54話 秋樹は聞いてしまった。

「はじめまして! このアホんだらの元同僚で、古谷ふるやナナミって言いますー。クロウと同じ二十歳です。よろしゅー」

 

 やはりどこかエセ関西弁っぽい訛りで自己紹介をする、金髪の男性――古谷さん。


 玄関先での一騒動後。


〝――ひとまず中に入れ――〟

 

 と、剣呑とした様子のクロウさんが、古谷さんをリビングに招き入れたあとの一場面です。

 

 突然の来客に――それも、とんでもない美青年の登場に、さくらちゃんと夏姉なつねえは面食らってしまっているようでした。いえ、美青年だから困惑しているわけではありません。彼女たちはそこまでミーハーではない。ふたりはただ、『クロウの周りにはこんなイケメンしかいないのか』と、むしろ呆れてしまっているようなのでした。

 はなはだ同感です。


「そんで、お姉さんたちのお名前は?」

 

 わたしたち三姉妹の対面に座る古谷さんが、ずいっ、と前のめりに訊ねてきます。

 馴れ馴れしい話し方であったり、こうした態度であったり。こう言ってはなんですが、古谷さんはかなり女性慣れしている方のようでした。

 クロウさんの前職が探偵ということでしたから、古谷さんはなにか女性関連のお仕事を主にしていた探偵さんなのかもしれません。


「ああ、名字はわかってるんすよ。さっき玄関先で名札見えたから。……いや、名札ちゃうか。あれ日本語でなんて言うんやったっけ? 玄関先のネームプレートみたいなやつ。えっとえっと…………ああ、表札! 表札や表札! その表札に『葉咲はざき』って書いとったから、きみらの名字はわかってん。せやから、教えてもらえるなら下の名前で――」


「――すまないな、三人とも」

 

 と、ここで。

 古谷さんのマシンガントークを遮るようにして、隣り合う金髪を片手で押さえつけながら、クロウさんがおもむろに腰をあげました。


「前の職場での処理が残っていたみたいでな。コイツはそれの確認に来てくれただけなんだ。俺の部屋ですこし話し合ったらすぐに追い返すから、それまではコイツがいるのを我慢してくれるとうれしい」


「こらこら、クロウくん。オレのこと、害虫かなんかやと思ってません?」


「ほらいくぞ、古谷ゾウリムシ」


「誰がゾウリムシの子孫や! せめて一文字ぐらい合わせえや――わか、わかったから! そないに腕引っ張んなやッ!」

 

 強引に古谷さんを立たせて、クロウさんはリビングを後にします。

 桜ちゃんと夏姉が緊張を解き、雑談を始めだした中。わたしはそっとソファを離れて、二階に向かいました。


〝――『前の職場』に戻ってこい――〟

 

 玄関先で、古谷さんはたしかにそう言っていました。

 先ほど、クロウさんが話していた事情とは大きく異なります。

 つまり、クロウさんが嘘を吐き、なぜか古谷さんがその嘘に合わせている、ということになります。

 クロウさんほど頭がやわらかくなくても、このぐらいの推測はわたしでもできるのです。

 なぜ、そんなややこしいことを……?


(……本当に、探偵だったのかな?)

 

 そんな疑念を巡らせながら、わたしは二階のとある部屋の前に到着しました。

 わたしたち三姉妹のお母さん――葉咲冬子ふゆこの自室です。

 不在なのは最初からわかっていますから、ノックもせずにドアノブを倒し、室内に入ります。

 

 セミダブルのベッド、桐タンス、化粧台、お洋服が詰まったクローゼット……性格が見えるようで見えないような、のっぺらぼうみたいな部屋です。

 昔から変わらない、けれどちょっぴり埃っぽい室内を進み、ベッドの枕元に向かいます。

 

 そこには、丸い換気口が備え付けられていました。

 ですが、カーテンの隙間から木漏れ日が差す窓際にも、四角い換気口がついています。

 そう――こちらの丸い換気口は、空気を循環させるためのものではなく、この家を建てるときにお母さんがわざわざ作らせた、言わば『連絡口れんらくこう』なのです。

 



 わたしがコレの存在に気づいたのは、およそ四年前。

 夏姉の『とある騒動』を経て、この地区に引越してきたばかりのことでした。

 

