第2話
凛からの連絡は特にないまま、金曜日となった。
向こうからは言い出しにくいようにも思うので、私は自分から誘ってみることにする。
夕方頃に連絡を送ると、夜になってから返事が来た。
『良かったら今日、うちにご飯を食べに来ない?』
『本当にいいの?』
どうやらまだ頼ることに抵抗があるらしい。その為、私は彼女が来やすいような形で返す。
『もちろん。前にも言った通り、私が来て欲しいのだから、遠慮は不要』
『なら、お願いします。十時には着くと思うよ』
先日は既に私が食事を終えてしまっていたが、今日はまだなので主菜はきちんと作る。基本的に副菜を作り置きして炊いた白米と共に冷凍しておき、当日は主菜や汁物だけを作るのが私の自炊スタイルだ。
彼女は通告通り、二十二時になる少し前に到着した。今日は先日よりも顔色が良く見えた。
「こんばんは、雪那ちゃん。お邪魔します」
「お疲れ様、凛さん。今日は豚肉の生姜焼きだよ」
「あ、やっぱり。この鼻をくすぐるような匂いはそうだと思ったー」
「お酒はこっちで決めちゃって大丈夫?」
「うん。バーテンダー様にお任せします」
「元、だけどね。まあ、任された。ジンリッキーにしようかと思ってたんだ。生姜の風味に合うんだな、これが」
私は棚からゴードンの度数が低い方を取り出し、ジンリッキーを作った。
テーブルに並べた食事と酒の前で私達は両手を合わせて。
「「いただきます」」
そうして、私達は食事を進めていく。凛は一つ食べるごとに「ん~」と頬を緩めていた。
「美味しい、美味し過ぎて、何かもうやばい。雪那ちゃんは天才か」
「そんなに喜ばれると、こっちも作り甲斐があるよ」
ある程度、一段落したところで私達は自ずと他愛もない雑談をし始める。
「凛さんは明日は休み?」
「うん。土日は基本的に」
「なら、今夜はたっぷり飲めるね、ふふふ」
「うわ、悪い顔してるー」
「自分が飲むのも好きだけど、人に飲ませるのも好き」
「お手柔らかに……」
私はその流れから聞いておくべきことへと矛先を向ける。
「ちなみに何の仕事してるかは聞いても大丈夫?」
「わたしは……広告関係の仕事だよー」
凛は僅かな逡巡の後、そう答えた。話したい雰囲気にはとても見えなかった。
「そうなんだ」
私は頷くだけに留める。今はあまり突っ込まないことにしよう。まだ早い。
「雪那ちゃんは?」
「あー、それはだね……」
問い返されることは想定の範囲内だったが、気恥ずかしさから私が微妙に口ごもると、彼女は慌てた。
「ご、ごめん、聞いちゃいけなかったかな」
「いや、別にそんなことはないよ。ただ、ちょっと自分で名乗るのが恥ずかしいってだけ」
私は本棚から一冊の文庫本を取り出して彼女に手渡した。
「えーと、これは?」
「それ、私が書いた小説。デビュー作」
「……え、えええええっ!?」
彼女はこれまでで最も驚いた顔を見せた。まさに驚愕という様子だ。
「わぁ……プロの小説家と出会ったの初めてだよ」
「まあ、まだ数冊しか出してないぺーぺーだけどね。売れ行きは新人にしてはそれなりみたいだから、順調ではあると思う」
「『茨の冠』……何だか難しそうなタイトルだね。作者名のこれは冬と青で何て読むの?」
「そよごって読むんだ。植物の名前なんだけど、字面が好きでね」
「
「やめて……仕事の時はほとんどそっちで呼ばれるけど、未だに反応が遅れちゃうんだから。あ、そう言えば私のことだった、って」
「そういうもんなんだ。まあ、普通はまるっきり別の名前で呼ばれることなんてないしねー」
「そうそう」
彼女は本を開いて「おぉ~」と感嘆の息を漏らした。私はその姿を見て言う。
「もし良かったら、それあげるよ」
「え、いいの!?」
「まだ余ってるから。何ならサインも書くけど」
「欲しい欲しい!」
「じゃあ後で書くね。先に邪魔な食器を片付けないと」
「あ、わたしも手伝うよ」
「なら、そっちのお皿を流しまでお願い」
「おっけー」
そうして、私達はテーブルの上を一度綺麗にした。その後、改めて新しいお酒を用意して座る。今度はデザート代わりにアドヴォカートのミルク割り。カスタードクリームのような味わいが特徴の酒だ。食後のとろけるような甘味に私も凛も頬を綻ばせる。
その後も私達は酒を交わしながら話をし続けた。
私が大学を卒業してから作家デビューするまでふらふらしてた話だとか、彼女が所属していたという学生自治会の話だとか、他にも色々と。
