57話 秋樹は彼の素性を知った。

「いやあ、やっぱメシなら日本やわ。こんなファミレスの料理でも全然イケてまうし! 水もうまいし、なによりほら、このハンバーグとかジューシーで最高。ほかの国やと肉がボソボソだったりするんよなあ。秋樹あきちゃんも、よかったら一口食べてみる?」


「いえ、大丈夫です」


 金髪碧眼の美青年、古谷ふるやナナミさんの勧めを断りながら、わたしは目の前のカフェオレに口をつけ、席の脇を通り過ぎるウェイターさんの背中をなんとはなしに見つめます。


 やさしい陽射しが降り注ぐ、午後一時半。

 叶画かなえ駅前の簡単な案内を終わったあと、昼飯時だから、という古谷さんの提案を受けて、駅前にあるファミレスに入った際の一場面です。


 古谷さんはもっと高級なお店にわたしを連れていきたかったようですが、まさか駅前に高級フランス料理店などがあるはずもなく、渋々ファミレスに足を運んだのでした。

 わたしとしてはこうした庶民的な店のほうが安心できるので、内心ホッとしたのですが。


 古谷さんはハンバーグセット。

 わたしは、カフェオレとサンドイッチを注文しました。


 見た目は美青年な古谷さんですが、料理が運ばれてきた途端、少年のように目を輝かせて「なんやこれ、はた立ってる! おもろ!」とはしゃぎながら、ハンバーグに食らいつきはじめたのでした。

 お腹空いてたのかな?

 美青年なのに、なんだか子供っぽいひとです。


 わたしは、カフェオレにしか口をつけていませんでした。

 これからする、重大な『ある質問』のことを考えると、食べ物が喉を通りそうになかったからです。

 彼の誘いに乗ったのも、すべてはそれを訊くため――


 先ほどのウェイターさんが戻ってきて、席の横を通り過ぎたのを確認したあと、わたしは小さく深呼吸。静かに口を開こうとして。


「――で、クロウのなにを訊きたいん?」


 古谷さんのカウンターめいた質問に、思わず閉口してしまったのでした。

 瞠目しながらカフェオレを置き、どうにか二の句を継ごうとするわたし。

 そんなわたしを見ながら、ハンバーグソースにまみれた端正な唇が、すべてお見通しとばかりに笑います。


「最初に会ったときはあない警戒しとったのに、一転して『案内しましょうか?』て……そら、誰でも気づくよ。オレになんか訊きたいことがあるんやろうなー、裏があるんやろうなーって。まあ、同時にオレに興味はないんやろうなー、ってのもわかってもうたんやけども……せつなっ」


「…………どうして、クロウさんに関する質問だと?」


 観念してそう訊ねると、古谷さんはサイドメニューのポテトを頬張りながら。


「そこはかん


「か、勘って……」


「オレ、生まれたときから……いや、捨てられたときから、そういう勘とかうんとかめちゃくちゃいいんよ。神様に愛されてんちゃうかってぐらいにね――なんなら、このあと宝くじでも買いにいこか? 


「…………」


 それほどの強運となると、すこし試してみてほしい気はするけれど。

 わたしがほしいのは、お金でも賞品でもない。

 長年のこの疑問を解消してくれることになるであろう――あの家政夫の『』だ。

 それ以外は、どうでもいい。


「すまん、話がそれてもうた」


 言いながら、古谷さんは口を閉じると、目線で話の続きを促してきました。

 クロウさんに関する質問をどうぞ、という意味だろう。


 わたしはコホン、と緊張を咳払いで飛ばし、テーブルに両肘を乗せて前のめりになりました。内緒話をするような姿勢です。

 それに応じて、古谷さんも前のめりになり、こちらに顔を近づけてきました。

 すこし腰を浮かせばキスできてしまいそうな、そんな至近距離です。


「それで? クロウのなにが訊きた――」


 その直後です。


「――ああッ、手がすべってしまって!」


「熱あああああああああッ!?」


 ウェイターさんのおかしな叫び声と共に――バシャッ、と。

 眼前の古谷さんの顔面に、黒い液体がぶっかけられたのでした。


 反射的に身体をのけぞらせ、なんとかかかる寸前でソレを回避するわたし。

 席全体に充満するこの香りは、コーヒー?

 と同時に、中身を失ったカップがテーブル上に転がります。

 おそらく熱々のコーヒーだったのでしょう。古谷さんの顔全体に湯気が立っていました。


 某新喜劇のようにバタバタと両手をバタつかせ、顔にかかったコーヒーをおしぼりで拭いていく古谷さん。

 と、ウェイターさんが慌ててカップを片付けつつ。


「申し訳ございません、お客様! 大丈夫ですかッ!? かかっていませんでしょうか!?」


「大丈夫なわけあるかあ! お前これ顔溶けてへんやろな……って、おいコラァ!! オレに『大丈夫ですか』言うてるんちゃうんかい! そっちの子の心配も大事やけど、現状あきらかに心配すべきはオレのほうやろがッ!!」


「すみません、あなたには興味がなくて」


「辛辣すぎひんか!? 辛辣すぎる料理店なんやけどココ! ――てか、もうアホくさいわホンマに!」


 言って、妙にわたしの心配をするウェイターさんの肩を掴むと、古谷さんは自身のほうに振り向かせて、その顔に右手を伸ばしました。

「あ、いや――」戸惑うウェイターさんもよそに、古谷さんは彼の顎下に指を引っ掛け、ナニカを掴むと、思いっきり真下に引っ張ります。


 ベリッ! と、人間の顔からは鳴りえない音が聴こえました。


「――あ」

「あ……」


 直後。

 わたしの目の前に現れたのは、ウェイター姿をした野宮のみやクロウさんでした。

 正確には、ウェイターに変装していたクロウさんでした。


 店に入ってから、やけにウェイターさんが席の横を通り過ぎるな、と思っていたけれど……なるほど、クロウさんがふんしていたからだったようです。

 いや、なるほど、なんて冷静に納得している風をよそおっていますけど、このときはかなり、それはそれはもう相当に驚いていました。


 ああ。

 本当にスパイだったんだ、と。


「秋樹ちゃんが訊きたいことって、『このこと』やろ?」


 コーヒーまみれの古谷さんが、剥いだウェイターさんの顔をひらひら、と揺らします。

 わたしは、バツが悪そうに硬直するクロウさんを見やったあと、コクリ、と声もなくうなずいたのでした。

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