 当時わたしは小学五年生、桜ちゃんは小学六年生で、この新築の家でかくれんぼをしよう、ということになりました。

 鬼は桜ちゃん。リビングで数を数えだす桜ちゃんを置いて、わたしは慌てて二階に走りました。

 自分の部屋にいたらすぐバレてしまうので、わたしはお母さんの部屋に逃げ込みました。

 慌てて隠れる場所を探しているわたしを見て、なにをして遊んでいるのかすぐに察したのでしょう。いつものスーツ姿でお化粧をしていたお母さんは、わたしの肩を叩き、悪戯っ子のような笑みと共にこう言いました。


秋樹あき。何事においても重要なのは、常に新しい情報を得ることなのよ。わかる?〟

 

 子供なのでわかりませんでした。

 なので、わたしはもういっそカーテンに巻き付いて隠れてやろうとするのですが、お母さんはやさしく〝すこしは考えなさい〟とわたしを引き止めました。

 ダメだったのかな? カーテン。

 でも、情報を得るべきというのは、ごもっとも。


〝情報……つまりは、桜がどこにいるかさえわかれば、秋樹は一生見つからないわ。このかくれんぼ、あなたが完全勝利することができるのよ〟

 

 そんな完膚なきまでの勝利は求めていませんでしたが、まあ、見つかりたくない、勝ちたいと思っていたわたしは、お母さんの話に耳を傾けます。


〝この丸い換気口は、各部屋の換気口に繋がっていて、その部屋の音を聞き取れるようになってるの――フタごと回すと、各部屋の換気口に切り替えることができる。フタを外せば、その切り替えた換気口の部屋に声を届けることもできるのよ〟

 

 某ラピ〇タの飛空艇内に出てくる通信設備のようでした。


〝まあ、そのイメージが一番近いかしらね。この換気口は、しげるさんとどこでもやり取りできるようにするために作ったものなんだけど、かくれんぼに使用するのも全然アリだわ! さあ、これを駆使して桜をけちょんけちょんにしちゃいなさい!〟

 

 遊びといえど、容赦のないお母さんなのでした。

 桜ちゃんが憎いなんて話ではもちろんなく、子供は全力で遊び合うもの、と考えていたのだと思います。

 

 その後。各部屋の音声を逐一把握したわたしは、桜ちゃんに一度も見つかることなく、かくれんぼに完全勝利することができたのでした。

 ……あまりにもわたしを見つけられなかったせいで、桜ちゃんが〝もうかくれんぼやだぁ……〟と鼻水を垂らして泣いてしまっていたのは、ここだけの秘密です。

 



「懐かしいな……」

 

 とまあ。

 そんな思い出深い換気口――ないし連絡口ですが、これの存在はわたしとお母さんしか知りません。

 かくれんぼを終えた際、素直に桜ちゃんにネタバラシしようと思ったのですが、号泣する桜ちゃんを前にして、ズシンと大きな罪悪感が芽生えてしまい、結局言い出せなかったのです。

 

 しかし、そんな後悔の連絡口を、こんな形で使用することになろうとは。


「では、失礼して……」

 

 誰もいないのにそんな断りを入れて、わたしは連絡口のフタを回しました。フタは外しません。こちらの声が届いてしまっては大問題ですから。

 時計回りに一回、二回、三回……六回とフタを回したところで、『その部屋』に繋がりました。


『――で、どういう意味なんだ?』

 

 反響したクロウさんの声が届きます。

 キチンとクロウさんの住む和室に繋がったようでした――重苦しいクロウさんの問いに、飄々とした様子の古谷さんが答えます。


『せやから言うたやん。組織に戻って来いって、ボスが直々に言うてんねんて。オレは知らんけど』


 組織? 

 探偵さんは皆、探偵事務所のことを組織と呼んだりするのでしょうか?


『ホンマ、勘弁してほしいわ。オレ、仕事終わりでバカンス行く途中やったんやで? それをなんや、急にこんなけったいな用事挟みこまれてやなあ。たまったもんやないで……まあ、そのおかげであの子に会えたわけやから、イーブンってことにしとこか。オレの運も、まだまだ尽きそうにないみたいや』


『……俺を解雇したのは、誰でもないボスのはずだ』


『そういうわけでもないで。あれは、諜報部の長たるキャサ姉さんの判断をボスが尊重した形や。責任、って意味ではボスもキャサ姉さんも同じやけど……少なくとも、解雇を発案したのはボスではない』


 ……諜報部?

 いま、諜報部って言いました?

 諜報部って、ドラマや映画、それに小説なんかで言うところの――


『まあ、ナインの人生やから、オレがとやかく言えた義理はないんやけど』


 そう、クロウさんのことを聴きなれない名前で呼び、古谷さんは告げました。



『すこしでも悩む余地があるんやったら、に戻ってもええんちゃう?』



 野宮クロウの、本当の前職を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る