やがて、すっかり酔いが回った様子の彼女は、顔を真っ赤にした状態でポツリポツリと言葉を発していく。
「……ほんと、雪那ちゃんはすごいねぇ」
「急にどうしたの?」
「自分の道を進んでて……自分のしたいように生きてて……それってきっととても難しいことで……わたしみたいな弱い人間には出来なくて……だから、すごくカッコいいって、わたしは思うよ……」
そんな風に喋りながらも彼女はこっくりこっくり船を漕ぎ始めていた。仕事終わりで疲れていたに違いない。もうこちらの言葉は聞こえはしないだろう。なので、それを見越してボソリと呟く。
「……私は、あなたが憧れるような人間じゃないよ。人でなし、だから」
その後、私は凛をベッドに寝かせて、自分はキャンプ用の寝袋を取り出して寝ることにした。普段なら起きている時間だったが、こちらもそれなりに酔いが回っていたこともあり、程なくして眠りに落ちて行った。
◆
「……う、ん……あ、痛っ、痛たたた……頭がちょー痛い……っていうかここは……」
私はそんな声が聞こえてきたことで目を覚ます。時計を見るとまだ朝方だった。
寝袋から半身を出すと、伸びをしながら困惑中の彼女に声を掛ける。
「おはよう、凛さん」
「ああ、おはよ雪那ちゃん……じゃなくてっ!」
彼女は慌てた様子でベッドの上に正座して頭を下げた。
「ご、ご、ごめんなさい! 知らない間に寝ちゃって! しかも、ベッドまで奪って!」
「いいよいいよ、気にしないで。疲れてるところにたくさん飲ませたのもベッドに寝かせたのも私だし。それより二日酔いは大丈夫?」
「大丈夫、じゃないかも」
彼女は眉間にしわを寄せながら指を頭に当てた。
「とりあえず水飲んで、あとコーヒーも淹れるから飲んでいって。二日酔いに効くから」
私は寝袋から出ると、グラスに水を入れて彼女に手渡し、そのままコーヒーを淹れる準備も始めた。
手動のコーヒーミルに二人分のコーヒー豆を入れてゴリゴリと挽いていく。
私がコーヒーを淹れている間、彼女は水を飲みながらも「うぅ……」と呻き声を上げていた。
「お待たせしました。本日はマンデリンとなっております」
そう言って私は彼女の前にコーヒーカップを差し出した。ミルクと砂糖はそれぞれインスタントタイプの物をスプーンと共に添えておく。
「良い香り……ほんと雪那ちゃんは何でも凝ってるねー」
「こだわるのが好きなんだと思う。特にこういう嗜好品に」
私はブラックのままで、凛は二口目からはミルクと砂糖を加える。
「なるほど……ところでその寝袋はどこから現れたの」
「向こうの押入れにはキャンプグッズが眠っていてね」
「キャンプ? するの?」
「たまにね。ソロで。焚き火の前でのんびりするのは楽しいよ。特に冬がいいから、私的にはそろそろキャンプシーズン」
「はぁ~、何だか聞けば聞いた分だけ知らない世界が出てくるから、そろそろわたしの頭がパンクしちゃいそう」
「まあ、相当変な人生を送ってる自覚はある」
「でも、その方が小説家らしいと思う。わたしみたいな
「誰でも自分のことで一冊は面白い本を書ける、なんて言ったりもするけどね。人の一生ってそれだけ千差万別だから」
「そうかなぁ」
やがて、彼女はコーヒーを飲み終えて立ち上がった。
「ご馳走様でした。ごめんね、迷惑掛けて」
「さっきも言ったけど気にしないで。高級チョコレートとかほんと全然いいから」
私がそんなことを言うと、彼女は「ぷっ」と噴き出してくれた。
あまり気を遣わせ過ぎない為にも、こういうことは言っておいた方がいい。
「あはは、了解了解。高級チョコレートね」
「持ってくる時はちゃんと言ってね。ご飯の準備しとくから」
「もう……そんな風に言われたらお言葉に甘えたくなっちゃう」
「こっちとしても、自分が作った料理をあんなに美味しそうに食べてもらえるのは嬉しいからさ」
「そっかそっか……それじゃ、またね」
彼女はこちらを向いて手を振りながら出て行った。
部屋に一人となった私は片づけも程々にしておいて。
「さて……寝るか」
普段より早く寝たとは言え、まだ寝足りない感じがある。これは二度寝が必要だ。
そうしてベッドに入った私は布団から凛の匂いを感じる。彼女の匂いに包まれるような状態で、私は瞼を閉じた。普段は寝つきが悪い私だけど、その時は不思議と良く眠ることが出来た。
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