焦燥へ驚愕へ憤怒へ
紗月と結託して、大祐はちょくちょくこの喫茶店に足を運んでいた。
最初は休日だけ。次第に平日も来ると聞いて平日学校終わりにすぐ向かったりしていた。それでも休日と平日合わせて週に二回来る程度だったが、
ここ一週間、タイミングが悪く大祐は大人の紗月と会えていなかった。
そのため、三日ほど前から放課後にすぐ来ては、日が落ちるまでお茶一杯で粘っていた。
「……来ない」
既に、良い子は家へ帰るような時間帯になっていた。
「今日はもう諦めたらどう? 私が店に来る確証なんてないでしょ」
「いいや! 絶対に来る! 今日は木曜日だろ。絶対に来る!」
てこでも動かない態度を示す大祐に吐き捨てるようにため息をついて、メニューを開いて渡す。
何か追加で注文するか、帰るか選べと、言外から聞こえてくる。
「え、えーじゃあ……ホットミルクで」
「はいはい。少々お待ち下さーい」
紗月が厨房へ引っ込んだことを確認して、
「ふぅ、悪は去ったか……」
また店の扉にかぶりつく。
「今日は絶対に来るはずなんだ……彼女は金曜日は休日前ということもあってか溜まった仕事を全て片付けるから、時間帯も遅くなるし、疲労も溜まるので店には来ない。だが、これまでの統計から言って、平日の五日間、金曜日を除いて四日間のうちに必ず一度は来店する。そして月、火、水いずれも彼女はこの店に来てはいない……つまり、絶対に今日来る! 僕の計算に間違いは無い……ぐはは」
「主人公の成長速度についていけなくて絶対負けるヤツじゃない」
どこからあらわれたのか、突然姿を見せた紗月。
「普通に歩いてきたわ。ぶつくさ気持ち悪いこと言ってたから気付かなかったんでしょ」
「気持ち悪いとはなんだ! れっきとした調査――」
「はいはい、ストーカー一歩手前の人。今日はもう暗くなるし危ないから、帰ったら?」
紗月の素直な心配に、押し切られた大祐。今日はもう諦めるか、と鞄に手をかけた――その時。
カランカランと、あの鐘が鳴る。
入店を知らせる、扉の鐘が。
振り返ろうとする大祐を止めようとしていた紗月だが、いつかはバレることだと知らんぷりをした。
そこには、栗色の髪を揺らす、あの女性――推定『佐伯紗月』さん
似合ったスーツ姿に、似合わない酒瓶を持っていた――よく見れば、スーツもところどころはだけている。
「部長は〇〇〇〇ーーーーッ!!」
一瞬、目の前が暗闇に覆われた。と思えば頬を引っ叩かれて、
「現実を直視しなさい」
現実を見据えた。よく見れば佐伯さんの頬が紅潮している。酔っているようだった。
「あ、店長。マティーニちょうだい! 今日はトコトン飲むからァ~」
「……誰?」
「私よ」
「あー、三十年後ぐらいの?」
「ま、お上手なんだから」
いやいや。いやいやいやいや、と手を高速で左右に振って、両手を左右広げて『?』のポーズ
「お嬢ちゃん十年後にはああなるの?」
「ええ、らしいわね」
店の隅で、現実確認を行っていたところ、本人に聞こえてしまっていたらしく
「八年後だぞぉ~! 間違えるなよクソガキィー!」
怒号が飛んできた。
「いいよなぁ若いってのは!? 悩みなんて無いって感じで、何もして無くても勝手に輝いてて! キラキラしてんじゃねえよォ! うう~~~」
キレるからの泣くコンボを流れるように決められて、どうすればいいのか分からなくなる大祐。ものの数分で事態が急展開を起こしすぎて酔いそうだった。いや、酔いそうなのは酒の匂いでかも知れない。
慌てふためく、大祐の肩に手をおいて、さながら聖母のような笑みを浮かべながら、
「これが社会の荒波にもまれ、すれた私よ」
いつぞやの落雷は遊びだった。雷なんて表現出来てしまう間は本当の意味で驚いてなんかいない。
本当の驚愕は、もっと、頭が理解出来なくて、熱暴走を起こしそうになるものだった。
