第四章 ツイてる男
53話 秋樹は出会った。
一月中旬。
新学期も始まり、H島の潮騒も忘れかけてきた頃に、そのひとは現れました。
「――好きや」
お昼前の午前十時半すぎ。書店巡りをするためにひとり、
衝動的に、思わずつぶやいてしまった。それはそんな感じの声音でした。
声の近さ、方向からするに、いまスレちがったばかりの男性が口にしたもののようです。
(そ、そろそろ家に帰ろうかな……)
わたし、
自慢でもなんでもなく、むしろ自戒に近いソレなのですが、わたしはよく男性に好奇の視線を向けられることがあります。こうしてスレちがいざまに容姿の感想を述べられることも、ままあります。学校ではそれが顕著です。
でも、それこそ深窓の令嬢とでも思っているのでしょうか、わたしに近づいてまで想いをぶつけてくるひとは、ほぼいませんでした。ぶつけるにしても、古式ゆかしい『
いっそ、想いをぶつけてくる男性たちこそが深窓の
だから――このとき。
そのひとのアグレッシブな行動には、純粋に驚いてしまったのでした。
「――あ、あのッ!」
そんな一声と共に、歩道のタイルしか映っていなかったうつむきがちなわたしの視界に、男性ものの靴先が入り込んできたのです。
わたしの進行方向に先回りして、前方に立ちふさがったのでしょう。
ビクッ、と両肩を跳ね上がらせ、わたしはその場に立ち止まりました。なにか、不快なことでもしてしまったのでしょうか? 怖いです。昔、熱血漢の男子生徒に告白されたとき、『きみの胸はけしからん! けしからんから、付き合おう!』と、筋が通ってるのか通っていないのか、それとも脳みそに血が通っていないのか、よくわからないイチャもんめいた告白をされたことがありましたが、その
でも、なにをしてしまったのかがわからなかったので、とりあえず「ご、ゴメンなさい……」と蚊が鳴くような声で謝罪だけして、男性の脇を通り過ぎようとします。
顔を見ることはできませんでした。クロウさんの顔を見ることですらまだ緊張するのに、他人の男性を直視するなんて真似、いまのわたしにはできそうにありませんでした。
すると、その男性は「あ、いや、ちゃうねんちゃうねんッ!」と慌てた様子で再度、わたしの前に回ってきました。
関西弁? いや、すこしエセっぽいかも?
「困らせたいわけやないねん! オレはただ、あの子綺麗やなー思て、それで見惚れてたら思わず『好きや……』ってつぶやいてもうただけなんよ!」
なにも『ちゃう』ことはありませんでした。
言葉通りの解釈でした。
「し、失礼します……」
「ちょちょ、まだ誤解が解けずッ!? せやから、ホンマにちゃうねんて! ――オレは、きみの家に住んどるアホ家政夫に用があんのよ!」
「え」
いま、わたしの家に住んでいる家政夫は、ひとりしかいません。
それこそ思わず、わたしは顔をあげ、ここではじめて目の前の男性を視界に収めました。
「うわ、目の前から見たらごっつ綺麗やん。やばっ」
そう、口元を押さえて驚愕しているスーツ姿の男性は、一言で『美青年』でした。
髪色は、綺麗な金髪でした。透明というか、透き通った金色と言いましょうか。染めたものではない生まれつきのものであることがわかります。
目は深い青色です。顔立ちや彫りが深いのでもしや、と思ったのですが、どうやら海外の方のようでした。
身長は……クロウさんと同じくらいか、すこし高いぐらいでしょうか? 180に届かないくらいだと思います。
「え、マジでやばいやん。どうしよう、好きです」
「あ、あの」
口癖のように告白してくる男性を前に、わたしは意を決して訊ねます。
この方には、ハッキリ言って欠片も興味はないですが、『彼』が絡んでくるとなれば話は別なのです。
「うちの家政夫さんに、用って……」
「え? ああ、そうそう。そうなんよー」
面倒事を押しつけられた部下かのようにハァ、と重いため息をはさみ、男性は続けます。
「いまは
□
「ふむ……どうしたものか」
冷蔵庫を眺めながら、俺――野宮クロウは思わずうなり声をあげる。
今日は土曜日。三姉妹は全員学校は休み。秋樹だけいまは出かけているが、昼までには帰宅すると言っていた。
となると、本日の昼食は俺を含め、四人分を用意しなければならない。
ヤキメシは作った。生ラーメンも作った。おにぎりも作ったし、サンドイッチも作った。パスタも飽きるほど作ったし、腐る寸前で生きていてくれたお雑煮もたらふく食べた。
ここで、三姉妹が「またこれー?」と愚痴らない新しいメニューを出せなければ、
「いっそのこと、デザート系にして誤魔化すか……? いや、デザートでは栄養バランスが悪くなるし……」
などと、ぶつぶつ言いながら冷蔵庫前で屈んでいると、リビングからなにやらキャッキャッ、と楽しそうな声が聴こえてきた。
見ると、ふたりはひとつのソファの上に座り、真剣な表情をして向き合っている。
「それじゃあ、次は私からね?
