりした。
数分歩いて、遠回りが悪手だと判明した。これじゃあ、二時間ずっと委員長の隣を歩くということになる。それも会話もなしに。
これならショッピングに赴く方が幾分か良かっただろう。その場合は別行動を取れるから、変な気を使うこともない。
だが今は、先ほどと同じ道を無表情で通る大祐の顔を訝しげな表情で眺める委員長とで、少しだけ不穏な空気が流れていた。
だいぶ怪しんでいる。
「やっぱり、何か如何わしいことをしていたんでしょう。だからこうして同じ道を行ったり来たり、時間稼ぎを……」
「違う! あそこの開店時間にはまだ時間があるから……どうしようかと考えていただけだ!」
それならそうと、早くいいなさいと、委員長は大祐の前に駆け出しては
「いいところを知っているの、着いてきなさい」
どこかへずんずん進んでいった。これから向かう先を訊いても教えてはくれなかったが、委員長のことなのでふれあいを求めるような場所では無いだろうとたかをくくっていたのだが……
「こういうちょっと空いた時間に勉強するかしないかで成績は大きく違ってくるのよ」
図書館だとは、思いもよらなかった。こんな外出の時も筆記用具とノートは持参してくる委員長にも驚いた。
しかし、無言であることが半ば義務付けられているこんな場所は逆に都合がいいのかも知れない。そうだとしても、隣り合って書物を広げていると、これはまるで
「デートじゃん……」
「何か言った?」
心の声が漏れていたことに気付いて、とっさに口を手で覆う。委員長が聞こえてなかった様子でいたので安心する。たかが勉強するだけだ。そう言い聞かせて大祐は机に広げられたノートに目を落とす。
勉強する気も無かったが、何故か委員長が新品のノートを持っていて、なおかつそれを押し付けてきたので、結局勉強に勤しむ事になってしまった。
「」
しかし、時代の流れか、休日だというのに図書館に人はいない。いや、大祐たちと同年代に見える子らが一人としていなかった。こうやって、休みの日に図書館に来るなんてよほどの暇人か、委員長のような優等生キャラだけだろう。
その委員長は、机に向かって一心不乱に数式を書きなぐっていた。
委員長の姿に釣られて、大祐もペンを動かそうとする。委員長が持ってきた問題集、これが全く理解できない。まだ授業に出てない範囲、予習というやつだろうか。
確かに、大祐の成績は見せて褒められるものではないが、嘆かれるようなことがないように努力はしてきた。だが、委員長とは比べるのもおこがましいようだった。
ペンを一回転させて、やっぱり読書に戻ろうかと思ったが、目ざとい委員長はそんな大祐の険しい表情に気付いて声をかける。
「そこはね、ここをこうして……」
突然、大祐に半身寄りかかって、大祐と同じ問題文に目をやる。頭の中はパニックだったが、次第に二つの事柄だけに意識が集中していった。理解しやすい解説と、女子の甘い香りに。
それ以降、悩む素振りを見せた瞬間また半身詰め寄られるので、それは必死に勉学に励むことが出来た。今ならどんなテストでも高得点を叩き出せる全能感を得ていた。
するといきなり、時計が鳴る。ぼーんぼーんと何時か分からないが定時を知らせる音が。
「うわ、もうこんな時間だ」
時計に目をやるとすでに五時を過ぎていた。長い間机に向かっていたなと自分に感心する大祐だったが、多分こんな長い時間飽くことも諦めることもなく勉強に勤しめたのは
「本当ね、そろそろ帰りましょうか」
彼女のおかげなんだと思う。
夕暮れに照らされる委員長の姿に、思うところがあり。目を逸らす。
「どうしたの? 早くしないと図書館が閉まる時間になるじゃない」
「そう、ですね」
夕暮れに赤く照らされることに心から感謝して、大祐は席を立った。
帰り道は、やれあの問題が難しかっただの、そこはどうのこうのだの、まだ勉強の話を続けていた。委員長は、目の敵にされていたが、嫌われているわけじゃない。人当たりの良さからだろうと、半日過ごしただけの大祐でも分かった。
だけど、犯人のトリックが分かっただけで推理小説は終わらない。そこには、動機が存在する。
彼女は、何を思って、このような大変な思いをしているのか。
毎日学校中を見回って、学校の治安を維持して、そのうえ自分の身の回りのことも人並み以上に仕上げてる。その見返りは何もない、嫌われていないと言ったがやはり少数はたしかに彼女を恨んでいる者たちもいる。内申点のようなもの目当てなら、このように休日を使って大祐に構う必要はない。
意味のないことをしている。そう思うのが普通だろう。
だが、彼女は違うようだった。
「何を思って……? 難しいこと聞いてくるじゃない。うーん……」
大祐が動機の部分を聞いても、彼女は首をひねるだけで、そこに理由は無いといいたげだった。
夕日が地に沈むのではないかと思わせるほど長い時間をかけて、委員長がようやく絞り出した答えに、
「好きだから」
一瞬、度肝を抜かれる本当に、ただの一瞬だけ。
「勉強も、学校も、全部。嫌いなものを今言えっていわれても一つも出てこない。この世界っていってもいいぐらい大好きなの」
なんだ、そういうことか、大祐は荒ぶる心臓を落ち着かせて。それだけで優等生を演じるものじゃないと反論めいたものをしようとしたが、
「自分の好きなものは、その魅力を最大限にして、みんなに楽しんでもらいたいじゃない」
輝いた彼女の瞳に心奪われたと思ったら、もう遅い。
目の前が、暗く滲んでいく。
あの一件、憧れのお姉さんが飲兵衛だった件。以来。それまで惚れっぽかった大祐の脳から純粋さが失われていっていた気がした。
誰にも、表裏があるとは理解していたはずだが、思った以上の表裏で未だにパニックは収まっていない。その裏を見た程度で佐伯さんを忌み嫌うことは無かったが、次はそうじゃないかも知れない。
仲のいい友人とで、そんなことを考えることもないのだが、大切な誰かでそんなことを考えた日には、こんな風に、目の前が真っ暗に――
しかし、今日は勝手が違った。自分の手がうっすら見える。光も何もない暗闇のはずなのに。どこからか微かな差し込んでいるのだろうかと、後ろを振り返ると、そこには委員長の姿があった。
彼女の瞳は輝いていなかったが、その目は確かに大祐を見ていた。
優等生という肩書は彼女にとって皆に楽しんでもらうという目的達成の道中に落ちていた形の良い小石のようなもので、折角だから蹴っていってやろうという、ただそれだけのものだった。
自分が蹴り損じても、小石が意味不明な挙動してどこかへ飛んでってしまっても何も意に介さないのだろう。
合わさった目と目に、少し恥ずかしそうに大祐は。
「僕にも教えてくれないか……? 委員長の好きなもの」
刹那も間を開けず
「ええ、もちろん」
微笑んでくれた彼女に、大祐は思い知らされる。
惚れっぽい脳みそは未だ健在だと。
幾度も夕暮れに感謝しながら、別の道を帰る委員長を見送っていると。
あ。と、何か思い出したかのように委員長は振り返って、
「私、委員長なんて名前じゃないよ! 『
またねと大きく手を振った。
大祐、曜共に、今日の喫茶店に行くという予定をすっかり忘れていたことを思い出したのは家に帰ってからだった。
未来へ過去へ喫茶店へ 都如何孫山羊子 @mozumooooon
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