「えーっと、どう……? いや、もっとこう、ストレートな進化は出来なかったのか? これじゃぁまるで退化……いえ、ナニモアリマセン!」
言葉を探し、推敲していくうちに、もっと失礼な言葉になってしまっていた。言語を忘れてしまうほどの衝撃。それを鋭い殺気一つで正気に戻すのだから、やはり佐伯さんは凄いと思った。
事態を、飲み込めてはいないが、噛みしめた大祐の前に立ち。紗月は、
「まぁ、初見の時は流石に私も驚いたけれど……これが私なの、文句あるかしら?」
挑発するように言う。
「……そうだ! 僕のこの気持ちが、この程度で揺らぐとでも――」
「マスター! もう一杯!!」
ドンと、店を揺るがして出されたのは樽一つ。
「え、何、アレ飲むの?」
「なにか問題でも?」
「いい加減に人っぽいところを見せてくれ」
「足が二本あれば人間よ」
「いや、その理屈はおかしい」
そして、ものの数分で樽の中身が半分以上無くなっていると教えられた時、自分の恋心が揺らいでいるのだと知った。
大祐は、佐伯さんの顔と、樽を見比べる。そこには樽に負けないぐらいの魅力が顔にある。まあ、もう顔にしか魅力が無いと思うならそれはそれで問題あるのだろうとも思ったが、無視した。
「負けん! 僕の初恋はもっとドラマチックになるはずなんだ! こんな樽に負けてたまるかァッ!」
今言わねば、明日になればこの恋は冷めているかも知れないと、瞳に燃え上がる炎とは裏腹に冷静な判断を下す大祐。
「お姉さん! 僕、お姉さんに一目惚れしました! どうか付き合ってください!!」
佐伯さんはもう樽の中身を空にしていたが、こういう時は空気を読むのか、神妙な面持ちで、
「ゴメン……っ」
苦悶の表情を浮かべて言った。
断られた――そのことに
「マジゴメ――オロロロロロロロロロロロロェェ」
吐き出した。きっとこの店に来る前に既にどこかで飲んでいたのだろう。それもこの店で飲んだ三倍ほどの量を、それを全てこの店で、大祐の服へ吐き捨てた。
全て吐き出した佐伯さんは水道を借りるため、厨房へと這いずり回っていった。
「初恋の花びらが散ったわね。洪水で」
「くそう!」
樽の中身が無くなるより長い時間、佐伯さんは水道を使っていたように思えた。
大祐は帰りたくなっていた。なにより着替えが無かったので、上着を脱ぐだけ脱いでみたが、匂いは取れなかった。
「おまたせした。お姉さん復活だぜ」
さっきの今で、どうしてそんなドヤ顔が出来るのか不思議でしょうがなかったが、大祐は大人しく座っていた。大人の不器用さと、恐怖を同時に知ったからである。
「それで少年。私に一目惚れしたと言ったな」
「言ってません」
とっさに、嘘をついてしまった。だが、本心だった。
「恥ずかしがらなくてもいいぞ~。ういやつめ」
「ウワァ、ヒェェ~」
ほっぺを突っつかれて、鳥肌が立つ。というか、エチケット袋代わりにしたくせに謝罪の一言もない。なんだか腹が立ってきた。
「いや、ありえないですよ。(僕は違うけど)初対面の相手に吐けるなんてまともな精神じゃないですよね大体――」
割愛するが、誰に言っても泣かれるような罵倒をしていました。主人公のくせに。
「なんで、そんな事言うんだよぉ……私だって、私だってまだいけるだろ……若さか! 若さが足りないのか!? よし昔の私! 服を交換しよう!」
「ちょ、落ち着いてくださいって! キッツイですよ!」
「キッツいって言ったぁ~! オエッ……」
「うわわわわ、またえずいてる! はやく、早くトイレへ!」
大祐は、大人の脆さと、脆弱さと、貧弱さを知った。
その日は、帰りが遅くなって母にしこたま怒られた。
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