「おう、いつでも来い」
「スゥー……ハァー……うん、よし! ――『愛してる』」
「あたしも愛してんよ、桜」
「ぐ、あああああああッッ!!」
「アハハハッ! お前弱すぎんだろ!」
「夏姉が強すぎるの! なんでそんな平然としてられんの!? 愛を知らない戦士なの!?」
「おい、そんな悲しい生物みたいに言うな」
「クソ、これで私の三連敗か……次、次こそは勝つから! もっかい、もっかいしよ!」
「いいぜ、何回でも相手になって――」
「――随分と楽しそうだな、ふたりとも」
ススス、とふたりの座るソファに歩み寄っていく俺。
どうしても昼食のメニューが思いつかないので、気分転換をしようと思ったのだ。
……別に、ふたりがあまりに楽しそうだったから、自分もやってみたかったわけではない。決して。
「よければ、俺も交ぜ――」
「「――絶対ダメ」」
「え、えぇ……」
ハモって拒否られてしまった。辛い。
「い、一緒に遊ぶぐらい、してくれてもいいじゃないか」
「いや、別に遊ぶのは全然いいんだけど……このゲームだけは、クロウは参加しちゃダメなの! ね、夏姉?」
桜が問いかけると、夏海は堂に入った雰囲気と共に腕を組み、うむ、とうなずいた。このゲームの名人かな?
「いいか? クロウ。この『愛してるゲーム』ってのは、互いに『愛してる』って台詞を言い合って、照れたり恥ずかしがったほうが負け、っていうゲームなんだ」
「ほう、シンプルなゲームだな」
「そう。シンプルがゆえに、異性が割り込もうものなら、その効果は絶大なのさ。あまつさえ、クロウなんつー反則チート級のイケメンが参戦してみろ。このリビングに血の雨が降るぞ」
夏海の警告に「降るぞ!」と同意を示す桜。
嘘の告白だけで血の雨は降らないと思うんだが……。
「とにかく、このゲームにクロウが参加するのはなし! 遊ぶのなら、別のゲームで遊ぼうぜ」
「むぅ……俺も『愛してる』って言ってみたかったんだが」
「「うぐっ!」」
俺のぼやきに反応して、なぜか桜と夏海が胸を押さえはじめた。
慌てて俺から離れ、天災から身を守るかのごとくソファの隅で抱き合うふたり。
「ほ、ほら見たことか! こ、こうやって心臓がおかしくなるから、アンタの参戦はダメなのよ! ね、夏姉!」
「そ、そうだそうだ! わ、わかったら、もっと心臓にやさしいゲームを持ってこい!」
「わ、わかったよ。それでは、ボードゲームでも探してこようか」
言いながら立ち上がると、ふたりが安心したとばかりにホッと息をついた。
すこし釈然としなかったが……まあ、ふたりを困らせては本末転倒だ。心臓にやさしいゲームで遊んでもらうとしよう。
心臓にやさしいゲームとは?
リビングを離れ、そもそもボードゲームはなにがあっただろうか、などと考えながら廊下を進んでいると、ピンポーン、とインターホンが鳴り響いた。
秋樹なら鍵を使って入ってくるだろうし、来客のようだ――「俺が出よう!」リビングにいるふたりに呼びかけるように言って、急いで玄関に向かう。
スリッパを履き、玄関の扉を開けて。
「うわ、ホンマに家政夫しとるやん! ひさしぶり――、おぉッ!?」
瞬間、俺は秋樹の隣にいた金髪の男に飛びかかった。
「え、あ……えッ!?」困惑する秋樹もよそに、金髪をその場に押し倒し、喉元に左腕を押しつけた。
その後、即座にうつ伏せに翻して、両手を掴んで拘束する。行動の自由を奪うためだ。
コイツに、俺の身体を見せる隙を与えてはいけない。
「ぐぅ、え……ちょ、ちょい待ちぃや! オレがなにしたん……ぐあぁ!?」
「用件を言え。でなければ、折る」
「ぶ、物騒なやっちゃな……お前の大好きな『ボス』からの伝言じゃボケッ!!」
「――ボス、だと?」
ふと力を緩め、金髪の拘束を解く。
ゴホゴホ、と数度せき込んだのち、金髪の男は。
フルピース諜報部、スパイ十指のうちのひとり――『幸運使い』の
「野宮クロウに伝える――『前の職場』に戻ってこい、やとさ!」
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